映画感想・レビュー 108/2564ページ

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

チャンバラ時代劇から任侠映画路線への転換期に生まれた、1960年代の東映プログラム・ピクチャーの記念碑的大ヒット作品で、高倉健が大ブレイクするきっかけとなった作品でもあるのが、石井輝男脚本・監督による「網走番外地」です。

伊東一の原作から、題名と舞台設定を採り入れて、スタンリー・クレイマー監督、トニー・カーティス、シドニー・ポワチエ主演の「手錠のままの脱獄」をインストールしたアクションを描こうとする、奇才・石井輝男監督の試みは、網走刑務所に収監された受刑者の現在と回想シーンで、巧みに起伏をつけながら、クライマックスの大脱走へとストーリーを盛り上げていると思います。

極貧の不幸な家庭環境に育ち、ヤクザの道に入った主人公の橘真一は、暴力的な男の後妻になった母親が、ガンになったと聞き、死ぬ前に一目だけでも会って、これまでの極道を詫びたいとの一心から、仮出所を目前にして、脱獄の企てに乗ってしまいます。

クロコダイル・ダンディー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

アメリカ映画が、アメリカのチンピラの撃滅を描くとすると、「ダーティー・ハリー」や「コブラ」のように、どうしてもスーパーヒーローとして大上段に構えてしまうものだ。

それはそれで面白いのだが、この「クロコダイル・ダンディー」の主人公は、いとも気楽にやってのける。

アメリカ映画の場合は、文明のヒズミを、文明の中の正義で解決しようとしてみせた。
ところが、このオーストラリア映画は、自然を相手に生き続けて来た、人間のネイティブな命の力を再確認させてくれる。

その為、この映画はとても爽やかで、楽しいのだ。
そして、全く暗さがないのだ。

決してスーパーマンではないけれど、現代人に人間の逞しさを思い起こさせてくれる。
主演のポール・ホーガンは、我々観る者の心に涼風を呼ぶのだ。

湖面を渡る、風のような映画だと思う。

クロコダイル・ダンディー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「クロコダイル・ダンディー」は、実に爽やかな作品だ。

オーストラリアのジャングルで、ワニを相手に生き抜いて来た冒険家。
そんな彼が、ニューヨークへ乗り込んで行く事になる。
オーストラリアの大自然と、犯罪多発の街ニューヨークとの対比が、実に面白い。

ニューヨークの街では、チンピラ共が暴れまくっている。
冒険家のポール・ホーガンは、ジャングル仕込みの腕前で、いとも簡単に、次々とチンピラ共をやっつけて行く。

公開されたアメリカの映画館では、もう大爆笑、大拍手の盛況だったらしい。
現実のチンピラ共の犯罪に、アメリカの善良な市民が、いかに頭を悩ませているか、映画館での反応は、それを物語っていたようだ。

そして、この映画のヒーローは、何とも気張らず、自然体のところが、実にいいのだ。

サルバドル 遥かなる日々:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

友が命を懸けて撮った写真を、必死で持ち帰ろうとする彼。
愛するエル・サルバドルの女性を、アメリカへ密入国させようとして、国境警備隊に阻まれる彼。

メロドラマ仕立ての構成であるが故に、なおさら軍隊の虐殺ぶり、それを援助するアメリカ政府への怒りが痛烈に伝わるのだ。

それでいて、政府軍の兵士を惨殺しようとする、革命派の行動にも批判の目を向ける。
その冷静さとエネルギーのバランスの相乗効果が、実に見事だ。

サルバドル 遥かなる日々:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画は、「プラトーン」の前にオリヴァー・ストーン監督が撮った映画だ。
ストーンと共に原作・脚本を書いたのは、リチャード・ボイル。
ベトナム、北アイルランド、カンボジア、ニカラグア等の動乱の中へ身を投じ、己が目で見た戦争や革命の実態を報道し続けてきたジャーナリストだ。

この映画は、1980年に動乱のエル・サルバドルに潜入したボイル自身の発案である。
主人公にもボイルの名前が使われている。
と言っても、主人公を決してヒロイックには描いていない。
主人公は、ふしだらな生活を送っている青年。
仲間を誘って、エル・サルバドルへ飛んだのも、そんな生活を清算したかったからなのだ。

彼は思想的に、右でも、左でもない。その彼が、エル・サルバドルの現実を見る事によって、動乱そのものが、狂気の殺戮であるという事を知る積み重ねが凄い。

戦火のかなた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

被占領下のイタリアのレジスタンスが、六つの短いエピソードで語られるが、ロベルト・ロッセリーニ監督は、実際に戦時下の1944年から1946年にかけてシチリア島、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ロマーニャ地方、ポー河のデルタ地帯にロケーションを敢行し、それぞれのロケ地で撮影隊のまわりに集まって来た群衆の中から出演者を選び、これらずぶの素人の生々しい現実感を生かすために、シナリオもセリフも書き直して撮ったということだ。

フィレンツェのエピソードとポー河のエピソードが、特に強烈で感動的でしたね。

戦火のかなた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

イタリア映画のネオレアリズモの傑作と言うだけでは、この映画の素晴らしさを言い表わすのに充分ではないだろう。

当時ロベルト・ロッセリーニ監督の助監督であり、共同のシナリオライターであったフェデリコ・フェリーニは、彼の著「私は映画だ/夢と回想」の中で、次のように述懐している。

「-----『戦火のかなた』は私にとって映画との最初の、本物の接触だった。ここには私がロベルトから学んだ本物の教訓があった---それはカメラの前で謙虚であるということであり、ある意味で、撮影されたもの---人間、顔への驚くべき信頼だった」と。

とにかく、この映画に出てくる人間たちが素晴らしい。顔が素晴らしい。
不器用なくらいテクニックのないナイーヴな映画なので、びっくりする。

まるで初めて映画を発見するような感動に襲われる。
シンプルでスピーディーで無造作とも言える力強い演出が、映画的興奮を誘うばかりでなく、劇映画と記録映画が一本の作品の中に分かちがたく一体化している幸福な映画だ。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

最後は、教会の屋上で、もはや香港映画の定番ともいえる、くどすぎるくらいの延々たる決闘が展開するのだが、ここのアクションの振り付けは、身体能力の高いブルース・リャンと倉田保昭なので、かなり凝った面白さに満ち溢れていたと思う。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

ブルース・リャン扮するゴールデン・ドラゴンという風来坊が旅の途中で追剥しようとした若者二人を懲らしめて子分にする。
そして、三人はある町へ乗り込み、悪いボスの一味をやっつけ、絡んでくる二人組の小悪党も叩きのめしてしまう。

この二人の若者がコメディ・リリーフの役割を果たしていて、二人が乗るスクーターはティズニー映画「ラブ・バッグ」のミニカーのアイディアを拝借したみたいで、敵に追われるとお尻から爆竹を発射する007的なギャグも詰め込まれていて笑わせてくれる。

そして、映画の後半で、当時、東映の端役から引き抜かれて香港でクンフー俳優として人気を博していた、倉田保昭扮するブラック・ジャガーが主人公よりカッコよく登場して来て、チベットから持ち出された大きな真珠をめぐって、女闘士のウォン・ウン・ツェー扮するミアオと三つ巴の争奪戦になっていく。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「帰って来たドラゴン」は、1970年代の前半においてブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」で火が付いた世界的なカンフー・アクション映画全盛の中で、おびただしい数の香港カンフー映画が日本で公開されたが、この映画はそうした中でもかなり面白い作品だ。

その名前のせいで、公開当時、ブルース・リーの弟子だとか、第二のブルース・リーなどと呼ばれていた、この映画の主演のブルース・リャンは、実は、1970年代の初めから香港映画界でスタントマンや武術指導をしていたのだが、そのあまりのカンフー技の凄さが認められて、その後、数多くのカンフー映画に主演したという経歴の持ち主なのだ。

特に、彼の2メートルも跳ぶ驚異的なバネを生かしたハイキックや、走りながら連続して行なう足蹴りなど、とにかく彼のキレのあるスピーディーなカンフー・アクションは、当時の香港、台湾の数あるカンフー俳優の中でも、ずば抜けた身体能力で、ひと際光っていたと思う。

この「帰って来たドラゴン」は、香港製のクンフー・アクション映画だが、コメディ・スタイルになっている。

将軍たちの夜:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

彼は上官である将軍たちを少しも恐れず、是が非でも殺人罪で検挙したいとの一念に凝り固まっていて、戦況が自国であるドイツに不利になってきても、意に介さないどころか、国防軍によるヒトラー暗殺未遂事件が起こっても、全く関心を示そうとはしないのだ。

そこには、正義を追求するという以上の何かしら尋常ならざるもの、犯人の異常さとも通底する、ある種の不気味さが感じられるのだ。

このように、この映画は観る角度を変えることで色々な見方の出来る、そんなスリリングな作品でもあるのだ。

将軍たちの夜:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

戦争は、そんな彼の異常性を解き放つ舞台になるのだ。
将軍という地位を利用して、街という街を破壊し、敵を無残にも殺戮し、なおそれでも足りずに、深夜ひそかに女性を求め、惨殺していく。

このサディスト的なタンツ将軍が、パリのルーヴル美術館でゴッホの自画像と対峙するシーンは、まさに背筋も凍るほどの凄さだ。
狂気にかられて、自分の耳を削ぎ落とした直後のゴッホ像は、まるで彼の内面と共鳴しているかのようで、底知れぬ怖さが私の心を射抜いていく。

ピーター・オトゥールの鬼気迫る演技は、私の心を掴んで離さない。
そして、この映画の複合的で奇妙な面白さの要因になっているのは、この事件を追うドイツ軍少佐の異様なほどの執拗さだと思う。

将軍たちの夜:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

1942年の冬、ナチス占領下のワルシャワで一人の女が惨殺される。
捜査にあたったドイツ軍の少佐は、証人への尋問などから容疑者を三人のナチス将軍に絞り込むが、犯人を特定する前に、パリへと飛ばされてしまう。

それから二年後、ドイツ軍が占領したパリで、またもや娼婦が惨殺された。
二年前に捜査を担当したオマー・シャリフ扮するドイツ軍少佐は、いっそう闘志を燃やし、連続殺人犯を追っていくが。

この物語の舞台は、ポーランド、フランス、ドイツと拡がり、時間的な流れも含めてスケールも大きく、それに伴って登場人物も実に多彩で、この忌まわしき時代の混沌が、迫真性を持って描かれ、緊迫感に満ちている。

この映画で描かれるのは、容疑者の将軍の一人であるピーター・オトゥール扮するタンツ将軍の異常ぶりを示す”恐怖の人間像”だ。
戦場にありながら、部下の手袋の染みさえ許さない、この男の世界観においては、隣国の人々もユダヤ人も娼婦もゴミでしかないのだ。
そして、ゴミは一掃されるべきだと妄信している、サイコ的な恐ろしさ。

アンツィオ大作戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

映画は、この七人の悪戦苦闘ぶりをメインに描いており、背景のスケールは大きいが、ドラマとしては、かつてのTVの人気シリーズ「コンバット」と似たり寄ったりという感じなんですね。

大々的なスペクタクルを期待して観ると、少々アテが外れてしまいますね。
ただ、七人の生き残りの連中に関する限り、さすが「ケイン号の叛乱」や「若き獅子たち」のエドワード・ドミトリク監督だけあって、面白みこそないが、手堅くがっちりと描いていると思いますね。

前面には敵の火炎放射器、後方には地雷原、この絶体絶命のピンチをどう切り抜けるか、といったサスペンスも用意されていて、ハラハラ、ドキドキさせられますね。

アンツィオ大作戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「アンツィオ大作戦」は、第二次世界大戦中の一コマで、イタリア半島のアンツィオに上陸した米英連合軍を描いた作品だ。

アメリカ人の特別通信員のロバート・ミッチャムと、万事に抜け目のない伍長のピーター・フォークが中心となって映画は展開していく。

ドイツ軍の抵抗を受けずに上陸したものの、司令官のアーサー・ケネディの将軍は、ロバート・ミッチャムたちがローマまでジープを乗り入れて、敵の兵力が皆無に等しいことを調べてきたにもかかわらず、すぐに攻撃せずに、ゆっくりと陣地固めをしていて、その間にドイツ側は兵力を集結させて、米英連合軍側への包囲網を整えてしまうのだった。

そして、米英連合軍は全滅状態となり、ロバート・ミッチャム、ピーター・フォークたち七人だけが生き残り、農民の家族の協力を得て、ドイツ軍の堅牢な要塞へ戦いを挑むのだが-------。

アイアン・イーグル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

「ブルーサンダー」のスタッフが、F16の翼にカメラを仕込んで撮影した空中戦の迫力は物凄い。
観ていて、空中戦を実体験しているかに思えるスピード感と迫真力。
ところが、その迫力にもかかわらず、どうしてもカタルシスがわかないのだ。

いかにひどい軍事裁判で死刑を宣告されたとしても、むこうはそれなりの主権国。
その言い分がある筈だ。それをいきなり乗り込んで、空中戦を演じたり、地上の施設を壊したりとなると、これはもう戦争ではないか。

父子愛、師弟愛というドラマチックな設定があるとしても、どうしても、このクライマックスにはのめりこめない。
ミグ戦闘機を操る国をはっきり敵と言い切るあたり、アメリカ人の考えもさりながら、そういう世界の現実に、あらためて背筋が寒くなる。

アイアン・イーグル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-13

この映画の主人公は18歳の高校生。
父は、アメリカ空軍のジェット・パイロット。
少年は、父の跡を継いで大空に飛翔したいという夢を持っていた。

すでに、セスナの免許は持っている。
シュミレーション訓練で、ジェットの操縦も大丈夫。
ところが、空軍士官学校の試験に学科で落ちたのだ。

そんなある日。中東の上空でテスト飛行中だった父が、敵(!?)のミグと遭遇し、捕虜になる。
しかも、無法な裁判で死刑の宣告を受ける。

死刑執行まで残された時間は僅か。
アメリカ空軍としては、動きようがない。
逆に少年は、ジェット戦闘機を飛ばして、父の救出に向かうのだった--------。

キャノンボール:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

この暴走族のリーダーが何と「イージー・ライダー」「ワイルド・エンジェル」のピーター・フォンダ。
そして、アストンマーチンに乗って現われるのが、ご存知3代目ジェームズ・ボンドことロジャー・ムーア。
あの007のパロディを、ボンド・スター本人が平然とやって見せる度胸の良さ-------。

それから、懐かしいディーン・マーティンとサミー・デイヴィスJr.は、偽牧師。
サミーが出演すると、見事に画面が楽しくなって、本物のエンターテイナーとはこれなんだと妙に納得してしまいます。
おかげで他のスターは完全に食われてしまってお気の毒様という感じになります。

この映画の監督は、「トランザム7000」のスタントマン出身のハル・ニーダムですが、彼の演出は目先のアクションは描けても、ドラマ全体をつかむ力がないために、スター個人の魅力のみに頼らざるを得なくなり、全体として破綻してしまっているような気がします。

エンドタイトルに、香港映画お得意のNGカットのシーンが流されますが、スターたちの楽しい素顔が出ていて、これらがこの映画の中で一番面白いという皮肉な結果になっていたと思います。

キャノンボール:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この「キャノンボール」という映画は、アメリカの東海岸から西海岸までの5,000キロを普通乗用車で突っ走って、誰が早く完走するか、その大レースを面白おかしく大賑わいの娯楽映画に仕立てたアメリカ・香港の合作です。

まず面白さのポイントは何といっても、その豪華なキャスティング。
救急車でぶっ飛ばそうとするのが、公開当時、マネーメーキング・スターの常連だったバート・レイノルズ。
救急車なら警察の検問も切り抜けられて、思い切りスピードも出せるというわけです。
このあたりは、四六時中、救急車のサイレンが鳴っていると言われるアメリカならではの、ズバリ笑いにつながるギャグなのかも知れません。

そして、彼に巻き込まれるのがTV版「チャーリーズ・エンジェル」で大人気だったファラ・フォーセット。
アメリカと香港の合作という事で、当然の事ながら、当時、香港の大スターだったジャッキー・チェンとマイケル・ホイも出演していて、彼らは日本人を徹底的に風刺する存在として登場。
でも行く手を暴走族に阻まれれば、お決まりのカンフー・アクションが炸裂-------。

陽のあたる場所:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

エリザベス・テイラーとモンゴメリー・クリフトの呼吸がピッタリで、いかにもハリウッド映画らしい華やかさと社会性が楽しめる作品だ。
脚本、撮影、作曲、編集、衣裳部門のアカデミー賞を受賞しながら、主演の二人に与えられなかったのが信じられない。
特に、クリフトのナイーヴな演技は胸を打つ。
資本主義社会における貧しい者のつらさを知って育った青年が、やっとつかんだ出世の糸口を離すまいとする切ない心情を、クリフトは実にうまく演じていると思う。
そして、テイラーの役が単なる令嬢ではなく、上流階級の欺瞞を告発する立場で描かれているのもいい。
結局、この青年は、社会の組織に嵌められたようなものだが、そこをメロドラマにすり替えたところが、ジョージ・スティーヴンス監督らしい職人芸だと思う。

最終更新日:2025-05-04 16:00:01

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