映画感想・レビュー 130/2613ページ

心みだれて:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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鏡ひとつで見せる、愛の燃え上がり。結婚式でさんざん待たせる女心。
美容院で、突然、夫の浮気を感じる彼女。髪を振り乱したまま、鬼女の形相で証拠を探すところなんかは、とにかく凄い。
宝石屋の言葉から、さらなる夫の浮気を知って、表情を変える彼女。
演じるメリル・ストリープは圧倒的にうまいけれど、マイク・ニコルズの演出は、憎い程に見事ですね。
このマイク・ニコルズ監督と言えば、忘れることができないのは「卒業」ですね。
あの時、ダスティン・ホフマンは、キャサリン・ロスを結婚式場から奪って走った。
走ってバスに飛び乗った。あれから長い月日が流れていった。
愛していても、長い年月の中で、男は時に他の女に燃え上がる。いや、女だってそうかもしれない。「卒業」が恋愛篇なら、「心みだれて」は結婚篇。
ラストは、二人の子供を連れた彼女が、ワシントンからニューヨークの実家に帰るところ。
男と女って何だろう? 結婚って何だろう?
身につまされて、笑い転げて、ほろっと胸を熱くさせてくれる映画だ。

心みだれて:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

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この映画「心みだれて」は、大人の鑑賞に耐え得る映画ですね。
内容は、結婚に関する喜劇であり、悲劇を描いていますね。
メリル・ストリープとジャック・ニコルソンの二大演技派俳優の競演。
この二人は、ジャンルこそ違うが、共に第一線で活躍するコラムニスト。
友人の結婚式でと知り合って、心が揺れて結婚へ。子供の誕生。夫の浮気。別居から、また仲直り。二児の誕生。夫の再びの浮気。女の自立、男の自由と、そんな堅苦しいことを、この映画は描いていない。
知的な家庭のごくありふれた生活。その中のさざ波を、この映画は実に鮮やかに描いて見せるんですね。
揺れ動く女の心の綾、そのディテールが、まことに的確に捉えられている面白さ。

赤い殺意(1964):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

この「赤い殺意」は、「にっぽん昆虫記」で、土俗的な性のリアリズムを描いた今村昌平監督が、再び挑戦的に”性”を描いた作品だ。

この作品は、今村昌平監督の作品の中でも、非常にユニークな傑作で、暴行された女性が、被害者である事を逆手にとって、その立場を加害者と逆転していくという、新しい視点になっている。

封建的な、家中心の思想の強い東北地方を舞台に、古い因習の重圧に苦しむ、小心な女性が、ある事件を契機に、強い女性へと変貌していく様を、リアルに描いた、今村昌平監督の真骨頂とも言うべき作品だ。

”日本の女性はどんな目にあっても凄いぞ”という日本の母系家族が一つのモチーフとなっていて、地味な題材を暗くせずに、女性の深奥に隠れているバイタリティや生命力の噴出を描いて、今村節が冴え渡る重喜劇の傑作だと思う。

シシリーの黒い霧:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

メーデーのデモ隊に対する襲撃とか、左翼に対する弾圧などが掘り起こされて、セミ・ドキュメンタリー・タッチの画面の連続だ。

フランチェスコ・ロージ監督は、この後もマフィア追及の映画を撮り続けたが、それはイタリアでは命をかけた戦いに等しいのだ。

黒い霧は、決して去らないからだ。

シシリーの黒い霧:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

1950年7月5日。シシリー島で、サルバトーレ・ジュリアーノという30歳の男の射殺死体が発見された。

彼はなぜ殺されたのかというのを、過去にさかのぼって見せていくこの映画に、生前のジュリアーノは登場しない。

彼が関わった事件だけが再現されていく。
出だしから、グイグイと画面に惹きつけられた。

死者はマフィアの一員だった。警察とか憲兵とかにも関係があった。
そのせいか、事件の証人や容疑者が、次々と殺される。

そして、何も解明されないまま映画は終わるのだ----------。

ジャイアンツ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

そんな個人的な思い入れはともかく、「陽のあたる場所」「シェーン」の名匠ジョージ・スティーヴンス監督は、広大なテキサスの大地を思わせるこの題名に、ロック・ハドソンのビックとジミーのジェットという二大人物を、旧体制と新体制とに象徴させ、アメリカ近代史の再確認をしているのだと思う。

そして、ジョージ・スティーヴンス監督は、どちらが正しいと言っているわけでもなく、どっちも同じテキサス人なのだから、つまるところ主義主張に変わりはないのだと言っているのだと思う。

強いて言えば、家庭を作っているビックの方が幸福ではないかと、言っているに過ぎない。それより、人種偏見や人種差別といった根強いアメリカの恥部をきちんと描いており、その問題提起の方がより心に残ります。

広大な荒野の代わりに、白人と混血の赤ちゃんで映画が締め括られるのは、人種偏見がなくなって欲しいというジョージ・スティーヴンス監督の願いであり、アメリカへの限りない信頼と愛情なのだと思う。

ジャイアンツ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

ドラマティックなシークエンスが多い「ジャイアンツ」ですが、そこには必ずジミー演じるジェット・リンクがいる。テキサス一の牧場主、ベネディクト家から冷遇される彼は、エリザベス・テイラー扮する若妻レズリーに、恋慕の情を抱き続け、逆転のチャンスを待っている。

そして、油脈を掘り当て、ロック・ハドソンを殴りつけるジミーほど、心に焼き付いたキャラクターはいない。「理由なき反抗」「エデンの東」のジミーもいい、だが私にとってのジェームズ・ディーンは、このジェット・リンク以外にない。

それというのも、ただ成り上がってしまうだけではなく、結局はレズリーに思いを告げる事が出来ない、敗北者として惨めったらしい醜態まで晒してしまうからだ。大金でもステータスでも、決して埋める事が出来ない、"巨大な孤独感"を死ぬまで抱き続けるこの男の姿が、他の数々のスクリーン・ヒーローを蹴落とし、常に理想の存在として私の心の中に存在するのです。

そんな人物を登場させてくれただけでも、この作品は忘れがたい作品となっているのです。

ジャイアンツ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

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このジョージ・スティーヴンス監督の名作「ジャイアンツ」は、エリザベス・テイラー扮する主人公の女性レズリーの広大な西部のテキサスでの生活や、牧場主であるロック・ハドソン扮する夫のビックとジェームズ・ディーン扮するジェット・リンクとの確執の狭間に立つレズリーの姿を通して、時代の大きな流れの中で揺れ動く、20世紀初頭のアメリカ西部をダイナミックに描いた一大叙事詩ともいうべき作品だ。

東部の名家に育ったレズリーは、長身のテキサス男のビックと結婚し、大牧場へと嫁いでいく。ラズというビックの姉が仕切るベネディクト家は、旧態依然とした昔ながらの大地主だ。

進歩的なレズリーは、使用人のメキシコ人の扱いなどで夫のビックと度々衝突する。やがて、牧童頭のジェットが地道に発掘調査を行っていた土地から、石油が吹き出し、彼はたちまち大富豪に------。

轟音とともに石油が吹き出す。空を仰ぎ、全身でそれを浴びるジェームズ・ディーン------。ロック・ハドソンの大地主に代わって、蔑まれ続けた弱者が勝者になる瞬間が、まさにこのシーンだ。

暗くなるまで待って:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

リアリティという意味で言えば、ギャング三人が盲目の女性一人を相手に、あそこまで手の込んだ芝居を打つだろうかとか、スージーがああまで懸命に人形を守る理由がないなど、突っ込みどころはあるが、これはリアルな犯罪映画というより、パズラーに近い人工的なエンターテインメントなんですね。

緻密な設定と伏線が、ジグソーパズルのように噛み合って、サスペンスを醸成する、知的遊戯なのだ。
そういう意味において、これは精緻な脚本と演出によって、職人的に作りこまれた、見事に知的なサスペンス映画の傑作であると思う。

暗くなるまで待って:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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そして、有名なあのラスト。絶対絶命を悟ったスージーは、無我夢中でアパート中の電灯を壊して回る。
暗闇が、彼女を守る最後の砦となるのだ。

アメリカでこの映画が上映された時、このシーンでは、映画館中の電灯が消え、実際に客席が真っ暗闇になったそうだ。
心憎い趣向である。そういう状態でこの映画を観たら迫力は倍増だろう。

冷酷な殺し屋ロートが、盲目のスージーを容赦なく襲うクライマックスに盛り込まれた、サスペンスを盛り上げるためのアイディアの量は、半端ないものがある。

マッチとガソリン、ステッキ、そして冷蔵庫。あらゆる小道具大道具が、驚くべき展開を担う。
そして、追い詰められるスージーの絶望の演技と、名優アラン・アーキン演じるロートのサディスティックな凄み。

今観るとそこまで強烈なことは何もしていないにもかかわらず、もの凄く、非常に残虐でサディスティックな印象を醸し出す。

もちろん、それは華奢なヘプバーンの恐怖に打ち震える演技の見事さにもよるものだが、それまでの伏線がガッチリ効いているからでもある。

暗くなるまで待って:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

テレンス・ヤング監督の「暗くなるまで待って」を久しぶりに観たら、かつて観た時より面白かった。
もともと芝居だった作品で、舞台がほぼアパートの中だけに限定され、緻密な脚本の妙と役者の演技で魅せる渋いサスペンスものだ。

ハリウッド製の派手なスリラーに比べると地味に思えるかも知れないが、精密に計算し尽くされた脚本は、お見事の一言。
だんだんと緊張感が高まっていき、最後には息をつかせぬ迫力で我々観る者を釘付けにする。
CGもエロもグロも血みどろもなし。これこそ美しき職人技だ。

主人公のスージーは盲目で、彼女の夫が麻薬入りの人形をたまたま預かってしまうことから、ギャングたちの抗争に巻き込まれてしまう。
要するに、彼女のアパート内に貴重な麻薬入りの人形があり、それを手に入れたいギャングたちが、あの手この手でスージーを騙す、という話である。

スージーを演じるのはオードリー・ヘプバーン、彼女を騙そうとするこわもてのギャングたちは三人。
スージーの夫は、最初と最後に出てくるだけで、彼女の力にはなれない。
彼女のヘルパーになるのは、小さな女の子一人だけだ。

狼よさらば:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

ブロンソンも死刑執行人、マックィーンも死刑執行人であり、共に犯罪者。
だが、ヴェトナムで大量殺戮を企画したお偉方よりは、遥かに罪は軽い。

彼らは時代の申し子なのだから、新しい人生を持って当然ではないか、といった"暗黙の了解"が、これらの映画を支えたのだと私には思えるのだ。

そして、映画というものは、時代を写す鏡であり、時代を無意識のうちに呼吸して生きているのだということを、この映画は証明しているように思う。

狼よさらば:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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また、この映画で見逃してはいけない、もう一つのテーマは、"殺人者にも第二の人生がある"という、寛大さの容認ではないかと思う。

例えば、サム・ペキンパー監督、スティーヴ・マックィーン主演の映画「ゲッタウェイ」で、更生しようと思っている元銀行強盗のマックィーンが、なぜか釈放になる。

悪徳政治家が仕組んだ工作で、実は銀行強盗をマックィーンにやらせて殺害し、全て自分のものにしようというのだが、途中でこれを知ったマックィーンが、愛人と共にギャングをなぎ倒し、パトカーも蹴散らし、悠々とメキシコへ逃げ込むというものだ。

舞台はテキサスで、テキサスの小さな町ならこんなことも起ころうと設定されたあたり、テキサス州民なら面白くないだろうが、これが単なるギャング映画とは思えなかったところが、"時代の産物"たる所以なのかも知れない。

これは、徹底した権力無視の映画であり、それほど持ち上げて評価するのはどうかとも思うが、大ヒットした裏には、この「狼よさらば」と共通したテーマがあったからではないかと思う。

狼よさらば:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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こうして、法によって守られ保証されたブロンソンは、晴れ晴れとした表情でシカゴの街へと去っていく--------。

この映画が製作された1970年代の前半は、ヴェトナム戦争の終末期であり、その戦後処理の過程にある時期でもあった。
ウォーターゲート事件を頂点に、上は大統領から、あらゆるものの権威が失墜し、精神的にも生活的にも混乱の最中にあったのだ。

この映画の邦題である「狼よさらば」というのは、当時のブロンソン主演の話題作の「狼の挽歌」と「さらば友よ」を安易に合成したもので、原題は「デス・ウィッシュ」、つまり"死の願望とか殺人願望"という意味で、この映画のテーマは、アメリカ人好みの"西部開拓期の自衛精神"を攻撃的に塗り替えたものとして、アメリカで好評だったのだろうと思う。

現に、このドラマの主人公は、アリゾナへ出張した時、この精神を拳銃と共に仕入れてくるのだ。
愛する妻と娘の復讐をする父親とは、まるでジョン・ウェインの西部劇を観ているような設定だ。

狼よさらば:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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当時のニューヨークという街は、かつては"人種のるつぼ"であったが、近代化の波が押し寄せ、都市の中間層がすっぽりと抜け、大ビルとスラムに変貌し、同時に都市として破産状態に陥っていたのだ。

警察による街の治安の不徹底という要因もあったのではないかと思う。
肝心のその警察も、シドニー・ルメット監督、アル・パチーノ主演の映画「セルピコ」で描かれていたように、汚職と腐敗にまみれていたのだろう。

しかし、低賃金で危険にさらされる現場の警官はやり切れたものではない。
もちろん、市民の不信、非協力も相関関係をなしていたのかも知れない。
そして、拳銃の入手の容易さは言うまでもない。

この映画の中で、市民はチンピラ掃除をする死刑執行人のブロンソンを支持している。
いわゆる、目には目をということだ。
警察のメンツ丸つぶれの警部は、闇から闇へ事件を葬ろうと、市街への退去を提案する。

狼よさらば:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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「都会人は銃を毒ヘビのように恐れているがバカげている。ここでは単なる道具で、誰もが持っているから平和なのだ」と。

そして、復讐心を駆り立てられたブロンソンは、銃を手に入れ、都会に帰ってチンピラ掃除を始めるのだ。
それも、妻や娘を苦しめた直接の犯人を探すのではなく、一人、二人、三人と手当たり次第に、彼が認めた"悪"を抹殺していくのだ。

世論はこの無名の粛清者を支持し、警察も黙認する。
そして、最後にはブロンソンと身許がバレるのだが、警部は「この街を出て行くなら、今まで使用した銃は川へ捨てよう」と提案し、ブロンソンはシカゴへ去るというストーリーだ。

考えてみると、この映画には様々な問題が内包されていると思う。
まず、ストリート・クライムと言われるひったくり、窃盗から強盗、殺人までの暴力が、日常的にはびこっている、この映画で描かれた1970年代の荒廃し切ったニューヨークという街の生々しい実態がある。

狼よさらば:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

チャールズ・ブロンソンという俳優は、アメリカ時代は脇役専門の俳優で、割りと地味な存在だったが、フランスへと渡り、アラン・ドロンと共演した「さらば友よ」や、名匠ルネ・クレマン監督と組んだ「雨の訪問者」で一躍有名になり、先にヨーロッパと日本で人気が爆発し、その後、1970年代の初めにハリウッド映画に返り咲き、次々とヒット作を飛ばし、百万ドルスターになっていったのだ。

しかし、拳銃をぶっ放して復讐するマフィア等を演じているうちは、単なるフラストレーション解消用の代償作業としての暴力派スターだったが、マイケル・ウィナー監督と組んで主演したこの「狼よさらば」で、ニューヨークに住む一市民、一父親が、街のダニに復讐する役を演じて、初めてアメリカ人の琴線に触れることになるのだ。

三人組のチンピラが家に押し入り、妻を殺し、娘を暴行する。
娘はそのため気が狂ってしまう。
残されたブロンソンは、設計技師という設定で、それまで良心的な反戦論者だったが、仕事先のアリゾナへ行った時、西部の人間から銃の魅力をたきつけられるのである。

バベル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

それにエピソードとしても、この日本編だけ浮いている。
聾啞の少女の孤独の描写は良かったが、脚本段階で思い切って削除してしまう勇気も欲しかったところだ。

この映画には、構成や物語の作り方において、いろいろと問題点はあると思う。
しかし、愛のすれちがいを丁寧に描いており、感動的な余韻を残していると思う。
人によって好き嫌いは分かれそうな気がするが、個人的には大好きな作品だ。

バベル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

この映画は、バベルの塔の建設がきっかけで世界の言語が分かれ、互いの意思疎通ができなくなったという、聖書の逸話をメタファーとして掲げた作品だ。

メタファーからわかることだが、この映画を一言で語るならば、愛のすれ違いを描いた作品と言えるだろう。
映画の中で悪いことなどしていない、愚かなことをしただけだ、といったニュアンスのセリフをメキシコ人の家政婦が口にしているが、そのセリフが映画全体を象徴しているように思う。

その愚かしい、言うなれば、強情な意地から、夫婦や親子や兄弟の愛のすれ違いが生まれているという印象を受けたからだ。

さすがにアカデミー賞にノミネートされるだけあり、菊池凛子演じるチエコの孤独が丹念に伝わってくるのが印象深い。
だが個人的にはテーマの描き込みが言葉足らずという印象があり、ラストの親子で抱き合うシーンもさして心には響いて来なかった。

神弓 KAMIYUMI:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

特に後半は、キム・ハンミン監督の畳み掛けるような演出で一気に見せるのですが、クライマックスはもちろん「神弓」対「長弓」の戦い。

ちょうど西部劇の拳銃が、弓に取って代わったようなもので、これでもか、これでもかと双方が死力を尽くすんですね。
そして、その迫力たるや、まるで弓が画面の中から観ている私の方へ飛んでくるような錯覚に陥り、思わず首をすくめることもしばしば。

これは、やはり今はやりのCGに頼らず、高速度カメラで矢の軌跡を再現する、高度な技術力の勝利と言っていいだろう。
そして、それは巧みな編集技術と、クロースアップの多用のおかげでもあるのですが、黒澤明ばりのアクションシーンは、十分堪能できましたね。

最終更新日:2025-11-11 16:00:01

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