映画感想・レビュー 86/2520ページ

座頭市血笑旅:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

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父性の芽生えた座頭市が、別れの前に、赤ん坊の手を握って「坊や、これがおじさんの耳だ、これが口だ、これが鼻だ、目は—–ねえんだ」というシーンは、さすがに目頭が熱くなるほどグッとくる。

ところが、やっと出会えた父親(金子信雄)の仁義なき野郎ぶりがまた最高なんですね。
そして、怒涛のクライマックスへとなだれ込み、座頭市が火責めの中で奮闘するシーンも、実に圧巻だ。

この映画は、目明きの世界の哀しさというものが、実によく描かれていて、シリーズ中でも屈指の作品だと思う。

座頭市血笑旅:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

この映画「座頭市血笑旅」は、座頭市がしばしパパになるという内容の”座頭市シリーズ”8作目の作品で、監督はシリーズ1作目以来の三隈研次だ。

この映画は、東京オリンピックが開催されている最中に封切られたが、他の映画館が閑古鳥が鳴く中、超満員の盛況だったという伝説を残している作品でもあるんですね。

何の因果か、母を殺されこの世にひとり残された乳飲み子を、父親のもとへと届ける役目を引き受けた、我らが座頭市。

成り行きではあるのだが、授乳やらおしめの取り替えに苦労しながらも、即席パパになろうとする。
それで、賭場でも殺陣のシーンでも、”小道具”としての赤ん坊がちゃんと利いている。

執拗に命を狙い続ける一味とのあれこれ、道中で知り合った女スリ(高千穂ひづる)との微笑ましいエピソードなどを挟みつつ、やがて旅も大詰めになっていく。

悪魔を見た:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

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このキム・ジウン監督の韓国映画「悪魔を見た」は、理不尽な復讐劇「眼には眼を」を思い出させる、ダークサイドのカタルシスすらない、プロ同士のメンツを賭けた復讐劇だ。
恋人を快楽殺人者に殺された男の復讐を描いた作品で、言ってしまえば、この作品はそれだけの内容だ。
ただ、被害者の恋人が国家情報院の捜査官というプロのスキルを持ったエリートだったことと、殺人鬼がプライドもモラルもない本物の鬼畜だったことで、人間の道徳的な尊厳に集中攻撃をかけるような、異様なテンションの復讐劇に仕上がっているのだ。
しかし、ここには、パク・チャヌク監督の”復讐三部作”のようなダークサイドのカタルシスすらない。
異常殺人者としてのチェ・ミンシクの演技は、もう絶品としかいいようがない。
この男に拉致されたら、絶対に生きて帰れないと覚悟するしかない。
しかも、困ったことにこの男、鬼畜なのに妙な愛嬌があるところだ。
一方、復讐者であるイ・ビョンホンは、エリート捜査官特有のクールさで、一見ヒーローのようだが、せっかく捕まえたチェ・ミンシクを、半殺しの目に遭わせながら、追跡装置を飲ませて放逐してしまうのだ。

これは、エドガー・アラン・ポオの小説にもあった「希望という名の拷問」を試みたのか知らないが、生き永らえさせることによって、悔恨の涙を流させるまでいたぶるのが目的なのだろう。 また、面白かったのは、チェ・ミンシクが同じ殺人鬼の仲間に助けを求めるところだ。 こちらはペンションの一家を面白半分に切り刻む殺人鬼の夫婦だ。 その男が言うには、「あいつは俺と違って、苦しめる前に楽しませる奴だからな。そいつも俺たちと同じ、狩りをする時の快感を楽しんでるんだ」と。 このように、快楽殺人者は、ある面で哲学者でもあるんですね。 復讐者が目的のために手段を選ばなくなった時点で、殺人者と同列になるというのは、復讐を題材にした映画ならば避けては通れないジレンマだが、この作品でキム・ジウン監督が目指したのは、また別の次元で、殺しのスキルを身につけたプロが、プライドを賭けて復讐を実行したら、殺人鬼以上に残酷な手口を考え出すということだ。 恋人や家族の死は、ただの巻き添えでしかなく、プロ同士のメンツを賭けた対決こそが、この作品のテーマなのだと思う。

スフィア:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

この映画「スフィア」は、マイケル・クライトン原作の映画化作品で、彼には珍しい海洋SFホラーになっている。
深海で発見された謎の宇宙船を調査するため、科学者たちが招聘されるという設定は「アンドロメダ病原体」とそっくりだ。

太平洋の沖合で、300年近く海底に沈んでいた巨大な宇宙船が発見された。
政府の要請を受けた心理学者ノーマン(ダスティン・ホフマン)、彼の古い知り合いの生化学者ベス(シャロン・ストーン)、ニヒルな数学者ハリー(サミュエル・L・ジャクソン)ら数人の学識者は、謎の指揮官バーンズ(ピーター・コヨーテ)と共に、その調査にあたることになる。

深海探査基地を拠点にリサーチを進める彼らは、宇宙船内で巨大な球体”スフィア”を発見、その機能を解明しようとしていた矢先、海上との連絡が途絶えてしまう。
そして、彼らの”潜在意識”に眠っている恐怖が、次々と現実となって彼らを襲うのだった——–。

舞台となるのが、海底300メートルの探査基地の密室と宇宙船内という限定されたものでありながら、途中ハリケーンが来たり、巨大な生物が襲ってきたり、船内で火災事故が起こったりと、展開は非常に派手だ。 “ファースト・コンタクト・テーマ”のハードSFでありながら、しかも人間の意識化の葛藤を描く心理ドラマでもあるという複雑な物語を、バリー・レヴィンソン監督がスリリングに映像化していると思う。 ダスティン・ホフマンやピーター・コヨーテといった芸達者な俳優たちの熱演も大きく貢献しており、原作よりも緊迫感のあるドラマに仕上がっていると思う。

007/消されたライセンス:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

007シリーズの中で評判も悪く、興行収入もパッとしなかったこの「消されたライセンス」。

評判が悪かった理由は、ボンドが親友の復讐のため007を辞するので、任務ではなくなり、必殺仕事人と化すため、ボンド本来のクールで洗練された味わいがなくなってしまったから。

興行収入が悪かったのは、当時007にライバル映画が多く出てきたためだったと思う。

1980年代後半に公開されていたアクション物といえば「インディ・ジョーンズ」「ダイ・ハード」「リーサル・ウェポン」シリーズなど、ボンド・ムービーの影響を受けているが、明らかに面白さやスケール感が上回っているアクション物が多く、007はちょっと古臭い印象を与えていたのだと思う。

前作「リビング・デイライツ」で颯爽と登場したニュー・ボンド 、ティモシー・ダルトン。
それまでのユルく年寄り臭くなった感じのロジャー・ムーアから一転、クールでタフな感じで評判もよく、この「消されたライセンス」にも出演したが、たった2作で降板してしまった。

冷戦構造が終焉を迎え、それまでのスパイもののプロットが成り立ちにくくなり、苦慮しているときにボンドになってしまったのが、ダルトンの悲劇であろう。 この作品は、それまでのボンドシリーズではあまりなかった残酷な描写もある。 親友フェリックス・ライター(デヴィッド・ヘディソン)は、鮫に足を食いちぎられる、減圧室でのクレスト(若き日のベ二チオ・デル・トロ)は、むごたらしい最後を遂げ、麻薬王サンチェス(ロバート・ダビィ)は、炎につつまれて死ぬ。 そんなリアルでダークな描写もあったため、各国のレイティングでの年齢制限も上がってしまい、この「消されたライセンス」は、アメリカでは、007シリーズのワースト興行成績を上げてしまうことになる。

007/美しき獲物たち:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

お馴染みのジェームズ・ボンドシリーズの第14作「007 美しき獲物たち」。
パリからサンフランシスコ、サンノーゼへ飛んで、007一流の痛快なアクションが展開する。

ナチの狂気の優性手術で生まれた男が、KGBと結びつき、巨大な陰謀を企んでいる。
シリコンバレーを湖の底に沈め、マイクロチップの世界市場の独占を狙っているのだ。

物語りの設定はさておいて、追いつ追われつの危機一髪の面白さこそ、このシリーズのお楽しみの目玉だ。
その点、この映画では、ジェームズ・ボンド自身が、体を極限まで駆使して、危機を切り抜ける。

SF的な小道具をひけらかす、小賢しきアクション乱立に訣別して、7の本道に戻ったあたり、アルバート・ブロッコリー、さすがに世紀の大製作者だけのことはある。

スキーの追跡、カーアクション、エッフェルや飛行船のぶら下がり、「ベン・ハー」並みの馬術競技、金門橋のクライマックスと、ボリュームいっぱいの大サービスだ。

ところが、この映画、その割にはなぜか印象が薄いのだ。
007=ロジャー・ムーアのお歳のせいか、ジョン・グレン監督の演出のせいか。

いやいや、悪役のクリストファー・ウォーケンに、もっさと狂気の凄みが欲しかった。 そして、問題なのは、入れ替わり、立ち替わり登場する美女たちの、一体誰がヒロインなのか、例え一時的なお相手であっても、美しいだけの人形ばかりじゃ、結局、飽きてしまうのだ。 悪の女ガードマン役のグレース・ジョーンズが個性の強烈さで、孤軍奮闘。 どんなに派手なアクションも、スケールの大きな物語も、人物がきちんと描かれていないと、血を湧きたたせてくれないのだ。 このように、厳しく言うのも、007シリーズへの深き信頼から出た期待からだ。 並みのアクション映画が足元にもよれるものではない。 特にこの映画で、我々を驚かせるのは、スタント・プレイの凄さ。 それまでは想像も出来なかった、危険なスタントを、人力ギリギリの限界まで見せてくれる。 SFXのトリックショットやCGも結構だが、我々と同じ生身の人間、その危機への挑戦は、やっぱり何とも血が燃えるんですね。

アンネの日記(1959):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

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この映画「アンネの日記」は、世界的なベストセラーとなった、アンネ・フランクによる同名の原作の映画化作品で、人間の善意を信じて疑わなかったアンネの短い青春を描いています。

この多感な少女アンネを主人公としたホームドラマ、そして青春ドラマとしてもみられる映画の背後には、あのアウシュヴィッツの無惨な映像が、そっと息をひそめています。

映画は二年余の隠れ家生活の末、遂にゲシュタポによって、アンネたちが捕らえられるところで終わるのですが、アンネ一家、ファン・ダーン一家、デュセルさんたちの姿にオーバーラップして大空が映り、次第に彼らの姿が消えて行き、大空には鳥たちが舞い、そして アンネの日記の一筋のナレーションが重なります。

「私はやっぱり信じています。こんな世の中だけど——人の心は本来は善だと」。 二年間、狭い室内の中に隠れて暮らさねばならなかった八人にとって、それはなんと皮肉な映像であったことでしょう。 このまさに希望と絶望が溶けあったラストは、そのまま「 アンネの日記」の感動の深さを語らずにはおきません。 そう、「 アンネの日記」は、人間への希望、生きることの喜びを謳いあげてやみません。 まるでそれは、絶望と悪意の濁流に浮かんだ小さなイカダです。 だが、その少女の息吹きを通して、生きることへの愛おしさが切々と伝わってくるのであり、それはなぜ、人間は絶望や悪意に打ち負かされてはいけないかを語るのです。

インテリア:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

才能のある姉と才能のない妹。完璧を求める母と、安らぎを求める父。
認められた妻と、認められない夫。

そこには様々な対立、複雑な人間関係がある。
そして、扱われているテーマは、死であり、美であり、才能であり、愛だ。

映画「アニー・ホール」を観た時、ウディ・アレンのセリフ「僕は、他の人達が苦しんでいるとき、一人だけ楽しむことはできないんだ—–」が、私の胸を刺した。

きっと、この人は、”真実の眼”を持っているに違いない—–その勘は当たっていた。
このウディ・アレン監督の映画「インテリア」において、彼の洞察力の鋭さ、真実を追い求める姿勢が、充分にうかがえる。

「一人のモーツァルトの影に百人のモーツァルトがいる」という言葉があるが、一人の才能のある、秀でた人間の側には、そのために苦しんだり、焦ったり、悩んだりする平凡な人間がたくさんいるのだ。 また、秀でた人間の側にも、真に理解してもらえないという、孤独感、苦しみがあるだろう。 しかし、いずれにしろ、人間というものは、たった一人で死んでいく運命にある。 そのとき、才能があるかないか、美しいか美しくないかなどということは、全く関係ないことだ。 あまりにも、近代的な自我が発達し、才能ある者への希求が強い現代において、もっとも単純で基本的なこのことが、案外、忘れられているのではないだろうか? ウディ・アレンが、例の語り口で、「結局、死ぬときは皆一緒さ—–」と言っているのが、聞こえてきそうな気がします。

ウォッチメン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

個人の身の周りで起こる出来事は、時に国家の判断や世界情勢と深く関係しているものです。

この1980年代のアメリカン・コミックスを原作にした映画「ウォッチメン」は、一見無関係なマクロな状況とミクロな視点を融合させたエンターテインメント大作だ。

ヴェトナム戦争やジョン・F・ケネディ大統領暗殺、キューバ危機。20世紀のアメリカを揺るがし、震撼させた事件の陰に「ウォッチメン」と呼ばれる”監視者”たちがいた——。

だが、政府の命令で1977年に彼らの活動は禁止され、メンバーの中には一市民として日常を送るものもいた。

ニクソン大統領が政権を握り続けていた1985年のニューヨークでメンバーの一人、ブレイクが暗殺される。謎の男ロールシャッハが、科学実験で超人となったジョンや、事業を成功させて巨大な富を築いたエイドリアンら、かつてのメンバーを訪ね、事件の闇に迫っていく。

善と悪を絶対視せず、とことん暗いトーンでヒーローを描く手法は「ダークナイト」を連想させるが、構成はより複雑で、その世界観も壮大だ。

アフガニスタン情勢をめぐってアメリカとソ連の間の緊張は頂点に近づき、核戦争の恐怖が日増しに高まっていく。このように、予断を許さない政治サスペンスと、殺人事件をめぐるミステリーが並行し、時に交錯しながら進行していく。 超人が瞬時に空間移動するなど、フィクションであるのは明らかだが、安心しながら観ることはできない。”核の恐怖”と”敵国”に対する妄想に悩まされた時代の”空気”が実にリアルで、私の気持ちを不安にさせ、ストーリーに引きずり込むのだ。 宇宙や生命、倫理、アクション、ラブストーリーといった要素を詰め込みながらも、ザック・スナイダー監督は違和感なくまとめていると思う。 この映画は、21世紀の視覚効果が、20世紀の風景や衣装とこれまたうまく融合していて、私の感性を限りなく刺激するのだ。

カサノバ(1976):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

ドンファンは存在し得ぬ理想の恋人を求めて、次々に女を換え、カサノバは女たちの間をさすらいつつ、常に現在抱いている女を至上の恋人として愛する、と言う。

歌舞伎を思わせる凝りに凝った装飾の内に塗り込められたこの絵巻は、殊更に古めかしい「遍歴の物語」もしくは海の女神につながる巨鯨モーナの「胎内巡り譚」の装いで表現された、陽気な、優雅な、あるいは哀愁漂う、愛の諸相の集大成だ。

そして、この華麗な様式美の世界から、俳優の個性や演技をほとんど不要として、背景に溶け込ませてしまうフェデリコ・フェリーニ監督の映画では意外なほどに、鮮やかに浮かび上がって来るのが、カサノバという一人の男の、限りなく善良無垢な、愛に満ちた魂なのだ。

カサノバは山師であり、気障なお洒落屋であるが、一方、男尊女卑が一般であったこの時代に、ひたすら心を傾けて女を愛し、礼讃する、稀に見る本来の女人崇拝者だ。

しかし、それ故にこそ彼は、女たちのひととき憩う夢であり、永久に通り過ぎられる空白の四つ辻でしかない。

詩人として名を残すことを願いつつ、色事師としてのみ名高くなった彼の、その色事の多くは、女から求められたものであり、たまさか彼が求める女は、いつも傍らをすり抜けていった。 老残の果ての夢に、人形と踊る凄絶な彼の姿に、ある種の感慨を抱き、また加虐者としてのひそかな歓びと、同時にこのいじらしくも純粋な魂に対するたまらない愛しさを感じてしまう。 女を求め続けて、自らの虚無にしか到り得ぬ男は、女の側から常に秘められた願望であり、彼自身の哀しみに関わりなく、ここに一つの永遠の理想的な男性像が完成されているのだ。 フェリーニ監督本人にとってこの作品は、思い入れであるより、余りに手慣れた趣味の遊びであるようだが、イタリア古謡の哀切な節に包まれたカサノバの心にしみる優しさは、フェリーニ監督自身の風貌をも偲ばせて、女心を甘やかな懐かしさへと誘うのだ。

カラーパープル(1985):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

この映画「カラーパープル」は、黒人女流作家アリス・ウォーカーのピュリッツァー賞を受賞した原作に忠実に、黒人女性セリーの40年にわたる”苛酷な生”を、美しい映像の中に描き出した、スティーヴン・スピルバーグ監督の名作です。

この映画の公開当時のスピルバーグ監督は、「ジョーズ」や「E・T」等の作品でエンターテインメント系作品のヒットメーカーでしたので、意外な感じで受け止められていました。

確かに彼の作品は、映画の楽しさに満ちていますが、現代文明に対する”鋭い風刺”があることを忘れてはいけないと思います。
それは理不尽な暴力や抑圧への嫌悪、戦いであり、この現実とは違った別の世界への夢想であり、人間の救済です。

この映画は、ある黒人姉妹の強い絆と不滅の愛で彩られた40年の歴史を、一大叙事詩として描きながら、人間が自分自身に目覚める、精神的な成長の道程を深く追求した、いつまでも心の奥に残り続ける作品です。

この映画での主人公セリーをみまうのも、理不尽な暴力です。 “父”の子を二人も産み、暴君としかいいようのない男と結婚させられ、召使のごとき人生を送るセリーに苦難をもたらすのは、白人による差別ではなく、横暴な黒人男性です。 苦しみの中から人間として目覚めていくセリー。 そして、セリーを初めとする黒人女性たちは男たちに反逆し、自立を獲得するのです。 この物語を、”白人で男”のスピルバーグ監督が作ったのです。 そこに浮かび上がるのは、人種とか性の違いを超越しうる人間の苦しみに対する、繊細な感受性であり、怒りであり、人間の善意への信頼なのです。 そして、その精神は、原作と映画の両方に通底しているのです。 もちろん、黒人の苦しみの底にある、白人による差別も告発されています。 特に、猛烈な女性ソフィアの、白人の市長をなぐって10年近い監獄暮らしになるというエピソードは鮮烈で、彼女をメイドにする市長夫人の偽善者ぶりも痛烈に批判されています。

黒い十人の女:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

男(船越英二)は、テレビ局の腕利き社員だ。妻(山本富士子)は、小綺麗なレストランを経営している。

男には愛人が九人もいる。新劇女優(岸恵子)や印刷会社の社長(宮城まり子)やCMモデル(中村玉緒)や演出助手(岸田今日子)など、色とりどりの女たち。

優柔不断だが、こまめで愛想のよい男は、彼女たちの間を漂流している。
だが、互いの存在を知った女たちは、共謀してある計画を立てる。

こんなに私たちを苦しめる男など、この世から消えてもらってしまおう、というのがその結論だ。

まるでセバスチャン・ジャプリゾやパトリシア・ハイスミスのミステリ小説に出てきそうな設定だが、それもそのはず、市川崑監督と脚本の和田夏十の夫婦は、こういうプロットを練り上げ、多彩な技巧を駆使する 映画作りを得意としていたのだ。

その才気は、この「 黒い十人の女」でも著しい。
市川崑監督が得意とする、表現主義の光と影を思わせるハイコントラストの白黒 映画。 あるシーンと次のシーンが溶け合うような転換。 だが、私が特に魅了されたのは、この華麗な技巧の数々よりも、どこか異様で不敵なユーモア感覚を湛えた山本富士子の存在だ。 当時、”美人女優”のレッテルを貼られ続けてきたせいか、この女優のユーモア感覚は、意外に過小評価されていたと思う。 だが、彼女の芝居は観ていて、実に楽しいのだ。楽しいだけでなく、器量を忘れて役に入り込む捨て身の気配も感じられる。 この 映画を”才気の浮き上がり”から救ったのは、山本富士子の不敵な存在が放つ、黒い笑いだと思う。

雨あがる:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

この映画が初めて劇場で公開された時、晩年の黒澤明監督の作品に違和感を持つ者として、黒澤明の残した脚本を、黒澤組の助監督が映像化する話には、最初、あまり興味と魅力を感じなかったものだ。

どうせ直球一辺倒で、正座して観なければならないような映画だろうと思ったからです。
しかし、観終わった時、それは予想に反し、心地よい方へと見事に裏切られましたね。

この映画は、「赤ひげ」など黒澤明が好んだ山本周五郎の原作だ。
江戸時代、剣の達人・三沢伊兵衛(寺尾聰)は不器用なために浪人暮らしを余儀なくされていた。

妻たよ(宮崎美子)と旅をする途中、大雨で足止めされた土地で領主(三船史郎)と出会い、仕官の話が持ち上がるが——-。

この映画を観て、夫婦は互いに信頼し合おうとか、他人を押しのけて出世するのはよそうとか、そんな薄っぺらなヒューマニズムを読み取ることも可能だとは思う。
しかしながら、この映画を深読みして観ると、これは何と言ってもウェルメイドのコメディーなんですね。

伊兵衛に試合を挑んだ威張り屋の領主が、転んで垣根の向こうに消えた直後、水しぶきの音が聞こえるという処理の仕方。 物静かなたよが、いつもの丁寧な口調で客人に暴言を吐く間合い。 真面目な演技をすればするほど、おかしみが生じる。特に、力みかえった三船史郎の演技には、素人の演技ながら何度も吹き出させられた。 無論、黒澤の名で足を運ぶ観客への目配せも怠りない。 冒頭の突き刺さるように降る豪雨。安宿で繰り広げられる歌と踊りのセッション。 そして、侍の首から噴き出す血など、ほとんど「椿三十郎」のパロディーかと思うほどのサービスぶりなのだ。 しかし、飄々とした演出で笑わせる小泉堯史監督のセンスは、明らかに黒澤明のものとは異なっていると思う。 大巨匠の縮小再生産の映画ではないかと思い込んでいた偏見を、大いに反省しましたね。 その上で、小泉堯史監督という新しい才能の登場を、心から喜びたい心境になりましたね。

蘇える金狼(1979):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

古臭い、笑えるとつぶやきつつ、つい引っ張られて観てしまう。
村川透監督の「蘇る金狼」はそんな映画だ。

1979年の公開だから、描かれる風俗が古臭いのは仕方がない。
大藪春彦の原作も、劇画的な展開が顕著な一気読み小説だった。

話は典型的なピカレスクロマンだ。主人公の朝倉(松田優作)は、東和油脂の経理部に勤めている。
七三分けの長髪と黒縁の眼鏡。だが、夜の朝倉は狼だ。
ジムでサンドバッグを叩く彼の上半身には、見事な筋肉が盛り上がっている。

朝倉は銀行から輸送中の現金を奪い、金を麻薬に換え、麻薬を使って女を操り、甘い汁を吸いたい放題の会社中枢部へにじり寄って行く。

つまり、この映画は悪党のオンパレードだ。悪には悪を、毒には毒を。

法も正義も介入しない伏魔殿で、社長(佐藤慶)や部長(成田三樹夫)や次長(小池朝雄)や議員(南原宏治)や強請屋(千葉真一)や私立探偵(岸田森)らが果てしない暗闘を繰り広げる。 まるで怪優たちのオールスター・ゲームではないか。 そして、饗宴の中心で強力な磁力を放つのが、松田優作だ。 団塊の世代に属する日本映画の俳優で、運動神経や身体能力に彼ほど自覚的な人はいなかった。 だからこそ、優作の「狂気芝居」は、きわどく成立する。 東京湾第二海堡で撮影されたアクション・シーンの速さは、優作の動きと、カメラマンの仙元誠三の力量に負うところが大きいと思う。

ゾディアック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

この映画はデビッド・フィンチャー監督作品で、フィンチャーが連続殺人事件を描いたということから、出世作の「セブン」を思い出した。

だが、この映画「ゾディアック」が「セブン」と大きく異なるのは、ここで描かれているのが実際に起こった事件であり、いまだ未解決という点だ。

それと惨殺死体だけを見せた「セブン」に対して、こちらは犯行そのものを映していく。
しかも、このときのカメラが容赦ないんですね。

次々と有力情報がもたらされるものの、どれも実ることはなく、結局は空振りに終わってしまう。
この描き方がドキュメンタリーとまでは言わないにしても、少し引いた目線で描かれる。

ところが、それがある瞬間、一気に身も凍るスリラーへと変わる。
この話法の転換が実に見事でしたね。

犯人の挑発、自己顕示欲。それにマスコミが乗ったことで、モンスターのようにその像を膨らませていった。 そして、そのことがまた真実を知りたいという男たちの執念をさらに増幅させる。 しかし、もがけばもがくほど一様に深みにハマっていく。まさに底なし沼。 フィンチャーは、そんな事件に魅入られた男たちをひとりに絞ることなく複数描くことで、この事件が生み出した不条理そのものをあぶり出しているようにも見える。 論理では決して割り切れない、人間の不可解な心理と行動。 そういう意味でも、実に見応えのある映画だった。

PERFECT DAYS:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-17

キネマ旬報のヴィム・ヴェンダース監督と主演役所広司の対談の中で監督は映画作品を理想の追求モデルとしている。毎朝の目覚め時にザッザッと云う箒で道路を清掃して掃き清めて居る現実の環境音をドキュメンタリー映画見たいに或いは夢心地のように捉える印象的なシーンが作品冒頭に在り

鬼平犯科帳 血闘:P.N.「がんばれ時代劇!!」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-17

ちょっと期待はしてなくて、評価に、期待が高まったが、やはり、期待通り。

松本幸四郎さんに寄り添った役作りが必要でしょう?

まだ、貫禄充分と言うよりも、周りに助けられと言った雰囲気も必要かと、

あと、台詞が、文語調で、少し不自然、口語調風にすればいいところを、敢えて、口上風にして、なんだか、鑑賞者が入り込めない。

まだまだ、スタートラインですから、鬼平も皆様とともに育つ様な展開で、

セットや小道具も新しすぎて、

ハリウッドに習い、時代に考慮した工夫も、

衣食住は、映画の大切なポイント、生活感が、あまり感じられないのも残念。

単なる殺陣映画を作りたいのか?

人間の深いメッセージ性あるドラマを作りたいのか?

仙道敦子さんのたたずまい、柄本明さんは、よかったです。

稲妻(1952):P.N.「Jun 旅人」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-05-16

素晴らしい「傑作」」に「心」豊かに成りました「成瀬ワールドに「浸ってます」「24回」も観てしまいました「成瀬監督も「天国から「苦笑い」していますね!
「風景「人情」」「情緒」三味一体の「成瀬マジック」が「やるせなさ」を醸し出していますね

最終更新日:2024-10-30 16:00:02

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