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- ★★★★★
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- 2024-06-12
"サム・ペキンパー監督の資質に最も忠実な、最も純粋な作品 「ガルシアの首」"
自尊心というものは、人間にとって、実に始末におえない厄介なものであると思う。
一寸の虫にも五分の魂というぐらいだから、どんな人間にも自尊心はあり、自尊心こそは人間の精神の核になるものであると思う。
これなくしては人間は生きられない、と言っても過言ではないだろう。
現在のアメリカという国のことを考えると、私は日本人が敗戦というショック療法によって、ようやく癒し得た難問に、理性ひとつで立ち向かわなければならないという苦しい状態にある国という印象を抱いている。
かつて、アメリカは、世界で最も進んだ民主主義の国であるという自尊心に生きていた。
世界で最初に人民主権の革命を達成した国、ファシズムの猛威を打ち破って、その脅威から世界を救った国、自由と勤勉によって世界最大の富を築いた国。
その誇るべきアメリカ民主主義の土台にあるものこそは、開拓時代の西部に脈々と流れていた、独立自尊の精神であり、誰にも頼ることなく、自らの力で秩序を作り上げて、それを維持する剛直な草の根の民主主義である、と。
そういう精神の最も見事な映画的表現としては、ジョン・フォード監督の一連の名作を思い出すだけでいい。 ところが今、そういうものとしてのアメリカ民主主義の誇りは、大幅な修正を余儀なくされている。 はたしてアメリカは、本当に民主主義国家だったのか。 むしろ差別主義の国だったのではないか。 ファシズムから世界の人々を解放してくれたのはいいが、かわって自らが抑圧者となってしまったのではないのか。 ヴェトナム戦争の敗北とブラック・パワーの抬頭がショック療法となって、アメリカは反省せざるを得なくなり、世界で最も偉大で模範的な国という過大な自尊心を削ぎ落そうと努力するようにもなってきている。 だが、しかし、ヴェトナム戦争やブラック・パワーは、日本が味わった敗戦という経験に比べれば、ショック療法としては、どうしたって、まだ、不十分なものであると思う。 力づくで反省させられたというほどではなく、どうもこれまでのようには調子よくゆかなくなったから、自発的に考え方を変えてゆかざるを得ない、というところであろう。 それだけに、彼らの苦悩と内面的な葛藤は、大きいものがあるのだと思う。
我々が、外側からがっちりお膳立てされて行なった反省を、彼らは、ある程度までは外側から強いられたにしても、より主体的にやらなければならないからである。 そういう苦悶と葛藤を、映画において最も鮮やかにそのイメージに刻み込んでいるものに、サム・ペキンパー監督の一連の作品があると思う。 「ダンディ少佐」「ワイルドバンチ」「砂漠の流れ者」「ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦」など、これらの西部劇や準西部劇は、いずれも古き良きアメリカ精神の権化ともいうべき、剛直な西部男の誇りへの挽歌であり、その人間像が意味を失っていることへの哀切なエレジーなのだと思う。 特に、この「ガルシアの首」は、サム・ペキンパー監督のそれまでの作品の中でも、彼自身の資質に最も忠実な、最も純粋な作品だと言ってもいいのではないかと思う。
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- 2024-06-12
"万華鏡を覗いたように華麗なイメージの散乱が生と死、現実と幻想のめくるめく謎の渦をなしている「陽炎座」"
鈴木清順監督の「陽炎座」の登場人物は、松田優作の主人公以外、ほとんど正体が定かではない。
この主人公の青年文士は、美しい人妻とたびたび偶然に出会って魅かれ、三度目には肌を交えるが、彼女の心をつかめない。
彼女の誘いの手紙で東京から金沢まで出かけても、彼女は姿を見せず、やっと会ってみると、手紙など書かないと言うのだった。彼女は主人公の前で、スケッチブックに〇△▢と書き連ねるかと思えば、爛漫たる桜の大樹のてっぺんに立っていたりするのだった。
その間、彼女の夫が随所に現われ、二人のことをなにもかも知るかのようでありつつ、本当のところはわからない。
そうかと思えば、死んだはずの女が何度も登場して、舟で川を流れたり、芝居小屋の中空を飛んだりする。
アナーキストらしき男や人形裏返し儀式の老人など、他にも多様な人々が出てくるが、行動の意味も言うことの真偽も定かではない。 主人公以外の諸々の人物は、正体どころか、実は生死さえ不明であるということなのだろうか。 そうなると、描かれることのすべてが疑わしく思えてくる。 わけのわからない人物が、荒唐無稽に出没するのにあわせて、建物はもちろん道や野原や川までが、作り物のセットのように見えはじめてくる。 大楠道代の人妻は、手紙など出していないと否定した後、主人公に言う。 「そういえば----夢の中で手紙を書きました。そっくりあのとおりに書きました。----でも夢の中です。きっと私の夢を覗いていた人がいるんでしょう。その人が手紙を出したんですわ、夢のままに」。 言うなれば主人公は、その美しい人妻に魅かれるままに、「夢の中」を「夢のままに」彷徨し続けるのだ。
恋のさすらいの中、やがて心中死ということが見え隠れする。 そして、裏返すと心中直前の男女の性愛の姿が見える人形は打ち壊され、男と女の関係劇を繰り広げた芝居小屋は崩壊し、主人公の眼前で恋しい女は水中に沈み去って、一組の男女の心中死体が池に浮かぶ。 男はあの夫であるが、女のほうはその妻とも、死んだはずの前妻とも、あるいは別の女とも見え、はっきりしない。 ラストにおいて、主人公は自己遊離の状態に陥って、あの人妻と心中直前の自分の姿を、少し離れたところに立って見つめている。 夢幻世界を彷徨することで、主人公は死をはらんだエロスを体験し、その結果、一種の眩暈の状態が起こるのであろうか。 この映画を観ている者についても、まったく同じことが言え、これはいわば万華鏡を覗いたように華麗なイメージの散乱する映画で、そのイメージは生と死、現実と幻想の混淆から成り立ち、めくるめく謎の渦をなしているのだ。 それゆえ、この映画を観ることは、死を覗き見るようにして、生の躍動を感じる眩暈体験にほかならないのだ。
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- 2024-06-12
そして、日本最大の暴力団の首領(ドン)とは一体いかなる存在なのか?
「やくざ戦争 日本の首領」が、実録路線の上に乗った企画でありながら、いささか趣きの異なる作品となったのは、そのテーマがやくざ同士の抗争ではなかったという点だと思います。
"首領(ドン)"の存在とは、やくざ社会の中においていかなるものなのか、それは政治や経済との関わり合いも含める、その"カリスマ性"に焦点が当てられたのだと思います。
戦後の混乱期、そして保守政治勢力の確立期、権力は暴力団をも利用し、その関係はその後も尾を引き、互いに持ちつ持たれつのくされ縁がしばらく続いたと思います。
だが、権力の強化、更に権力による管理化が進むにつれ、暴力団はお荷物になり、むしろ危険な存在となっていったのです。
そして、権力は暴力団を突き離し、その時からやくざは、単なる暴力団となっていったのです。
社会の公共の敵、憎むべき存在。そのキャンペーンの中で、しかし依然として組織は保たれていて、その中核に"首領(ドン)"がいたのです。
西日本最大の"首領(ドン)"=佐倉一誠(名優・佐分利信)の、中島組組長として、全国制覇を胸に秘めた野望と、"政界・財界・右翼界"に、幅広い人脈を誇る政治的コネクション、そして、家庭では2人の娘の幸福を願う父親としての苦悩。 「仁義なき戦い」で一躍、人気作家となった飯干晃一の原作による、山口組内部の確執や実在の人物をモデルとしながらも、脚本の高田宏治は多彩な人間関係が絡む虚構性に富んだドラマを紡ぎ出し、実に見事な脚本になっていると思います。 まさに、彼しかこの役は考えられない程のハマリ役である、重厚で深みのある存在感を体現する佐分利信をメイン・キャストに、かつての任侠映画のスター、鶴田浩二に、菅原文太、千葉真一、松方弘樹らの現役やくざ俳優の熱情が、「日本版ゴッドファーザー」に東映の息吹きを伝えていたと思います。 そして、この映画はシリーズ化され、「日本の首領 野望篇」「日本の首領 完結篇」へと続いていくのです。
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- ★★★★★
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- 2024-06-12
"東映オールスター・キャストで日本最大の暴力団の首領のカリスマ性に焦点を当てて描いた超大作 「やくざ戦争 日本の首領」"
この映画「やくざ戦争 日本の首領」は、1970年代後半における、東映のエポック・メイキングとなった、オールスター・キャストによる超大作です。
この映画は、いわゆる"東映実録路線"に沿った企画でしたが、中島貞夫監督は、「任侠映画でもないし、実録映画でもない、少し骨太の大人の芝居がやりたかった」と、その製作意図として語っているように、音楽に日本を代表する音楽家の黛敏郎を起用した、圧倒的なスケール感や、超豪華キャストを揃えた、上映時間2時間12分にも及ぶ、"映画としての独立"は、興業的にも大ヒットを飛ばすという最高の形で、東映ヤクザ映画のその後の方向性に一つの結論を示唆したものになったと思います。
この映画は、実在する日本最大の暴力団の首領(ドン)、それを題材に採り上げていますが、実録路線の作品の数々は、そのほとんどが、この日本最大の暴力団の動向と何らかの関わりを持っていて、極論を言えば、その動向が実録路線の素材を提供していたとも言えます。
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- ★★★★☆
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- 2024-06-12
この東映映画「現代任侠史」の冒頭で、着流し姿の高倉健が、飛行機のタラップを降りてくる。
この作品は、公開当時、そのシーンのみが話題になったそうだ。
今観ると笑えるのは、高倉健が降りる寸前、スチュワーデスが彼に日本刀を渡すところだ。
現実には、絶対にあり得ないことなのだが、映画なら許されるという不思議なシーンなんですね。
この作品の全体の印象は、何か任侠映画の出がらしという感じがしましたね。
ただ、映画史的には重要な点があると思う。
堅気になった健さんと、彼を取材に来たジャーナリストの梶芽衣子とのロマンスが、「冬の華」などの後年の健さんの主演作とつながっていることだ。
この「現代任侠史」が製作されたのは、1973年。
当時の東映においては、深作欣二監督の「仁義なき戦い」シリーズの大ヒットにより、いわゆる"実録路線"の絶頂期にあたり、実録路線に敢えて参加しなかった健さんにしたら、新境地を目指した彼なりの狙いがあったのだろうと思う。
かつて「網走番外地」などの作品で名コンビを組んだ石井輝男監督が、この作品の演出を手掛けたのも、そのあたりに事情があるのではないだろうか。 また、脚本を従来の任侠映画とは無縁だった、橋本忍に依頼したところにも、その意気込みの一端がみてとれるんですね。 物語は、関西のヤクザ団体から先兵役を引き受けた、組の親分の安藤昇が、関東との約束を取りつけた矢先、銃弾を浴びてしまう。 堅気の健さんは、親譲りの名刀を携えて、お定まりの殴り込みをかけるというものだ。 しかし、一連のパターン化された物語と描写に、任侠映画がはらみ持っていた切迫感と情感は、もはやない。 実録路線に対する一種の"アンチテーゼ"が、任侠映画の悪しき焼き直しに転じてしまっているんですね。 脇役として成田三樹夫、夏八木勲、小池朝雄、内田朝雄、辰巳柳太郎というように、錚々たる顔ぶれが揃っている中で、健さんに代わって二代目総長となる郷鍈治が、印象に残る存在感を見せていましたね。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-12
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中島貞夫監督の「沖縄やくざ戦争」は、本土復帰を目前に繰り広げられる、沖縄の暴力団抗争を描いた実録風活劇だ。
1971年の末、沖縄やくざの大城派と国頭派は、本土復帰による本土系暴力団の侵攻に備えて、手を結ぶ。
だが、国頭派で内紛が起こり、中里(松方弘樹)一味は分裂して、国頭(千葉真一)の部下・石川(地井武男)らと抗争。
国頭は、兄弟分の中里と和解するべく、中里の妻(新藤恵美)にその意志を伝える。
しかし、中里の部下(渡瀬恒彦・尾藤イサオ)が、国頭を射殺。
中里対石川の血みどろの闘いが深まり、石川も殺される。
国頭派の壊滅で、大城派は漁夫の利を占め、本土組織の梅津(梅宮辰夫)との交渉を進める。
中里は、沖縄を本土に売る者たちを抹殺しようとするが、無惨に殺されてしまう。
ラスト、突堤で中里が、雨あられの銃弾で惨殺されるシーンは、悲壮で衝撃的だ。
物語は、本土復帰による沖縄の悲惨さを、単なる活劇を越えて訴える。 しかし、そうしたいわゆる沖縄問題にのみ、この映画は収斂していかない。 むしろ国頭が、琉球拳法の舞いを、パッショネートに踊るシーンなど、画面としては安っぽい。 殺し合い、死に至る男たちは、共感をそそるのではなく、ひたすら闘いの生理を告げる。 松方弘樹の醒めた殺意、渡瀬恒彦や室田日出男などの狂気の熱演が、それを描き出す。 いうなれば、中島貞夫監督は、単なる実録風の活劇を越え、さらに政治的な図式を越えたところに、闘いの生理が衝撃力を持つ活劇を生み出したと思う。
- 評価
- ★★★★★
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- 2024-06-12
小林信彦が本篇が如何に失敗作なのかを著作で解き明かして居て此れもまた興味津津
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- ★★★★★
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- 2024-06-12
🎩NHKラジオ深夜便は美空ひばり特集初期のひばりの天才子役のませた唄声が響き
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- ★★★★★
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- 2024-06-12
今朝のNHKラジオ深夜便はアストラッド・ジルベルト特集,勿論本篇のジョアン・ジルベルトの唄声もスタン・ゲッツの演奏も
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-12
行定勲監督のヒロインのつくり方と云う本に作品演出での映画俳優との関わり方,創作の秘密が籠められて居て興味津津何だゼ
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-12
宇野維正の新書版の本,ハリウッド映画の終焉の中に本篇を廻る興味深い項目が在る。今日に置けるストレートで裕福な白人中年男性映画の成立の困難さと新しい対話,言葉の可能性に就いて考えさせられる
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-12
昨晩と今朝NHKラジオ深夜便で連続でアンコールされたのは本篇原作者の岡野雄一,長崎から来て東京渋谷のNHKスタジオでの収録,岩松了のファンで母親役も気に入り自分も出演したエピソード,母に会いに行く事も又介護だと云うこと,描くこと,認知症の母への愛が滲み出る作画のユーモア,バンドで長崎弁で歌うロックンロール
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-12
昨晩のNHKのラジオ番組で脚本家の岡田惠和と国仲涼子の対談を聴いた。ヒット朝ドラのちゅらさんコンビ,其の中でドラマ共演の田中好子の話も出て来た。また沖縄出身のトークの中で戦争を語り継ぐことの困難さにも触れた。とても言葉では言い尽くせない傷痕が国仲の祖母にも在ったことを
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-11
正直な感想
ストーリーは幼稚でやりたいシナリオの為に都合よく動いている印象が強かった
だがSEEDで育った世代、ロボットファンへのファンサービスは最高評価をあげたいと感じた作品
終盤の盛り上がりの為に全てが設計されている為視聴後の満足感は高かったが前半の「闇へ落ちろ~」とかは都合が良すぎてもやもやしたw
ガンダムに興味が無い、ロボットに興味が無い層は見る価値が無いがガンダム、ロボット好きは見て損は無いかと
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-11
🐎またグスタボ・メルカード著・レンズの言語は黒澤明監督の本篇にも触れ,秩序と云う項目の中で望遠レンズの使用例にも言及し絵画的シーンでの階級身分と秩序にも
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-11
そしてグスタボ・メルカード著レンズの言語には本篇の撮影ジェフ・クローネンフェスの撮影術の効果を心理的にも解明かす。スーパーマーケット,アパート,顧客の家での主人公の感情変化と画面作りの工夫について等其のフィルムメイカーの眼差しが
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- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-11
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
最初のゴジラに対する記念作品としては良作と感じた。
物凄く個人的な感想になりますが、私はゴジラシリーズでは「ゴジラVSデストロイア」が好きなのでこの映画は好みには合いませんでした(笑)
ゴジラのデザインはハリウッド寄りで、人間に対する圧倒的な恐怖としてのゴジラ!
ヒューマンドラマと映像美を主に楽しむ形で怪獣映画としてのエンタメ性は低いのでご注意!(笑)
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-11
とにかく長い!2時間30分は流石にない。ローダーオブザリング見てる感覚で映画館の途中退屈になる。はやく終わらないかな~ってさ。友達はもう一回見たいって言ってたけど多分合わないんだろうな笑笑
良かった点は主人公の幼少期の子役がかわいい。
悪い点は悪役のクリス・ヘムズワースを勿体ぶりながら最終的にドSな結末ちょっと、、、
早く楽にさせてやれよ!って
ホントに長かった
もう見ない。
そんなに長くするなら2部作で作ればいいじゃん。
腹立つわ笑
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-11
みんな、様々なアングルで、人生を見ている。
同じ状況、景色を見ても、改めて感想を聞くと違いがあるだろう?
写真に、これ程人間が引かれるのは、アングルにより違いがあり、レンズを通して体感できるワクワク感、喜びがあるからだろう?
シャッターを切るネガに個性がでる様に、ネガを焼くその作業にも個性がでる。
誰かのネガを他人が焼いたら、違う仕上がりになる。
(高校の部活を思い出しました。自分も写真が好きだったなあなんて記憶がよみがえって来ました。)
なぜなら、喜びとは、光をどう言うアングルで捉えたかだからだ。
作品は、喜びのアングルとは、を教えてくれる。
コミックが原作なので、構成はできているので、何となくそんな風な仕上がりだと感じるだろう?
若手を全面より、様々世代の共演で、より、ストーリーに深味が増します。
監督の前作も鑑賞していました。今回は、映画らしい作品でよかったと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-11
📷ラジオで下北沢の話題が出た時に何故か想出されたホン・サンス監督の映画・自由が丘でだった。主演加瀬亮は東京工芸大の映画イベントの際に登壇,guest出演し