映画感想・レビュー 82/2520ページ

水の中のナイフ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

このポーランド映画「水の中のナイフ」は、鬼才ロマン・ポランスキー監督の名を世界に知らしめた長編デビュー作だ。

裕福な生活を楽しむ中年の夫婦が、湖へバカンスに行く途中で、貧しげなヒッチハイクの青年を車に乗せたところから、この奇妙な物語は始まります。

このたった三人の登場人物を駆使して、一見、何事もないような平和な生活の底に淀んでいる頽廃を、水もしたたるような鮮やかな手法で、現代における世代間、階層間の埋めようもないギャップや断絶を描いた、心理劇の秀作だと思います。

スポーツ評論家だという中年の男とその妻が、ある日曜日に、高級車を飛ばして、ヨット遊びをするために湖へ急いでいる。

その途中、ヒッチ・ハイクの青年が車の前に立ち塞がるのだが、この時、この中年の男は、この生意気な小僧めと怒るが、妻はいいじゃない、乗せてやったらみたいな表情を見せ、青年はこの金持ちの中年男の傲慢さに強い反撥を感じながらも、うわべでは、どうせ住む世界が違うんだからみたいな顔をしているというように、三者三様の思惑を垣間見せながら、男はこの青年を乗せてやることにする。

霧の旗(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-21

松本清張原作の小説を映画化した、山田洋次監督の「霧の旗」は、山田洋次監督の演出の良さと、主演者の倍賞千恵子と滝沢修の力演が相まって、何度繰り返し観ても飽きない作品だ。

倍賞千恵子が、ヒロインの桐子に扮していて、桐子の兄が強盗殺人の犯人とされたが、無実を信じ、熊本から上京し、滝沢修扮する高名な大塚弁護士に、弁護を依頼しようとする。

しかし、大塚弁護士は、これを冷たく拒絶する。
弁護料の支払い能力がないという理由で——-。

その後、兄は獄死し、桐子は大塚弁護士への復讐を決意する。

倍賞千恵子は、「男はつらいよ」シリーズでの演技がそうであるように、こういう庶民の娘を演じると、抜群にうまい。

この「霧の旗」では、復讐という意志力を必要とする役柄なのだが、それも、冷たい表情で完璧にこなしている。

人類資金:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-05-21

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クライマックスでは、カペラの国連での支持を取り付けようと、国連会議場で一大演説をする、というもの。
観ていて、正直、がっかりしてしまった。

予告編を観た時、森山未來が、何やら手に機械を持って宣言しているカットが出てきたので「国連会議場を爆破する。起爆装置はここにある」とでも言っていると思っていたのだ。そういう画的的なものがないと、映画として全く面白くない。

もともと福井晴敏作品は、「現在の体制をどこかの時点でぶっ壊して、日本を、世界を作り替える!!」と狂信的なテロリストがいて、そうはさせないと戦う主人公、というパターンが多い。
だから、てっきり、そうなるだろうと思い込んでいたのだ。

結局、資本主義をぶち壊すのではなく、発展途上国の人々を教育しましょう、というのが福井晴敏の答えなのか。

あと、香取慎吾が素人の学芸会的な演技で、全くダメダメ。
それに、全く役に似合わず、ミスキャストとしか言いようがない。
森山未來は、国連での長い英語のセリフもこなし、これはなかなか良かったと思う。

人類資金:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-05-21

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しかし、日本の復興に役立てるはずのM資金が、いつしか単なるマネーゲームの元手に成り下がり、世界には携帯は50億台も契約されているのに、7割の人が電話をかけたこともないという格差を、何とかしたいという気持ちから動いた人々。

それで、M資金をサイバー攻撃で移動させようとしたのだが、失敗。そして遂に、詐欺をしようということになった。
ロシアでオダギリ・ジョーを相手に一芝居。
ここが前半の見せ場な筈だが、わりとあっさり成功して終わる。まあ、昔のと違って今は全てオンライン上のやりとりだから、お金というブツが動くわけではなく、映画としてはやりにくいだろう。
香取慎吾が首謀者で、実は笹倉の息子。
カペラ共和国という、アジアの発展途上国と出会い、その国を救おうと国民の教育の為にPDAを配る。
いや貧富の差をなくすために、国民の教育が大事というのは解るが、PDAを配っただけで変わるのだろうか?

人類資金:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-05-21

この映画「人類資金」は、「ローレライ」「亡国のイージス」の福井晴敏原作。
といっても原作が先にあるのではなく、「亡国のイージス」で組んだ阪本順治監督が「M資金を題材にした映画を作りたいので、一緒にやりましょう」という訳で原作を書いたもののようだ。

私自身が、最近の金融というものに疑問を感じていて、当初は「お金のある人が技術や知恵はあるけど、お金のない人に資金を提供して経済や技術、サービスを発展させていく」という場である筈だった金融や株式というものが、そういう理想からはかけ離れ、金だけが動き、それに直接関係ない人間までも振り回される現実となっている。
だからそれに対して、福井晴敏がどう答えを出したかに興味があったが、結果は全くの期待はずれだった。

真舟に誘いをかけて来たのは、言ってみればM資金管理団体の反乱軍。
理事長の笹倉の父は、初代のM資金の管理者。

女と男のいる舗道:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

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挿入されている音楽も効果的で、芸術的、かつフランス映画の素晴らしさを感じさせてくれる。

特にナナが、カフェで一人の老人と話すシーンは、哲学的で、強く印象に残る。

いつも明るくふるまっているナナだが、時折、ふっと”孤独な影”を見せることがある。
どこか刹那的で、それでいて優しさを感じさせるナナを、アンナ・カリーナは実に繊細に演じていると思う。

ラスト・シーン、ナナはヒモの男とヤクザとのいざこざに巻き込まれ、拳銃の弾を浴びて、路上につんのめって死ぬ。
ナナの若くて白い肉体に、めり込んでいく銃弾が見えるようで悲しい——-。

女と男のいる舗道:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

この映画「女と男のいる舗道」は、ジャン=リュック・ゴダール監督の傑作の一本だと言えると思う。

あるいは、この監督の一番いい部分の出ている映画だと言えるかもしれない。
もうひとつ言えば、なんとなく解るような映画だ。

じっと観て、セリフを聞いていると、まるで詩を聞いているような気分になる。
そして、アンナ・カリーナの私娼ぶりが、とても可愛い。

映画の冒頭、いくつかの受賞名が出たあと、「B級映画に捧ぐ」といった言葉が出る。
全体が12章に分けられていて、第1章は、アンナ・カリーナ扮するナナが、夫と別れるくだりから始まる。
第2章では、自立してレコード店で働くナナだが、やがて、私娼としてパリの舗道に立つようになる。

モノクロームのパリの風景が、ドキュメンタリー・タッチで映し出され、セリフには詩のような比喩と間合いとが含まれている。

マンディンゴ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

とにかく、この映画はアメリカ史の恥部と言われる、黒人奴隷たちの受難の様をショッキングな映像と共に描いていくわけですが、彼ら黒人たちは、もちろん人間として扱われることはなく、ローマの剣闘士さながらの闘う奴隷であり、性的な玩具であり、農作機械であり、果ては主人の足の神経痛治療のための人間アンカであったりしたのです。
残酷な見世物的なシーンの連続で、アメリカ南部の黒人奴隷制度の悪を告発するというより、残酷が興味本位に流れ過ぎているという感がなきにしもあらずですが、これは考えてみると、映画というものの、自己の犯した悪さえも、一種の見世物にしてしまうという、商業主義的なたくましさのなせるワザなのかも知れません。
そして、この事は製作者がアメリカ人ではなく、イタリア出身の大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスであった、という事と関係しているのかも知れません。
マンディンゴという”良質”な黒人奴隷種で、賭け闘技の戦士になる若者を、元ボクシング、ヘビー級チャンピオンのケン・ノートンが演じていますが、彼の屈強な肉体が、奴隷たちの”不屈の魂”といったものの存在感を見せているのだと思います。

マンディンゴ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

“アメリカ南部の奴隷制度に潜む、階級社会と人間、その文化的な歪みを描いた問題作「マンディンゴ」”

このリチャード・フライシャー監督の「マンディンゴ」は、アメリカ最大のタブーである、アメリカ南部の奴隷制度の闇へ切り込んだ、衝撃の問題作だ。

“もうひとつの風と共に去りぬ”と、公開当時の宣伝文句で言われていたように、あの映画史に燦然と輝く、不朽の名作「風と共に去りぬ」の裏側に隠された、アメリカ最大のタブーである、アメリカ南部の奴隷制度の実態を暴いた作品だ。

1808年の奴隷輸入禁止令により、黒人奴隷を牧場で飼育して、売買し始めたアメリカ南部。
その中の、ある一家を舞台にして斜陽化する白人と、権利に目覚める黒人階級の葛藤、人種を超えた男と女の愛や憎しみなどを、これでもか、これでもかという刺激的な場面の連続の中に描き出していくのです。

おしゃれ泥棒:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

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この映画のお話は、そのプロが作ったチェリーニの彫刻”ヴィーナス像”を美術展に出品したまではよかったが、贋作がバレそうになったので、娘のオードリーが恋人のピーター・オトゥールの手を借りて、この”ヴィーナス像”を盗み出すというロマンティック・コメディで、自分で作った物を自分で盗み出すというところがミソなのですが、この盗みのテクニックは例えばジュールス・ダッシン監督の盗みのプロを描いた傑作「トプカピ」に比べると少々あっけなく、物足りなさを感じます。

それと当時、オードリーは流産をした後だったらしく、やや精彩がなく、オードリーの一ファンとして、正直なところ、”永遠の妖精”オードリーも37歳になって、少し年齢を感じさせるようになって寂しい気持ちがしましたが、しかし、ベッドの中でヒッチコック・マガジンか何か読んでいるところは、相変わらずお茶目でよかったと思います。

また、共演のピーター・オトゥールもいつもの芝居くささを封印して、軽快で肩の力を抜いたコミカルな演技に徹していて、さすがに名優は何を演じさせてもうまいなと感心させられました。

おしゃれ泥棒:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

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彼はパリの邸宅の一家でセザンヌやゴッホの偽物を描きあげ、世の中の”美術愛好家”を見事にだまして楽しむという、悪人なのに憎めないし、彼自身、それなりに超一流の芸術家でプライドも持っていて、娘のオードリー・ヘップバーンに、「パパったらそんな事ばかりしてはだめよ」と怒られると、彼は憤然としてこんな名セリフを吐くのです。

「俺はゴッホより遥かに苦労してゴッホの絵を描いてるんだぞ!」とか「ゴッホは生涯に1枚しか絵を売らなかったが、俺はもう2枚もゴッホの絵を売った」と——-。

この贋作画家はセザンヌの”ネモアギスの肖像”という絵を贋作して成功しますが、これは実は、贋作作家としては超一流の腕前を示しているのです。
なぜならば、私の大好きなミステリー作家ギャビン・ライアルの「拳銃を持つヴィーナス」の中に、ユトリロやピカソは目録が不備なので、例え贋作が登場しても簡単に見破れない可能性があるが、セザンヌは目録が完璧に出来上がっているので、”セザンヌを贋作するやつなんていない”からなのです。

おしゃれ泥棒:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

“永遠の妖精・オードリー・ヘップバーンが名優ピーター・オトゥールを共演に迎え、名匠ウィリアム・ワイラー監督と3度目のコンビを組んだロマンティック・コメディ「おしゃれ泥棒」”

この映画「おしゃれ泥棒」は、主演のオードリー・ヘップバーンとウィリアム・ワイラー監督が「ローマの休日」「噂の二人」に続いて3度目のコンビを組んだ、ロマンティック・コメディで相手役に「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールを迎えての作品です。

贋作をテーマにしたオーソン・ウェルズの「フェイク」という映画には、いとも簡単にモジリアニやマチスやピカソの偽物名画を描きあげてしまう実在の贋作画家エルミア・ド・ホーリーが実に魅力的に描かれていましたが、この「おしゃれ泥棒」でも、一番愉快なのはヒュー・グリフィス扮する贋作画家です。

マクベス(1971):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

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シェークスピアの舞台では、この下の王子は、ドラマの途中でアイルランドへ行ったことになって、姿を現わさないのですが、ポランスキーのこの作品では、この王子がマクベスと同じ道を辿ることを暗示して終わるんですね。

これは、深読みしてみると、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」と全く同じなんですね。
黒澤明監督の「蜘蛛巣城」が1957年。ポランスキー監督の「マクベス」が1971年。
ポランスキー監督が、黒澤明監督の影響を受けていなかったとは言いきれないと思います。

そして、さらに深く見つめるならば、あの下の方の王子は、身体が不自由ですね。
何となく時代の流れからいって、あの王子はやがてリチャード三世になるのではないか、なんてことも想像できるわけですね。

マクベス(1971):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

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そして、この作品の大きなポイントは、マクベスとマクベス夫人を演じる二人の主役。
マクベスにはジョン・フィンチが、マクベス夫人にはフランセスカ・アニスがそれぞれ扮し、怪奇と幻想の世界の王と女王を見事に演じていると思います。

公開当時、ジョン・フィンチが30歳。フランセス・アニスが26歳。
そしてこの若さこそが、ポランスキー監督にとって、人間の生身の本心を、生々しい肉体から爆発させるのに必要なエネルギーだったのだと思います。

終わりの方の魔女の饗宴、これは、まさにポランスキー監督ならではの怪奇の世界になっていたと思います。

私が特に面白いなと思ったのは、ラストシーン。
ダンカンの二人の遺児のうち、下の方の王子が、魔女の洞窟へ近寄って行くんですね。
これは、マクベスと同じことをやろうとしているわけですね。

マクベス(1971):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

ポーランド出身のロマン・ポランスキー監督が、シェークスピアの名作「マクベス」に挑戦し、イギリスで撮った作品が、この「マクベス」ですね。

「水の中のナイフ」「反撥」「袋小路」「ローズマリーの赤ちゃん」「チャイナタウン」等々、ポランスキー監督の映画は、常に悪魔の世界、怪奇と幻想の世界を追い続けていたと思います。
そして、特にこの「マクベス」に、その大いなる、彼の特徴が出ていると思います。

このシェークスピアの「マクベス」は、様々な形で映画化されていて、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」や、オーソン・ウェルズの「マクベス」などが有名ですね。

このポランスキー版の「マクベス」は、出だしの三人の魔女のシーンから、粘っこい怪奇の世界に、我々観る者を引きずり込んでくれます。

セルラー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

また、悪玉になったジェイソン・ステイサムが、本当に見るからに強そうな役柄を悠々と演じていて、やはりこの俳優は、主役を張るより、このような凄みのある脇役の方が似合っているのかも知れません。

ストーリー展開に出来過ぎ感も否めないが、電話の機能や役の設定など、ちょっとしたエピソードが伏線となって、物語が進むにつれて、パズルのようにきっちりとハマっていく爽快さがありますね。

そして、電話の向こうに何が待っているのかわからないという怖さは、観終わった後から、じわじわとやってきますね。

セルラー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

思わぬ凶悪事件に巻き込まれてしまう、人のいい青年ライアンを、マーベルのキャプテン・アメリカでブレークしたクリス・エヴァンスが、飄々と爽やかに演じていて、実に好感が持てますね。

このライアンと共に事件に巻き込まれるのが、ウィリアム・H・メイシー演じる実直な警官。
長年の勤務から引退して、スパを営もうとしており、アボガドのパックを塗った"キュート"な顔も披露して、緊迫したサスペンスにユーモラスな味を添えていて、「ファーゴ」といい、この映画といい、相変わらず演技がうまいですね。

誘拐されたジェシカを演じるキム・ベイシンガーは、限られた空間の中で命の危険にさらされるという役を、ヒリヒリするような緊迫した表情とその仕草で的確に演じていて、さすがにうまい。

そして、何よりも素晴らしいのは、ラストシーンで見せる彼女の表情の素晴らしさ!!

セルラー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-21

携帯電話は今や毎日の生活に欠かせないツールとなっていますね。
この映画「セルラー」は、その携帯電話で偶然、見知らぬ人から助けを求められ、ロサンゼルスを走り回ることになる男の活躍を描く痛快なサスペンス映画ですね。

高校教師のジェシカ(キム・ベイシンガー)は突然、自宅に押し入ってきた男たちによって誘拐される。
監禁された部屋の電話は壊されていたが、ジェシカは、ワイヤーを接触させてダイヤル信号を送り、繋がった電話に出たライアン(クリス・エヴァンス)に助けを求めることに。

電話を命綱として自分の息子や夫に危険を知らせるよう、ライアンに頼むジェシカ。
その指示に従ってライアンは駆けつけるのだが-------。

黒部の太陽:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-21

同じプロジェクトものなら「富士山頂」の方が面白かったという気がする。
尚、寺尾聡と宇野重吉が親子役で共演している。
寺尾聡は、これが映画初出演だと思うが、まだまだへたくそでしたね。

だが、全体としては、大企業(関西電力や建設会社)の提灯持ち映画と言われても仕方がないような気がする映画だった。
そうならないように、熊井啓監督は、一生懸命に努力をしていましたが--------。

黒部の太陽:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-21

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

そして、三船敏郎の娘は白血病で死ぬ。父は仕事で見舞いもそこそこ。
家族よりも仕事を大切にする時代の価値観そのものだ。
今の時代なら、こうはならないだろう。

戦前派と戦後派の対立など、今観ると隔世の感がある。
今では高度経済成長の世代と、そのバブル崩壊以降の世代の対立ですからね。

ラストの犠牲者の碑を大きく写すところに、熊井啓監督の信条を見た気がしましたね。

映画的見せ場の中盤の大事故シーン。
水が一気に溢れ出てくるシーンは、まさに圧巻の一言だ。
CGではない本物の迫力だ。
このシーンで、途中でストップモーションになるシーンがあるが、この後きっとカメラも流されたので使えないカットだったのだろう。

ここで休憩が入るが、その後はなにをやっても水が止まらない八方塞がりというシーンが続いてやや退屈。

最終更新日:2024-10-30 16:00:02

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