- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-18
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組織の全部が狂ってしまったその内部からの、外部に向かっての社会的な告発が、それに至るまで、どのように深刻な人間的な苦悩を踏むものであるか、そして、内部告発に踏み切らせるものは、その組織の上層部の硬直化した問題処理の態度に起因している事を、セルピコは強く訴えているのです。
しかし、組織の内部での真剣な解決への努力と内省の苦しみを欠いた、安易な内部告発は、むしろ、うとましい一種の卑劣感が伴うものであり、社会に強く訴える力は、到底、持ちうべくもありません。
やむにやまれぬ正義感に立って、しかも、あらゆる内部解決の努力を払った、最後の手段としての苦悩の告発であり、一方においてはそれと並行して、あくまでも、その組織内にあって忠実勇敢に、日常の職務執行に献身するセルピコのような姿にこそ、我々は心を打たれるのだ。
それにしても、いかなる形であれ、内部告発者の末路は暗いものがあります。
その後、セルピコは不具の身を人知れず、スイスで過ごしたと言われています。
この報道は、セルピコの告発に基づいた調査結果であり、それだけに、彼は警察内部では異端者として忌避される存在になっていたのです。 当時のニューヨークのリンゼイ市長は、世論に応えるため、5人の委員からなる調査委員会を設ける事を宣言し、その調査が進んでいましたが、一方、セルピコは、最も危険な麻薬担当への転出を上司に強いられていたのです。 瀕死のベッドから、画面は彼が11年前に希望に燃えて、警察学校を卒業する場面へとフラッシュバックします。 正義感の強い仕事熱心な彼が、同僚たちが不感症になっている収賄、さぼり、暴行などの汚れた環境の中で、外見的な変貌と内面的な苦しみを重ねてゆく推移が、早いテンポで描かれます。 人間的に一般市民との繋がりを深めようとすればするほど、職場である警察の閉鎖社会からは次第に遊離していくのだった。 そして、裸のつき合いを持つヒッピー的な友人の間から現れた優しい恋人も、彼の人間性には魅せられ、愛しながらも、余りの潔癖さとその苦悩を見るに耐えかねて、別れていってしまいます。
しかし、このような映画が製作され、また率直に新聞を通して世論に訴えるところに、アメリカの伝統的な自由が生きており、忖度と腐敗だらけの、どこかの東洋の島国と違って、腐敗を腐敗に終わらせない社会の根強い復元力を感じさせます。 かのワシントン・ポスト紙の記者であったボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインによる、ウォーターゲート事件の新聞キャンペーンもその一つの例とみるべきでしょう。 1971年2月、ブルッキング・サウスの麻薬担当刑事のセルピコは、麻薬犯を逮捕しようとして、犯人に戸口から顔面を直撃されて倒れます。 同行の二人の刑事は、意識的にか支援をためらったのです。 セルピコが撃たれたとの報に、警察の同僚と上層部が、すぐに警官相互の殺しではないかと思ったほど、セルピコは警察内部で恨みを買っており、孤立していたのです。 というのは、その前年の4月25日、ニューヨークタイムズ紙の第一面は「ニューヨーク市警の汚職数百万ドルに及ぶ」との大見出しを掲げ、その後、連日にわたって、関連の暴露記事で強力な論陣を展開しました。
この「セルピコ」が公開された1974年頃のアメリカでは、クリント・イーストウッド主演の「ダーティ・ハリー」あたりから、警官ものの映画が、ブルース・リー(李小龍)の「燃えよドラゴン」のカンフー映画と共に流行となっていましたが、この警官ものは、ジーン・ハックマン主演の「フレンチ・コネクション」のような派手なアクションを売り物にする、ショッキングな実録タッチのサスペンスものと、ジョージ・C・スコット主演の「センチュリアン」のような、社会派警官の苦悩を描くものとの二つの系統に分かれていたように思います。 この「セルピコ」は、当然、後者の社会派警官の苦悩を描く系統に属する作品になっています。 ニューヨーク市警察の汚職を内部告発した、実在の警官をモデルにしているこの映画は、アメリカ社会の腐敗をリアルに描いて、とても迫真性のある映画になっていると思います。
- 評価
- ★☆☆☆☆
- 投稿日
- 2024-06-18
岩井作品もう観ない…
完全に感性変わっている
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-18
前を向いて生きていこうとする子供を周りの大人が台無しにする救いようのない社会。
ウリとシャブをやって上目遣いなのと、一旦持った希望が絶望に変わり屋上から見下ろすのは、どっちが幸せなのか。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-18
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東西冷戦時代に、その両陣営で研究を競う、物質ミクロ化技術の秘密を握るチェコの科学者が、鉄のカーテンから亡命するが、途中で撃たれ、脳に重傷を負ってしまう。
そこで、西側陣営の軍部は治療のために情報部員や医師たちを、原子力潜水艇プロテウスに乗り込ませ、この潜航艇ごとミクロ化し、血管注射で科学者の体内へ送り込む。
この映画「ミクロの決死圏」の監督は、1950年代から1980年代までの長きに渡り、ディズニー製作の傑作SF「海底二万哩」、実験的な映像表現を試みた「絞殺魔」、戦争大作「トラ・トラ・トラ!」のアメリカ側監督、南部の人種差別を描いた問題作「マンディンゴ」など多種多様な作品を発表した、職人監督・リチャード・フライシャー。
この映画のミクロ化した人間が、人体に潜入し治療を行なうというアイディアは、わが日本の手塚治虫の漫画作品「吸血魔団」をベースにしていると思われるが、タイム・リミットを生かしたサスペンスやスパイとの攻防戦など、手に汗握る展開も見事だが、何より素晴らしいのは、L・B・アボットによる特殊効果だ。
「眼下の敵」での海上砲撃戦から、「タワーリング・インフェルノ」の高層ビル火災まで、ミニチュア模型や光学合成を駆使したL・B・アボットの特殊撮影は、現在の水準から見れば、ローテクニックではあるものの、その豊かなイマジネーションは普遍性があり、実に見事な出来栄えだ。 とにかく、一時間たつと縮小効果が薄れ、元のサイズに戻ってしまうという、緊迫したスリリングな状況の中、心臓を通過したりとか、異物排除のために白血球が襲い掛かかり、心拍の衝撃で潜水艇が大揺れしたりする、体内のスペクタクル・シークエンスは、ほとんど前衛的とも思える程の強烈な美術イメージに貫かれていて、見事としか言いようがない。 そして、クルーの一人が敵のスパイで妨害工作をするなどのエピソードも盛り込まれ、観ていて全く飽きさせない。 美術監督のデール・ヘネシーによる白血球や血管、巨大な模型で作られた心臓などのセットも実によく出来ていて、非常に印象的だ。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-18
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自分のヨットの無線受信機で発信人不明のSOSをキャッチしたフリーのカメラマン野口(三浦友和)は、友人の白バイ警官・江上(藤竜也)と、その通信が旧日本海軍の暗号で、十億円相当の金塊を積んでサイパン島沖に沈んだ潜水艦から発信されたことを突き止め、野口のヨットに居候を決め込んだ氏家由紀子(紺野美沙子)と三人で、サイパン島へと旅立っていくのだった。 だが、潜水艦は見つかるが、金塊はなかった。 残された航海日誌から、金塊はすでに日本に運び込まれているとわかり、さらに三人は旧日本軍のトーチカで首を吊って死んでいる由紀子の父を発見する。 彼は終戦直後、日本軍の秘密機関の工作員と日本に金塊を運んだが、独り占めを計った、その工作員に撃たれ、のちサイパンに渡り、復讐の日を考え続けながら生きていたが、絶望してSOSを発信、自殺したのだった。
日本へ帰った三人は、工作員が神谷太郎(芦田伸介)と名前を変え、政財界の黒幕となっていることを突き止め、新たな作戦を開始するのだった----。
由紀子に扮するユニチカ・ガール出身の紺野美沙子は、この作品が映画デビュー作で、清純な雰囲気は好感が持てるが、男二人を惑わすには、いささか幼すぎる感じがする。
そして、ラストは、三人が黒幕から見事、大金をゆすり取るが、由紀子は殺されてしまい、野口と江上は黒幕のセスナ機に、これも自家用機で体当たりして、二人はパラシュートで脱出となるエンディングを迎えるのだ。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-18
この映画「黄金のパートナー」は、南太平洋に眠る十億円の金塊をめぐる青春冒険映画の佳作だ。
西村京太郎の原作「発信人は死者」のキャラクターを、脚本の長野洋が大幅に変更し、またミステリアスな部分をよりシンプルにして、ロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス主演の青春レクイエム映画の傑作「冒険者たち」的な夢とロマンを重点に、ヒロインをはさんでの男同士の友情、二人に対するヒロインの関係などを爽やかに描き分け、西村潔監督の鮮やかな演出を得て、愛すべき佳作になっていると思う。
特に、藤竜也のリノ・ヴァンチュラぶりや、三浦友和のアラン・ドロンぶりは楽しく、二人が軽妙にじゃれ合うところなど、背景がヨット、海辺のスナック、あるいは船室、海上、サイパン島と、非日常的な空間だけに生き生きと呼応し合い、その洒落た感覚は捨て難い。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-18
部屋の壁にピカソの絵のポスターがシンボリックに貼ってある。山田宏一著ゴダール・映画誌を紐解くとゴダール追悼文が冒頭に在って,絵画に置ける革命をピカソが為したのに擬えて本篇は映画の画期だったことが標されて居る。低予算,即興,NG無し,ジャンプカット・つなぎ間違いなど
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-18
この映画は、ジェリー・ルイスの初監督作品。
製作・脚本・テーマ曲の作曲もこなしている。
ホテルのベルボーイを主人公にしたコメディだが、ストーリーもプロットも存在しない。
ナンセンスなギャグの連続で、そのことが、この映画の冒頭で宣言される。
つまり、アバンギャルドなスラップスティック・コメディであり、主人公がラスト近くまで、一言も言葉を発しないのも斬新だった。
かのチャールズ・チャップリンも愛した作品だ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-18
バレエ、オペラなど、芸術作品は、常に、最高を目指し、クリエイトされる。
この作品も、過去の作品と比べれば、より芸術性ある高見へと昇華されている。
主要な三人が、オペラ歌手でなく、見事に演じているのが、ミュージカルが、バレエ、オペラの垣根を超えて、芸術性の高見を目指したと言える作品。
昔、テレビでチラ見した位の認識、しかも、本職の歌手でない彼らの歌声は、映画(又はサウンドラック)でしか聴けないので、鑑賞しないと素晴らしさは分からない。
ハリウッドスターと比べれば華やかさはないかも知れないが、実力者の健在を知れば、本物の最高傑作だろう?
序盤からの演出が、いいですね、闇に浮かぶ、ロウソクの様に、
愛にも、ただ、愛し合うより、相手を愛するからこそ、相手の自由を尊重し、見守る選択をしたファントム、そして、彼女の、音楽の天使として、使えた最期。最高の歌姫を目指せたかも知れないが、最高の愛で彼女を闇から照らす光となったファントムの大いなる愛で締め括られる。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
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なぜ追われているのか、執拗に命を狙われる理由さえも、物語の途中で察しがついてしまうのだが、記憶は無くしても、身体が覚えている語学力や戦闘能力を駆使して、活躍する様が実に痛快だ。
それまで、繊細で知的な役柄が多かったマット・デイモンが、逞しく生まれ変わり、非常に魅力的だ。
無駄のない動きで相手を倒し、切れ味のいいアクションを披露する。
とはいえ、知性派の名に恥じず、ただ銃をぶっ放すだけではなく、様々な小道具を使って、追っ手を振り切るのだ。
無線を奪って、情報を収集し、ビルの内部の地図を見ながら、逃走経路を練り、電話のリダイヤルで敵の正体を探るのだ。
銃を使うのを本能的に避けるこの作戦は、単に頭脳戦というだけではなく、主人公の性格付けにも通じている。
記憶を無くした上、命を狙われる。
その不安は想像して余りあるが、マット・デイモンのどこか頼りなげなルックスが、この役柄にぴったりマッチすると思う。
あの幼い顔で、バッタバッタと敵を投げ倒し、激しいカーチェイスやビルの絶壁からダイブまでも披露してくれるから、サービス満点だ。 パリの街の複雑な路地や石畳で繰り広げられるカーチェイスの主役は、小回りが効く、真っ赤なミニ・クーパー。 実際のスピードを考えると、逃げ切れるかは疑問なのだが、この車は劇中のマスコットのような存在だ。 ヒロインを演じるのは、「ラン・ローラ・ラン」で鮮烈な印象を残したドイツ人の女優フランカ・ポテンテ。 彼女が演じるマリーもまた、欧州を放浪しながら、自分自身を探している人間なのだ。 この女優は、中性的な雰囲気でとても好演なのだが、惜しむらくは、マリー自身の役の設定に、もうひとひねり欲しかったような気がします。 いくらなんでも、素人すぎるので、足手まといの感は否めない。 だから、最後まで行動を共にできず、途中でボーンと離れなければならないのだ。 しかし、逃避行の合間に見せる、二人の短いラブシーンは、とても秀逸で、ボーンが彼女を変装させる為に、バスルームでマリーの髪を切る場面は、非常に印象深いものがある。
そして、主人公は次第に、自分が恐ろしい陰謀に加担していたことを知る事になる。 かつては、非情な任務をこなし、優秀なエージェントだった彼が、追われる事になる原因は、その根本に潜む彼の性格にあるのだ。 自分自身を認識し、その可能性を知るのは、人間の普遍的な願いだ。 主人公ボーンは、記憶を失った事で、半ば強引に、”自分探しの旅”をする羽目になるが、その中で彼が持つ、本来の人間らしさが、ボーンを生まれ変わらせようとするのだ。 かつての自分を知ってなお、変わろうとするひたむきさ。 ここに、この映画が従来のアクション映画と一線を画す魅力があるのだと思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
嵐の海で救助された男の背中には、銃弾の痕が。
その男は、記憶が全くなく、皮膚の下に埋め込まれたマイクロチップに、スイスの銀行口座が記されていた。
そこで彼は、ジェイソン・ボーンという自分の名前を知り、数種のパスポート、多額の現金を発見する。
そして、驚く間もなく、何者かに命を狙われるのだ。
その後、マリーという女性を道連れに、逃避行を続けながら、自分の過去を探る事になるのだが——–。
「バイオハザード」や「ロング・キス・グッドナイト」などは皆、特殊な能力を持った人物が、記憶を無くすという設定の物語だった。
これらの作品が、”主人公は何者か?”を一番の謎とするのに対して、この「ボーン・アイデンティティー」では、主人公のジェイソン・ボーンが、実はCIAのエージェントだという事を我々観る者は、最初から知っている。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
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エイリアンと人類が共存する世界といえば、エイリアンを(ヒスパニック系の)移民になぞらえた「エイリアン・ネイション」を想起するのだが、この作品はもう、あからさまに、かつての南アフリカにおけるアパルトヘイト政策や、黒人たちの強制移住など、現実に起きた事件をなぞっていて、「エビ」と呼ばれて蔑まれている、エイリアンたちの人権なぞどこ吹く風という主人公の言動に、皮肉がパンチが効いていて面白い。
エイリアンの設定も、知能程度の高くない2級市民的な種族としていて、二重の意味で、被差別的な存在に置かれているあたりが、いいアイディアである。
彼らをコントロールする立場にあった、おそらく宇宙船や超絶兵器を使いこなす高等な種族が、事故か疫病でほとんど死滅したからこそ、辺境の星である地球で立ち往生する羽目になっているというわけだ。
謎の液体を浴びた主人公のDNAが変化をはじめ、「エビ」へと変貌してしまうあたりは「フライ」等へのオマージュだろうか。
今度は主人公の人権もなにもあったものじゃなくなり、当局に監禁され、実験台にされてしまう。 なぜ当局はそこまでするのか、といった動機付けの設定が、この作品で最高のアイディア。 エイリアンの持ち込んだ超絶的な武器、兵器類は、「エビ」のDNAで起動するので、人類は使用できないのである。 後半は、その設定を活かした大活劇になるのだが、あまり高尚ぶっておらず、良い意味で、なんでもありのB級展開である。 そういう部分がかえって清々しく、好印象のよくできた娯楽作品である。 SFチックな意味での避けがたいグロテスク描写が、ネックになって手を出さない人もいるかもしれないが、さしてハードなものではないので、よほどこういうのが苦手な人でなければOKなんじゃないだろうか。 グロ描写を理由に、この作品を避けるとしたら、ちょっともったいないと思うので、食わず嫌いをせず、手を出して欲しいと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
この映画「第9地区」は、ピーター・ジャクソン製作、ニール・ブロムカンプ脚本・監督で、公開以来大いに話題を呼び、作品賞枠が10本に拡大された米アカデミー賞にノミネートされて、一躍名を上げた異色SF作品ですね。
南アフリカ、ヨハネスブルグ上空に出現した巨大宇宙船からの「難民」であるエイリアンたちが、被差別民的に暮らすスラム街、第9地区。
このエイリアンたちを、別の専用居住地区へ強制移住させるための現場監督を任せられた職員を主人公にして、フェイク・ドキュメンタリーのタッチで現実社会における人種隔離や差別、文化の衝突を風刺的に描きつつ、B級魂が炸裂するアクション・アドベンチャーになっていると思います。
テーマ、スタイル、エンターテインメントのユニークな融合と、映画好きの心をくすぐるディテールや笑える設定、描写山盛りのサービス精神に思わず顔がほころんでしまう快作だ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
🐌今朝のNHKラジオ深夜便の片岡鶴太郎のトークショー,guestは本篇で怪演の,でんでん。コンスタントに映像分野で活躍中,卓球に凝って居るとかー。中野駅前で軽やかに自転車から降りるダンデイな姿,居酒屋で上機嫌な姿など何度かお見掛けし
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
コロナ禍は五類分類後も未だ日本でも流行って居ると云う。変な風邪をひいて咳き込みながらも本篇の怖いシーンが回想されて
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-17
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町工場のオッサンが娘の命を救う映画と思いきや世界で17万人の命を救う医療器具を開発した感動作。
本年度ベスト!!
娘を救う事が出来なかった父親。
他界した娘との約束を成し遂げる素晴らしい作品だった。
そして実話ベースと言う事にも驚く!
心臓病で余命10年と宣告されたら娘の為、医療知識ゼロのオッサンが人工心臓を開発する感じで始まるストーリー。
大泉洋さん演じる坪井宣政が熱いお父さんだった。
娘の人工心臓を作ろうと奮闘する中、開発を断念せざるを得ない状況に陥る。
福本莉子さん演じる娘の佳美が自分以外の人を沢山救って欲しいと言う願いを成し遂げようとする展開。
そんな中、輸入に頼っているIABP(大動脈内バルーンバンビンク)での医療ミスが多く、松村北斗さん演じる医師の富岡が輸入品のIABPが日本人の体に合ってないとの考えにより、宣政が日本人の体に合った器具の開発に着手する展開。
宣政が娘を思う事に必死で自分の会社を差し置いていた印象。
従業員の事もあまり考えていない感じが気になりました( ´∀`)
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-17
ラストのサヨコの一言がメッチヤ恐ろしかった作品。
本年度ベスト級。
本作は柴咲コウさんの為に作られた作品だった感じ!
彼女の演技に加えフランス語や英語で喋る姿が凄かった!
(吹き替えじゃないよね?)
出だしから主導権を握る精神科医のサヨコ。
惨殺された娘の父親、アルベールの復習劇を手助けする感じ。
サヨコが何故そこまでするのか?
怪しい展開でサヨコが何かを企んでいることが推測されるけど全く予想が出来ない。
精神科医の立場を利用した展開と予想するも、そうでは無い感じだった。
アルベールが終始サヨコに操られている感じに違和感。
かなり回り道をした感じがしたけど、精神科医のサヨコのサイコパス感を表現していた感じ。
多くの拷問グッズが出てきてグロいシーンが来るかと思いきや肩透かしを喰らった感じだけど安心する(笑)
本当の復習劇のナルホド感は、途中から予想出来たので満足度は低め。
西島秀俊さんは何の為に出演していたのか?
良く解りませんでした( ´∀`)
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-17
人生の勝ち組と負け組の違いを見せつけられた作品。
本年度ベスト級。
妻に先立たれ11歳のリャオジエと2人で暮らし自分の床屋の店を開くのを夢見るタイライ。
お金を貯め3年後に床屋を開業する事を目標にする中、物価の高騰で実現が困難となった感じ。
そんな中、人生の勝ち組の地主のシャとリャオジエが出会う展開。
シャのあだ名は「腹黒いキツネ」
腹黒いシャがリャオジエに対して親身になっているシーンが不思議なんだけど、後に解る理由に納得。
シャと対等に会話する11歳のリャオジエの演技が素晴らしかった!
シェが名言と思える様なセリフを度々喋るけど全く自分には刺さらず(笑)
腹黒い人って普段は優しい姿で本当にわからない所で残酷な事をする感じが印象に残る。
予告編で本作はドロドロの人間ドラマと思いきや、優しさに包まれた感じの意外性が良かった。
良い人が沢山登場する中「チクル(密告)」と言う言葉がキーワード。
ラストの展開はナルホドって感じで落とし所としては無難だった感じ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
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この映画「エメラルド・フォレスト」は、「脱出」「未来惑星ザルドス」の鬼才ジョン・ブアマン監督が大規模な自然破壊に警鐘を鳴らす、"脱ダム宣言先取り秘境アクション映画"の傑作だ。
南米アマゾンでダム建設に従事するアメリカ人技師(パワーズ・ブース)の家族が、妻のメグ・フォスターと二人の子供を連れてジャングルを観光中に、7歳の息子(チャーリー・ブアマン)をインディオに誘拐されてしまう。
執念の"捜索者"となった父は、以来10年、1日も休むことなく捜索を続けていたが、そんな父の前に、次代を担うリーダーとしてインディオの戦士に成長した息子が現われ、再会を果たすことになる。
文明社会への帰還を訴える父に、原住民に同化した息子に帰る意志はなく、「僕の家はここだ」と答えるのみだった。
父は断腸の思いでジャングルを後にするが、その父を見送る間に、彼の部族は悪徳白人と結託した戦闘部族に襲撃され、男たちは皆殺し、女たちは売春宿に送られてしまうのだった-------。
その後、部族の危機を救うべく立ち上がった息子が、父のもとに助けを請いに来る。 こうして、武器を手に入れた父子が、協力して悪の巣窟に殴り込む銃撃戦が凄い迫力で展開されるのだ。 二人の間に、"熱い絆"は消えることはなかったのだ-------。 南米で起こった類似の事件をもとに、鬼才ジョン・ブアマン監督が描く、執念の魂のこもったアドベンチャー大作で、ダムが完成するとインディオの生活が破壊されてしまうと悩む父の決断に、ジョン・ブアマン監督の主張が込められた作品だと思う。 主演のパワーズ・ブースは一世一代の名演で、息子役のチャーリー・ブアマンは、監督の実子ですが、その透明感のあるピュアな個性が光っていたと思いますね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-17
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このかつての仲間が黒人で、はみ出し刑事がアイルランド系の白人。
刑事は、自分の手と黒人の手を手錠でつないで走るのだが、次第に二人の信頼感で強まっていく。
もちろん、これは言うまでもなく、スタンリー・クレイマー監督、トニー・カーチス、シドニー・ポワチエ主演の「手錠のままの脱獄」のアイディアをいただいている。
アメリカの混乱を乗り切るには、白人と黒人が手をつなぐしかないという訴えは、あの時代より遥かに実感をもって迫ってくる。
と言ってもシリアスにそれを描くのではなく、時にアクションで振り回し、時に笑い飛ばして見せる若さは、リアリズムを基調にした訴えではなく、”寓話”としての面白さを創り出して見せてくれる。
いくらアメリカでも、仮出所の囚人に警察手帳や拳銃を貸すなんてことは絶対にあり得ないのだが、その気にさせてしまうあたりが、当時、ニューアクションの旗手と言われたウォルター・ヒル監督の腕前なのだろう。
はみ出し刑事のニック・ノルティのウドの大木的なムード、エディ・マーフィの小賢しさ。 ともに演技というより、キャラクターの面白さで大いに楽しませてくれる。 白人と黒人が手を握って、その一方の凶悪犯側はプエルトリコ系やネイティブアメリカン系の青年。 結局、時代からはみ出していくものは、いつの時代も時の弱小民族なのだろうか。 こんなあたりにも、当時のアメリカの姿が見えて、まことに興味深い映画である。