映画感想・レビュー 85/2551ページ

SAYURI(2005):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-28

ロブ・マーシャル監督の「SAYURI」は、貧しい漁村から口減らしのために売られた少女が、花街で一番の芸者になるという、女の一代記。
日本を舞台にした作品だが、原作も映画化したのもアメリカ人。

「ラスト・サムライ」と同様、ハリウッド製和風ファンタジーといったところだ。
日本人キャラが、みんな英語で会話するのも、中国人女優の芸者姿も、心配したほど気にならなかった。
しかし、観終わった後の感想はというと、「それで?」と言うしかない。
さゆりの生き様や芸者の世界のしきたりを描くことで、一体何を伝えたかったのだろうか。

千代が花街に売られてきて、さゆりという芸者になり、ライバルの初桃と壮絶な置屋の後継者争いをするところは、絢爛な世界の裏の女のドロドロとした姿を描いていて、退屈しない。
初桃を演じたコン・リーは、憎まれ役を見事に演じている。
ところがコン・リーが姿を消すと、火が消えたように画面が寂しくなり、映画も失速していく。

悲しみの青春:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

昂まる悲痛のメロディは、やがて、あの光と影の青春の庭、テニス・コートの白い若者たちの優しさに溶け込んで、かき消える。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の抑制のきいた演出が、数十年の歳月を経た、ある"時代"への青春の哀歌を静かに謳いあげるのです。

悲しみの青春:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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けれどミコルは、ジョルジョが自分と同じ運命共同体であることを、本能的に察知していたのだ。ユダヤ人の現在と未来に忍び寄る"死の影"を予知して、だから、彼女が愛したのは過去、いとしく甘美で神聖な、幼い日の幻影だけであったのだ。

次第に吹き荒れるナチズムの嵐は、ユダヤ人家族から平和を幸福を、人権を財産を、そして愛を青春を、奪っていくのだ。
はじめはテニス・クラブや図書館からの追放といった差別は、やがて強制逮捕となっていく。
もはや、コンティーニ家の人々といえども例外ではなかった。

ミコルと近親相姦の匂いさえ漂わせた、病的な弟アルベルト(ヘルムート・バーガー)は、高熱にあえいで病死し、彼女が絶望的な愛を結んだコミュニストのマルナーテ青年は、ソ連戦線に召集されて戦死してしまう。
そして、両親と引き離されたミコル。息子たちと妻を逃がしたジョルジョの父。彼らの行く手に待っているのは、収容所であり、死であった。

悲しみの青春:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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親しみを込めて、まるで恋人のように振る舞いながら、だが彼女はジョルジョの求愛をはぐらかし拒絶する。
そして、ついに彼は見てしまうのだ。
ミコルが、彼女の弟アルベルトの親友であり、ジョルジョの心の友ともなったマルナーテ(ファビオ・テスティ)と結ばれた現場を。

こんなふうに荒筋だけを追っていくと、ありふれた青春の失恋のドラマになってしまう。
だが、コンティーニ家も、そしてジョルジョの一家もユダヤ人である。
その宿命の重みが、一九三八---四三年という時代と相まって、哀絶の調べを奏でるのだ。

同じユダヤ人だが、コンティーニ家は"特別"であった。
ジョルジョの家も、かなり裕福だが、大地主コンティーニ家はケタ外れのブルジョワであり、同時にその貴族性のゆえに、彼らは町のユダヤ人社会からも孤絶した、別世界の"異人種"だったのだ。

ユダヤ人の自意識を持つジョルジョが、ミコルに強く惹かれたのは、彼女がユダヤ人らしからぬユダヤ人であったからだろう。

悲しみの青春:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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それは、コンティーニ家の娘ミコル(ドミニク・サンダ)の、ほとんど気まぐれといっていい"招待"によるものだった。

夏の終わり、というより、むしろ秋色濃い日であった。
町のテニス・クラブの若いメンバーたちと、はじめてミコルに呼ばれて、彼はコンティーニ家のコートでテニスに興じるのだった。
そして、その日から、ミコルとの交際が復活した。彼女は、昔と変わらぬ好意を見せるのだった。
そして、昔の思い出を懐かしむのだった。

二人は幼馴染であった。といってもミコルは、町の学校に通学しなかった。
自宅研修生として、年に何度か、試験の時に学校に姿を現わすだけだった。
馬車に乗ってやって来る、この小さな王女さまへの憧れ。
教会での出会い。じっと自分に注がれた彼女の視線を、あの胸のときめきを、今もジョルジョは忘れない。
そうした幼い日の回想の断片が、透明な美しさでよぎるほどに、ジョルジョは、ミコルへの愛の想いを切なくかきたてられるのだった。

悲しみの青春:P.N.「オーウエン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

"ヴィットリオ・デ・シーカ監督の抑制のきいた演出が、長い歳月を経た、ある時代への青春追想の哀歌を静かに謳いあげた 「悲しみの青春」"

抑えに抑えて、だが、切なさあふれるばかりの青春追想のエレジーである、「ふたりの女」「ひまわり」の名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督が描いた「悲しみの青春」。

原作は、ユダヤ系のイタリア人作家ジョルジョ・バッサーニの小説「フィンツィ・コンティーニ家の庭」で、その原作は、ヒロインのミコルに捧げられているから、これは明らかにバッサーニ自身の物語であろう。

最初に字幕が出る"フェルラーラにて、一九三八年---四三年"。北イタリアのエミリア地方のフェルラーラは、中世の城壁に囲まれた"美しい墓"のような町だ。
その町の中に、さらに孤立するかのように、果てしなく続く堀をめぐらせて、フィンツィ・コンティーニ家の広大な庭と屋敷がある。

青年ジョルジョ(リーノ・カプリッキオ)にとって、コンティーニ家の庭は、幼い頃から憧憬であり恐れであり、光であり、触れ得ざるものであった。
彼は十年かかって、やっとこの庭に立ち入ることを許されたのだった。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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ここで、四人は砂金を分けようとするが、ダッチマンの阻止と彼らを革命の英雄と持ち上げる村人の歓呼に、あっさりと砂金はおろか報酬金まで彼らに提供してしまうのだ。

これはいかにも"アメリカ映画"的で、こんなことは初期から黄金期のマカロニ・ウエスタンでは考えられない行為である。
この作品の公開が、1969年であることから、マカロニ・ウエスタンの変質がうかがえると思います。

尚、メキシコの将校役として、ジャコモ・ロッシ・スツアルトが顔を出しているのは拾いもので、丹波哲郎は「野獣暁に死す」の仲代達矢に続いて、イタリア西部劇に出演した二番目の日本人スターということになり、"サムライ"という役名で、無口な役柄で刀を振りかざしての活躍はまさに、"日本人ここに在り"を示していたと思います。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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そして、出演俳優は、TVの人気ドラマ「スパイ大作戦」のリーダー、フェルプス役で有名なピーター・グレイブス、ジェームズ・ダリー、バッド・スペンサー、ニーノ・カステルヌオーボ、そしてわが日本の丹波哲郎。
丹波哲郎の外国映画への出演は「太陽にかける橋」「第七の暁」「007は二度死ぬ」に次いで4本目の出演作になる。

物語は、この五人が、メキシコに列車で運ばれてくる砂金を奪い、革命軍に寄与するというもので、リーダーのダッチマン(ピーター・グレイブス)に報酬1,000ドルで雇われる"サムライ"(丹波哲郎)は、剣と手裏剣の名手、ジェームズ・ダリーは、爆薬専門の脱走兵、バッド・スペンサーは、牛泥棒にして鉄道の線路の操作がうまく、ニーノ・カステルヌオーボは、身の軽さが身上というプロたち。
各々がそれぞれ特技を持っているのは、「荒野の七人」にもみられるように、この種の映画のお約束のパターンになっている。

五人は革命の闘士を処刑しようとしていた兵隊たちを皆殺しにしたり、いったんは捕まるものの、村娘の機転で脱走に成功し、列車を奇襲して目的を達するのだ。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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もちろん、もうひとつの背景としては、日本側が香港映画の活劇、カンフー映画などへ、その買い付け方針を変更していったということもあるが、1970年代以降の日本公開のマカロニ・ウエスタンは、その大半がアメリカのメジャーの配給会社によるものであることは注目していいように思われます。

アメリカは過去にもすでに、やはりイタリア映画に資本投下をして、史劇を送り出したことがあるが、かくて歴史は繰り返されていくのだ。
そして、出演者たちも、もうハリウッドで食いっぱぐれたセコハン・スターたちではなくなり、現役の人気も知名度もあるスターが駆り出され、作品のセールス・ポイントになっていく。こうして、マカロニ・ウエスタンのアメリカ化、国際化が始まっていったのだ。

さて、この「五人の軍隊」は、「サスペリア」などのイタリアの鬼才監督・ダリオ・アルジェントが脚本に参加している一編だが、MGMの配給で監督はアメリカの俳優出身で「荒野の愚連隊」や「第十七捕虜収容所」などに出演し、その後、監督に転じて「新・猿の惑星」や「オーメン2/ダミアン」や「ファイナル・カウントダウン」を監督したドン・テイラー。

五人の軍隊:P.N.「オーウエン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」などのマカロニ・ウスタンを撮った、セルジオ・レオーネという世界的に通用するマカロニ・ウエスタンの監督が誕生し、この監督がクリント・イーストウッドやロッド・スタイガーやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンといった本場アメリカの有名俳優たちを次々と起用し、作品も興行的に成功したことから、このイタリア製西部劇のマカロニ・ウエスタンは、単なるイミテーションから、それ自体のものとして認められたとも言えるのだ。

こうして、1960年代後半から1970年代初期にかけて、アメリカは進んでマカロニ・ウエスタンを買い付け、その英語版を世界に配給し、あるいは資本を投下して製作に関わっていくことになる。ロケ地は、スペインの荒野や山岳丘陵地帯、スタッフ、キャストにイタリア人やスペイン人を使うという按配だ。

これは、日本におけるマカロニ・ウエスタンの配給が、それまでもっぱら、東宝東和や日本ヘラルドといった邦人系の配給業者によっていたものが、1970年を境にアメリカのメジャー会社にとって代わられていくことでも如実にうかがえる。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-28

この「五人の軍隊」は、殺しと流血の暴力描写で全世界で一大ブームを巻き起こした、マカロニ・ウエスタンの痛快娯楽作ですね。

イタリア製西部劇の"マカロニ・ウエスタン"は、まがいもの、殺しと流血の暴力礼讃映画だと言われながら、本場のアメリカ映画界において、正当派の西部劇が衰退していく中で、その存在価値を全世界に広めていったのです。

映画は娯楽で、ましてや、それが西部劇ならば、派手なドンパチに残酷のスパイスをたっぷりふりかけたマカロニ・ウエスタンは、イタリア映画の重要な海外マーケットである中近東や南米、アフリカ諸国の他、本場のアメリカにまで拡散し、この国の貴重な外貨獲得の手段になったのだった。
そして、商売になるとわかったら、なりふりかまわず突き進む、イタリア通俗娯楽映画の真骨頂がここにあるのだと思います。

アメリカで言うところの、"スパゲッティ・ウエスタン"という言葉には、もの珍しさと蔑称のニュアンスが込められている気がしてならないのだが、アメリカも、その存在をもはや無視できなくなってきたことは時代の流れ、趨勢でもあったのだろう。

風の奏の君へ:P.N.「気温のページ」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

文化放送(ラジオ)の「くにまる食堂」にて、試写を見たパーソナリティ二人が紹介していたのを聞き、観ようと思いました。
その言葉のとおり、最後の20分ほどは涙が溢れて止まらない感じになりました。あまり多くの映画を見てはいないのですが、これまで見た中では涙の量が一番多かったと思います。
でも、観た後は、「素晴らしいものを見せてもらった」という爽快感でいっぱいになりました。
おそらく、監督さん、出演者、関係者の「ふるさとへの愛」で貫かれている作品だからなのかなと思います。
皆さんに心からの「ありがとう」、「おめでとう」をお伝えしたいです。

フィリップ:P.N.「愛の逃亡劇」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

すっかり、青年の復讐をとげる物語かと思っていましたが、

何々、スナイパー、工作員並の人物。

隠蔽工作が解かれ、明らかとなった、ケネディ大統領暗殺の全貌。

60年も経てば、関係者もほぼ他界、ヨーロッパでもかなり変貌を遂げたポーランド、その内を開示しても問題はなくなったのでしょう?

スパイ、工作モノの要素が強く、少しラブロマンスで濁していますが、フィリップが、賢くて強く、スナイパー並の腕前と立ち居振舞い。

果たして、彼は、単なる復讐者なのか?

自伝的なら、この作品は、後々の様々な映画の題材となったでしょう?

そのネタ元だからと言う落ちなのかも知れません?

九十歳。何がめでたい:P.N.「なるようになる無為自然の老先生(子)」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

草笛光子さん
佐藤愛子さん
どちらもめでたい、ご長寿。

幸せの波動を分けてもらえます。

私は、半分位しかですが、
本の内容、映画のストーリーに、驚く程共感する点がありました。

保育園反対のお話なんかは、エピソードの数々に少し価値観が似ていて、

誰から教えてもらった忘れましたが、
「本当に働いている人は働いている様に見えない」
と言う言葉が小学生の頃から頭の片隅にあり、普通に生きる大切さを大切にしています。

つくづく、普通に生きることは、世間では難しく考えている様です。

普通に仕事をすればいいものをことさら主義主張ばかりで、肝心の仕事はそっちのけ、

無為自然、ことさら騒ぎ立てなくても、自己アピールしなくても、なるようになる。

心がすぐ他人の意見に振り回され、スマホ片手に外にばかり向いていて、自分の中が常に不在中。つい、余計な言動に走る。

自然の運びの様な生き方をすれば、収まるところに収まる。

お二方の、老先生は、
その生きる姿勢が、老子(先生)の無為自然に通ずるのかも知れません?

ホステル:P.N.「雪風」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-27

前半のエロシーンはもう一つやねえ。拷問シーンももう一つやなあ。期待し過ぎたかも。日本人女性を犠牲にするのは、つらいです。三池崇史監督、イーライ・ロス監督ワンカットの出演笑いました。2も観たくなりました。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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原作者の水上勉は、この映画を観終えた後の感想として「やはり映画は、芸術の中でも最も景色と密着して、思想を具現し得る武器だなと思った。
感心したのは、最後の鳥葬の場だった。
ぼくらの歴史は、名もない野の聖たちを鴉に喰わせてきた歴史である。
篠田さんは、いいたいことを景色の奥に秘めて、この熱っぽい作品を完結している。」と評されています。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

彼女は、このおりんという難しい役を演じるにあたって「最初は目をつぶっての芝居が不安でした。しかし、元瞽女の杉本キクエさん(無形文化財伝承者)にお会いして、仏さまのような優しい人柄に打たれたおかげで、おりんの心境がつかめ、演技のために目をつぶると逆に心の安らぎを感じるようになりました」と語っています。

映画のラストシーンで憲兵隊から釈放されたおりんが、一人で旅を続け、着ている着物は破れ、埃だらけのよれよれの姿になって断崖に足を滑らせたのか、それとも身を投げたのか映画は詳しく説明しませんが、おりんは白骨となって自然の懐へ還ります。

悲しい人生の最後の極限の姿を、白骨で表現する最後のシーンは、原作以上に何か心の奥底に迫って来るものがあります。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

黒澤明監督の「羅生門」や溝口健二監督の「雨月物語」などの名作を手掛けた撮影監督の宮川一夫は、失われつつある農村の風景を日本の原風景として捉え、その風景を後の時代に残そうという使命感に燃えてファインダーをのぞいて、まるで涙を浮かべながら撮影しているような、そのシーンのひとコマ、ひとコマが我々観る者の心の奥底に伝わってきます。

宮川一夫は、大正時代の日本の原風景を求めて3年がかりで日本全国80か所のロケ地を探し回ったとの事です。

現在の視点から見ても、日本の中にまだこのような昔ながらの場所が残っていたのかという、素晴らしい風景が次々と出てきて、その風景の中で、おりんという瞽女の姿は失われていくものへの哀惜であり、消え去ろうとする古い文化の終焉を表現しているのだと思います。

全盲の瞽女という難しい役を演じた岩下志麻は、おりんの生まれつきの明るさ、純粋無垢な心の美しさ・素直さを、魂のこもった演技で表現していたと思います。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

映画は、6歳の時に親に捨てられ、越後の高田瞽女屋敷に引き取られたおりん(岩下志麻)が21歳の時に、ある男とふしだらな関係を持ったという事で屋敷から追放され、"はなれ瞽女"となります。

おりんは、たった一人で門付けをして、誰もいない破れ小屋や雨漏りのする御堂に寝泊りし、男に体をまかせてはわずかなお金をもらうという漂泊の旅を続けて行きます。

その旅の途中で出逢った得体の知れない平太郎(原田芳雄)は、おりんの仏さまのような心と姿の美しさに魅かれ、おりんの体を求めようとはしませんでした。
一方のおりんも生まれて初めて、人の心の優しさに触れ、平太郎に魅かれていきます。

このおりんと平太郎の二人の奇妙とも思える漂泊の旅が、裏日本の自然の美しさと古い町並みを背景として、しみじみと描かれていきます。

最終更新日:2025-03-19 16:00:02

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