- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
映像の魔術師、ブライアン・デ・パルマ監督の華麗な映像テクニックは、銀幕の上に”悪夢”を現出させてしまう。
この場合の悪夢とは、「キャリー」のショッキングなラスト・シーンのように、文字通りの悪夢という意味合いでもいいし、彼の作品中で起きるサスペンスフルで異常な事件そのものが、悪夢なのだと考えてもいい。
それによって彼は、我々観る者を”現実世界”から一気に、映画という非日常的な”虚構世界”の内へと引きずり込む。
この「殺しのドレス」においても、オープニングとエンディングを飾る悪夢は、作品そのものを一つの異次元空間として、現実から切り離すキーの役目を見事に果たしていると思う。
この”現実”から”悪夢”へとワープする一瞬の落差が、ブライアン・デ・パルマ監督作品独特の恍惚感とも言える、スリリングな感興を引き起こす。
それは、エレベーターで急降下する際のちょっと気の遠くなるような眩暈の感覚にも似ている。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
まるで、アリステア・マクリーンの原作かと間違えそうなお膳立てで、西部劇の世界ではジョン・フォード監督の後継者だと言われたアンドリュー・V・マクラグレンが監督だが、舞台が船ではいささか勝手が違い、職人監督らしい手慣れたまとめぶりを見せているが、とりたてて新鮮な魅力も強烈なパンチもなく、普通の娯楽映画の域にとどまっていると思う。
ロジャー・ムーアが、髭面の精悍な感じで、ジェームズ・ボンドとは、またひと味違った良さを出していたし、特に悪役に扮したトニ・パキことアンソニー・パーキンスが、インテリ的な小悪党を楽しそうに演じていて、なかなか味があって、良かったと思いますね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
この映画「北海ハイジャック」は、イギリスが国家事業として力を入れていた、北海の海底油田を題材にした冒険アクション映画だ。
三代目ジェームズ・ボンドのロジャー・ムーアが、女性よりも猫と刺繍が大好きという、変わり種の私設フロッグメン・チームのリーダーに扮し、北海油田の爆破をネタに身代金を要求するハイジャッカーと対決するというストーリーが展開していく。
物資を輸送する貨物船を、新聞記者に化けたアンソニー・パーキンスの一味の6名がこの船を乗っ取り、二つの油田基地に海中から爆発物を取り付け、24時間以内に2,500万ポンドをよこさなければ、爆発させるとイギリス政府に通告する。
このサスペンスが持続する間に、提督のジェームズ・メイスンと私設フロッグメン・チームのリーダーのロジャー・ムーアが、基地の一つにヘリで急行、対策を推し進めるのだった。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
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途中で心臓が悪いベン・ジョンソンが死んだりするが、危機感よりゲームとしての興味が主体で、キャンディス・バーゲンが囚人を脱走させるために参加していたというトリック的な趣向も盛り込まれている。
血気にはやり威張りちらしていた若者ジャン・マイケル・ヴィンセントが、砂漠で馬に無理させ、死なせてしまい、ジーン・ハックマンにどやされてから、急にイエス・サーというような態度になるのも微笑ましい。
この砂漠やゴールにさしかかる場面の、真っ白に塩を噴き出した馬の描写には、感心させられた。
そして、ジーン・ハックマンが、馬をいたわるのを見たジェームズ・コバーンが、追い越せるのにわざと一緒にゴールに入るラストは、定石とわかっていても、実に後味がいい。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
リチャード・ブルックス監督の「弾丸を噛め」は、ジーン・ハックマン、ジェームズ・コバーン、キャンディス・バーゲンと、なかなか賑やかな顔ぶれのウエスタン・アドベンチャーだ。
カリフォルニア方面からコロラド方面に向かってのレースの話で、時は1908年、主催がデンバーの新聞社だから、当時の時点での西部への懐古趣味を盛った企画だったと想像される。
イギリスからイアン・バネンが参加するなど、国際的な顔ぶれの8人が、それぞれ自慢の馬に乗って、約1週間のレースを続ける。
そして、その間の数々の冒険と出場者たちの人間関係が描かれていく。
コースに沿って鉄道が走っているらしく、主催者は列車におさまって競争の進行状況をチェックし、落伍者は収容する。
だから、人里離れた救出不可能な荒野での冒険という切迫感がわかない。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
古い地下鉄の車輛が動き出すところなど、ジャック・フィニィの傑作小説「レベル3」を連想してしまうほどだ。
かつて、アメリカでクローン人間化計画がとりざたされていた事を思うと、「ミミック」の怖さには戦慄を覚えてしまいます。
遺伝子操作に批判的な学者(F・マーリー・エイブラハム)の「街は研究室より広いんだ」という言葉。
つまり、現実は学者の机上の計算通りには運ばないものなんだという言葉が胸に突き刺さります。
迷路のような暗闇の地下世界と、巨大なゴキブリを思わせるクリーチャーの造形も不気味で、陰影に富んだ映像を駆使して恐怖の演出を見せた、ギレルモ・デル・トロ監督。
彼はやはり、当時からタダ者ではなかったことがわかります。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
この映画「ミミック」は、鬼才ギレルモ・デル・トロ監督が、ニューヨークの地下に蠢く、進化した昆虫の猛威を描いた”バイオ・スリラー”の傑作だ。
遺伝子操作によって作り出された生物が、昆虫学者の予測を裏切って独自の進化を遂げてしまい、遂に人間を襲撃するようになるという話だ。
キワモノ映画かと最初は思って観ていたが、意外と予想以上に面白く、そして怖い。
昆虫学者のスーザン(ミラ・ソルヴィーノ)は、流行する疫病の防止のために、新種の昆虫”ユダの血統”を開発する。
そして、3年後、街の地下で絶滅したはずの”ユダ”に似た昆虫の死骸が見つかった。
真相を探り始めたスーザンたちは地下へ潜入。
そんな彼らに、変態を遂げて巨大化したユダが襲いかかり——-。
「誘惑のアフロディーテ」で私を虜にした、ミラ・ソルヴィーノ扮する昆虫学者が、空飛ぶ”怪物”に連れ去られる場面には、懐かしいB級映画の味があるし、ニューヨークの地下鉄の更に下の世界の描写には、都市伝説的な”陰性のロマンティシズム”が漂っている。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
カレンの婚約者ジョー(ジェームズ・ガーナー)にすら忍び寄る疑心、裁判を拒否した叔母の薄情さ、レズ志向を自認し命を絶つマーサら、各人それぞれを、ワイラー監督は実に的確に描き分けていくのです。
そして、親友を失ったカレンが、絶望感を抱きながら葬式の参列者の間を胸を張って歩いていく姿に、無理解な社会への怒りを凝縮させているのだと思います。
オードリー・ヘプバーンの澄んだ瞳が、躊躇なく真っ直ぐ正面を見据える、このラストのショットが、この作品の価値を2倍にも3倍にもしているのだと思います。
一個人が風評によって、社会から追放されるこの物語には、ウィリアム・ワイラー監督自身のマッカーシズムによる、ハリウッドの”赤狩り体験”が、色濃く反映されているのだと思います。
当時、それに抗議する委員会を結成し、その中心人物として活動したワイラー監督は、悪夢のようなこの事件に対する怒りを、ヘプバーンに代弁させているのだと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
そこには、根拠のないゴシップに対する社会の妄信性や、それによって、いとも簡単に崩れてしまう日常生活の脆さ、本来、純粋な筈の子供に存在する邪悪さが提示されていて、観ている者を震撼させます。
この映画の原作者であるリリアン・ヘルマンの巧まざる現実認識、人間描写の鋭さを思わずにはいられません。
だが、一つ気になるのは、メアリーを演じるカレン・バルキンという子役のオーバー・アクトだ。
見るからにふてぶてしい顔もさることながら、眉をしかめたり、驚く時に目を見開いたりする、この子役の芝居の過剰さが、失笑を買うほどに強烈だ。
ウィリアム・ワイラー監督ともあろう名匠が、なぜこんなにも臭い芝居をする子供を起用したのか、理解に苦しみます。
それとも、ワイラー監督はそんなことは百も承知で、この”愚かしい扇動者”の姿を揶揄してのものだろうか?
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
この映画「噂の二人」は、1936年にリリアン・ヘルマンの戯曲「子供の時間」を「この3人」という題で映画化したウィリアム・ワイラー監督が、オードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーンという2大女優を主演に迎えて再映画化した作品だ。
寄宿制の女子私立学校を経営するカレンとマーサの二人の女性が、突然”同性愛”という汚名を着せられ、やがて悲劇的な結末を迎えるまでを、ウィリアム・ワイラー監督が確かな演出力で描き切った名作だ。
この映画は、子供の身勝手な噂が、ひとりの女性を死に至らしめる、恐ろしい社会派ドラマだ。
大人びて意地の悪い少女メアリーが、自分を叱る教師二人が経営する学校から出たいために、二人が”同性愛者”であるとデマを流すのだ。
全ての父兄が自分の子女を学校から引き上げ、二人は原因をメアリーのデマだとその祖母に詰め寄るが、その家に引き取られていた別の生徒の証言で事実は決してしまう——という歯ぎしりしたくなるようなストーリーが展開していく。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
原題が「エクソシストⅡ ヘラティック」で、”異教徒、異端者”のことで、つまり、人の心の中の”正統と異端の闘い”が、この映画のテーマなのです。
だから、悪霊すなわち異端なる者が潜んでいるのは、リーガンの心の中だけではないのです。
母親の女優が海外ロケーション中に、リーガンの面倒を見ているキティ・ウィン扮するシャロンにも、ルイーズ・フレッチャー扮する精神科医のタスキン博士にも、そして、ラモント神父の中にも、異端が潜んでいるのです。
むろん、この映画の中心は、ラモント神父で、全ては彼が異端を乗り越えて、正統に達するまでの”心象風景”を描いていると言ってもいいのです。
特に、ラモント神父が、悪霊に導かれて、成人したコクモを探し歩く場面は圧巻で、いなごの仮面を被った超能力者を演じるジェームズ・アール・ジョーンズも実にいいムードを醸し出しているのです。
そして、それが虚像で、実像に一転する脚本のうまさ——–。
「エクソシスト」の原作者、ウィリアム・ピーター・ブラッティの名が、クレジットに現われないことでもわかるように、これは全く異質な映画で、「エクソシスト2」は、まさに傑作なのです。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
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そこで、今は精神分析の治療を受けているリーガン(リンダ・ブレア)に、ラモント神父は接触し、シンクロナイザーという催眠面接装置の力を借りて、悪霊に憑かれた時の記憶を探り出そうとするのです。
それによって、メリン神父が若い頃、アフリカでコクモという少年の悪魔祓いに成功したことがわかります。
この少年は、襲来するいなごの大群と、ひとりで闘える超能力の持ち主なので、悪霊に狙われたのです。
その辺から、素晴らしい映像美が展開して、まるでダリの絵をジグソー・パズルにしたものを、きっちりと組み上げていくような感じで、映画はクライマックスに最高の盛り上がりをみせるのです。
画面が互いに共鳴し合って、異様な興奮を醸し出す構成は、複雑だけれども、決して難解ではありません。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
このジョン・ブアマン監督の映画「エクソシスト2」は、全世界で”オカルト映画”ブームを巻き起こした、ウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」の続編にあたる作品です。
だが、この映画は、あまりにも観念的で難解だったために、興行的にコケてしまい、一部の本当の映画好きの間で、もはや”カルト的な傑作”として認知されている作品なのです。
主役のリチャード・バートン扮するラモント神父が、悪魔祓いに失敗する冒頭から、凝った画面に引き込まれて、途中、何度も思わず”うまい”と口走り、映画を観終えた時には、心の中で拍手を送っていました。
さすがにジョン・ブアマン監督だけあって、「未来惑星ザルドス」で華麗なイメージの遊びを見せてくれた鬼才の名に相応しい出来になっていると思います。
とにかく、”知的で哲学的な大人のための怪奇映画”を作り上げていると思うのです。
エクソシズムに熱心なラモント神父は、私淑する先輩のメリン神父(マックス・フォン・シドー)の死の真相を調べる仕事を、枢機卿から命じられます。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
謎の女エルザ(リタ・ヘイワース)に恋してしまったマイク(オーソン・ウェルズ)。
全ての愛憎を絡めて、映画のクライマックスは遊園地のビックリハウスへと収束していきます。
四周が鏡の部屋。ウェルズとヘイワースと、そして彼女の夫。
三人の姿が、幾重にも重なり合って写ります。人間の愛憎の果てしなさを象徴するかのように——。
やがて誰かが誰かを撃ちます。
崩れる鏡と共に、三人の重なりあった像も崩れ落ちます。崩れ去った愛の象徴——。
ミラーフォーカスという映画史に残る素晴らしい映像技法。
この技法をマネしたのが、あのブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」でのラストの鏡張りの部屋のシーン。
鏡とは、人を写すだけではなく、”人生そのもの”を写し続ける存在なのかも知れません。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
“ミラーフォーカスという映像技法を駆使して、鬼才オーソン・ウェルズが人間の愛憎劇を描いたフィルム・ノワールの佳作「上海から来た女」”
このオーソン・ウェルズ監督の「上海から来た女」は鏡というものを、映像として効果的に使った映画の古典とも言えるフィルム・ノワールの掘り出し物的な作品です。
資産家バニスターの美しい妻エルザが暴漢に襲われそうになったところを、偶然、救ったマイクは、ヨット航海で夫婦と同行する事になります。
航海中にエルザと親密な仲になったマイクは、彼女と駆け落ちをする資金を作るために、夫婦の弁護士に持ちかけられた奇妙な殺人事件に巻き込まれる事になりますが——。
この映画は、ニューヨークの闇夜、サンフランシスコのチャイナタウン、そして、映画史上あまりにも有名な鏡張りの部屋での撃ち合いのシーンなど、いかにも鬼才オーソン・ウェルズらしい意匠に富んだサスペンス・スリラーを堪能出来るのです。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
クリフトは、その大きく澄んだ瞳を最大限に生かし、男というよりは、悲劇に耐える青年といった風情で、観る者の同情を集めるのだ。
クリフトは実生活において、46歳で悲劇的に人生を終えたのだが、30歳ちょっとの頃のこの作品でも、すでに悲劇の匂いが漂っている。
ヒッチコック作品への出演は、これ一本だが、彼の存在が大きい作品だと思う。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
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信者の告白を漏らす事は、神の教えに背く事になるのだ。
ルス夫人は、神父が犯人ではない事を証言するために、夫の目の前で、神父への思いを赤裸々に告白する。
神への信仰を貫こうとする神父と、家庭を崩壊させても神父への愛を貫こうとするルス夫人。
宗教と不倫という、二つの題目が対立するところが見もので、ヒッチコックの映画の中では、かなり深刻なテーマを持ったものになっている。
結局、神父は最後まで懺悔を口外しないのだが、追い詰められてなお、じっと耐えるだけという神父の苦悩を、クリフトが見事に演じてみせている。
この神父は、心の動揺を見破られないように、終始、表情を変えず、神の子としてのプライドを崩そうとしない。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
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そして、その時、この「私は告白する」も、今迄とは違った分析や評価がなされるに違いない。
クリフト扮するローガン神父は、教会の懺悔室でオットー・ケラーという男から、殺人を犯しましたという懺悔を聞く。
ケラーは、神父の力添えで、夫婦で神父の館に住まわせてもらっている男で、20ドルの金欲しさに弁護士を殺したというのだ。
神父は、罪を告白するようにと諭すのだが、ケラーは逆に、自分の罪を神父になすりつけようとする。
殺された弁護士と神父はやっかいな関係にあり、それはかつての恋人で、人妻のルス夫人との密会の場を見られ、その事を脅迫されていたのだ。
ケラーは僧衣姿に変装して、弁護士を殺し、その姿のままで現場から出てくるところを女学生に見られている。
当時、神父が怪しまれるが、神父には動機があるうえに、アリバイもないのだ。
濡れ衣を晴らすにはただ一つ、ケラーの告白を明らかにするしかないのだ。
しかし、カトリックの神父は、懺悔室での告白を、どんな事があっても、口外してはならないという掟がある。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
ヒッチコックの映画の中の男たちは、大体、美女のせいで、とんでもない事件に巻き込まれると相場が決まっているが、この映画では、それは逆で、美女は美男の主人公のために、家庭の秘密まで暴露せねばならないという目に遭うのだ。
主人公である美男のローガン牧師を演じるのは、当時、大変な人気スターであったモンゴメリー・クリフト。
「波止場」のマーロン・ブランド、「エデンの東」のジェームズ・ディーンは、クリフトが役を蹴ったおかげで、世に出て来た俳優なのだ。
そういった代役の顔ぶれを見ればわかるように、クリフトこそは、ハリウッド映画の戦後派スターの第一号と言ってもいい俳優だった。
正義と力とユーモアが総てのアメリカン・ヒーローの世界に、反抗とか、弱さとか、犠牲とか、忍耐とか、憂鬱とかいった、ナイーヴな感受性を持ち込んだ、最初の俳優だったと思う。
今でこそ忘れられた存在になってしまったが、後世のスター史においては、この俳優の存在の大きさを必ずや見直す事になるだろう。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
スリラーの神様、ヒッチコックの映画というと、美しいブロンドの女優を窮地に追い込み、これでもか、これでもかと怖がらせるというパターンが多い。
この事から、ヒッチコックは、女性嫌いか、女性恐怖症なのではないかと、よく言われる。
「昼顔」というマゾヒスティックな映画を撮った、巨匠ルイス・ブニュエル監督も、ひょっとしたら、女性恐怖症ではと思うのだが、大芸術家には、こういうタイプが実に多い。
彼らはその作品の中で、日頃の思いを晴らすように、性的妄想をたっぷり込めて描き上げる。
こういう男たちは、たいがい日常生活では、女性の前では弱者なのだ。
実際、ヒッチコックは、彼の妻アルマがいなければ、成功したかどうかと、言われる程、彼本人は、気弱で社交ベタで何も出来ない男だったと言われている。
そんなヒッチコックの映画の中で、美女ではなく、美男をとことん窮地に追い込むという珍しい作品が、「私は告白する」なのだ。