映画感想・レビュー 101/2550ページ

人間の証明:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

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人間の虚栄と孤独の底から証明される人間そのものとは何かという原作のテーマを映画的サスペンスの世界で描いた角川映画が「人間の証明」だと思う。

この映画「人間の証明」は、角川春樹事務所の「犬神家の一族」に続く第2回作品で、製作が角川映画、配給が東映、興業(上映)が東宝という三者協力体制であり、これに撮影の現場を担ったスタッフの日活が加わっての日本映画界にとっては異例づくめでの公開でした。

原作は当時のベストセラー作家の森村誠一の第三回角川小説賞の受賞作で、脚本は当時としても異例の一般公募を行ない、結果としてプロの脚本家の松山善三が第一位となり、監督は「新幹線大爆破」等のサスペンス物を得意とする佐藤純彌、音楽に「犬神家の一族」やアニメのルパン三世でおなじみの大野雄二を起用し、このような多角的な角川旋風が、当時の沈滞していた日本映画界に新風を吹き込んだ事でも知られる作品です。

しかし、このような日本映画界にとっての異端児の作品に対する当時の評価は、「まとまりの悪い、消化不良の大作」、「ツッパリに見合う新鮮さもなく、中身は母もの悲劇」、「読み捨ての域を出ず、国籍不明映画」、「見世物多すぎ、焦点ボケ」等と厳しいものでした。 「見てから読むか、読んでから見るか」という言葉が、この映画の宣伝に使われていますが、個人的には、この映画の場合、まず原作を読んで、現在の東京とニューヨークを結び付け、更に太平洋戦争直後の傷跡に遡って、"人間の虚栄と孤独の底"から証明される人間そのものとは何かという事を沈思黙考して、ゆっくりと考える事が先にあった方がいいと思います。 原作の森村誠一が、この小説のあとがきの中で、「論理性だけでなく、人間性が犯人を討ち取るような推理小説」と書いていて、原作の本文中の「八杉恭子は、自分の中に人間の心が残っていることを証明するために、すべてを喪ったのである。棟居は、人間を信じていなかった。

だが決め手をつかめないまま恭子に対決したとき、彼は彼女の人間の心に賭けたのである。心の片隅で、やはり人間を信じていたのだ」という一節が、この原作の小説の重要なテーマだと思います。 そして、原作と映画の脚本とを比較してみると、主人公が原作の棟居刑事(松田優作)から、映画では八杉恭子(岡田茉莉子)に移っています。 また、映像美を強調するために恭子は女性評論家ではなく、ファッション・デザイナーに変えられています。 それから、ニューヨークの場面も車の追跡という映画的な見せ場も追加されています。 そして、特に、人間を証明するという最も重要な場面が、原作では、棟居刑事が恭子から自白を勝ち取るところに重点がおかれているのに対して、映画では、棟居刑事が自白を迫るガレージの場面から、更に、華やかな表彰式での恭子の告白、そして霧積での投身とそれを許す棟居刑事という場面にまで発展させています。

このようなテンポの早い映画的な展開も、原作を先に読んでいれば、非常にわかり易いと思います。 また、外国人スタッフだけを使ってのニューヨークロケもさほど違和感もなく、映画のラスト近くの、霧積からニューヨークへの映画的展開も実にうまいと思います。 そして、ケン刑事(ジョージ・ケネディ)の最後の死は、終戦の決着でもあるのかも知れません

ザ・ドライバー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

この映画「ザ・ドライバー」は、凄まじいカーアクションと刑事対ドライバーの虚々実々の駆け引きをクールに描き、アクション映画の原点を示した作品だと思います。

このクールで戦慄的な我々映画ファンを痺れさせる「ザ・ドライバー」は、チャールズ・ブロンソンとジェームズ・コバーン主演の「ストリート・ファイター」という小味なアクション映画を撮った、ウォルター・ヒル監督の第二回監督作品です。

銀行ギャングや強盗の逃走を請け負う、プロのゲッタウェイ・ドライバーのドラマですが、とにかく凄まじいカーアクションと、刑事対ドライバーの虚々実々の闘いに焦点を絞り、余計なものは一切描かれず、いわば、"アクション映画の原点"に戻ったような作り方であり、ムダな場面が目障りだった前作の「ストリート・ファイター」よりも、ずっと面白く出来ていると思う。

ロサンゼルスの街の地図を性格に頭に刻み込んだゲッタウェイ・ドライバー(ライアン・オニール)は、その鮮やかなハンドルさばきで、追跡してくるパトカーをまいて夜の闇に消えてしまう。

なんべんもそんな彼にキリキリ舞いをさせられた刑事(ブールース・ダーン)たちは、なんとかしてドライバーを逮捕しようと考えて、卑怯な罠を仕掛けるが、その罠にもかからないのだ。 まるで、マシーンのように冷徹なドライバー。 うす汚い人間性をむき出しにして、ドライバーの逮捕に執念を燃やす刑事。 この二人のコントラストにも迫力があり、彼らの闘いがドラマティックな興趣を盛り上げていると思う。 それまでの甘い二枚目からイメージ・チェンジしたライアン・オニールの好演も素晴らしいが、それ以上に印象的なのは刑事役のブルース・ダーンの怪演だ。 そして、フランスの演技派女優のイザベル・アジャーニがドライバーに近づく女ギャンブラーに扮している。 普通のドラマ設定なら、彼女とドライバーの間に恋愛感情が生じ、そのあげくベッドシーン-------となるはずなのだが、そういう余計なものを一切省いたところが、この作品の良さだろうと思う。

ロサンゼルスの素晴らしい夜景の中で展開される追いつ追われつのカー・チェイスは、凄い見せ場になっていて、アクション映画の魅力をたっぷりと堪能しました。

ザ・ヤクザ(1974):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

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外国の監督が、日本を舞台にした映画を撮ってもめったに成功しないものだ。
必ず風俗的にチグハグで、ヘンテコなところが出てくるからだ。

だが、この映画「ザ・ヤクザ」は、稀に見る成功作だと言ってもいいと思う。
何しろ監督が「ひとりぼっちの青春」や「追憶」などのシドニー・ポラックだということと、ヤクザ映画(任侠映画)の本家・東映の全面的な協力のおかげで、おかしな失敗をしないですんだと思う。

アメリカで私立探偵をしていたハリー(ロバート・ミッチャム)が、友人のタナー(ブライアン・キース)から、ヤクザの東野(岡田英次)に誘拐された娘を取り戻してくれと頼まれて来日し、終戦の頃に愛し合った英子(岸恵子)と再会する。

彼女の兄だという健(高倉健)は、ヤクザの足を洗い、京都で剣道の師範をしているが、昔、英子がハリーに救われた"義理"を返すために協力を約束する。

ハリーと健は、タナーがつけてよこした若い用心棒のダスティ(リチャード・ジョーダン)も加えて行動を起こし、タナーの娘の奪還に成功する。 その結果、健もハリーも東野一味から狙われることになり、健の兄で全国ヤクザの長老格の五郎(ジェームズ繁田)を苦しい立場に立たせることになる。 シドニー・ポラック監督は、古めかしいフジヤマ・ゲイシャ的なイメージにこだわらず、1970年代当時の日本の自然な風俗の中で、物語を進めていて、安直なアクション映画のタッチではなく、腰を据えたドラマの味を出していると思う。 京都の大学の講師だった五年間に、ヤクザ映画の熱狂的なファンになったというポール・シュレーダーの原作もなかなかうまく出来ており、タナーが東野に密売する銃器の前払金を使い込んで、銃器を渡せなくなったため、娘を誘拐されたことがわかってから、場面は急テンポで緊迫の度を増していく。 そして、東野に脅かされたタナーが、ハリーの暗殺を企てたりしたあげく、ハリーが健と二人で、東野の邸へなぐり込みをかけるクライマックスへと至る。

健さんは日本刀、ミッチャムはショットガンと拳銃で暴れるこの修羅場は、カメラ・アングルにも工夫を凝らした、見応えのある一幕で、岡崎宏三の撮影が光っている。 健はこの乱戦で、東野の子分だった五郎の息子を殺す羽目になったため、指を詰める。 そして、健が実は英子の兄ではなく夫なのに、恩義のために自分たちの関係を隠していたという事情を知ったハリーも、侘びのしるしに指を詰めて健に送る。 "義理"というものが、本家の東映の映画より、合理的によくわかるのが面白い。 健さんも、ミッチャムも好演で、真の友情が生まれる経過がよく出ており、英語と日本語のまぜかたも上手くいっている。 そして、岸恵子もこの二人のバランスに相応しい配役だったと思う。

卍 リバース:P.N.「ゆう」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-07

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都内にて鑑賞。
話の中盤あたりで中崎さんが男を誘惑し病院のベッドで下着を自ら脱ぎだし、乳首を丸出しにするシーンはとても魅力的だった。照明も明るい雰囲気だったのでしっかりと確認できた。
話の内容は現代よりな話、少しつくりが雑な所もあったが、ミステリアスな雰囲気で楽しめた。
3人でベッドシーンの際に薬を飲ませるシーンがあったのだが、いまだに謎が解けていない。あのシーンに何の意図があったのかわからない。
であれば、むしろ3人で絡むシーンを作った方が内容的におもしろかったのではないかと感じた。
田中朱里さんのミステリアスな雰囲気で芝居を楽しめた。
ただ、ホテルに男を誘い出すシーンで、下着をつけたままで乳首を丸出しにしていなかったのは残念だった。R15作品なのでもう少し攻めてほしかった。

母('29):P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

👧5歳のデコちゃんこと高峰秀子は,本篇の準ヒロインの八雲美恵子が自宅で着物姿でお嬢さんなので居るのを見て子どもながらに,大人がこんな風でよいのものか?と心配してたと云うエピソードも在るとか

ミッシング(2024):P.N.「bogi」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-07

ほぼ同世代の平仮名三女優、はるか、まさみ、さとみ。
迫力の点でやや遅れをとっていたが、本作で追いついたかも。
終盤に纏まりがつかなくなりつつあったが、ラストシーンで締めた。

マッドマックス フュリオサ:P.N.「ロマンティックエロ爺」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

2024年、最大の期待作、いや~前作、怒りのデスロードから9年間、最大の期待作でした~フィリオサの母ちゃんが最高!フィリオサの子供時代を演じるアリ-ラ.ブラウンちゃん凄い~そして、そして.映画オタクの現代の女神、アニャの登場です!クリス.ソ―.デェメンタス将軍の最高のクズっぷり見事です~しかし~しかし~監督ですよ監督!やはりジョ―ジ.ミラ―は、私の神でした!

乱れる:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

🐄監督松山善三と本篇のデコちゃんこと高峰秀子の養女がラジオ番組で紹介して居たパク・チャヌク監督のお気に入りの一本

浜の朝日の嘘つきどもと:P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

この映画を観て、とても感動した。これは何よりもあらためて映画の素晴らしさを教えてくれたからだ。高畑充希さんが出演されている。私は高畑充希さんの大ファンなのだ。彼女は凄く美しくて、演技も素晴らしい。最高の女優さんだと思う。これからもこの映画は私の心の中で、いつまでも鈴のように鳴り続けるだろう。

銀河鉄道999:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

今朝のNHKラジオ深夜便昭和歌謡は1979年のヒット曲特集,ゴダイゴの本篇主題歌。スローなリズムを機関車の躍動感あるものに換えて作曲し歌われたエピソードも

Aサインデイズ:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

🎸今朝のNHKラジオ深夜便明日への言葉はフィンガー5のアキラ,本篇宜しくAssignバーでの演奏活動の話や大ヒットの後に来る波乱万丈な人生で自分の歌を探し求めるのは映画そのもの何だ!自曲の沖縄ソングのウチナーが番組内で紹介されて♬

ミスター・パーフェクト(2011):P.N.「人生は、映し鏡、あなたの行いを跳ね返す」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

何か、不思議と縁が繋がるのか、たまたま、しかも、特別上映の特別料金。

この作品の為に、わざわざ出向いたので、諦める訳にはいかない。

13年も前の作品ですが、
インド映画の良さも盛り込み、ハリウッド超えの勢いで、最近は、主役が、ハーフ級の顔立ち、ここ最近でも数本鑑賞していたので、顔馴染みが、出演されてました。

王道のインド映画の路線を行く作品で、様々な要素を盛り込んで、楽しく鑑賞させてくれます。

ハリウッド超えのインド映画ですが、インド映画の良さを失わず、更なる発展を、これからも楽しい作品を期待しています。

さあ、次は、『PS2』が、楽しみです。

告白 コンフェッション:P.N.「ちと怖いけど、いけないけど笑ってしまう、」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

ほぼ、山小屋と、ほぼ、三人がメインで展開する、リズミカルよく、舞台劇の様な、面白さ。

大がかりなセットを組めば舞台化もできそうだが、映画化の方が、何かと都合いいだろう?

予告では、2パターンがあって、何か気になるパターンがあって、それを確かめたいのもあり鑑賞しました。

ああ、そう言うことか?と、かなり、グロテスクなのを想像してましたが、ハッと驚かされる演出に、思わずドキッとしましたが、
決して、笑っていけない内容ですが、まさかの、逆ギレ?

愛は、強要したり、奪ったり、偽るモノではないと言う戒めも含め、三者が、自業自得の悲劇で、喜劇と言う、落語の様な、シェークスピアな、落ちでした。

映画『からかい上手の高木さん』:P.N.「6月の花嫁、からかい上手は扱い上手」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

タイトルのコミックは知っていたが、まあ、面白そうな位の、

映画化と知り、なんだか、鑑賞してみたくなりました。

監督は、『ちひろさん』
、道理で、人間を内面から上手に描いているんですね。

タイトルから、だいたい想像はできますが、二人の主役を内面から上手に描き、ロケ地も人々も、見事に景色化して、情緒豊かに、コミカルに、この時期、6月公開にぴったりの展開でした。

人間が一番関心があるのが、人間自身、その豊かな表現で楽しませてくれる作品。

からかい上手は、扱い上手と言いまして、イジメとは違い、仲のいい中高生がよくやっているヤツです。

そこに愛がないとできない、そして、相手への理解、観察がないと、

正に、人生全般は、観察。

親が、たまに、赤ちゃんをからかったりして、遊ばせますね、そこには、観察と愛があります。

からかい上手は、愛するのが上手い、愛され上手なのです。

スローターハウス5:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-06

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子供の頃、父親からプールに突き落とされ、無抵抗主義ゆえに水の中に沈んだビリー・ピルグリム。
若い日に見た野外劇場の踊子。ベルギー戦線でドイツ軍の捕虜となり、屠殺場(スローターハウス)へ移送される途中、凍傷にかかったアメリカ兵の足を踏み、それが原因で彼を死なせ、これを目撃したラザロ(ロン・リーブマン)につきまとわれることになる。その後、ドレスデンの収容所が連合軍の空襲を受け、町は一変したが、彼は助かったのだった--------。

戦後、事業家の娘ヴァレンシア(シャロン・ガンズ)と結婚し、家まで贈られて優雅な生活を送り、中産階級の一員として大成功したのだった。
ヴェトナム戦争に出征した息子が、立派な兵士となり、ビリーは冷ややかに見つめるのだった。

飛行機が山に激突し、ビリーは重傷を負い、妻は半狂乱の末、車の衝突で死んでしまう。
そして、ビリーもラザロに射殺され、二百億後年のかなたのトラルファマドア星で、若き日に野外劇場で見た女モンタナ(ヴァレリー・ペリン)と戯れている。

時間的な配列を追えば、このようになりますが、これを、時空を飛躍する悩みをタイプに打ち続ける彼を現時点に据え、大胆に配列しているのです。 むろんその核になっているのは、戦場での悲痛な体験であり、その体験を重く背負った主人公の姿なのだ。 だが、未来における彼は、光明の中にいる。 そのあたりに、過去に取り憑かれながら、光明の未来を追うジョージ・ロイ・ヒル監督の共通の主題が見い出されるような気がします。 また、この映画の音楽はバッハの「ブランデンブルク協奏曲」などをグレン・グールドの編曲により使用していて、実に素晴らしかったと思う。

スローターハウス5:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-06

この映画「スローターハウス5」は、現代アメリカ文学を代表するカート・ヴォネガット・ジュニアが、1969年に発表した彼の戦争中の体験に基づく、半自伝的なSF小説の映画化作品だ。

そして、この作品は、人生の不条理、戦争の残酷さが、時にはアイロニーを込めて、ファンタスティックに描かれているのです。

このジグソー・パズルのような複雑な構成の原作を、「明日に向って撃て!」「スティング」の名匠ジョージ・ロイ・ヒル監督が、類まれなる卓抜した演出で映像化した傑作だと思う。

原作の小説は私の愛読書の1冊ですが、この原作小説は、複雑な構成をとっていますが、映画もまたその構成に沿い、過去、現在、未来や場所を超えて自在に飛び交っていると思う。

第二次世界大戦に出征し、戦後は実業家として成功、一見平凡な生活を送るビリー・ピルグリム(マイケル・サックス)。
だが彼は、時空を超えて自由に過去・現在・未来を行き来できる超能力を持っていた。
しかも、彼が常に立ち戻るのは、第二次世界大戦中に、遭遇したドレスデンの無差別攻撃。
そこでの悲痛な体験が彼の人生を決定したのだ。

青春の門(1975):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-06

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私は、この作品に続く2作目の「青春の門 自立篇」は、好きな作品で何度も繰り返し観ていますが、この1作目の「青春の門 筑豊篇」は、かなり問題点が多く、あまり好きな作品ではありません。

原作者や監督の原体験が、重要な意味を持つ映画というものがあると思います。
この映画はその一つの例と言える作品で、五木寛之の初期の代表作「青春の門」は、大ベストセラーとなり、筑豊篇、自立篇、放浪篇、堕落篇------と、当時の若者の圧倒的な支持を得ていましたね。

五木寛之は、昭和7年の生まれで、生後間もなく朝鮮に渡り、各地を転々として、終戦を平壌で迎えており、ソ連軍が進駐してきた9月に母を失っています。
そして、10月に平壌を脱出、南下して米軍に収容され、昭和22年に博多に上陸して、郷里の福岡県の筑後に帰ったという、過酷な少年期を過ごしています。

かつて五木寛之は、「私にとって、自分の原体験ともいえるぎりぎりの生きかたは、敗戦と引き揚げ、そして帰国後の数年間に凝縮された時期にあった。精神の形成期に通過したそれらの日々が、現在の私を作り、歪め、支配しているように思う。」と語っています。

人には、特に戦中と終戦直後には、人には言えぬ人生の空白期があるのだと思います。 この原作の「青春の門」シリーズは、伊吹信介の身を借りて、五木寛之の原体験に裏打ちされた、暗い鬱積した少年の心が、福岡県の筑豊独特の川筋気質と炭鉱周辺の社会の連帯感の中に、伸び育っていく過程を、男っぽいロマンの香りを込めて描いた作品だと思います。 この川筋気質とは、筑豊を貫く遠賀川の川筋に伝わるヤマの男の気風で、「なんちかんち言いなんな。理屈じゃなかたい」とか「馬鹿も利口も命はひとつ」という、激しく果敢な気持ちには、暗い任侠とは違った、働く者達の明るさがあるように思います。 このような原作の哀歓が、この映画によって燃焼し切れていないのは、浦山桐郎監督が、あまりも自分の原体験にこだわりすぎたからではないだろうか。 原作では、継母のタエの死を信介の新しい人生への契機としているが、この映画では信介がタエに男女の愛を迫る事に置き換えています。

浦山桐郎監督は、「私を育てた義母をあるとき犯しかかったんです------そういう体験があるんです」と語っていて、彼のこうした異常な体験が、原作の持つ清新さを歪めてしまったし、性描写の過剰は、観客に媚びるものとなっていると思います。 場末の旅館で、幼馴染の織江と信介が結ばれる場面だけが、かろうじて浦山桐郎監督の実力を示しているが、みじめさを掘り起こす繊細さは、かえって原作の持つ筑豊の持つ息吹きを打ち消しているように思います。 彼は「あくまで映画は監督のものだ」と語っていますが、映画はあくまで観客のものであり、そしてこの映画の観客は、原作者である五木寛之のファンである事を忘れてはいけないだろう。 タエを演じた吉永小百合は、苦労の原体験のない甘さから言っても、完全なミスキャストであり、父・重蔵(仲代達矢)と父代わりの竜五郎(小林旭)も、本当の川筋気質を出しきれないで終わっていると思います。 また、ボタ山に象徴される石炭時代への挽歌を、ナレーター(小沢昭一)とニュース・フィルムを借りて綴っているのは、凝り過ぎて、かえって安っぽい感じを与えていると思います。

サクリファイス(1986):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-06

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あまりに早い最期だったアンドレイ・タルコフスキー。
この「サクリファイス」が、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した7か月後に、タルコフスキー監督は逝った。
1986年12月28日だった。

「鏡」で、草原を渡る"風"を描いた。「ノスタルジア」で、この世とあの世の間を取り持つ"水"を描いた。
「サクリファイス」では、自分の投影でもある家を焼き尽くす"火"を描いた。

それらは、あまりに美しく、何度も観たい思いにかられ、観るたびに、ある種の"不思議"に包まれる。

アンドレイ・タルコフスキー監督の故国ロシアへの愛は、「ノスタルジア」で思いきり描かれていましたが、この「サクリファイス」では、その思いがもっと重く、胸にのしかかってきます。

タルコフスキー監督は、私たちに何を伝えようとしたのか?--------。
彼の映画には、いつも「死」と「神」とがつきまとう。
全てのものは、象徴されてそこにある。
時には風景までもが、象徴の一端を担っている。

喉の手術で声の出ない息子に、父アレキサンデルが海岸に枯れ木を植え、「毎日、水をやるんだよ」と言う。 その日はアレキサンデルの誕生日でもあった。親友の医師、不思議な郵便配達人もやって来る。 その夕方、唐突に核戦争が勃発したというニュースが流れると、妻はヒステリーを起こし、子供も手術の痛みに苦しんで寝ている。 アレキサンデルは、無神論者だったが、つい神に自分を犠牲にするから彼らを救ってくれと祈るのだった--------。 この「サクリファイス」は、スウェーデンの俳優・スタッフによって撮影されています。 しかし、タルコフスキーは言う。「この映画は、スウェーデンでスウェーデンの俳優によって演じられたが、これはロシア映画である」と。 青い空と海、白い道と緑の野、道端に枯れそうな一本の貧弱な木。 そして、父と喉の手術をしたばかりで声の出ない幼い息子。 父は息子に「昔偉い坊さんが、若い僧に、枯れ木に毎日決まった時間に水をやりなさいと言った。それを忠実に守って水をやっていると、枯れ木が生き返ったんだよ」と、話して聞かせます。

この映画の舞台にタルコフスキーが選んだのは、スウェーデンのゴトランド島だ。遥か海を隔てれば、故国ロシアの大陸がある。 海はタルコフスキーの、心の距離を縮めていただろうか?-----。 そして、撮影されたのは、海岸より少し外れた場所らしく、白い砂と松林の海岸が延々と続いている。 そこはあくまでも静かで、平らで、そんな時ふと恐ろしい感覚にとらわれるのは、「サクリファイス」のように、静かな地面の底から地響きが聞こえ、核戦争が始まったのが本当のことなのではないかと、愚かしい想像をめぐらしてしまう時だ。 幼い息子は、父が精神病院に送られてしまってから、父の言いつけに従って、海岸の枯れ木にバケツでせっせと水を運んではかける。 そして、木の根元に寝そべって、空を見上げ「なぜ、はじめに言葉ありきなの、パパ?」と今はもういない父に問うのだ。 父が果たした"犠牲"への報酬は、この子のこの言葉にあったのだろうか? 白い砂浜と青い空は、無情なまでに強烈で、炎上する家の炎の色と、妙に相容れない不協和音が、「サクリファイス」の崩れ折れそうなイメージを残すのだ。

蒲団:P.N.「ゆう」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-06

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話の展開としては面白かったと思う、秋谷さんが終盤残り15分程前に彼氏との濡れ場(とは言えないような絡み)でフルヌードの場面で乳首を丸出しにするシーンがあるのだが、このシーンの必要性はあったのだろうか。このシーンがあったせいで安っぽいつくりになった印象、ヌードシーンがない方がキレイにまとまったと思う。R15作品だったため無理に乳首を丸出しにするシーンをつくってしまった残念な作品。秋谷さんのファンなら良いのかもしれないが。

最終更新日:2025-03-17 16:00:02

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