映画感想・レビュー 86/2551ページ

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-27

映画「はなれ瞽女おりん」は、水上勉原作の小説を"近松門左衛門の絢爛たる世界を、日常性から脱却して、非日常の世界へ没入する事で、美と恍惚とエロティシズムの極致を描いた「心中天網島」"の篠田正浩監督が映画化した作品で、撮影監督を宮川一夫、音楽を武満徹という日本を代表する超一流の布陣で製作されています。

瞽女とは、盲御前という敬称から発生した言葉だと言われていますが、三味線を弾き、語り物、はやり唄、民謡などを歌って日本中の村から村へと門付けをして歩く盲目の旅芸人で、その村に1年に1回訪れるのが大正時代の日本において娯楽の少なかった農民たちにとって待ちわびた楽しみであり、農村での大衆芸能を最も伝統的に継承するものでした。

この瞽女さん達は、全員が盲目の女性であるため、独特の仲間組織と厳しい内部戒律を守ってきたそうです。
このような厳しい戒律の中で、男子禁制を破った場合には仲間から追放されたそうで、この追放された人を"はなれ瞽女と呼びました。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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それは、見世物にも人間にもなりきれないという不幸を、背負っていたのかも知れない。

そして、エレファント・マンはやっと人間扱いされた時に、初めて自らの意志で死を選ぶのです。
それは私には、ある種、”甘美な死”に感じられた。

彼は命をかけて叫んだのだ。「私は、お化けではない。人間なのだ」と。
この、人間であるということは、彼にとっては”見果てぬ夢”だったのだ。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

それは、全て私たちの心の内側にある反応である。
私たちは天使でも悪魔でもない。あるいは、天使でも悪魔でもある。
野卑な好奇心も、他人の不幸を思いやる想像力も持っているのだ。
そういう意味で、登場人物が善玉悪玉に色分けされすぎていることには、かなり不満が残ってしまった。

エレファント・マンの不幸は、彼が醜い肉体に生まれついたことと共に、インテリジェンスを持っていたことだと思う。
自分と、世間とを映し出すインテリジェンスという”鏡”を持っていたことだと思うのです。

見世物であるためには、あまりにもインテリジェントでありすぎた。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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この映画の冒頭は、そのイメージ・シーン。美しい女の顔のアップ。唸り声をあげて襲いかかる象の群れ。
戦慄を覚える、非常に怖いシーンだ。

19世紀末のロンドンの陰鬱な暗い街並み。
モノクロの画面はアンチック・カードのような暗い美しさに満ちている。
そして、見世物小屋から小びと、シャム双生児、巨人などのフリークに助けられて逃亡するシーンも、幻想的な美しさに満ちている。

産業革命当時の、鉄と火とじゅうじゅうと煮えたぎる水—-
これが冒頭の象のシーンとなぜか一つになって、荒々しい”恐怖イメージとなって、観ている私の胸に迫ってくるのだ。
私にとっては、これはエレファント・マンの醜い肉体よりも、もっと深い恐ろしさだった。

そして、エレファント・マンが目前に現われた時の、様々な人々の様々な反応。
恐怖の叫び声をあげる看護婦。好奇心をむきだしにする夜警や子供たち。
ひとすじの涙を流す外科医。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-27

この映画「エレファント・マン」を初めて観た時、奇形の人間が主人公の映画だとの前情報で、観るのをどうしようかと、ちょっとためらった思い出があります。

奇形、業病—-シチュエーションの異常さで見せる映画が元々嫌いで、不幸な人々を、ある種の見世物にして満足するような映画があまりにも多いから。

けれども、この映画はそういう”イージーな感動”を当てにした映画ではなかったのです。
頭巾を脱いだエレファント・マンを画面に登場させる時に、敢えてアップで撮らずに、遠景にした、そういうところにも、素材の異常さに頼っていない映画だということがわかって、好感が持てたのです。

世にも稀な奇形に生まれつき、「エレファント・マン」と呼ばれ、見世物にされていたジョン・メリック。彼は19世紀末のイギリスに実在した人物だと言われています。

見世物の口上では、奇形の原因は、母親が象に踏み倒されたためという(だが、本当のところは全くの原因不明なのだが)。

ディア・ファミリー:P.N.「まほうどう」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-27

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CMの印象を覆すような濃い内容だった。
命を守る、救うために私財を投げ打って開発に務めた主人公と、彼に賛同して惜しみなく協力した若い医師たち。
けしてお涙ちょうだいではない、
家族や周りの情熱に支えられた
プロジェクトXのような映画

プリンス ビューティフル・ストレンジ:P.N.「ディープパープルレイン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-26

タイトルからして原題とまったく違っていた。原題 Mr.Nelson on the North Sideだとプリンスの映画だということがわからないから改題したと思われるが、他の方のレビューにも書いてあるが、とにかくプリンスの音楽性も何も伝わってこない駄作。冒頭にプリンス財団から彼の楽曲は提供していないというテロップが出てきた時点で怪しい感じがしたが、その後、彼の肉声もわずか、ほとんど写真と関係者のつまらない話で終始進行。時間と金を返してもらいたい作品。

クラッシャージョウ:P.N.「そこにあるスピリット、」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-26

『クラッシャー・ジョウ』は、以前からちらっと見掛け、気になっていました。

今回、兵庫県立美術館でのついでに、鑑賞しようと、

特別な記念日なので、109の4D上映も奮発、TOHOシネマ
とは違うオプションで新しい体験、まあこれだけの仕様なら3,000円も妥当か?

因みに、美術館には、別目的でしたが、大きな美術館なんで、なんと安彦良和展も同時開催。

ここは、ご縁と、約2時間以上はかかってしまう。

結論は、なぜ?『クラッシャー・ジョウ』に引き付けられたのか?

『ククルス・ドアンの島』に引き付けられたのか?

実質上アムロ・レイのスピリットを引き継ぐ『閃光のハサウェイ』に引き付けられたのか?

私は、アムロ・レイの奥にあるスピリット、ハングリー精神に引き付けられたのだと理解出来ました。

映画と美術館、『機動戦士ガンダム』『宇宙戦艦ヤマト』など、キャラクターの絡みやなぜ?が、この記念日に、見事解決しました。

そこにあるスピリットに、

阿寒に果つ:P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-26

阿寒に果つを観て、とても感動した。私は昔から渡辺淳一さんの大ファンだ。だからこの映画を観たのだ。これは何よりもあらためて人生について考えさせてくれると思った。阿寒湖と言えば、私はマリモが大好きだ。最近、たまたまマリモとご縁があった。私とご縁ができたある保育園の名前がマリモだったのだ。私は芹洋子さんのマリモのうたが大好きだが、最近また歌うようになった。マリモのうたを歌っていると、またこの映画の世界が甦ってきた。やはり渡辺淳一さんの世界は素晴らしいの一言に尽きると思った。

愛のコリーダ2000:P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-25

この映画を観て、とても感動した。これは何よりも愛についてしっかり考えさせてくれたからだ。白石奈緒美さんが出演されている。私の大好きな女優さんだ。凄くセクシーで演技もほんとに素晴らしい。白石奈緒美さんと言えば、お姉様の白石かずこさんのことを思い出さずにはいられない。白石かずこさんは6月14日に亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。白石かずこさんは私が20才の頃、東京のあるコンサートでお見かけしている。独創的な詩作や朗読パフォーマンスはあまりにもインパクトがあり、いつの間にか私の人生に影響を与えてくれたと思う。この映画を観ていると、私の思考は様々な方向に広がっていったが、いずれにしても、愛というものを見事に追求している作品だ。

図書館戦争:P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-25

図書館戦争をまた観て、とても感動した。私は地元でCabinというマイクロライブラリーをさせて頂いている。自宅に併設した、ささやかな図書館だ。今から6年ぐらい前にボランティアで始めたのだ。それだけにこの映画はひじょうに親近感があった。これはやはりあまりにも面白く、決して飽きさせないと思った。そして生きるパワーを与えてくれると思った。俳優陣も最高で、演技は素晴らしいの一言に尽きる。また何度も観たくなる作品だ。

バッドボーイズ RIDE OR DIE:P.N.「チキンと仕上げるのは愛の仕事、」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-25

これは、ほんと、愛の詰まった作品。

コロンビア映画の100周年を祝う一環だからか、心配していたウィル・スミスもカンバック。

予告では、往年のファン向けでしたが、内容は、アカデミーの珍事をブラッシュアップした丁寧に仕上げた脚本、女神が愛する彼らのへの100周年を祝う姿勢とリンク。

タイトルは、一蓮托生だそう、最近の彼の動向を反映し、これが、俺の映画への愛だと愛の詰まった作品。

家族の絆、息子が、彼らの年代で代役、それは、リタイアではない、引き継がれる映画への愛だ。

コロンビア映画の女神の微笑みを一緒に祝いましょう?

一応、ソニー・ピクチャーズになりますが、

県庁の星:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-24

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

しかしフジテレビ製作の映画だから、説明過多のお子様向け的な
映画に仕上がった。
山本薩夫のような辛口を期待してはいけない。

わざとらしい、「ここで盛り上げれ!」と指示されているような音楽、わかりやすいお笑い、ラストのスーパーの査察がうまくいった後の、みんなで親指を立てて祝うところのわかり易い演出。
とにかく説明過多なのだ。

テレビと違って、チャンネルを替えられる心配はないのだから、そんなにびくびくしながら演出しなくてもいいと思うのだが。
ラストのスーパーのシーンだが、あんな風に親指立てたりはしないと思うよ、普通は。
目配せだけで充分だと思う。
その辺のさりげない演出、というものをもっと勉強して欲しいと思う。

そんな感じで一事が万事、説明過多、わかりやすすぎ、オーバーアクトの連続だ。

前半の野村が、スーパーに来て戸惑うところなど、もう少し抑えたトーンでもよかったのではないか?

他にも出世コースから外れた野村が、雨の中で泣くと演出の意図が透けて見えて、見ていて照れるんですよ。
言葉は悪いが、演出が「子供向け」に思えてくる。

そして、ラストで織田裕二が「改革とは組織を変えることではなく、そこにいる人の意識を変えることなのです」と丹波哲郎もびっくりの大演説をする。
そして、織田の改革案は、知事が検討してくれることになるのだが——–。

しかし、最初のスーパーでのドタバタから、雨の中で織田裕二が泣くシーン、そして織田の演説まで予告編で観ていたので、この映画は、八割方、予告編で見せてしまっていた。

さすがに全て「めでたしめでたし」に収まる結末ではなくて、少しホッとした。
あのまま全部「めでたしめでたし」になっていたら、私は怒ったかも知れない。
現実はそんなに甘くないのだから。

県庁のラウンジで、無料だったエスプレッソが1杯100円になり、改革は少しづつだが、始まっているという希望で終わる。
全く希望のないラストでもよかったような気がしますけどね。
世の中、そんなに甘くはないのだから。

県庁の星:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-24

海沿いにある某県。ここでは総工費200億円の老人介護施設の計画が持ち上がっていた。
しかし「箱モノ行政」との市民団体からの批判もあり、批判をかわすために、「民間のノウハウを勉強する」という名目で、県庁の若きエリート職員7名が民間企業へと研修に行くことになる。

野村聡(織田裕二)もそんな一人。しかし彼のいった先は、三流スーパー満天堂。
しかも研修担当者は、パートの女性(柴咲コウ)。
野村は県庁の時と同じく、何でもかんでも規則、決まり事、マニュアルで押し切ろうとするのだが——–。

今世間では改革が大流行だ。
「改革」と叫べば、なんでも正しくて金になる。
しかも世の中の人は、公務員が嫌い、憎たらしい、諸悪の根源、いつかギャフンと言わせたい、と考えている。
そういう時流に乗っ取ったタイムリーな映画が「県庁の星」だ。

裸足で散歩:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-24

そして、彼の得意とする、短いセリフを数人の登場人物が矢継ぎ早やに、かつスピーディに応酬するというコメディタッチの中に、辛辣で皮肉に満ちたペーソス感を醸し出すのが実にうまいなと、いつも感心してしまいます。アメリカ人が、ニール・サイモンのお芝居が大好きな理由がよくわかります。

その後、「明日に向って撃て!」で大ブレークする前の、若き日のロバート・レッドフォードがコメディ映画に出演しているのも珍しく、大いに見どころがあり、泥酔してセントラル・パークの中を裸足で歩き廻り、ゴミ箱を頭から被ったりするなど、コミカルで、非常にチャーミングで素敵な演技を披露しています。

また、若妻役のジェーン・フォンダもまだ、演技派女優になる前の明るくハツラツとした頃の可愛らしさに溢れていて、ロバート・レッドフォードともまさにピタッと息の合った演技を見せています。

裸足で散歩:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-24

ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダは「逃亡地帯」(アーサー・ペン監督)以来、2度目の共演ですが、この二人が新婚夫婦を演じ、ニューヨークのとある古びた屋根裏部屋のあるひどい部屋に住む事になり、そこから巻き起こるゴタゴタを笑いとペーソスで描いていきます。

このようなコメディ映画の良しあしは、脇役の出来不出来で決まる事が多いものですが、この映画では屋上の部屋の住人の「ガス燈」の名優シャルル・ボワイエ、ジェーン・フォンダの母親役のミルドレッド・ナットウィック、電話の工事人役の「男はつらいよ」シリーズにも出演した事のあるハーバート・エデルマンが、ユニークで味のある良い演技をしていて、主役二人に対して、絶妙なバランスの良いアンサンブル演技を示していて、映画全体が非常に良くなったと思います。

ニール・サイモンのいつもの、その独特なウィットの効いたセリフ廻しと都会的な洒落たタッチが観ていて、すごく心地良いというか、ハートウォーミングな感覚がいいんですよね。

裸足で散歩:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-24

“ニューヨークを舞台にしたお洒落でペーソス感あふれるコメディ映画の佳作「裸足で散歩」”

ニューヨークの演劇のメッカ、ブロードウェイで1963年10月23日に公演の幕を開けてから大ヒット・ロングランを続けた、「おかしな二人」などのウェルメイドなコメディを得意とする劇作家・ニール・サイモンの「裸足で公園を」の映画化作品の「裸足で散歩」。

舞台の演出のマイク・ニコルズに代わって、ジーン・サックス監督が演出し、主演はブレーク前のロバート・レッドフォードが舞台からスライドして、相手役は舞台のエリザベス・アシュレイに代わって、当時、売り出し中だったジェーン・フォンダで、脇をフランスの名優・シャルル・ボワイエ、ミルドレッド・ナットウィック、ハーバート・エデルマンが固めるという豪華で素敵なメンバーが出演しています。

ニール・サイモンが得意とする笑いあり、ペーソスありの都会的な洒落たウェルメイドのコメディ映画として、古き良き時代のアメリカ映画の面白さを堪能出来ました。

最終更新日:2025-03-19 16:00:02

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