- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-19
皆さん最悪のレビューですねw
まあ、でも気持ちはすごくわかります。
ボーの性格は「トイ・ストーリー2」までと全く違いますし、ウッディの立場も弱くなっているような気がします。ボニーがウッディを忘れかけてることに対しての怒りがある人もいらっしゃいますね。
ただ、ひとついいたいとすれば、ボニーはアンディよりも年下ですし、ものに飽きるのが早いのは当然のことです。
今作のメッセージ性は「自分の道を生きること」です。そのため全体的にトイ・ストーリー2と似ています。
キャラクターのユーモアも面白いですし、そう考えると結構いい作品では?
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-19
アンディが大人になり、全体的にも悲しい雰囲気の今作。
しかしだからこそよかったです。
前作「トイ・ストーリー2」から10年後、トイ・ストーリーを見て育った子供たちが大人になる頃とあわせて公開されています。
「大切な人との絆は簡単には捨てられない 」というメッセージ性が込められていて、前作までよりも大人向け感が増しています。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-19
大好きな作品です。
「お互いを理解し合えば友情が生まれる」というメッセージ性が込められていて感動できます。
「トイ・ストーリー」は子供向け作品というイメージを持っていらっしゃる方も多いと思いますが、実は大人の方が真の面白さを理解できるものなんです。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-19
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
遅ればせながらやっと観に行きました。
めちゃくちゃ地元尼崎の話。
利用する電車の会社が違うので阪神尼崎はあまり使わないのですが、ショウタニなど自分のお気に入りのお店や場所が出てて楽しく見れました。
ロケ地はほぼわかりました(笑)
ありえない設定でしたがすんなりと受け入れられたのは鶴瓶さん、あやみちゃん、江口さん他俳優さんの演技力でしょうね。
脇の方も関西出身の方ばかりで『変な関西弁』が出てこなくてそこも良かった。
阪神大震災の記憶が一瞬フラッシュバックしましたが『そうそう、みんな一生懸命やったよなー、だから能登も絶対に復興できる、日本、みんなで頑張ろう』って思わされたり、、、。
最後も綺麗なオチで終わって『観て良かった』って素直に思えた2時間でした。
出てくる人がみんな優しい映画は良いですね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-19
映画として堪能できる要素は充分にあると思う。石原さとみの渾身の演技も確かに刺さるものがある。
が、俳優なんだから自分の役を全うさせる意欲があるのは当然とも言える。
今回の役を完全に演じきりたいという彼女の意気込みはみてとれるが、また、彼女自身に自覚があるかどうかは別にして、自分は長澤まさみや綾瀬はるかに遅れを取っているのではなかろうか、少しでも早く挽回させたいとの思いもこめられているのでは~と邪推しながら観るとさらに楽しめるのではないかとも思う。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-19
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
デンマーク夫婦が一度は逃げ出してるから、その時点でオランダ夫婦はドジ踏んでるよね。オランダ夫婦が最後の目的を達成したいなら嫌われないように振る舞うのが普通でしょ?
もっとも、それじゃ「胸騒ぎ」は起きないでしょうけど~😁
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-19
今夜、碁盤斬りを観て来ました。草彅剛さんの演技は最高でした。沢山の豪華俳優人にも恵まれて見応えがありました。最後、斎藤工さんとの戦いに力が入りました。碁盤斬りの世界に引き込まれました。最高でした。
- 評価
- ★☆☆☆☆
- 投稿日
- 2024-05-18
劇場で観ました。
祖母役の方の演技で全てぶち壊しでした。敢えてあの話し方だとすれば、このレビューは思惑通り、してやったり!という事でしょうがそんなんいらんぐらい興冷めでした。
Jホラーもっと頑張って下さい。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-18
先日,東京豊島区東京建物Brillia HALLで劇団・前進座の歌舞伎芝居で女歌舞伎の五穀豊穣の舞,雪祭五人三番叟と云う演目を観て来た,ラストは圧巻の雪降りの中で踊り明かす場面。前に蜷川幸雄演出のチェホフ作・櫻の園上演を渋谷のシアターコクーンで見た時にも蜷川シェークスピアものの桜吹雪とはこれかと想ったけれども,華麗なる歌舞伎の要素との融合の美学を感じた
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-18
豊島区の東京建物Brillia HALLにて前進座歌舞伎上演で十八番の鳴神などを観る機会が有って,其のダイナミックなスタイルと共に本篇のセルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン監督も来日の際,歌舞伎観賞で啓発された事が在ったんだなあと想った。社会諷刺はスターリンの激怒をかって良心的な作品は受難の道を歩むのだがー
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-17
博士の愛した数式を観賞した時の紙を家中に貼って記憶をキープする姿が想い出された。携帯電話やメモ用紙を持参せずに外出した時に,其れに依存している余り,もし事故とか災害か何か在ったら連絡をどう取る事が可能なのか?現代人は記憶の装置に依存しているので博士の工夫が想像されて
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-17
今日、友人と観て来ました!
草彅さんの作品には、ハズレがないです。
穏やかな顔から厳しい顔になった時はさすが!草彅さんの演技が素晴らしかった。
早く観たかった映画だったので良かったです。
たくさんの人に観てほしい!
草彅さんだけではなく、皆さんの演技がよかったです!
友人と感想を話ながら帰ってきました!
もう一度観に行きたい!と思っています。
車で送り迎えしてくれた友人とこの映画にたずさわって下さったすべての人に感謝です。
ありがとうございました。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-17
「かぐや姫の正体は宇宙人だった」—–この市川崑監督の「竹取物語」の発想は、斬新かつ大胆だった。
日本最古の物語文学を、SFエンターテインメントにという、「ゴジラ」シリーズのみならず東宝特撮映画の推進者の大プロデューサー・田中友幸の長年の夢を託され、実現した市川崑監督。
だが、監督自身もこの映画は完全に失敗作だったと認めていて、公開当時の評判も散々なものでした。
だが、この映画を市川崑監督が撮った「ウルトラQ」だと考えると、けっこう楽しめる。
山里に巨大な火の玉が落下してくる。中から出てきたのは加耶。
演じたのは、第1回東宝シンデレラガール・沢口靖子。
大伴の大納言(中井貴一)と巨竜との闘い、「未知との遭遇」のマザーシップを想起させる巨大な宇宙船。
それまで、市川崑監督が撮ってこなかったものばかりだ。
そして「ウルトラQ」といえば、ナレーターは石坂浩二。
このアンバランス劇場の幕を閉じるため、彼の扮した帝が、もっともらしく話をまとめるのだ。
「人間は、まだまだ知らない途方もないものがあることを、知らねばならないのだ」と。
かぐや姫を授かる夫婦に、三船敏郎と若尾文子。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-17
1980年代の”殺人鬼”の代名詞ともなった、ホラー・キャスター、ジェイソンが大暴れする、スプラッタ・ホラーの代表的なシリーズ「13日の金曜日」の記念すべき第一作。
とはいえ、実はジェイソンは、シリーズの全作に出ているわけではなく、この第一作の殺人鬼はジェイソンではない。
このシリーズの基本設定は、1958年の6月13日の金曜日に、クリスタル・レイク・キャンプ場で殺人事件が起こり、13日の金曜日に不吉なことが起こるとされる、このキャンプ地で、毎回、殺人が繰り広げられていくというものだ。
最初は人間だったはずのジェイソンも、続編の度に雷や少女の願いなどによって、何度も蘇る不死身のモンスターと化していくんですね。
1958年6月13日。ニュージャージー州ブレアーズタウンに近いキャンプ場、クリスタル・レイク・キャンプ場で若者が次々と無残に殺される事件が発生する。
昔、若い男女が惨殺されて以来、呪われた場所として、忌み嫌われているこの土地で、10数年ぶりに夏のキャンプが再開される。 だが、準備のために集まって来た若者たちは、その日、13日の金曜日に、次々と姿なき何者かに惨殺されていく。 一夜のうちに一人、また一人、殺されていき、気が付くと主人公だけになっていた—-という設定なんですね。 無感動に、人間が殺戮されていく有り様は、殺される者に対する憐みや哀しみといったものが一切なく、一種のショー的な要素すら感じられるんですね。 また、後にこの作品が、シリーズとして続いていくと想定されてはいなかった作りになっている。 何せホラーではなく、ジェイソンも出ていなくて、生きている人間が次々と殺されていくだけですので、残酷描写はありますが、この作品はサスペンス映画になっています。 今でこそ、ホッケーマスクを被った、無敵の殺人鬼ジェイソンが大暴れしますが、この作品では、ラストまでその姿を見せません。 そして、この作品の殺人鬼は、もちろんジェイソンではありません。 13日の金曜日に起こった殺人劇ということで、なるほどそれでタイトルが「13日の金曜日」かとオープニングで変に感心しました。 もちろん13という数字は、アメリカでは不吉な数字で、日本で言う4と言う数字と同じ意味合いですね。 なぜ金曜日が不吉な日なのかというと、恐らく、”最後の晩餐”が金曜日というところからきているのでしょう。 前半は、ただ人が残酷な殺され方で死んでいくだけで、ストーリーも何もなかったんですが、後半になって、犯人の素性が割れてからは、面白かったですね。 それにしても、素性を見せた途端、犯人が非力になってしまいましたけど。 そして、映画ファンなら忘れてはならないのが、この作品にデビューしたての、今では悪役も主役もこなす、性格俳優のケヴィン・ベーコンが出演してるんですね。 ただ、前半で退場しちゃいましたけど。 人気シリーズの一作目なのに、この作品はラジー賞のワースト作品賞、ワースト主演女優賞にノミネートされていました。 受賞はしませんでしたが、知らなかっただけに意外に思いましたね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-17
ジョン・ウェイン扮する「勇気ある追跡」の主人公ルースター・コクバーンが再登場する西部劇「オレゴン魂」。
大酒飲みで左眼に眼帯、犯罪者は容赦なく射殺する保安官ルースター・コクバーンが再登場。
白髪が増えたが、相変わらず同居人の中国人に世話を焼かれ、将軍という名の猫も健在だ。
相変わらずの逮捕ぶりで、何人殺したか覚えていないと詰問され、パーカー判事(ジョン・マッキンタイア)からバッジを取り上げられるが、騎兵隊を皆殺しにしてニトログリセリンを奪った、ホーク(リチャード・ジョーダン)一味を生け捕りすれば、賞金2000ドルと終身保安官にするという条件で追跡の旅に出るのだった。
古き善き西部劇というものがあるとすれば、1950年代が全盛期で、ジョン・ウェインがオスカーを獲った「勇気ある追跡」は、その終焉を飾る名作だった。
その続編を作ったのは、ハリウッドの名優に最後の華を咲かせたいという周辺の配慮があったからこそ。
そのためには、相手役が大切で、ハリウッドの盟友でありながら、共演したことがない名女優のキャサリン・ヘプバーンに白羽の矢が立った。
監督のスチュアート・ミラーはプロデューサーとして有能で、二人の初共演と「勇気ある追跡」のいいとこどりをして完成したこの作品は、アメリカでは、公開前から評判を呼び大ヒットを記録。 ただし、クオリティに関しては、前作の二番煎じの域を超えられる筈もなく、かなりどこかで観たことがあるシーンや破綻のある展開が目立っている。 それでも、勝ち気で愛らしい修道女に扮したキャサリン・ヘプバーンが登場し、ジョン・ウェインと共に旅をするうちに、打ち解けていく様は、まるで熟年夫婦を観るようで微笑ましいものがある。 大男のウェインが、ヘプバーンに言い負かされ、大人しく従う姿は、ほのぼのとしたムードが漂い、魅了されてしまう。 ジョン・ウェインは、翌年の「ラスト・シューテスト」が遺作となったが,キャサリン・ヘプバーンは、その後も大活躍したのは周知のとおりだ。 ストローザー・マーティン、リチャード・ジョーダン、アンソニー・ザーブなどに囲まれて、はまり役を全うしたジョン・ウェインにとって、本当の意味での最後の作品と言えるだろう。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-17
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
この映画「ガントレット」でのクリント・イーストウッドの役は、フェニックス市警察のベン・ショックレーという、勤務中もジャック・ダニエルズの小瓶を、ポケットに入れているような、うだつのあがらない刑事だ。
このベンが、新任の市警長官の命令で、ラスベガス警察に留置されている売春婦を、あるギャングの裁判の証人にするために、引き取りに行くことになる。
ところが、女はひどく脅えているし、ラスベガスの競馬ののみ屋は、この売春婦マリーを馬に見立てて、フェニックスに無事に行かれるか、行かれないかの賭けをしている。
しかも、行かれないという方が圧倒的で、事実、警察から空港へ行くまでに、もうベンとマリーは襲われてしまう。
そこで飛行機を断念して、マリーの家に避難して、フェニックスの長官に応援を頼むと、駆けつけたラスベガス警察の警官隊は、なぜかベンを凶悪犯扱いし、家に向かって一斉射撃を始めるのだ。
しかし、話の底は、まもなく割れる。
マリーに証言されると、ギャングと手を握っていることがわかってしまう長官が、いてもいなくても同じベンを犠牲にして、マリーを消そうとしているのだった。 パトロール・カーを乗っ取ったり、ヒッピーのオートバイを奪ったりして、ベンはなんとかマリーを連れて行こうとする。 この映画の中間部は、敵味方の攻防に論理性が欠けているので、いささかダレてしまう。 そして、長官が黒幕だと気づいたベンは、道順を報告した上で、長距離バスを乗っ取って、裁判所に直行しようとする。 順路を知らせておけば、市内を通行止めにして、襲撃してくるに違いないから、一般人を巻き込まずにすむという配慮なのだ。 案の定、裁判所への道の両側は、警官隊で埋まっていて、もう凄まじい乱射乱撃雨あられ、ということになってしまう。 「エクソシスト2」のチャック・ギャスパーが特殊効果を担当したこの大乱射場面は、一見の価値があると思う。
この映画の題名の「ガントレット」というのは、鞭を持った執行人が大勢、左右に並ぶ間を、罪人が歩いて行って、最後まで倒れなければ赦される、という中世の刑罰のことで、つまり、この映画のクライマックスのことなのだ。 いくら長官の命令でも、凶悪犯にされたベンはともかく、証人まで殺してしまう大銃撃を、警官たちが実行するかなとか、人道主義の新聞記者や野党の市会議員はいないのだろうか、といった疑問も頭をかすめるけれども、バスが蜂の巣のように穴だらけになるところは、とにかく凄い。 もちろん、それでもイーストウッドだから、ベンは生き延びて、長官の偽善の仮面を剥いで、ハイ、お終いと成るわけだ。 卑猥な言葉で毒づきながら、マリーがだんだんとベンに魅かれていくのは、定石通りだけれど、ソンドラ・ロックが、なかなかいい味を出していたと思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-17
このハーバート・ロス監督の「グッバイガール」は、観終わった後、実に爽やかな気分にさせてくれる、”ニール・サイモン喜劇”の真骨頂を見せてくれる、そんな素敵な、素敵な映画なのです。
チョッピリ哀しくて、チョッピリ甘くて、チョッピリおかしい—-。そう、メチャクチャにおかしいのではなく、チョッピリおかしいところがいいんですねえ。
ドタバタではなく、人情の機微をついたおかしさだから、大笑いではなく、クスッとくるおかしさなのです。
だが、そのクスッは心の奥底に分け入ったものなので、”爽やかな余韻”といったものが残るのです。
“人生はお芝居だ”と、なぜか役者ばっかり愛してしまう女。そして男は役者として成功すると同時に出ていってしまう。愛する事と傷つく事がいつもワンセット—-。
そんな気は強いが愛らしい女性ポーラを、マーシャ・メイスンが素敵に好演。
それにリチャード・ドレイファスが演じるおかしな男を通して、時代の空気を生き生きと再現していて、実に見応えのあるウェルメイドな素晴らしいドラマになっていると思います。
いつも男にグッバイされてばかりいる子連れの女性が、遂に逃げない恋人を獲得するまでのハッピーエンド・コメディ—-。 脚本のニール・サイモンは、気のいい女性の悲哀と売れない役者の軽妙なやりとりを、マーシャ・メイスンとリチャード・ドレイファスの出演を念頭に置いて書いたと言われるだけあって、彼らの名演を引き出す事に成功した、よく練り込まれた素晴らしい脚本だと唸らされます。 そして、リチャード・ドレイファスが主演するシェークスピア劇の「リチャード三世」がゲイであったという新解釈や、演出家が極度のマザコンであったというような描写がありますが、それはニール・サイモンの当時流行っていた、”アングラ文化”への嫌味なのかも知れません。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-17
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
剣豪映画が好きな私にとって、ロビン・フッドの名は限りなくロマンティックなノスタルジーを誘うヒーローだ。
プランタジネット王朝のイングランドのシャーウッドの森に、一党を引き連れてこもり、悪の大王や悪代官を懲らしめたこのアウトローほど、何度も映画のヒーローになった人物もいないだろう。
サイレント映画時代のダグラス・フェアバンクスから、エロール・フリンを経て、ディズニー映画のリチャード・トッド、マカロニ剣豪映画のレックス・パーカー、新しいところではケヴィン・コスナーに至るまで、数々のスターがロビン・フッドを演じたものだ。
この才人リチャード・レスター監督の「ロビンとマリアン」は、十字軍の遠征から18年ぶりに故国に戻ったロビン・フッドと、今や修道院の院長となっているマリアン姫が再会する”ロビン・フッド物語”の後日譚だ。
この無法の森のヒーロー、ロビン・フッドも年をとり、その晩年のロマンスと活躍が、この久し振りの”ロビン・フッド物語”の新しい映画化作品でもあるのだ。
髪も薄く、あごひげも白くなったロビン・フッド(ショーン・コネリー)が、シャーウッドの森に帰ってくるところなど、実に感動的だ。 そして、久し振りに再会するマリアン姫は、修道院の院長になっている。 このマリアン姫を演じるのは、顔にも首筋にも手の甲にも皺が目立つようになった、当時47歳のオードリー・ヘプバーン、前作「暗くなるまで待って」の出演後、一時引退してから9年ぶりのカムバック作品だ。 ショーン・コネリーが、男の優しさと逞しさを体現していて、本当にこの人はいい感じの年のとりかたをしているなと感じるし、対するオードリー・ヘプバーンも相変わらずキュートで、”永遠の世界の恋人”としての彼女の魅力も健在で、実に素敵だった。 リチャード・レスター監督らしい、調子っぱずれだが、リアルで強烈な悪代官のロバート・ショーとショーン・コネリーの剣と斧による長い壮絶な決闘も大いに楽しませてくれる。 瀕死のロビン・フッドが最後の力を振り絞って、大空に弓を射るシーンは、実に美しく感動的だ。 そして、この永遠に向かって飛んでいく矢のショットで映画は幕を閉じる——–。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-17
母と娘。ごく普通のアメリカの女二人。
母は娘を愛し、娘の選んだ結婚の相手を嫌い、時に慰め合い、時に罵り合い、長距離電話をかけ合う二人。
さりげない日常生活のリアリティが、なまじっかメロドラマ仕立てに粉飾をした物語より、遥かに心の奥深く、人生の真実を語りかけてくるのだ。
母がシャーリー・マクレーン。娘がデブラ・ウィンガー。
このシャーリー・マクレーンが、実に良い。
表面上の新鮮さだけを売りものにして、スターと称する女性が多い中、まさにこれが、本物の”女優”と言える、繊細な心理表現と華麗な存在感を見せて、我々観る者の胸をときめかせるのだ。
彼女の隣に住み、恩給で自堕落な生活を送っている、元宇宙飛行士がジャック・ニコルソン。 過去の栄光、その残照にすがる事しか生きる術がなく、それでいて優しい心で彼女を包む彼。 「イージー・ライダー」で彼が演じた、さ迷えるインテリという、その原点に返って、素晴らしい味わいだ。 やがて、娘の死による人生の別離。 ここでも、淡々とした描写は変わらないのだが、それだけに現実感もひとしおで、人の世の哀しみが胸に染みて泣かせる。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-17
この映画「007/オクトパシー」は、シリーズ13作目の作品で、三代目ジェームズ・ボンド役のロジャー・ムーアも、すっかり落ち着いて、堂々たる貫禄だ。
20年間に13本と作品が続いていて、大ヒットしたからといって乱作せず、一本一本に新しいアイディアを傾注とていった、その努力が、この面白さを生んでいるのだろう。
今回の題名のオクチートパシーとは蛸の事。
実はオクトパスと言わずに、オクトパシーと呼ぶところが、いかにも007らしい楽しさが隠されていると思う。
原音では、オクトプシーと発音しているのだが、プシイとは可愛子ちゃん、更に女性のポイントという意味がある。
蛸の吸盤とかけてあるところなんか、思わずニンマリとするところですね。
このオクトパシーと呼ばれる謎の美女が、ソ連の野心家の将軍と手を結んで、陰謀を企んでいるのだが、お馴染みジェームズ・ボンドが、乗り込んで、その陰謀を探るのだ。
まあ、よくぞ考えたと思われる程、危機また危機の痛快アクション。
まさに、連続活劇の復活を思わせるのだ。
この映画の公開当時は、SF映画がブームになっていた時代で、SF風のストーリーを考えるのが普通だ。 ところが、何とこの映画は、SF的な素材をいっさい排して、ジェームズ・ボンドが肉体を駆使して闘う、連続活劇そのものに徹して見せるのだ。 走る列車の中や、屋根での大アクション。 空飛ぶ飛行機の上での格闘。まさに映画の原点に帰った面白さ。 この映画のプロデューサーのアルバート・ブロッコリが、根っからの商売人で、観客を楽しませる事だけに考えを集中して、何のテライもない事が、この成果に繋がったのだろう。 インド・ロケの魅力もたっぷりだが、ジョン・グレン監督の、対象を常に大きく掴んで見せる演出の勝利だと思う。 後半で、オクトパシー美女軍団が、アマゾネスばりに活躍するあたりは、いささか邪劇めいた雰囲気もあるが、少しも画面から目を離せない、スリルの盛り上げはさすがだ。