映画感想・レビュー 95/2551ページ

エクスカリバー(1981):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

の映画「エクスカリバー」は、ひとくちで言うと、アーサー王と円卓の騎士の物語だ。

英語圏の人々なら、知らぬ人とてない、中世のイギリスの英雄。
それまでも、アメリカ映画が何度も映画化してきた題材だが、この映画ではガラリと様子が違う。

父が岩にはめこんだ、宝剣エクスカリバーを抜いて、見事、王座についたアーサー王。
王妃グエナビアと共に、イギリスに正義の王国を作ろうとするのだが、裏切りと復讐の中で、滅ぼされてしまう。

王をめぐる円卓の騎士たちは、正義の再現の為、隠された聖杯探しに、放浪の旅を続けるのだ。

戦闘、魔術、勇気、愛----------。
あの有名な騎士ランスロットと王妃グエナビアの道ならぬ恋も織り込まれていて、興味が尽きない。

設定は同じでも、それまでのアーサー王伝説の映画化とはっきり違うのは、王妃も騎士も、完全に現代人なのだ。

カラーズ 天使の消えた街:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

「夜の大捜査線」「帰郷」の名カメラマン、ハスケル・ウェクスラーの臨場感溢れる厳しい映像に助けられながらも、デニス・ホッパー監督の演出がもう少し、うまく内容を整理して描いていたなら、もっと上質な作品になっていたのではないかと思います。

カラーズ 天使の消えた街:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

初めは反発しながらも、次第に心を開いていくマクガバン。
その二人の交流が、チンピラたちとの銃撃戦と交差して描かれていきます。

この映画の原題の「Colors カラーズ」というのは、チンピラたちの”組織”の事ですが、彼らの肌の色も指しているのは明らかです。黒人、メキシコ系、白人、みんな、それぞれ社会の中で組織を作っているではないか。
カラーっていったい何なんだ? --------。

若手警官のマクガバンはユダヤ系、ベテラン警官のホッジスはイタリア系。
アメリカ自体が組織分けされた国じゃないか!----と、デニス・ホッパー監督は、そう語っているように感じられます。

そして、この映画のラスト。ベテランの警官が死に、若手の警官が次の新人と組む事になります。
かつて自分が教えられた通りの実体験教育をするあたりの、ありきたりですが、いい幕切れになっているなと思います。

カラーズ 天使の消えた街:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

”ロサンゼルス市警の警官コンビとストリート・ギャングたちとの攻防を乾いたタッチで描いた 「カラーズ 天使の消えた街」”

この映画「カラーズ 天使の消えた街」は、ロサンゼルス市警のギャング犯罪取り締まりチームの”CRASH”に所属する制服警察官コンビとストリー・ギャングたちとの抗争を徹底して乾いたタッチで描いた、「イージー・ライダー」でアメリカン・ニューシネマの伝説的なカリスマになった、デニス・ホッパー監督が撮ったハード・アクション・ムービーです。

当時、約7万人のストリート・ギャングがいたと言われていた街、ロサンゼルス。
それも大きな組織ではなく、チンピラ・グループで、麻薬を求める金欲しさの犯罪、縄張り争い。
それが善良な一般市民をどんどん恐怖の犯罪に巻き込んでいくのです。

対するロサンゼルス市警察官。この映画で活躍するのは、”CRASH”に所属する制服警察官で、制服の威信を信じ捜査に突っ走る若手警官マクガバン(ショーン・ペン)と、定年を一年後に控えたベテラン警官ホッジス(ロバート・デュヴァル)が、続発するギャング犯罪に向けてコンビを組まされます。

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

この「網走番外地」で主人公の橘真一は、しばしば「俺は馬鹿だ」と自嘲的に言いますがしかし、馬鹿と知りつつ、人間には、男には、やらねばならぬ事がある、やらねばならぬ時がある、というのが、高倉健映画の根本的なテーマでもあるのです。

橘真一というキャラクターの造形から表現された”日陰者のパトス”で、多くの大衆を魅了した、この高倉健という稀代の俳優が、後に国民的な大スターになる地位を築いたのは当然の事だと思います。

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

当時の日本映画界において、例えば、日活の石原裕次郎が上流階級、小林旭が中流階級といった雰囲気を醸し出していたのに対して、高倉健は最下層のどん底の境遇に育った主人公を演じる事によって、この大ブレイクのきっかけを掴んだのです。

北海道の雪原が大自然の猛威を奮う零下30度の過酷な風景や、新宿の歌舞伎町を足早に急ぐ高倉健を、ゲリラ撮影で追跡した夜の新宿の生々しいビジュアル感----。

そして、甘い声の石原裕次郎、甲高い声の小林旭になくて、高倉健の特徴としてあったもの、それがドスの効いた低い声で、それが、彼の演技においても、映画が最も盛り上がる最後の正念場において、腹の底から押し殺した低い声で発する”極め台詞”が、それまでのストイックで寡黙な主人公の最高の武器になるのだと思います。

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

チャンバラ時代劇から任侠映画路線への転換期に生まれた、1960年代の東映プログラム・ピクチャーの記念碑的大ヒット作品で、高倉健が大ブレイクするきっかけとなった作品でもあるのが、石井輝男脚本・監督による「網走番外地」です。

伊東一の原作から、題名と舞台設定を採り入れて、スタンリー・クレイマー監督、トニー・カーティス、シドニー・ポワチエ主演の「手錠のままの脱獄」をインストールしたアクションを描こうとする、奇才・石井輝男監督の試みは、網走刑務所に収監された受刑者の現在と回想シーンで、巧みに起伏をつけながら、クライマックスの大脱走へとストーリーを盛り上げていると思います。

極貧の不幸な家庭環境に育ち、ヤクザの道に入った主人公の橘真一は、暴力的な男の後妻になった母親が、ガンになったと聞き、死ぬ前に一目だけでも会って、これまでの極道を詫びたいとの一心から、仮出所を目前にして、脱獄の企てに乗ってしまいます。

クロコダイル・ダンディー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

アメリカ映画が、アメリカのチンピラの撃滅を描くとすると、「ダーティー・ハリー」や「コブラ」のように、どうしてもスーパーヒーローとして大上段に構えてしまうものだ。

それはそれで面白いのだが、この「クロコダイル・ダンディー」の主人公は、いとも気楽にやってのける。

アメリカ映画の場合は、文明のヒズミを、文明の中の正義で解決しようとしてみせた。
ところが、このオーストラリア映画は、自然を相手に生き続けて来た、人間のネイティブな命の力を再確認させてくれる。

その為、この映画はとても爽やかで、楽しいのだ。
そして、全く暗さがないのだ。

決してスーパーマンではないけれど、現代人に人間の逞しさを思い起こさせてくれる。
主演のポール・ホーガンは、我々観る者の心に涼風を呼ぶのだ。

湖面を渡る、風のような映画だと思う。

クロコダイル・ダンディー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「クロコダイル・ダンディー」は、実に爽やかな作品だ。

オーストラリアのジャングルで、ワニを相手に生き抜いて来た冒険家。
そんな彼が、ニューヨークへ乗り込んで行く事になる。
オーストラリアの大自然と、犯罪多発の街ニューヨークとの対比が、実に面白い。

ニューヨークの街では、チンピラ共が暴れまくっている。
冒険家のポール・ホーガンは、ジャングル仕込みの腕前で、いとも簡単に、次々とチンピラ共をやっつけて行く。

公開されたアメリカの映画館では、もう大爆笑、大拍手の盛況だったらしい。
現実のチンピラ共の犯罪に、アメリカの善良な市民が、いかに頭を悩ませているか、映画館での反応は、それを物語っていたようだ。

そして、この映画のヒーローは、何とも気張らず、自然体のところが、実にいいのだ。

サルバドル 遥かなる日々:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

友が命を懸けて撮った写真を、必死で持ち帰ろうとする彼。
愛するエル・サルバドルの女性を、アメリカへ密入国させようとして、国境警備隊に阻まれる彼。

メロドラマ仕立ての構成であるが故に、なおさら軍隊の虐殺ぶり、それを援助するアメリカ政府への怒りが痛烈に伝わるのだ。

それでいて、政府軍の兵士を惨殺しようとする、革命派の行動にも批判の目を向ける。
その冷静さとエネルギーのバランスの相乗効果が、実に見事だ。

サルバドル 遥かなる日々:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画は、「プラトーン」の前にオリヴァー・ストーン監督が撮った映画だ。
ストーンと共に原作・脚本を書いたのは、リチャード・ボイル。
ベトナム、北アイルランド、カンボジア、ニカラグア等の動乱の中へ身を投じ、己が目で見た戦争や革命の実態を報道し続けてきたジャーナリストだ。

この映画は、1980年に動乱のエル・サルバドルに潜入したボイル自身の発案である。
主人公にもボイルの名前が使われている。
と言っても、主人公を決してヒロイックには描いていない。
主人公は、ふしだらな生活を送っている青年。
仲間を誘って、エル・サルバドルへ飛んだのも、そんな生活を清算したかったからなのだ。

彼は思想的に、右でも、左でもない。その彼が、エル・サルバドルの現実を見る事によって、動乱そのものが、狂気の殺戮であるという事を知る積み重ねが凄い。

戦火のかなた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

被占領下のイタリアのレジスタンスが、六つの短いエピソードで語られるが、ロベルト・ロッセリーニ監督は、実際に戦時下の1944年から1946年にかけてシチリア島、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ロマーニャ地方、ポー河のデルタ地帯にロケーションを敢行し、それぞれのロケ地で撮影隊のまわりに集まって来た群衆の中から出演者を選び、これらずぶの素人の生々しい現実感を生かすために、シナリオもセリフも書き直して撮ったということだ。

フィレンツェのエピソードとポー河のエピソードが、特に強烈で感動的でしたね。

戦火のかなた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

イタリア映画のネオレアリズモの傑作と言うだけでは、この映画の素晴らしさを言い表わすのに充分ではないだろう。

当時ロベルト・ロッセリーニ監督の助監督であり、共同のシナリオライターであったフェデリコ・フェリーニは、彼の著「私は映画だ/夢と回想」の中で、次のように述懐している。

「-----『戦火のかなた』は私にとって映画との最初の、本物の接触だった。ここには私がロベルトから学んだ本物の教訓があった---それはカメラの前で謙虚であるということであり、ある意味で、撮影されたもの---人間、顔への驚くべき信頼だった」と。

とにかく、この映画に出てくる人間たちが素晴らしい。顔が素晴らしい。
不器用なくらいテクニックのないナイーヴな映画なので、びっくりする。

まるで初めて映画を発見するような感動に襲われる。
シンプルでスピーディーで無造作とも言える力強い演出が、映画的興奮を誘うばかりでなく、劇映画と記録映画が一本の作品の中に分かちがたく一体化している幸福な映画だ。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

最後は、教会の屋上で、もはや香港映画の定番ともいえる、くどすぎるくらいの延々たる決闘が展開するのだが、ここのアクションの振り付けは、身体能力の高いブルース・リャンと倉田保昭なので、かなり凝った面白さに満ち溢れていたと思う。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

ブルース・リャン扮するゴールデン・ドラゴンという風来坊が旅の途中で追剥しようとした若者二人を懲らしめて子分にする。
そして、三人はある町へ乗り込み、悪いボスの一味をやっつけ、絡んでくる二人組の小悪党も叩きのめしてしまう。

この二人の若者がコメディ・リリーフの役割を果たしていて、二人が乗るスクーターはティズニー映画「ラブ・バッグ」のミニカーのアイディアを拝借したみたいで、敵に追われるとお尻から爆竹を発射する007的なギャグも詰め込まれていて笑わせてくれる。

そして、映画の後半で、当時、東映の端役から引き抜かれて香港でクンフー俳優として人気を博していた、倉田保昭扮するブラック・ジャガーが主人公よりカッコよく登場して来て、チベットから持ち出された大きな真珠をめぐって、女闘士のウォン・ウン・ツェー扮するミアオと三つ巴の争奪戦になっていく。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「帰って来たドラゴン」は、1970年代の前半においてブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」で火が付いた世界的なカンフー・アクション映画全盛の中で、おびただしい数の香港カンフー映画が日本で公開されたが、この映画はそうした中でもかなり面白い作品だ。

その名前のせいで、公開当時、ブルース・リーの弟子だとか、第二のブルース・リーなどと呼ばれていた、この映画の主演のブルース・リャンは、実は、1970年代の初めから香港映画界でスタントマンや武術指導をしていたのだが、そのあまりのカンフー技の凄さが認められて、その後、数多くのカンフー映画に主演したという経歴の持ち主なのだ。

特に、彼の2メートルも跳ぶ驚異的なバネを生かしたハイキックや、走りながら連続して行なう足蹴りなど、とにかく彼のキレのあるスピーディーなカンフー・アクションは、当時の香港、台湾の数あるカンフー俳優の中でも、ずば抜けた身体能力で、ひと際光っていたと思う。

この「帰って来たドラゴン」は、香港製のクンフー・アクション映画だが、コメディ・スタイルになっている。

将軍たちの夜:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

彼は上官である将軍たちを少しも恐れず、是が非でも殺人罪で検挙したいとの一念に凝り固まっていて、戦況が自国であるドイツに不利になってきても、意に介さないどころか、国防軍によるヒトラー暗殺未遂事件が起こっても、全く関心を示そうとはしないのだ。

そこには、正義を追求するという以上の何かしら尋常ならざるもの、犯人の異常さとも通底する、ある種の不気味さが感じられるのだ。

このように、この映画は観る角度を変えることで色々な見方の出来る、そんなスリリングな作品でもあるのだ。

将軍たちの夜:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

戦争は、そんな彼の異常性を解き放つ舞台になるのだ。
将軍という地位を利用して、街という街を破壊し、敵を無残にも殺戮し、なおそれでも足りずに、深夜ひそかに女性を求め、惨殺していく。

このサディスト的なタンツ将軍が、パリのルーヴル美術館でゴッホの自画像と対峙するシーンは、まさに背筋も凍るほどの凄さだ。
狂気にかられて、自分の耳を削ぎ落とした直後のゴッホ像は、まるで彼の内面と共鳴しているかのようで、底知れぬ怖さが私の心を射抜いていく。

ピーター・オトゥールの鬼気迫る演技は、私の心を掴んで離さない。
そして、この映画の複合的で奇妙な面白さの要因になっているのは、この事件を追うドイツ軍少佐の異様なほどの執拗さだと思う。

将軍たちの夜:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

1942年の冬、ナチス占領下のワルシャワで一人の女が惨殺される。
捜査にあたったドイツ軍の少佐は、証人への尋問などから容疑者を三人のナチス将軍に絞り込むが、犯人を特定する前に、パリへと飛ばされてしまう。

それから二年後、ドイツ軍が占領したパリで、またもや娼婦が惨殺された。
二年前に捜査を担当したオマー・シャリフ扮するドイツ軍少佐は、いっそう闘志を燃やし、連続殺人犯を追っていくが。

この物語の舞台は、ポーランド、フランス、ドイツと拡がり、時間的な流れも含めてスケールも大きく、それに伴って登場人物も実に多彩で、この忌まわしき時代の混沌が、迫真性を持って描かれ、緊迫感に満ちている。

この映画で描かれるのは、容疑者の将軍の一人であるピーター・オトゥール扮するタンツ将軍の異常ぶりを示す”恐怖の人間像”だ。
戦場にありながら、部下の手袋の染みさえ許さない、この男の世界観においては、隣国の人々もユダヤ人も娼婦もゴミでしかないのだ。
そして、ゴミは一掃されるべきだと妄信している、サイコ的な恐ろしさ。

アンツィオ大作戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

映画は、この七人の悪戦苦闘ぶりをメインに描いており、背景のスケールは大きいが、ドラマとしては、かつてのTVの人気シリーズ「コンバット」と似たり寄ったりという感じなんですね。

大々的なスペクタクルを期待して観ると、少々アテが外れてしまいますね。
ただ、七人の生き残りの連中に関する限り、さすが「ケイン号の叛乱」や「若き獅子たち」のエドワード・ドミトリク監督だけあって、面白みこそないが、手堅くがっちりと描いていると思いますね。

前面には敵の火炎放射器、後方には地雷原、この絶体絶命のピンチをどう切り抜けるか、といったサスペンスも用意されていて、ハラハラ、ドキドキさせられますね。

最終更新日:2025-03-18 16:00:02

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