2008 年、ウクライナ。ロシアによる侵攻が始まる十数年前―そこにはすでに、自由と尊厳、そして平和をめぐる女性たちの闘いがあった。21 世紀で最もセンセーションナルなフェミニスト活動団体【FEMEN】を創設し、情熱と芸術を武器に、裸で世界へ抗い生涯を闘いに捧げた〝オクサナ・シャチコ′′の壮絶な半生を描く、燃える魂の物語『OXANA/裸の革命家・オクサナ』が、5 月 22 日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国ロードショー。
FEMEN の共同創設者として世界的に知られるオクサナ・シャチコは、2014 年頃を境にフランスの FEMEN と距離を置き始めた。表向きには「内部対立」とされるが、実際にはもっと複雑で、個人的で、そして“美学”の問題でもあった。背景には、FEMEN の“方向性”をめぐる深い溝があった。フランスに最初に到着したインナ・シェフチェンコが、運動の顔として注目を集める一方、オクサナやサーシャ、ヤナら創設メンバーは、運動が“本来の鋭さ”を失っていくことに危機感を抱いていた。
オクサナは 2016 年、こう語っている。「フランスの FEMEN は“ファッション”すぎる。“フェイク”なの。胸にスローガンを書くけれど、皮肉がない。私たちの行動は危険で、真剣だった。でも、いつも笑っていた。だって、なんで裸なの?って」彼女にとって、抗議とは“芸術”だった。「芸術の使命は革命。音楽を使う人もいれば、絵画を使う人もいる。私たちは身体を使っただけ」その信念は、FEMEN が単なる“パフォーマンス”として消費されることへの抵抗でもあった。
一方、フランスの FEMEN は、よりメディア映えする方向へと舵を切っていく。インナを称賛する論客やメディアが増え、運動は“スター”を中心に回り始めた。オクサナはその構造に違和感を覚えた。「彼女たちは抗議をコピーしている。そこに本物の危険も、笑いもない」。さらに、フランス社会特有の“世俗主義”が、イスラム圏の女性問題を過剰に単純化して扱う傾向も、彼女には“偽善”に映った。移民としての立場から、警察の偏見や制度の不均衡を肌で感じていた彼女にとって、運動が“西欧の正義”に回収されていくことは耐え難かった。
こうした思想的・美学的な断絶に加え、個人的な疲弊もあった。政治難民としての生活は不安定で、移民局の面談のために抗議行動を欠席せざるを得ないこともあった。運動の中心にいながら、運動の“外側”に押し出されるような矛盾を抱えていた。
最終的に、オクサナは FEMEN FRANCE から離れた。だが、それは“裏切り”ではなく、むしろ彼女が生涯貫いた“本物であること”への忠誠だった。「アーティストはいつだって革命家」彼女はそう信じていた。FEMEN の象徴として知られたオクサナ・シャチコは、同時に、FEMEN の“変質”に最も敏感だった人物でもある。彼女の決別は、運動の内部対立ではなく、芸術家としての誠実さの帰結だった。
情熱と芸術を武器に、裸で世界へ抗ったオクサナ・シャチコ。生涯を闘いに捧げた彼女の、燃える魂の物語『OXANA/裸の革命家・オクサナ』は 5 月 22 日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
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配給:ハーク © 2025 Refugee The Film.LLC




