- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
この映画「白い恐怖」は、フロイトの精神分析学をストーリーに大胆に導入し、人間の罪の意識をキーワードに、実験的映像で心の内面を抉った作品だと思います。
人間には多かれ少なかれ、幼児体験によって、自らを無意識に規制することが、ままあるような気がします。
このアルフレッド・ヒッチコック監督、イングリッド・バーグマン、グレゴリー・ペック主演の「白い恐怖」は、原題の「SPELLBOUND(呪文で綴られた)」が示すように、そんな幼児体験によって、無意識に"罪の意識"に縛られた男が、愛する者の協力によって、それを克服していく愛の物語になっていると思います。
とある精神病院に、新院長のエドワード(グレゴリー・ペック)が赴任してきます。
女医のコンスタンス(イングリッド・バーグマン)は、彼に次第に惹かれていくが、実は彼が本物のエドワードではなく、記憶喪失者であることがわかってきます。
やがて、彼に本物のエドワード殺しの容疑がかかるが、無実を信じるコンスタンスは、彼の記憶を甦らせようと、一緒に逃亡しながら、精神分析を駆使して真実を究明していくのだった----------。
1944年のこの作品「白い恐怖」は、アルフレッド・ヒッチコック監督が、以前から興味を抱いていたという、フロイトの精神分析学をストーリーに大胆に導入した、初めての心理学映画になっていると思います。 以後、彼の作品には、「サイコ」「マーニー」など、同系統の作品がしばしば登場することになりますが、特に精神分析学が"謎解きの鍵"となる心理サスペンスという点で、「マーニー」の先駆的作品になっていると思います。 しかし、当時としては斬新に見えたであろう、このストーリー展開も今の時点で見ると、正直、少し陳腐なものに見えてしまいます。 「濡れ衣を着せられた者の逃避行」だとか、「追われながら追う」と言ったヒッチコック作品の典型的なスタイルをとってはいるものの、フロイトの精神分析や夢判断を露骨に導入し過ぎているため、謎解きが定石通りであまりにも呆気ないのです。 このことは、後の「マーニー」にも言えることで、つまり、論理では説明不可能な人間の心理を多く見ている、我々現代人にとって、この作品のストーリー展開は、あまりにも物足りないのです。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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少年の母親の必死の頼みに、グロリアは最初こう言って断る。
「子どもは嫌いなのよ。特にあんたの子はね。」実に、ハッキリした物言いの女だ。
孤独を引き受けてタフに生きる女は、優しさの安売りなど決してしない。
だが逆に、孤独を知っているからこそ、本当の優しさを心に隠し持っているんですね。
少年の生死を分ける切羽詰まった状況で、グロリアは少年を見捨てられず、彼をかくまってやることになる。
追って来る組織のチンピラどもに立ち向かうグロリアの凄み、これが非常にシビレるほどカッコいい。
「撃ってごらんよ、このパンク!」、ピストルを構えるその足元はハイヒール。スーツはエマニュエル・ウンガロ。
疲れた顔の中年女が、かつてこれほどクールだった事はなかったと思います。
全く、ジーナ・ローランズには痺れてしまいます----------。
安ホテルを泊まり歩く逃避行の中、グロリアと少年の信頼の度は、しだいに深まっていくのだが、グロリアの態度がこれまたクールなのだ。
少年に対して、可哀想な子供扱いは一切なし。
夜、寝る前に、自分のスーツをバスルームに下げてシワを取るようにと少年に言いつけたりする。 一方、少年の方は母親に言いつけられて、それをやるという感じではなく、何か同志のサポートをしているふうに見えてしまう。 一度、グロリアが少年に朝食を作ってやろうとする場面は、私がこの映画の中で最も好きなシーンだ。 フライパンで卵を焼いてはみたが、コゲついてしまい、グチャグチャになってしまう。 すると、いきなりフライパンごとゴミ箱に投げ捨てるグロリア。 結局、朝食はミルクのみ----------。 コワモテの女の優しさが乱暴な形で出るところが、いかにもグロリアらしくて、実にグッとくるのだ。 この映画は、ハードボイルドの衣をまとった「家族の物語」だと言えると思います。 グロリアと少年フィルの関係を通じて、カサヴェテス監督が描こうとしたのは、人種や血縁の壁を超えた、新しい人間関係の可能性と、その温もりだと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
女ハードボイルドの決定版「グロリア」は、タフで泣かせるラブストーリーの傑作ですね。
監督は、"アメリカン・インディーズの父"と呼ばれ、性格俳優としても知られる映画作家のジョン・カサヴェテス。
ハリウッドのシステムを嫌い、独自のゲリラ的な手法での映画作りの姿勢を貫いてきたカサヴェテス監督は、従来の映画には見られなかった、即興的なカメラワークと演技指導で映画に革命を起こした人ですね。
元ヤクザの情婦グロリア(ジーナ・ローランズ)とスペイン人の少年フィル(ジョン・アダムス)の関係は、母子愛的なものだが、二人が心を通わせていく様子は、大人の恋愛以上に絆の強さを感じさせてくれます。
グロリアは元々、子供とは縁のない世界で生きてきた女だ。
それが、同じアパートに住むギャング組織の会計士一家が惨殺された現場に居合わせたお陰で、その家族の少年を預かる羽目になる。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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ニューメキシコのさびれた田舎町。真っ昼間だというのに町はがらんと静まりかえっている。
だが、何かが起こりそうな気配だ。
チャーリー・バーリック(ウォルター・マッソー)とその女房を乗せた車が、オンボロ銀行の前に静かに横づけになる。
パトカーが駐車禁止ですよと近寄って来るが、すぐに済みますとばかりにかわして、バーリックは銀行の中へ。
すると、中にはすでに仲間がいた。ホールドアップ! あっという間の銀行強盗。
いつもはなで肩でしまりのない、ぐうたら男のウォルター・マッソー、人が変わったように機敏に動き回る。
襲撃成功と見えた瞬間、パトカーがもう一度戻って来る。外の車にいた女房に「ちょっと免許証を」。
持っているわけがない。途端に女が拳銃をぶっぱなした。
吹っ飛ばされる警官。撃ち返される強盗たち。
けだるく静かだった町が、一転して血だらけになる。
弾を食らって横転するパトカー。わめき続けるサイレン。 ボンネットをあけたままガムシャラに突っ走る逃走車。 追っかける警官。「あいつら生きたままこの州からは出さねえ!」。 アスファルトなどなく、石ころだらけの田舎道を、銃弾を浴びてガタガタになった車が、猛烈なスピードで突っ走る。 この間、時間にして10分ほどだが、当時60歳のドン・シーゲル監督、乗りに乗っていて、やっぱり、ドン・シーゲル監督の映画にはいつもしびれる。 「ワイルドバンチ」の冒頭の銀行襲撃から逃走までの迫力に勝るとも劣らない。 音楽は「ブリット」「ダーティ・ハリー」「燃えよドラゴン」のラロ・シフリン。 熱っぽいガソリン臭い音楽にのって、ドン・シーゲル監督、最後まで快調に飛ばし続ける。 結局、女房は警官に撃たれて死に、残ったのはバーリックと、若い相棒のハーマン。 このハーマンを演じるのが、「ダーティ・ハリー」で狂気の犯人を演じて、我々映画ファンの度肝を抜いたアンディ・ロビンソン。
女は死んだが金は奪った。まずは成功だ。だが、奪った金が予想外にデカすぎた。 バーリックは、もうかなりのポンコツだから、もっぱらオンボロ銀行から小銭を奪うのが専門だ。 これならケチな仕事だから安全だ。それが今度の中身は、田舎の銀行なのに100万ドル近い大金。 それもその筈、この金はマフィアの隠し金だったのだ。 警官は州を越えたら追って来ない。 だが、マフィアはそうはいかない。まずいことになった。 追っかけるマフィア側、ボスはドン・シーゲル一家の代貸みたいな存在のジョン・ヴァーノン。 そして、手下の殺し屋が「ウォーキング・トール」で、その存在感を示したジョー・ドン・ベイカー。 このジョー・ドン・ベイカーが、とにかく怖い。 プロレスラーみたいにたくましく、背広姿にカウボーイ・ハットという、まるで田舎者のスタイル。 ニヤニヤ笑いながら獲物を追いつめる。 若い相棒のハーマンは、この男に捕まってなぶり殺されてしまう。 ポンコツのウォルター・マッソーは、果たしてこの凶暴な殺し屋から逃げおおせるのか? -----------。
サム・ペキンパー監督の「ゲッタウェイ」は、女連れだったが、こちらは男一人。 ここで、面白いのは、「ゲッタウェイ」でのスティーヴ・マックィーンは、めったやたらとショット・ガンを撃ちまくったのに対し、この映画でのウォルター・マッソーは、ただの1発も拳銃を撃たないことだ。 拳銃は早々と逃走の途中で川の中に棄ててきている。代わりに使うのがオンボロ飛行機と、もうひとつ、"頭"だ。 ウォルター・マッソーは、ただガムシャラに突っ走るだけでなく、老獪に敵に対していく。 このあたり、ドン・シーゲル監督はかなりサム・ペキンパーを意識している感じだ。 殺し屋の追跡をかわしながら、逆に敵の情婦を寝取って円型ベッドで楽しむところなど、余裕しゃくしゃくで笑わせてくれる。 そして、ラストはポンコツ飛行機と車の壮絶な追跡戦だ。 拳銃を1発も使わなくてもアクション映画をスリリングに見せるのだから、ドン・シーゲル監督には完全に脱帽だ。
この映画でもう一ついいのは、舞台がニューヨークやロサンゼルスではなく、ニューメキシコの田舎だということだ。 そして、主人公のチャーリー・バリックは、泥だらけの田舎者のヒーローだということだ。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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イスラエル出身で1980年代のアメリカ映画界を席巻した、ヨーラン・グローバスとメナハム・ゴーランが設立した量産プロダクション、"キャノンフィルム"の総帥のメナハム・ゴーラン自らが監督した、B級アクション映画の傑作だと思います。
主人公のチャック・ノリスを群衆ドラマの一コマとして捉え、チャック・ノリスお得意の"スーパーアクション"を見せながらも、決してアーノルド・シュワルツェネッガーの「コマンドー」のような独り立ちのヒーローにしなかった点も成功の一因だと思います。
シュワちゃんほどの強烈な個性のない、チャック・ノリスを、怒涛のように展開していくドラマの中に組み込むことで、彼自身も逆に生きて来たと思いますね。
救出までのアクションに比べて、ゲリラ側の首領(ロバート・フォスター)を追いつめる第二弾のクライマックスは、チャック・ノリスが主演なので、当然、劇画調になって来て、ロバート・フォスターもボコボコにやられてしまいます。
そんな中、自分はアイリッシュなのに「キリストを信じているのだから」と、敢えてユダヤの人々の間に入るジョージ・ケネディの牧師。 無事、救出されて喜びあう人々を背に、死んだ友を無言で運ぶ隊員たち。 グッと胸が熱くなるいいシーンだ。 それにしても、この映画は、イスラエル出身の製作者、監督でもあるため、アメリカ賛歌の大合唱、アラブ憎しのその怒りの凄さには驚かされます。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
アテネ発、アメリカ行きのジェット機がハイジャックされた。犯人は、独自の行動をとる、超過激派のアラブ・ゲリラ。
乗客は、様々な人生を背負った人たちだ。
シェリー・ウィンタース、ジョージ・ケネディ、マーティン・バルサム、スーザン・ストラスバーグなどなど。
イスラエル系の男性だけが選び出されて、ゲリラ隊と入れ替えられる。
マーティン・バルサム、ジョーイ・ビショップたち数人。
報復のため、殺害を計画しているのか?
大統領命令で人質救出に突入する、"デルタ・フォース"と命名された特殊コマンド部隊。
リー・マービンの隊長、前線の指揮をチャック・ノリス。
リー・マービンという大物俳優、及び脇役として、個性的な演技派俳優が出演していることで、この作品の風格が一段と上がったような気がします。
「エアポート」シリーズのサスペンスと、「ランボー」シリーズのアクションを一つに合わせたようなうまい作り方だと思いますね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画「ワイルド・ギース」は、アフリカ大陸の動乱を背景に、白人傭兵が大活躍する戦争冒険アクション映画の痛快作ですね。
そして、この映画の最大の見どころは、何と言っても、リチャード・バートン、ロジャー・ムーア、リチャード・ハリス、ハーディ・クリューガーという映画好きにはたまらない、超豪華な重量級四大スターの競演だ。
黒人大統領が軍部のクーデターで逮捕され、利権の確保が目的のイギリスの大銀行家スチュワート・グレンジャーに雇われた戦争屋の元アメリカ将校リチャード・バートンが、ロジャー・ムーア、リチャード・ハリス、ハーディ・クリューガーをスタッフに50名の白人傭兵を集め、訓練するまでを、たっぷりと時間をかけ、それぞれの環境と人間描出を行なうところが、まずこの映画の前半で大いに楽しめる。
ムーアは、麻薬に絡んでギャングに狙われている名パイロット、ハリスは子供を寄宿学校に入れて、侘しく暮らしている作戦の名人、クリューガーは元南アフリカの警官で弓術の名人という設定で、アンドリュー・V・マクラグレン監督は、この映画であくまでも"アクションと冒険の面白さ"を打ち出そうとしているので、流血の氾濫や残虐シーンに節度のある描き方をしていると思う。 そして、後半は、幽閉されているアフリカ某国の黒人大統領リンバニを救出するため、バートン指揮の傭兵たちが落下傘で降下し、戦闘を繰り広げながら血路を開いて行くという、かなり強引で無茶とも思える冒険アクションシーンが描かれていく。 黒人大統領を救出し、作戦は成功するかに見えたが、雇い人の銀行家がクライマックスで、政治状況の変化により傭兵たちを裏切ってしまう。 そのため、救出した大統領を抱えた傭兵たちが、独裁軍事指導者の将軍の指揮下にある黒人兵たちと闘うことになってしまう。
敵味方の動きや戦闘シーンの時間経過、戦闘場面の地形などが、適確に描かれているのは、さすがに長年に渡って、西部劇映画を撮り続けて来たマクラグレン監督、さすがだ。 また、スケールの大きいアクションシーンも数多くの見せ場の連続で、アクション映画の模範になるような出来栄えだ。 四大俳優の中では、ハーディ・クリューガーが、役としておいしいもうけ役で、強い印象を残していたと思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画「ジャスティス」は、「夜の大捜査線」の名匠ノーマン・ジュイソン監督が、裁判の世界に材をとった熱血あふれる作品ですね。
主演は、アル・パチーノ。「セルピコ」でも一途に正義の道を通し続ける警察官の姿を、実に鮮やかに演じていましたが、この映画では正義の弁護士を演じています。
それも、その正義感を体で表現してしまう青年なのです。
そして、硬骨ゆえに判事ともぶつかり、時に留置所へまで入れられることもあるのです。
実は、この映画がすこぶる面白いのは、このアル・パチーノの弁護士の姿を通して、平素、我々の見ることの出来ない"司法の世界の裏側"を見せてくれることです。
自分の弁護技術で釈放してやった男が、すぐまた二人の子供を殺したと聞き、やりきれない絶望感におそわれる弁護士もいる。
常に自殺を考えている判事もいる。情けを一切拒否し、厳しい態度で臨む判事もいる。
その実、この判事は裏でサド・マゾにこり、判事という職を一つの権力だと考えている。
この判事が、強姦罪で起訴されて、いつも厳しく突き放している主人公の弁護士に、臆面もなく弁護を頼んでくる。 しかも、他の事件での扱いを有利にするというエサと脅しを付けて強制的に------------。 この司法の世界には、"絶対の正義"があるはずなのに、どろどろの"権力闘争"と、"狂気の人間集団"があるのです。 これで本当に人を裁けるのか? しょせんは、司法の世界の者だって人間じゃないか。 人間が人間を裁くということは、どういうことなのか、一歩間違ったら大変なことになる。 うっかりすると、悲壮感あふれて、じめじめしてしまう題材ですが、ノーマン・ジュイソン監督は、さすが思い入れの情感が入り込まないダイナミックな演出で押し切ってしまうんですね。 狂気が支配している司法の世界を、冷徹な眼で見つめるノーマン・ジュイソン監督は、観る者に驚きを与えても不安を与えない。 こんな狂気の世界でも、正義への希望があることを、ラストの主人公の若い弁護士の表情で、見事に語るんですね。
「夜の大捜査線」で黒人問題に取り組み、「屋根の上のバイオリン弾き」ではユダヤ人問題を、「フィスト」では組合問題を、そしてこの「ジャスティス」で司法の世界を描いたノーマン・ジュイソン監督は、その後「アグネス」では、遂に神の問題にまで取り組んでいるのです。 「夜の大捜査線」以来、ノーマン・ジュイソン監督の正義論は、常に温かい人間肯定で裏打ちされていて、だからこそ私の心を打つのです。 それだけに、この「ジャスティス」でのノーマン・ジュイソン監督の心の叫びは本物だと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
怒りのデスロードは、イモ―タンやオ―ボ―イズに感情移入させてヤホ―となりましたが、今回はクリス.ソ―.ディメンタス将軍にその役は任せ~イモ―タンは変態の独裁者、オ―ボ―イズの死は無駄死と描かれてます~そしてラストのクリス.ソ-.ディメンタス将軍とアニャ.フィリオサの会話、復讐の遂げ方、あるあるに~こんなリベンジものがあるのかと~ジョ―ジ.ミラ―監督の描く神話、寓話的な見事な締めに感動~それから~最後、怒りのデスロードが流れるとは~爺、参りました~直ぐに怒りのデスロード観なければなりません!
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
🎤チャットGPT音声の声の無許可利用問題でスカーレット・ヨハンソンの声がニュースの話題に為り,本篇のようなハスキーボイスな彼女の声が想出されて来たんだなあ
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-08
狭い岸壁にひしめく人たち。
意外な方向に向かっての最後。
面白かった。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-07
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このシリーズは、そもそもはユニバーサル・ホラー「ミイラ再生」のリメイク製作を発端にしています。だが、これまでも、そんな源流はどこへやら、自由に脚色・展開されてきました。
もちろん、インディアナ・ジョーンズに代表されるような、クラシカルな冒険活劇を手本にしているには違いないのですが、なにしろ1999年、つまり、スターウォーズで言えば、新三部作のスタートした夏に、第1作が公開されたという事実が象徴的なように、CGを全面導入したダイナミックなVFXを売り物にしたファンタジー要素が大胆に融合されているところが、他の映画とは異なる個性になっていますね。
いろいろ変化はあったとはいえ、この作品も基本的な路線は同じ。
ドラゴン好きのロブ・コーエン監督が、手綱を握ったこともあってか、悪役ジェット・リーは、当然のごとく凶悪(だがどこか愛嬌のある)ドラゴンに変身し、砂塵の中をミイラの大軍勢が激突する。
ジェット・リーにミシェル・ヨーという、素晴らしいアクションスターを迎えておきながら、VFXで埋め尽くされた画面の中で、我々映画ファンが、この2人に期待するような活躍と見せ場はそれほど多くない。
また、前作で誕生した息子が成長した設定で登場するのですが、主人公ブレンダン・フレイザーの大冒険というより、妻や息子も一蓮托生、「オコーナー家族の珍道中」とでもいうべきファミリー映画路線に舵を切った節がありますね。 それは興行的には意味があるのかもしれませんが、主要なキャラクターが増員した分だけ、描写が薄くなり、とっちらかっただけという印象を受けましたね。 前作までの、「サービス満点」といえば聞こえはいいが、切るところを忘れたかのように何でもかんでもてんこ盛りでお腹一杯という、スティーヴン・ソマーズ路線からは離れ、真っ当な娯楽活劇に仕上がっているとは思います。 しかし、前作までにあった、ある意味でヘンテコリンで荒削りなパワーというか、勢いのようなものは影をひそめています。 そうなると、これはこれで、とりたてて見所のない平凡な娯楽大作以上の何ものでもないわけで、微妙な感じがしますね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-07
この作品では、舞台をシリーズ当初のエジプトから中国に移していますね。
こうなると、もはやなんでもアリ。ついに、このシリーズの邦題の「ハムナプトラ」って、何の意味もなくなったんですね。
シリーズのヒロインを演じていたレイチェル・ワイズが、残念ながら降板し、マリア・ベロが後を引き継いだが、主人公を演じるブレンダン・フレイザーはもちろん、へっぽこジョン・ハナーも復帰。加えて、これが大事なところなのですが、なんとジェット・リーが悪役で、ミシェル・ヨーも出演。監督も正続を手がけたスティーヴン・ソマーズから、たまには失敗作もあるとはいえ、娯楽映画を撮らせて信頼の厚いロブ・コーエンに交代。
この出演者、この監督ならと、とりたててシリーズへの興味は特にないのですが、一見の価値はあるかなと思って鑑賞しました。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-07
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修治(高倉健)は、少年期・青年期と大阪・ミナミで育ち、骨の髄まで極道がしみこんでいるヤクザだ。
"夜叉の修治"と呼ばれる所以は、その背中の刺青のため。
だが唯一の肉親である妹をシャブで亡くしてから、ヤクザ稼業に嫌気がさし、冬子(いしだあゆみ)との結婚を機に足を洗って漁師になった。
平穏に過ぎてきた15年。だが、ミナミからやってきた蛍子(田中裕子)とヤクザの矢島(ビートたけし)によって、その生活に波風が立ち始めるのだった------------。
「冬の華」以来、「駅 STATION」「居酒屋兆治」と続いてきた降旗康男監督、高倉健のコンビの人情ドラマの終着点とも言えるこの「夜叉」の魅力は、なんといっても撮影の素晴らしさにあると思う。
ささくれだった波頭が押し寄せる、厳寒の漁港・敦賀-----そのファースト・シーンがまず圧巻だし、グレーな色調で統一した漁村は、大阪・ミナミの原色に満ちたネオン・サインとは好対照で、そのうらぶれた感じには郷愁を誘われるものがある。
「海峡」で荒れ狂う海を迫力いっぱいに捉えた木村大作カメラマンは、この作品ではより深みの増した映像を作っていて、凪や波濤など、緩急に富んだ"海の表情"を巧みに表現していて、見事のひと言に尽きる。 そして、それはとりもなおさず高倉健扮する修治の心情にダブってくるのだ。 シャブでひと儲けを企む矢島、それを止めさせようとするミナミ出身の蛍子。 二人の喧嘩が暴力沙汰になり、止めに入った修治は刺青を仲間に知られてしまう。 これ以来、修治の心は千々に乱れ、そして、ついつい蛍子を抱いてしまうのだが、それは蛍子に惚れたというよりも彼女が極道の日々を過ごした街・ミナミの女であり、修治は蛍子を抱くことによってミナミを、ひいては自分の青春を取り戻そうとしているかのように見えてくるのだ。 だからこそ修治は大阪にいくのだと思う。 名目は矢島を救い出すためだが、本当はミナミへの郷愁、つまり、断ち切り難いヤクザ稼業への愛着心が、彼をミナミに向けさせるのだ。
こんなところは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の名作「望郷」にどことなく似ているような気がする。 それは多分、降旗康男監督が東大の仏文科出身であり、そのため日本の田舎の村が舞台の地味な風情にもかかわらず、映像がフランス映画的感覚であり、非常にお洒落で洗練されているのだと思う。 お洒落といえば、健さんが背広姿でカッコいいのはいつものことだが、この作品での漁師姿の決まっていること。 回想シーンでの日本刀を振り回すヤクザよりも、漁師姿の方が似合っているというのはなんとも皮肉だが、それだけ健さんにも貫禄が出て来たという事なのかも知れません。 そして、映画のラストは、家出した隣の息子の手紙で終わります。 「青春は素晴らしいと思いました」という独白に、まぶしそうに空を見上げる修治。 自己の映画人生の青春期を、東映ヤクザ映画の全盛期に過ごした高倉健のそれとが二重三重にダブって、胸に迫ってきます。
"寡黙な耐える男"を演じてきた俳優・高倉健にとって、この作品はモニュメンタルな、いわば終着駅のような意味すら感じさせるのです。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-07
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サンフランシスコの街を走るバスの乗客8人が、マシン・ガンで皆殺しにされるという事件が起こります。
その乗客の中に若手刑事のエバンスがいた事から相棒のマーティン刑事は、この事件の捜査に執念を燃やし、新しい相棒のラーセン刑事と共に、サンフランシスコの暗黒街を調べ始めます。
ギャンブラーの巣窟、ポルノ劇場、ゲイ・バー、安宿、料理店などの光景が次々と画面に浮かび上がって来て、捜査映画特有のドキュメンタリー・タッチの迫力ある臨場感が感じられます。
地味でヤボったくておよそ風采のあがらない四十男だが、鋭い勘の持ち主であるマーティン刑事。
ベテランでタフだが、ぶっきら棒でいたずらっぽく、少々単純なところもあるラーセン刑事。
この2人のコントラストにも、ある意味、"バディ・ムービー"らしい面白味があります。
殺されたエバンス刑事がなぜこのバスに乗り合わせていたのか? その事に疑問を抱いたマーティン刑事は、調査の結果、エバンズが数年前の未解決事件の捜査を密かに続けていた事を知り、その事件とバス乗客虐殺事件との間に、何らかの関連性があるのではないかと、考えるようになります。
この2つの事件を繫ぐ線。その線を辿って行くと、あっと驚く、意外な事実が明るみに出て来ます。 果たして真犯人は何者なのか?--------。 原作の小説が、刑事の群像に重点を置いて、描き分けていたのに対し、映画はもっぱら2人の刑事の行動に焦点を絞り、拳銃の撃ち合いや追いつ追われつのカー・アクションなど、原作には書かれていない、より映像的な設定を織り込んだ捜査劇にしています。 だから、原作の持つ味わいを期待すると当てがはずれますが、これはこれで、見応えのある刑事映画になっていると思います。 それにしても、主演のウォルター・マッソーという俳優は、お世辞にもハンサムとは言えない風貌ですが、そのマーティン刑事という、中年男の仕事と家庭の問題で悩むという人間味も垣間見せながら、捜査に執念を燃やす中年男を軽妙な中にも、激しい憤りの感情を内に秘めて演じる彼の演技は、本当に素晴らしく、まさに名優中の名優だと思います。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-07
MWA賞の最優秀長編賞受賞の世界的なベストセラー小説「笑う警官」の舞台をサンフランシスコに移して映画化した作品が、 「マシンガン・パニック」ですね。
この映画「マシンガン・パニック」は、ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァルのおしどりコンビによる、アメリカの推理小説の最高賞と言われる、MWA賞の最優秀長編賞を受賞した、我々ミステリー・ファンにはお馴染みの"マルティン・ベック"シリーズの「笑う警官」という世界的なベストセラー小説の映画化作品。
この映画が日本で公開された1970年代半ばは、パニック映画の全盛期で、この映画もそうした時代の風潮の中で、原作の内容とはほとんど関係のないような、「マシンガン・パニック」というとんでもない題名が、配給会社によって付けられたという背景があります。
原作は、冬のスウェーデンのストックホルムで起こった謎のバス乗客虐殺事件を、マルティン・ベックを初め、数人の刑事がコツコツと地道に調べ歩き、意外な人物を真犯人として逮捕するという捜査的な興味を加味した推理小説ですが、トーマス・リックマンがシナリオ化して、「暴力脱獄」「ブルベイカー」のスチュアート・ローゼンバーグが監督したこの映画は、中年の2人組刑事の足による追求に重点をおいて、いかにもアメリカ映画らしい捜査ドラマに作り変えられています。 そこが、この映画の面白さであると同時に、弱点にもなっているような気がします。 原作の舞台であるストックホルムをサンフランシスコに置き換え、主人公のマルティン・ベックは、ジャック・マーティンという名前に変えられ、「おかしな二人」などの喜劇で名をあげた、ウォルター・マッソーが扮して、いつもの彼とはうってかわった、渋い演技を見せています。 そして、彼とコンビを組むレオ・ラーセン刑事に扮しているのは、「ヒッチコックのファミリー・プロット」のブルース・ダーンで、ユーモラスな味を出してなかなか良い演技を見せています。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-07
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この映画「勝利への脱出」は、ジョン・ヒューストン監督による"脱走アクション映画"の傑作ですね。
舞台は第二次世界大戦下の連合軍捕虜収容所。と言えば、かつてのダイナミックな脱走ドラマの大傑作「大脱走」を思い出してしまうが、この映画はちょっと違うのだ。
何とサッカーの試合の最中に、脱走しようというアイディアなのである。
1943年、ナチス占領下のパリ。連合軍捕虜収容所で、サッカーの元全英選抜選手とドイツの選手が出会った事から、ドイツ軍VS捕虜選抜チームのサッカー・ゲームが企画される。
そして、レジスタンスはこれを利用して捕虜たちの集団脱走を企てるが-----------。
この映画の中心人物は三人。マイケル・ケインのイギリス将校。冷たいばかりの完璧な計算で脱走計画を推し進め、時には仲間の腕を叩き折る事さえやってのける。
スウェーデン出身の名優・マックス・フォン・シドーが扮しているのはドイツ将校。
スポーツマンとしての純粋な気持ちと共に、ドイツ捕虜収容所政策を、対外的に明るくイメージ・アップしようと考えて、サッカー試合を実現させる。
そして、もう一人は、陽気でおっちょこちょいのアメリカ将校のシルヴェスター・スタローン。 この計画に参加したいのだが、なかなか仲間に加えてもらえない。このスタローンが実にいい。 アメリカ青年らしい爽やかさと一途な正義感を素朴に演じていて好感が持てる。 「ロッキー」のイメージそのままに、典型的な"愛すべき"アメリカの青年像を体現している。 スタローンのおかげでラストのサッカー試合がぐんと盛り上がる。 試合途中の脱走計画をやめて、最後の試合を勝ち抜こうとするわけだが、ラストの描写が何とも甘いという欠点も、途中の中だるみも、このサッカー場面の迫力が、充分にカバーしていると思う。 ブラジルのサッカーの神様ペレを初め、本物のサッカーのスター選手が捕虜の兵士として試合に加わっているのも見ものだ。
かつての「大脱走」のクライマックスが、個々の力による脱走であったのに対して、この映画では"集団プレー"。 今、この時を共に戦い抜こうという、アメリカ人向けのメッセージが聞こえてきそうだ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-07
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この松竹映画「皇帝のいない八月」は、現実味のあるポリティカル・サスペンスだけに、危険な要素があると思います。
まず、この映画は、左派の映画人として知られる山本薩夫監督が、どのような意図をもってこの映画を演出したかに興味があります。
「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環蝕」「不毛地帯」と続く作品に、山本監督の一貫した政治的立場をうかがい知ることが出来ますが、この映画についての山本監督の演出の言葉は、極めて明瞭です。
「映画は確実に、"現在"を反映する。私にとって"現在"とは、見えざる権力の影の部分で仕組まれつつある右傾化への危機感である。その右傾化の極北にあるのが、クーデターである。戦後、幾度か計画され未遂に終わったクーデターは、三島事件のように個人の生きざまとして処理され、その背後の黒い影の部分は抹殺されてしまう。『皇帝のいない八月』が素材としている自衛隊クーデターは、もちろんフィクションであるが、日本という精神風土の中で、果たしてクーデターは起こり得ないだろうか。
夜の闇をついて走るブルートレインに託して、私はこの映画で日本の"現在"と、否応なく巻き込まれて圧殺されていく人々の愛を、スリリングに描いてみたい」と語っているように、山本監督は、当時の日本にクーデターの危機を感じていたのかも知れません。 "見えざる権力の影"が、日本を右傾化し、それがクーデターに至るのだとみているようです。 つまり、"影の権力構造"が、彼の一連の作品に見られる批判の対象なのだと思う。 そのような彼の政治思想が、彼の作品に共通する"図式化"を生んでいる一因でもあるのです。 この映画でも、佐林首相(滝沢修)や保守党の黒幕・大畑(佐分利信)の扱いは、安易なパターン化を抜け出していないし、利倉内閣調査室長(高橋悦司)や江見陸上自衛隊警視部長(三國連太郎)の行動も、現実性を欠いているように思えます。 それに、在日米軍トーマス准将が、どのような役割をもっているのかも、クーデターの背景として明らかではない。 "影の部分"が何者であり、それが何故に、またどのようにしてクーデターを操るのかについて、山本監督は明らかにしないで思わせぶりに終わっている。
いずれにせよ、選挙の上に立つ議会制度が、腐敗しマンネリ化した時にクーデターの危機が生じ、また一方、クーデターに危機感をもつことが、民主主義を健全に機能させるとも言えるだろう。 この映画での首謀者・藤崎元一尉(渡瀬恒彦)の悲愴感は、三島由紀夫を想起させるし、映画でも三島最後の記録写真が出て来ます。 「憲法を改めて、かつてあった美しい秩序を、美しい精神を構築する」という藤崎の檄は、三島のそれとあまりにもそっくりです。 三島と結びつけることによって、山本監督はその演出の言葉と違った感銘を、当時の観客に与えたのではないだろうか。 山本監督の意図とは反対に、観客は藤崎の滅私の"生きざま"に、三島を重ねて感動を受けているのかも知れません。 この映画の原作は、小林久三の傑作ポリティカル・サスペンス小説ですが、この原作に忠実な余り、藤崎の妻・杏子(吉永小百合)と彼女の前の恋人・石森(山本圭)の複雑な男女関係を割愛しなかったことが、この映画の男性的な緊迫感を削いでいると思う。
また、ハイジャックされた夜行寝台ブルートレイン、さくら号の岡田嘉子と渥美清の二人も、なくもがなである。 小説では、人間の動きが中心となっているが、この映画では、列車の動きが視覚的にサスペンス感を高めていて、このブルートレインが欠くことの出来ない主役となっているように思う。 尚、この映画の題名の「皇帝のいない八月」とは、"暑い八月の狂詩曲"とも言われる佐藤勝作曲のテーマ曲であり、クーデターの作戦隠語でもあるのです。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-07
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石油会社は、ニトログリセリンを爆発させ、その衝撃力によって火を消そうと計画する。
ところが、このニトログリセリンの運搬が実に厄介なのだ。一滴、落としても爆発する。
うっかり処置を誤ろうものなら、大爆発を起こしてしまうという代物なのだ。
このニトロを荷台に積んで、二台のトラックが出発する。報酬は、一人2,000ドル。
ただし、これは成功報酬で、無事運び終えなければ手にすることが出来ない。
火災現場の油田まで、途中には幾つもの難所があり、ニトロは、いつ爆発するかも知れない。
一台のトラックには、二人の運転手が乗る。
正規の運転手と助手の二人ずつだが、二台のトラックで計四人。さすがにフランス映画らしく、この四人の性格描写が際立っている。
パリの地下鉄の切符を壁に飾り、いつパリに帰れるかを夢見ている男にイヴ・モンタン。零落した親分肌の男にシャルル・ヴァネル。
さんざんナチスに苦しめられた男にペーター・ファン・アイク。あと一か月しかもたない肺病病みの男に、イタリア人のフォルコ・ルリ。
ニトログリセリンの運搬は、モンタンとヴァネルがペアになり、もうひとつのペアは、ルリとアイク。 この四人でニトロの運搬作業が繰り広げられて行くのだが、要するにこれは、”道中もの”の変型なのだ。 日本の「東海道中膝栗毛」やアメリカ映画の珍道中シリーズなどでもはっきりと描かれているように、この種の道中記ものには、必ず人間関係の逆転がある。 例えば、主従関係が途中何かの事件に遭遇して、そっくり逆転して、これまて従者だった者が主人格になり、主人格だった者が従者になるという傾向だ。 それがストーリーの流れに変化を与え、人間の性格描写の彫りを深くする役割を果たしているのだが、この映画の人間関係の逆転は、実に鋭く描かれている。 親分肌のシャルル・ヴァネルと若僧のイヴ・モンタンが乗ったトラックは、急カーブの難所にさしかかる。 そこは、車の退避のために木の櫓が設けられている。 だが、その櫓の一部は腐っていて、トラックの重量にはとても耐えられそうにもない。 そのことを察したヴァネルは、トラックを運転中のモンタンとの共同作業中に現場から逃げ出すのだ。
トラックはモンタンの必死の努力で奇跡的に無事だったが、この事件をきっかけに両者の立場は一気に逆転する。 歳を取ると、人間は気弱にも、卑怯にもなるものだと呟くヴァネル。 そして、ヴァネルは、次の難所の巨大な落石をニトロで爆発するシーンで、トラックのそばから逃げようとせず、自ら死のうとする。 老残の彼の心情が惻々として伝わってくるが、そこで死にきれなかった彼が、その次の難所の事故で死に至る負傷をしてしまう。 言ってみれば全編が、障害レースのようなもので、一難去ってまた一難といった具合に、トラックの行く手に、次々と現われる障害に工夫と仕掛けがなければ、我々観ている者は、次第に障害物の刺激に慣れて、ハラハラ、ドキドキしなくなるものだ。 したがって、この種のサスペンス映画は、直接的で視覚的な恐怖感と、もうひとつ、心理的な恐怖感を巧みに融合させることが必要になってくると思う。
直接的で視覚的な恐怖感とは、トラックのワイヤーが引っ掛かり、切れそうになってギリギリと音をたてるカットとか、前を行くルリとアイクの乗ったトラックが、突然、爆発し、あとには破片すら残っていないといったシーンなど、ふんだんに散りばめられている。 このような連続活劇の手法が有効であるのは、トラックの荷台に積んだニトロが、いつ爆発するのかという、我々観る者、ひとりひとりの想像力の中に潜んでいる恐怖感と結びついて、恐怖感を増幅させるからだと思う。 このアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の視覚的で心理的な恐怖感を巧みに融合させた演出上の計算は、心憎いまでに確かだと言えると思う。 「人間の感情の中で最も古く、もっとも強烈なもの、それは恐怖である。恐怖の中で最も強烈なもの、それは未知の恐怖である。」。 これは「異次元の色彩」で知られるH・P・ラヴクラフトの有名な言葉だが、恐怖が人間本来の感情と最も強く結びついている以上、それを巧妙に呼び覚ましたのが、サスペンス映画だと言えると思う。
ニトロを積んだトラックが山道を走って行く。 この先、トラックには何が起きるのか? 運転手にも、我々観る者にもわからない。 我々は、スクリーンの中の運転手と共に、未知の恐怖を共有することになるのだが、こういった”恐怖感覚”を、実にうまく利用して作ったのが、この映画だと思う。 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のエンターテインメントに徹し、徹頭徹尾、我々観る者をハラハラ、ドキドキさせる映画を作ってみせるという執念と熱気が、観ている私を金縛りにして、”真昼の幻覚”といったものに誘ってくれたのだろうと思う。 なお、この映画は1953年度のカンヌ国際映画祭で最高の作品に与えられるグランプリを受賞し、また主演のシャルル・ヴァネルが最優秀主演男優賞を受賞していますね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-07
この映画「恐怖の報酬」は、映画史上に燦然と輝くサスペンス映画の傑作ですね。
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督にとって、この「恐怖の報酬」と「悪魔のような女」が彼の作品を代表する二大サスペンス映画だ。
この映画「恐怖の報酬」のストーリーは、非常にシンプルだ。危険このうえない、爆発物のニトログリセリンを、A地点からB地点に運ぶ話である。
話としては、それだけである。それ以外の余計な夾雑物は全くない。実にスッキリしている。
この危険なニトログリセリンを、無事A地点からB地点に運ぶことが出来るかどうか?
サスペンス映画としては、申し分のない設定だと言えるだろう。舞台はラテン・アメリカのある国のラス・ビエドラスという小さな町。
ここには、世界中から喰いつめた男たちが集まって来る、いわば人生の吹き溜まりのような町なのだ。
そして、町には不景気風が吹いていて、男たちは仕事にあぶれている。
そんなある日、町から500キロほど離れた油田が火事になる。