映画感想・レビュー 161/2613ページ

あんのこと:P.N.「ige」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-10

ひとりの女性が必死に生きようとする姿を表現した作品。
本年度ベスト!!

本作は当然、河合優美さん目当て。
最近話題となった不適切なテレビドラマの影響なのか?
集客率はほぼ100%
やっぱり河合優美さんの演技が素晴らしかった!

親から虐待を受け覚醒剤に頼る杏。
そんな彼女を佐藤二朗さん演じる警察の多々羅が更正させようと奮闘するストーリー。

杏がとにかく可哀想。
必死に生きようとする中、事ある毎に母親に妨害される感じ。
クソ親の元に生まれた杏が観ていて辛く、泣ける。

杏、多々羅、桐野の3人が共に行動するシーンが良かった。
時々笑顔を見せる杏の幸せそうな表情が印象に残る。

後半に信じられない事件が発覚!
まさかの展開に驚く。
杏に親身に世話をしていた多々羅との接触がなくなり杏の感情に変化をもたらした感じが辛い。

実話ベースと言うことが信じられないけど、この物語を取材した記者はどんな思いで取材をしていたのか?

多々羅のタバコのポイ捨てのシーンが多過ぎたのが気になりました( ´∀`)

かくしごと:P.N.「ige」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-10

赤の他人が本当の親子に変化して行く感じを表現した作品。
本年度ベスト!

終盤のある出来事から怒涛の展開。
この先どうなるのか?
考える暇も与えられず進む構成から、ある一言に泣かされた(涙)
これが本作の肝って感じ。

認知症の父の介護の為、実家に戻った杏さん演じる千佐子。
認知症の父の奥田瑛二さん演じる孝蔵。
記憶を失った9歳の男の子。
この3人を中心に進むストーリー。

認知症の孝蔵を演じた奥田瑛二さんの演技がとても素晴らしかった!

本作は親子や家族がテーマだった感じ。
孝蔵と千佐子と記憶を無くした男の子の3人の共同生活。
最初はぎこちない感じけど、孝蔵と記憶を無くした男の子の関係が少しづつ良くなって行く感じか印象的。

認知症の父の面倒をみる千佐子の苦労が生々しい。
杏さん演じる千佐子の母としての行動が観ていて考えるさせられた。

最近、藤原季節さんと共演したお気に入りの作品の木竜麻生さんも登場。
彼女の役は微妙だったけど美しく今後に注目したい女優さん。

9歳の男の子が学校に行かないのが気になりました( ´∀`)

違国日記:P.N.「sanjuro」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-09

原作未読。無愛想で人付き合いが苦手?ってドコが?慎生の描き方を観てそう感じてしまった。重苦しいギクシャクした雰囲気とその中でたまにクスリと笑える映画を期待していたのだが‥‥‥違った。

K-19:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-09

ただ、惜しむらくは、致命的な欠点が一つある。
ソ連の軍人がロシア語訛りの英語を話すこと自体は、お約束なので何とも思わない。
英語に吹き替えられていると思えばいいのだ。

ただ、ソ連の海軍の艦長にハリソン・フォードというのは、いくら何でも違和感を抱かない方がおかしい。
一度はアメリカ大統領まで演じた男が、ロシア人艦長じゃまずいと思うのだ。

年輪を重ねてゴリラのようにたるんだ頬が、幾分それらしさを醸し出すのを助けてはいるが、彼が主演する映画をずっと観てきた、一人の映画好きとしては、その顔にアメリカのヒーローを重ねないわけにはいかないのだ。

もちろん、彼を主演に起用することで製作のゴーサインが出た企画かも知れないが、こればかりはいただけないキャスティングであったと思う。

K-19:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-09

旧敵国の英雄を描いているようであって、旧敵国の非人間性や無茶苦茶さ加減、お粗末さ加減が際立ってくる。

必要なパーツは供給されず、放射能の防護服の替わりに雨合羽しかおかれていない。
こうしたディテールが、物語の直接的な伏線として機能するだけでなく、描かずして冷戦に勝利したアメリカへの賛歌となるあたりは、計算づくでないわけがない。

とはいえ、キャスリン・ビグロー監督は、そんな”愛国映画”を撮ることに興味があるわけもなく、これまでの作品でも垣間見せていた本領を発揮して、力強く物語の核心を抉り出していく。

乗組員と新しい艦長との確執や、政治局員たちのキャラクターなどは今一つ描き切れていない。
しかし、それを帳消しにして余りあるほどの迫力と臨場感で、放射能事故の応急措置をめぐる乗組員たちを演出し、名前の知られていない若い俳優たちから素晴らしい演技を引き出していると思う。

K-19:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-09

東西冷戦時代、ソ連の威信をかけて出航し、示威的にミサイルを打ち上げることに成功した原子力潜水艦内で、放射能漏れの事故が発生し、艦長以下の乗組員が究極の選択を迫られることになる——-。

おそらく、この映画はハリウッド製娯楽大作映画としては快挙と言えるだろう。
この作品は、放射能という”見えざる恐怖”と真剣に向き合い、その描写から逃げなかった。

もちろん、そうすることなしに、この作品は成立し得ない。何しろこれは潜水艦映画などではなく、”密室原発事故映画”なのだ。旧敵国がいかに無茶苦茶なことをやっていたかを描くことで、間接的に”愛国映画”たる枠組みを使って、キャスリン・ビグロー監督は画期的かつ容赦のない描写を実現した。
この映画はその一点においてだけでも賞賛されるべきだろう。

そして、この映画で一番うまいのは、実は、この免罪符としての映画の枠組みにあるのではないかと思う。

インサイダー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-09

我々が日頃、享受している「言論の自由」や「報道の自由」は、これら多くの犠牲や努力の上に成り立っているのだと、あらためて痛感させられます。

バーグマンとワイガンドが命を懸けて示してくれた大きな理想。これは、まぎれもなく、れっきとした事実なのです。

なお、この映画は1999年度のLA批評家協会の最優秀作品賞、最優秀主演男優賞(ラッセル・クロウ)、最優秀助演男優賞(クリストファー・プラマー)、最優秀撮影賞を受賞し、また、同年の全米批評家協会の最優秀主演男優賞(ラッセル・クロウ)、最優秀助演男優賞(クリストファー・プラマー)を受賞しています。

インサイダー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-09

様々な脅迫に耐えられず、夫から離れていったワイガンドの妻は、現実的な人間らしさを象徴するキャラクターでもあります。ただ、残念ながら、この女性は丁寧に描かれていたとは言い難く、このドラマの枠外へと追いやられてしまっています。こう考えてくると、結局のところ、ワイガンドの正義心を前へと突き動かしているのは、”男と男の信頼関係”だったのだと思います。

バーグマンの信念、それは、自分の情報源になってくれる人間を守ってやる事。これがジャーナリストの鉄則だと信じているのです。CBSがタバコ会社の圧力に負けて放送が中止になれば、新聞社へ情報を流し、あらゆる手段を使ってでも、この内部告発を世間に伝えようとするのです。

ワイガンドの勇気に報いるために、バーグマンもまた、組織の中での自分の立場を顧みる事などしないのです。この二人の男の稀有な勇気と信頼が、長く険しい道のりの果て、真実の公開へとたどり着かせるのです。

インサイダー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-09

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

まず、実話に基づいている事もあって、手持ち撮影によるドキュメンタリー・タッチが実に効果を上げているなと思います。更に、クローズ・アップやスローモーションで画面にメリハリをつけ、バーグマンのジャーナリストとしての信念と、ワイガンドの迷える複雑な心情を鮮やかに映し出していると思います。

このワイガンドが内部告発をする段になって、様々な圧力がかかり、身の危険や家族崩壊の危機にさらされる事になります。凄まじいまでの葛藤と戦い、ワイガンドは強固な正義心を貫こうとします。

現実問題として、このような過酷な試練にさらされた時、人間は理想というものを貫き通せるものであろうか? 人間は本来は、もっともっと弱いはずだし、このワイガンドの勇気を我々は現実のものとして、受け止められるであろうか?—-と、自問自答せざるを得ません。

インサイダー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-09

“自分を信じ自分を貫こうとする男の美学をクールに熱く語る、マイケル・マン監督の社会派ドラマ「インサイダー」”

「ヒート」、「コラテラル」のマイケル・マン監督が放つ、男同士の死闘をクールに描いた骨太の社会派ドラマです。

静けさの中にもほとばしる熱気、マイケル・マン監督の抑制された演出が、男達の生きざまを輝かせます。自分を信じ、自分を貫こうとする男の美学が、我々観る者の心を激しく揺さぶります。

アメリカのCBSの人気報道番組「60ミニッツ」の舞台裏で実際に起きた事件を描く、実録社会派ドラマで、「60ミニッツ」の敏腕プロデューサー、ローウェル・バーグマン(アル・パチーノ)とタバコ会社の不正を内部告発した、ジェフリー・ワイガンド(ラッセル・クロウ)という二人の実在する男達の熱い戦いを実録タッチで描いています。

2時間38分と長い上映時間ですが、マイケル・マン監督の工夫を凝らした演出がピリピリするような緊張感を持続させてくれます。

模倣犯:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-09

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当時の森田監督といえば、「黒い家」で「悪魔のいけにえ」的なテイストを発揮し、「39--刑法第三十九条」も当時のサイコ・スリラーブームに便乗しつつ、極めてロジカルな傑作にした監督だ。

だから期待して観たものの、ところが森田監督はこの作品をとんでもない"実験映画"にしてしまったのだ。
新しモノ好きの本領を発揮してHD24pで撮影したものの、凝り過ぎて特撮映画でもないのに合成ショットが800にも及んだとのことで、それってゴジラよりも多いわ、製作が大幅に遅れるわで、かなり問題を起こしたそうだ。

しかも、マスコミを利用して遺族を翻弄する狡猾な殺人犯を軸に置き、人間の悪意と犯罪心理に対して、深遠なテーマを投げかける原作の外殻だけ残し、後は素人の演技以前の、学芸会的なヘタな演技しか出来ない、中居正広演じる殺人犯を意味不明のトリックスターにして、完成したのは森田版「怪人20面相」。

しかも、ラストは石井輝男監督の「江戸川乱歩全集/恐怖奇形人形」もかくやのウルトラ首花火大会。
それなら、最初から江戸川乱歩でもやればよかったんだ、みたいな変な結果になっている。

模倣犯:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-09

スティーヴン・キングの小説が素晴らしい映画に恵まれないのと同様に、宮部みゆきもまた自著の映画化に際して、原作と同等のクオリティが得られない作家であると思う。

その理由は奇しくも、スティーヴン・キングと一緒で、ディテールの積み重ねでリアリティを構築しているから、どうしてもセンテンスが長大になる。

映画はそれを限定された時間に置換しきれず、ダイジェスト以上のものを望む事が出来ないのだ。
そこで理想的なアプローチとしては、原作を思い切り意訳して真っ向勝負を回避するか、あるいは短編にするかだろう。

そんな宮部みゆきの原作映画「模倣犯」は、単行本が上下巻合わせて1,500ページというベストセラー大著に敢然と挑んだのが、今は亡き森田芳光監督だ。

当時の森田監督といえば、「黒い家」で「悪魔のいけにえ」的なテイストを発揮し、「39--刑法第三十九条」も当時のサイコ・スリラーブームに便乗しつつ、極めてロジカルな作品にした監督だ。

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-09

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

この映画、内容はまるっきり"南洋冒険もの"で、ゴジラははっきり言ってゲスト扱い。
宝田明が、実は金庫破りで、ある金庫を破って警察に追われているという設定だ。

これが調子よく、スイスイ金庫を開けるので、なんだか同じ福田純監督の「100発100中」のアンドリュー星野を思い出させる、はじけっぷりだ。

肝心のゴジラだが、最初は眠った姿で登場し、なかなか起きてくれない。
核兵器工場のあるこの島は、インファント島の近くらしく、インファント島から、原住民が奴隷として連れてこられている。

それで残った島の人たちが、助けに行ってもらおうと歌を歌って、モスラを起こそうとするが、これもなかなか起きない。

エビラは、海の中でパシャパシャしてるだけだから、正直言って、あまり見所がない。
エビから進化したような怪獣ではなくて、ただエビのでかいヤツだから、とてもゴジラとも戦いようがないのだ。

それでモスラは、この島もいよいよ核爆発でなくなるという時に、逃げ遅れたインファント島から連れてこられた、原住民や吉村たちを助ける時になって、初めて飛び立ってくれる。 だから、ゴジラとの対決も少ししかなく、あっけない。 したがって、あまり活躍もしない。 ゴジラ映画としては、とにかく不満ばかりが残ってしまう。 この映画から、いわゆる「怪獣島もの」が始まるから、ゴジラ映画の一つの転換期とも言えるのだが。 出演は他に、某国の核兵器工場の責任者に田崎潤、アイパッチをした警備隊長に平田昭彦、インファント島の小美人にペアバンビ、インファント島の原住民に沢村いき雄、水野久美など。

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-09

マグロ漁船が遭難し、乗組員達は絶望しされたが、遺族の中にはイタコがあの世にはいないと言ってるから、生きてるはずだと言い出す。

乗組員の弟の良太は、東京に出て、新聞社に訴えるが相手にされない。
そんな時、優勝商品が、豪華ヨットのゴーゴー大会のポスターを見て、会場に出かける。

大会には参加できなかったものの、そこで市野(当銀長太郎)、仁田(砂塚秀夫)と知り合い、ヨットを見に、ヨットハーバーに向かう。

あるヨットに乗り込んだところ、そこには吉村(宝田明)という男がいた。
朝になった、そのヨットは太平洋上にあった。良太が出帆させたのだ。

航海中のある暴風雨の夜、巨大なエビのはさみに、ヨットは破壊される。
なんとか島にたどり着いた3人だったが、そこは某国の核兵器工場だった!!

ゴジラシリーズ第7作目の「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」。
最初イタコのシーンから話が始まったのでどうなることかと思ったら、そういう風に南の島に話を持っていったんですね。

恋(1971):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-09

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彼女は主人公の少年を連れて、夏服を買いにいくのだった。
その時からずっと年上の美しい彼女に、彼は強い憧れを抱く。
だから、彼女に頼まれたことを忠実に守ろうとするんですね。

彼女が「絶対に秘密よ」と言えば、誰にも喋らない。
だが、そのことが次第に彼を苦しめ、追い詰めていく。

彼はある日、友人の家族たちと一緒に、一家が所有する土地にある川に泳ぎに行き、ひとりの小作人(アラン・ベイツ)と出会う。
男臭さを発散する小作人を、友人の姉はことさら無視し、上流社会の貴婦人らしく、身分の違いを思い知らせようとする態度にさえ見える。

だが、主人公の少年は知っているのだ。
彼は友人の姉から小作人への手紙を頼まれ、何度もとりもちをする。
彼は小作人のところで話をし、納屋で遊んでいる時の方が、上流階級の人々といるより気楽で好きだったのだが、次第に二人の秘密の重さに耐えられなくなり「もう手紙は預からない」と宣言するのだった。

やがて、悲劇が訪れる。友人の母親に追求され小作人の納屋に母親を案内した彼は、そこで大人の恋が現実にどのようなことを行なうのかを目撃するのだった。

身分違いの恋に落ちた男が、その当時の社会でどんな決着をつけなければならないか、彼は12歳で思い知らされるのだ--------。 その夏、彼は人生の苦さを知り、社会の欺瞞を学び、男と女の抑えようのない情熱が生む悲劇を目撃する。 そして、別れの悲しみを味わい、悔恨が疼かせる痛みを覚えるのだ。 だから、夏が過ぎ、秋の服を身に着ける時、少年はもう数か月前のような牧歌的で無邪気な世界には戻れなくなっている。 誰にも、そんな夏があったのではないだろうか--------。

恋(1971):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-09

この映画の原題は「The Go-Between」と言って、「とりもち」という意味らしい。
監督は赤狩りでハリウッドを追われ、ヨーロッパでしか映画を撮れなくなったジョセフ・ロージーだ。

そして、「ドクトル・ジバゴ」「ダーリング」のジュリー・クリスティと「まぼろしの市街戦」「フィクサー」のアラン・ベイツという二人の演技派俳優が、恋人たちを演じている。

「恋」は、ロバート・マリガン監督の名作「おもいでの夏」と同じように、中年男の回想から始まる。
だが、それはとても苦い思い出だ。

彼は12歳の時、寄宿学校で一緒の友人の家でひと夏を過ごさないかと誘われる。
彼には母親しかおらず、貧しく夏服の着替えさえままならないが、友人の招きに応じるんですね。

友人の家は大きな屋敷で、広大な土地を持つ大金持ち。
彼は友人と二人で少年らしく遊び回る。
しかし、次第に上流階級の人々の欺瞞にも気付いていくのだった。

貧しくて夏服を持っていない彼を人々はからかい、彼は深く傷つく。
そんな彼を救ってくれたのが、友人の姉(ジュリー・クリスティ)であった。

ロッキー2:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-09

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この「ロッキー」の続篇、「ロッキー2」は、シルヴェスター・スタローンが主演・脚本に加えて演出も担当している、ワンマン映画ですね。

「ロッキー」の後、主演した「F・I・S・T」も、監督兼任の「パラダイス・アレイ」も、今一つパッとしなかったスタローンとしては、なんとしても、この映画を成功させたかったに違いありません。

彼のそんな初心に帰った、その気迫が、作品の出来は別としても、この映画の強烈な熱気となって表れていたと思います。

物語は、前作のあの感動的なクライマックスから始まります。
あのチャンピオン・アポロとの死闘。駆けつける恋人・エイドリアン。

予想以上の頑張りを見せたロッキーは、一躍、人気者になります。
CM出演の話もきたし、家も買った。

エイドリアンと結婚し、彼女は愛の結晶を身ごもります。
そんな中、アポロは再試合を求めるんですね。
あの時、ロッキーを叩きのめせなかった不満。
つまり、焦りを露わな怒りに変えての挑発なんですね。

だが、ロッキーは、この挑発には乗らない。
エイドリアンとの約束があるからだ。
しかし、生活は次第に苦しくなり、彼は精肉工場や沖仲仕などの肉体労働で働くが、うまくいかない。
妻も身重のまま、ペットショップで働きます。

とうとうロッキーは、再試合の調印をしてしまう。
それを知った妻は、倒れて早産、昏睡状態のまま、生死の境をさまようことになるのです。

神の前で、妻の蘇生を祈るロッキー。
やがて、意識を取り戻した妻は、ロッキーの手を握りしめて、ひとこと言う。
「私とベビイのために勝って」。
あまりにもベタな場面ですが、でも、いい場面ですね。

そして、これからが、レビューでも触れられていたように、アドレナリンの上がる、怒涛のいい場面へとなだれ込んでいきます。

朝陽を背に、力いっぱいのトレーニングをするロッキー。
人間、やる気を起こした時の爽快な感情の高まりを、映像のリズムに再現した見事な場面ですね。

そして、チャンピオン・アポロとの激闘、勝利。 恐らく、公開当時、アメリカの映画館では、観客のもう総立ちの拍手が鳴り響いていたでしょうね。 もう、本当にベタな演出なんですが、観る者の心理を十分に読み込んだ、うまい盛り上げ方ですね。 それだけに、当然、結果は予想がついていたにもかかわらず、でも、わかっていても、ロッキーに声援を送りたくなる魅力を、この映画は持っているんですね。 裏町で、力いっぱい生きて行く勇気。土壇場で立ち上がる、その意欲。 ストレートに、素直に、観る者の心に響いてきます。 映画を観るという行為の中で、これはやはり、大切な事なのだと思いますね。

帰らざる夜明け:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-09

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1930年代の中頃、フランス中部の緑の田園地帯が背景で、田舎道を走るバスから中年の農家の女タティ・クーデルク(シモーヌ・シニョレ)が降り立ちます。

重い荷物を引きずって、通りかかった若者が手を貸して、それが縁でジャンと名乗る旅の若者(アラン・ドロン)は、彼女の家の野良仕事の手伝いをするために雇われる事になります。

このフランスの名女優シモーヌ・シニョレが演じる、女中あがりの後家さんは、十数年前に主家の父親に手ごめにされ、その息子にはらまされて死産。

そして、その息子と結婚したけれども、飲んだくれの亭主は死に、残った舅のアンリ爺さん(ジャン・ティシェ)が今も年がいもなく夜な夜な彼女を求めて来るのだった。

その彼女が舅を「いやらしい老いぼれめ」と罵れば、運河の跳ね橋を挟んで住む、亡夫の妹夫婦は老父を抱き込んで、彼女が支えてきた農場を横取りしようと狙っている。

そうはさせじと、肩ひじ張って後家の頑張りを、シモーヌ・シニョレが、がさつな動作で絶妙に演じてみせる。
この映画の主役は、実質、このシモーヌ・シニョレだと言えます。

やがて判明するジャンの正体は、殺人を犯して追われる身の医学生くずれですが、そんな若者が行きずりの年上の女の痛ましさに、ふと心惹かれ、彼女もまた、その優しさにすがって、女としての最後の炎を燃やします。 だが、ジャンは、彼女の義妹夫婦の娘で、まだ16歳の若さで父無し子をかかえたフェリシーとも、抱き合ってしまいます。 結局、フェリシーの両親は、兄嫁のタティ・クーデルクを憎むあまり、ジャンにも敵意を重ね、彼の秘密をかぎとると、娘に命じてパスポートを盗ませ、それを持って警察に密告します。 映画のラストは、警察官の大掛かりな包囲で、逃れきれぬと悟ったジャンは、未亡人のタティ・クーデルクをかばって射殺され、彼女もまた、流れ弾を受け、燃えさかる家の中で息絶えるのです。

あまりにも、むごすぎる悲劇ですが、映画はむしろ一つの風景の中の出来事として、淡々と描いています。 運河があり、機帆船が通り、跳ね橋が上下する、その古風でのどかなロケーションが実に素晴らしい効果を上げていると思います。 ささやかな地域社会の、まだささやかな片隅にも、人間の欲望と愛欲と孤独とが複雑に絡み合って、破綻の悲劇へと追い詰められていく、この物静かなニヒリズムがとてもいいと思います。

キング・オブ・コメディ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-08

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この映画「キング・オブ・コメディ」の主人公は、例によって偏執狂(パラノイア)的な人物で、映像は、それに対応して、妄想や想像と、現実的な知覚との間を往復するのだが、「ミーン・ストリート」で、すでにお馴染みのこの技法も、ここではごく自然なやり方で使われている。

ストーリー自体は、実に単純だ。
ニューヨークのスタテン・アイランドに母親と住み、テレビのトーク・ショーのスターになりたいと思っている男ルパート・パプキン(ロバート・デ・ニーロ)がいる。

彼は、壁に観客のシルエットまであしらった自分の部屋で、マイク片手に、ジョニー・カーノン流のコミカルな話芸をたえず練習しているのだが、そのうち、彼の目には壁のシルエットが生身の観客に変わり、自分がテレビの喜劇王(ザ・キング・オブ・コメディ)になったかのように思えてくる。

ある日彼は、崇拝する人気コメディアン、ジェリー・ラングフォード(ジェリー・ルイス)が、ファンにもみくちゃにされているどさくさにまぎれて、ちゃっかりジェリーの車に同乗してしまう。

見ず知らずの男に車に乗り込まれて不快さを隠さないジェリーは、テレビに出るチャンスを与えてくれとせがむルパートに対し、秘書に電話をしてアポイントメントを取ってくれれば、いつでも相談にのると言って、このやっかい者をあしらう。 しかし、思いこんだら命がけというのがスコセッシの映画の主人公の典型的なキャラクターだ。 ルパートは、ジェリーのオフィスに通いつめる。 ようやく、秘書に、トーク・ショーのサンプル・テープを持ってくるようにと言わせることに成功した彼は、あの自室の〈スタジオ〉で制作したカセットを、喜びいさんで持参する。 しかし、この手の売込みが毎日ゴマンとあるプロダクションの方は、彼のテープを真面目に検討する気などは毛頭ない。 ルパートは、ジェリーと直接話ができれば、問題は全て解決すると思う。 そこで彼は、郊外にあるジェリーの別荘を探し出し、直接交渉を決行する。 これは、ジェリーを怒らせただけで、テレビ界への頼みの綱は、完全に断たれてしまう。 一方、ルパートとは別に、ジェリーを自分のものにしたいと思って彼をつけまわしている女がいる。

このクレイジーな女マーシャを演ずるサンドラ・バーンハードの演技は、ちょっとした見ものなのだが、ルパートのパラノイアとマーシャのクレイジーさが結びつく時、その結果は見えている。 マーシャとルパートがどのように知り合い、どのようにジェリーを誘拐するに至るかは、完全にデ・ニーロを食ってしまうバーンハードの演技とともに、映画を見てのお楽しみというところだが、誘拐が簡単に成功し、その取引条件が受け入れられて、ルパートはジェリーの代わりにテレビに出、そのあげく、誘拐犯のテレビ出演--新喜劇俳優の誕生と、一朝にして彼が全米のスターになってしまうというのは、いささか話がうますぎる気がする。 しかしながら、誰しもが何らかのパラノイアの中で生き、彼や彼女らの妄想が、時には現実になってしまうのがニューヨークだとすると、そこを舞台にしているこの映画で、クレイジーな男の妄想が、あっさり現実化したとしても不思議ではないのかもしれない。

ゴジラ対ヘドラ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-08

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東京湾で船を襲う怪物が出現した。
そんな時、町の生物学者の山内博士(矢野明)たちは、海岸で大きなおたまじゃくし形の不思議な生き物を発見する。
しかし、それがヘドラの最初の形だった。
やがて巨大化し、陸上に上がり飛行するヘドラ。
ヘドラの出す硫酸ミストに住民は次々とやられていく。
そこへゴジラが出現し、ヘドラと対決する。
富士の裾野で踊りながらヘドラに殺されていく若者たち(柴俊夫ら)。
山内博士は電極版を使ってヘドラを乾燥させることを提案する。
果たしてヘドラを倒すことはできるのか? --------。

なんとも不思議なゴジラ映画だ。
ヘドラはヘドロから生まれた怪獣。他のゴジラ映画と違い、社会派とでも言うべきなのだろうか?
ヘドラはヘドロを食い、工場の排ガスを吸って大きくなっていく。

海を泳ぐだけの第1期、陸上歩行も可能な第2期、飛行も可能になった第3期、直立しゴジラと対峙する第4期。 徐々に大きくなっていく様には、ゾッとするような恐怖感がある。 その姿は、実に醜悪で無気味だ。 そして最後には、ゴジラよりも巨大になるのだ。 この映画には、公開当時、深刻な社会問題だった、公害問題に対する作者の怒りが反映されている。 またオープニング曲の「美しい空を返せ! 海を返せ! コバルト、カドミウムがどうしたこうした」といった、サイケデリック調の歌も1970年代っぽくて凄い。 このように書いてくると、この映画が面白そうな気がしてくるけれど、はっきり言って、映画としては、あまり面白くない。 "町の科学者が出てきて、怪獣を倒すヒントを見つけ、それで怪獣を倒す"という、従来のゴジラ映画の骨格は、確かに継承している。 しかし、ゴジラとヘドラの対決になっても音楽もほとんどなく、映画的なクライマックスに持っていこうとしていない。 つまり全然盛り上がらないのだ。

出てくる自衛隊も数人だけだし。戦っている迫力がないのだ。 襲われた街は、テレビのニュースで出てくるだけだし、パニックシーンとか都市の崩壊とか、画的な見せ場がほとんどないのだ。 もっとも演出力の問題というより、それ以前に予算がなかったのかも知れない。 出演者はノースターだし、柴俊夫が出演しているが、無名時代の別名での出演だ。 特撮シーンはとにかくチャチすぎる。 ヘドラとゴジラは、ナイトシーンでの対決が多いのだが、これが実に暗いのだ。 お金がなくて、周りの風景やバックを作るとこまで予算がまわらなかったから、暗くしてごまかそうという、感じがしてならない。 そして飛行するヘドラを追いかけるため、ゴジラは後ろを向いて放射能をはき、その勢いで空を飛ぶという掟破りもするのだ。 いくらなんでも、それはないだろうと思う。

監督はこれが第1回監督の坂野義光。劇場用作品で監督したのはこれ1本だけらしく、あと分かっているのはこの後、あの封印された怪作「ノストラダムスの大予言」の脚本を舛田利雄と共同で書いたというだけ。 でも「ノストラダムスの大予言」も書いているという事は、公害問題や環境問題に関心のある人だったのかも知れない。 あらためて、21世紀の今観直してみると、公害問題こそ聞かなくなったが、今人類が直面している"地球温暖化問題"と結び付けると実に恐い気がしてくる。 傑作なのか駄作なのか、実に判断に迷う作品だ。 ゴジラ映画としてのスペクタクル、ドラマ的な面白さは、ほとんどない。 極端に言えばATGのアート系のような作品だ。

最終更新日:2025-11-10 16:00:01

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