映画感想・レビュー 101/2564ページ

チザム:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-20

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この映画「チザム」は、西部劇の王者ジョン・ウェインが「勇気ある追跡」でアカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞後の初めての作品で、当時62歳のジョン・ウェインはすこぶる元気がいい。

西部史に名高いリンカーン郡戦争の中、ニューメキシコの広大な原野に牧畜王国を築き上げ、冒険と波乱の生涯を送ったチザム(ジョン・ウェイン)の実録の映画化作品だ。

チザムの親友のジェームズ・ペッパーにベン・ジョンソン、彼らと対立する黒幕の親分ローレンス・フィーにフォレスト・タッカー、連邦保安官パット・ギャレットにグレン・コーベット、無法者ビリー・ザ・キッドにジョフリー・デュエルという配役で、西部劇ファンとしては嬉しくなる顔ぶれだ。

この映画は銃撃戦やスタンピードという牛の大暴走などの見せ場も多く、西部開拓史上に名高い人物たち、特に、後に宿命の対決をすることになる無法者ビリー・ザ・キッドと名保安官パット・ギャレットの若き日の姿(といってもビリー・ザ・キッドは21歳でその生涯を閉じた)が、描かれているのも興味深い。

しかも、ビリー・ザ・キッドと言えば、左ききのガンマンとして有名だが、この映画では史上初めて右ききで登場してくる。
彼の写真が実は裏焼きだったので、ずっと左ききだとされてきたが、右ききが本当だったのだ。

かつて二挺拳銃のジョニー・マック・ブラウンをはじめ、ロバート・テイラー、オーディー・マーフィー、ポール・ニューマンと、歴代の左ききのビリーはみな魅力的だったが、それだけに、この映画の右ききのジョフリー・デュエルが扮しているビリーが少し見劣りするのは仕方がないだろうと思う。

この映画は実録とは謳っているが、実説とはかなり違っているものの、とにかく、牛の大暴走場面あり、ガン・プレイあり—-と、西部劇ならではの見せ場を次々と盛り込むサービスぶりで、かなり爽快感が味わえるのは確かだ。

ベテランのアンドリュー・V・マクラグレン監督が悠々たるタッチで西部劇の楽しさ、面白さを詰め込んだ作品になっていると思う。

セント・アイブス:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-20

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この映画「セント・アイブス」は、「ナバロンの要塞」のJ・リー・トンプソン監督、チャールズ・ブロンソン主演で、この二人が初めてコンビを組んだ作品なんですね。

事件記者から小説家に転向したが、なかなか芽の出ないチャールズ・ブロンソンのところへ、弁護士が1万ドルの仕事を持ち込んでくる。
富豪のジョン・ハウスマンが、盗まれた帳簿を取り返すために支払う10万ドルを相手に渡す役だ。

その金を持って指定されたハリウッドの自動ランドリーへ行くと、乾燥機の中で男の死体が回転しており、ブロンソンはタイミングよく通りかかった新米白バイ警官に逮捕され、刑事のハリー・ガーディノとハリス・ユーリンに警察へと連行される。

だが、部長刑事と友達なので釈放されるというのを皮切りに、実にいろいろな人物がめまぐるしく登場し、ブロンソンが度重なるピンチを切り抜けていくのが見せ場になっている。

この映画の中で一番面白いアクションは、廃墟ビルの上階からエレベーターの穴に突き落とされたブロンソンが、ケーブルにぶら下がり、下へ動き出した時、間一髪で途中の開いた口から飛び降りて逃げる一幕ですね。

ブロンソンは、小説家というのにハードボイルドの私立探偵そっくりの動きで、おまけにやたらと強い。
ま、ブロンソン主演のワンマン映画だから当然なのかもしれませんが。

ただ、ジョン・ハウスマンの邸を訪れ、美人秘書のジャクリーン・ビセットや主治医のマクシミリアン・シェルに会う場面には、ちょっとチャンドラー的なムードがあって、なかなか良かったですね。

物語は、ジョン・ハウスマンが実は頭脳的な犯罪者で、某国の重大取引に流れる大金を横取りする計画を立てるなど、お話は大変欲張った方向へ発展するんですね。

ランドリーに現われた新米警官が割り込んで来たり、ハリー・ガーディノと相棒の刑事がドライヴイン劇場で取引の大金を奪ったあげく、ジャクリーン・ビセットに撃ち殺されたり、そして、ドンデン返し的なラストまで、中身がいっぱい詰まっているので、観ていて退屈はしませんでしたね。

ボディ・ダブル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-19

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当然の事ながら、この映画はサスペンス・スリラーの神様、アルフレッド・ヒッチコック監督の熱烈な信奉者で、その作品も一作毎にヒッチコック監督タッチの演出技法を駆使し、オマージュを捧げ続ける、「殺しのドレス」、「ミッドナイトクロス」のブライアン・デ・パルマ監督が、ヒッチコック監督の代表作の「めまい」と「裏窓」を題材に、ひとつの物語に状況設定をしてオマージュを捧げた映画なのです。

恋してしまった女を三流役者が延々と追うところ----。色情狂ともいえるこの女性との太陽の下でのラブシーンを、360度回転させながら撮りあげる場面。

元ネタがわかっていても、思わず膝をのり出さずにはいられない面白さ。
本当に、デ・パルマ監督はヒッチコック監督が好きで好きでたまらないのが、よくわかります。

師匠のヒッチコック監督も、ケレン味たっぷりの面白さがありましたが、デ・パルマ監督は、それをもっとどぎつく、血みどろの演出で我々観る者の心を氷つかせます。

ドリルが美女を刺し通し、更に下の部屋の天井へ突き抜けて血をしたたらせる描写等、本筋には関係のないところで、デ・パルマタッチを炸裂させて、まさしく地獄絵の歓喜と恐怖を増幅させていくのです。 とにかく、意外な真犯人の登場するラストまで、官能シーンを織り込んだ緻密な構成、凝った音楽の効果等、デ・パルマワールド全開で、刺激たっぷり、トリックいっぱい、映画の遊びを存分に楽しませてくれる作品です。

ボディ・ダブル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

この映画の題名の「ボディ・ダブル」というのは、映画用語で演じる俳優の体(ボディ)の部分の代役の事で、スターは顔のアップで演技をし、ヌードのラブシーン等は肢体の見事なボディの代役で撮影をする事を指しています。

この映画は、映画界を背景として謎と猟奇の殺人事件が展開していく物語です。
売れない三流役者(クレイグ・ワッソン)が、閉所恐怖症のために失業してしまいます。

そして、彼は友人の紹介で知り合った男に頼まれて、豪華な家の留守番役を引き受ける事になり、そこから望遠鏡で覗いて見ていると、向こうの家に半裸の美女がいます。

いつの間にか彼女を恋してしまった、この三流役者が、ある夜、彼女がインディアンの大男に惨殺されるのを覗いてしまい、さて、その後、彼の運命やいかに----というサスペンス・スリラーです。

ブロードウェイと銃弾:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

このウディ・アレン監督の映画「ブロードウェイと銃弾」は、1920年代のブロードウェイ演劇の世界を題材にした、いわゆる”バックステージ”ものの傑作だ。

お話自体は、一見古めかしく、例えば、芝居の資金を出すギャングが自分の愛人に大役をつけろと要求する。
そして、この愛人というのがどうしようもない女で、芝居も下手で、主人公の脚本家兼演出家は、「芸術か、出世か」の板挟みに苦しむというように、型通りに展開していくのだが、この映画が素晴らしいのは、何と言ってもそのキャスティングの妙に尽きると思う。

伝説的な女優に扮したダイアン・ウィーストと、それから思いがけず作家的な才能を開花させてしまうギャングに扮したチャズ・パルミンテリが素晴らしくうまく、そしておかしい。

この映画の主人公は、昔だったら監督のウディ・アレン自身が演じた役どころだと思うが、その役を演じたジョン・キューザックは、”受けの演技”を無難にこなしていて、彼とダイアン・ウィースト、あるいは彼とチャズ・パルミンテリの、一対一の芝居の場面が、グーッと惹き込まれてしまう、充実した寸劇になっていると思う。

やはり、うまい人同士の芝居って、こんなにも観ている我々を、楽しく贅沢な気持ちにさせてくれるものだと、つくづく思ってしまう。 「俺はアーチストだ!」とわめいていたジョン・キューザックが、実際には妥協に妥協を重ね、ギャングのチャズ・パルミンテリが、実際には「美しい芝居」のためには、人殺しも辞さない----という皮肉は「芸術的良心」なるものの”本当の怖さ”を知っているからだと思う。 この映画に登場して来る女たちが、ハイ・テンションのやっかいな女たちばかりで、それをシリアスにではなく、喜劇的に描き出しているところにも感心させられた。 そして、今までだったら、モノクロ画面にしたところだろうが、わざとセピアがかったカラー画面にしたのにも驚かされた。 やはり、こうしたところにも、ウディ・アレン監督のセンスの良さを感じてしまう。

尚、この映画で伝説的な女優を演じたダイアン・ウィーストが絶賛され、1994年度の第67回アカデミー賞で最優秀助演女優賞、ゴールデン・グローブ賞、NY映画批評家協会賞、LA映画批評家協会賞、全米映画批評家協会賞の最優秀助演女優賞をそれぞれ受賞しています。

日本列島:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

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この映画「日本列島」は、日本におけるアメリカのCIAの謀略についての暴露を行なった作品だ。

熊井啓監督の真実を追求する姿勢が、この映画を日本におけるアメリカの謀略を、正面きって弾劾するという衝撃的な作品になっていると思う。

昭和34年秋、SキャンプのCID(犯罪調査課)のポラック中尉は、通訳の秋山(宇野重吉)に、東京湾に溺死体としてあがった調査員リミット曹長の事件を調査するよう命令した。

秋山は、かつて妻を米兵に強姦されて死なされたという、不幸な過去を持つ男だった。
そして、新聞記者の原島(二谷英明)も、この事件に関心を持って調べていた。

警視庁の刑事などから得た情報によれば、リミット曹長はヤミ・ドル事件の捜査をしていたらしい。
かつて日本軍の情報機関は、ドイツ製のザンメルという高級印刷機を使ってニセ・ドルを作っていたのだ。

伊集院少佐という人物が、その技術者であり、戦後、アメリカの情報機関が、この印刷機を手に入れ、伊集院元少佐に強制して再びニセ・ドルを作っている可能性があるらしいのだ。

そして、その情報機関の中心になっている日本人は涸沢と言う男らしいと、秋山と原島にはしだいに真相がわかってくる。 伊集院元少佐の娘・和子(芦川いづみ)に会い、涸沢の元部下の佐々木という男にも会うが、しかし、佐々木はまもなく何者かによって殺されてしまう。 情報機関は、単に政治的な謀略を行なうだけでなく、広く闇の経済網を握って、経済的な撹乱工作もやっていたということがわかってくる。 情報機関は巨大な権力を握っていて、アメリカ軍でさえ手が出なかった。 このような状況下において、秋山は、突然、ポラック中尉から調査の打ち切りを命令されたが、その理由については明らかにされなかった。 しかし、今や深い憤りを持って事件に深くのめり込んでいた秋山は、調査をやめることなどできなかった。 そして、伊集院元少佐が、どうも沖縄にいるらしいとの情報をつかみ、秋山は、一人で沖縄へと飛んだのだった。 そして、しばらくの後、沖縄のゴミ捨て地で、秋山の死体がひっそりと眠るように横たわっていた。

この映画は、何よりもまず、テーマの大胆さで観る者を驚愕させ、単なる暴露やサスペンスだけでなく、謀略に対する憎悪が作品の隅々に漲っていて、沈痛な情感を醸し出していることが、この作品の価値を高めているように思う。

恐竜グワンジ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-19

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この映画「恐竜グワンジ」は、数々の怪獣映画を手掛けているウィリス・H・オブライエンの原案をもとに、彼の弟子であるレイ・ハリーハウゼンが作り上げた恐竜の特殊撮影が見どころの作品だ。

20世紀の初頭、ジプシーの一人がさらって来た太古の小さな動物を見世物にしようとするサーカスの連中と研究熱心な古生物学者が、中南米の秘境と言われる禁断の谷に入り込み、もっとデカイ恐竜の類に遭遇する。

それを捕獲してグワンジと名付け、サーカスの呼び物にするが、ジプシーが檻を壊したせいで街中を暴れ回ることになり、人々を恐怖のどん底に陥れる-------。

ダイナメーション方式という特撮で見せるこの恐竜の活躍が、この映画のお楽しみで、「アルゴ探検隊の大冒険」や「恐竜100万年」で、我々映画好きを唸らせたレイ・ハリーハウゼンが特撮を担当している。

恐竜グワンジの動きが、いかにもぎこちなく、場面場面で大きく見えたり、小さく見えたりするのがご愛敬で、微笑ましくもあるんですね。 サーカスへ連れて来た奴が暴れ出すというのも、「キングコング」以来の定石で、陳腐な趣向なんですが、ちょっとおもしろい場面もありましたね。 それは何かというと、秘境で出会った怪獣たちと闘う場面で、人間たちが馬に乗って鬼ごっこみたいに駆け巡り、前後左右から投げ縄を使って捕まえようとするんですね。 いかにも、アメリカ映画の西部劇の伝統に基づいた、向こう見ずの勇気で、愉快なショーになっていたのが面白かったですね。

真夜中のパーティー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

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このウィリアム・フリードキン監督の映画「真夜中のパーティー」は、面白いといっては、無残にすぎる。
鋭く、痛く、悲しく、酷い、そのくせ、息をつめる”面白さ”だ。

登場人物の全てが、同性愛の男たちだ。
むし暑いニューヨークの夏の夕べ。
仲間の誕生祝いのパーティーが、俳優マイケル(ケネス・ネルソン)のアパートで開かれる。
このパーティーには、高校教師やカメラマンや室内装飾家に、黒人青年も混じっている。

初めは陽気に進行する。だが不意に、マイケルの大学時代の友人で、”まとも”なアラン(ピーター・ホワイト)が飛び込んでくる。
すると、まるで池に石を投げたように、波紋が広がっていく。

そこへ、待ちかねた主賓のハロルド(レナード・フレイ)が到着する。
このアバタづらのユダヤ人、嫌味たっぷりでキザで傲慢な男の登場は、強烈な印象だ。

そのハロルドに、ごついご面相ながら女性的なエモリー(クリフ・ゴーマン)が、一晩20ドルで買ってきた”夜のカウボーイ”の若者をプレゼントする。

すると、異様な光景にむかついたアランは、エモリーを殴り倒し、乱闘騒ぎとなっていく--------。 大当たりした舞台劇そのままの配役だけに、俳優たちのうまさは抜群だ。 よく動くカメラが、彼らの表情や視線に内面の動揺をとらえる。 綿密に計算された、ウィリアム・フリードキン監督の演出力が、実に見事だ。 後半は、マイケルの強制による”告白ごっこ”が、更に緊張感を盛り上げていく。 各自が電話で、密かに愛する男に”恋の告白”をする残酷なゲームだ。 ある意味、社会の脱落者である彼らは、一つの世界を創り、連帯を求めながら、だが相手をいじめ、罵り、傷つけることによって、自らも傷ついていく。 自己嫌悪と、加虐と自虐が絡み合う、この絶望的な虚無感。 宴が終わった後、声を上げて泣くマイケルの姿に、その無限地獄とも言える壮絶な孤独感が、象徴的に暗示されているのだ。

ツキウタ。劇場版 RABBITS KINGDOM THE MOVIE:P.N.「絶望の六月うさ」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-19

声は良かったですよ。声優さん好きならお勧めです。ツキウタワールド全開でした。初見にはハードル高めです。ストーリーは舞台の方が素敵だなと思いました。大事な部分が抜け、大事な部分が改変されていました。伝えたかったことはなんですか?私は悲しみでいっぱいです。でも好きだから見ます。

ハロルド・フライのまさかの旅立ち:P.N.「yasuki」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

今まで観てきた作品の中で五本の指に入るくらいの作品。
年老いた男性のもとに一通の手紙がきて手紙の相手に会いに旅に出るがその道中で人の温かみに触れ、人生でプライスレスなものに気付く。
そのプライスレスが家族で夫婦だということに気付かされると作品。
人生何が起こるかわからない、奇跡は起こるという素晴らしい作品でした。

メカニック(2011):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

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「狼よさらば」のマイケル・ウィナー監督とチャールズ・ブロンソン主演のコンビによる1972年の作品を、同作のプロデューサーであるアーウィン・ウィンクラーとロバート・チャートフのそれぞれの息子である、デヴィッド・ウィンクラーとビル・チャートフがプロデュースした作品が、この2011年版の「メカニック」だ。

今回は「コン・エアー」でデビューしたサイモン・ウェスト監督で、主演は、今やアクション映画の顔と言っても過言ではない、ジェイソン・ステイサムだ。

正確無比な仕事ぶりの殺し屋が、恩人であり友人でもある男の殺害依頼を発端にして、私怨で反撃をしていくことになる。
そこに、恩人の忘れ形見を弟子として、育てていくエピソードが絡み、避けられぬ師弟対決へと突入していく。

タイトルの「メカニック」というのは、正確無比な仕事をする主人公ら、殺し屋を指していう言葉だ。
主人公に対する仕事の依頼が、ウェブサイトの「メカニック求む」という求人欄に流れているのが笑いどころかもしれない。

この映画は、なんといっても、複数の殺しのアサインメントを重ねていく構成が小気味良い。 冒頭、主人公のプロフェッショナルぶりを見せつける仕事があり、ドナルド・サザーランド扮する友人を抹殺することとなる仕事があり、弟子の免許皆伝のための同業者殺害があり、2人で組んでカルト宗教の教祖の抹殺がある。 これら一つ一つ、シチュエーションが異なり、殺し方が異なり、バラエティに飛んでいる。 本題となる組織への反撃や師弟対決は、それら一つ一つのステージをクリアした後の話だ。 サイモン・ウェスト監督の過去作には「コン・エアー」「将軍の娘」「トゥームレイダー」等がある。 どれも刺激的な映像を編集で繋いで、ごまかしているだけという印象で感心したことがなかったが、この作品の仕事ぶりはひと味違うのだ。 ビッグバジェットのイベント的映画という重圧から解放されたのか、体脂肪率の低い脚本ゆえか、無駄のない筋肉質の演出で盛り沢山な内容を93分にまとめる職人ぶりが実にいいと思う。

弟子を演じるベン・フォースターのへたれぶりと、組織のトップを演じるトニー・ゴールドウィンの卑怯者っぷりは、過去の作品等のイメージによる先入観を裏切らない。 見た目だけで説明不要というキャスティングは、この手の映画では重要なことだと、改めて感じました。

黒いジャガー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

この映画「黒いジャガー」は、ダンディーな黒のレザー・コートに身を包み、必殺のリボルバーを携えた黒人の私立探偵シャフトの活躍を描いた、1970年代のブラックスプロイテーション・ムービーの嚆矢となった作品で、写真家出身のゴードン・パークス監督をはじめ、スタッフ、キャスト全て黒人で製作され大ヒットとなり、以後2本の続篇が作られている。

娯楽本意の暗黒街アクションで、黒人の私立探偵、リチャード・ラウンドツリーが扮するシャフトが、ニューヨークのタイムズ・スクエアを、アイザック・ヘイズ作曲のごきげんな主題歌入りのテーマ曲にのって、カッコ良く歩いてくるところから始まる。
この冒頭のシーンは何度観ても素晴らしい!!!

事務所に待ち伏せていた二人の男と格闘し、一人が窓から落ちて死ぬのが、最初の荒っぽい場面だ。

その二人を派遣したハーレムのボス、モーゼス・ガンの誘拐された娘を捜す仕事を引き受け、黒人運動の過激派グループの指導者に会いに行くと、正体不明の一派にマシンガンの殴り込みをかけられるのが、第二の見せ場になる。

喧嘩友達のように付き合っている、イタリア系の警部補と連絡して、娘を誘拐したのがハーレムを乗っ取ろうとするマフィアの一味であることを知ったシャフトは、過激派グループとその仲間の協力を得て、娘の奪回作戦を開始する。 ここからは、もうアクションの連続で、ホテルの屋上から忍び込んで急襲するクライマックスへと至る。 マフィアとの対立というのが題材としても興味をそそるし、景気よく荒っぽい描写も楽しめる、とにかく、ごきげんな映画なのだ。

戦略大作戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-19

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この「戦略大作戦」の中心人物たちは、ロバート・アルドリッチ監督の「特攻大作戦」のような無頼漢のならず者たちではない。しかし、女のことばかり考えている露骨さは「M★A★S★H」的であり、金が手に入ると聞けば、軍規もそっちのけで行動をし始めるのだ。

従来の戦争冒険アクション映画では、敵の要塞を破壊するとか、重要人物をやっつけるとか、軍の作戦に結びついた事柄が目的になっていたと思う。
だが、この映画は、莫大な金塊をいただこうという、全く個人的な欲望が目的なのだ。

そのチャッカリ屋の代表選手が、クリント・イーストウッド扮するケリーで、テリー・サヴァラスその他の面々を仲間に入れるのだが、「M★A★S★H」のドナルド・サザーランドも加わっており、部隊長が留守の間に勝手に戦車隊を出動させ、作戦本部にあった敵地の地図まで無断で持ち出し、おまけに、自分たちの行動を援護させるために砲兵まで抱き込んで、大砲をぶっ放させるのだから、「M★A★S★H」以上のデタラメさだ。

こうした図々しくも大胆不敵、無軌道もいいとこのイーストウッド・グループの作戦は、数人が密かに敵地へ潜入するなんてものではなく、堂々と敵の陣地を爆破して進み、工兵隊まで動員して橋をかけるなど、普通の戦闘と同じことになってしまう。 その上、これを司令部のおめでたい将軍が、正式の奇襲作戦だと思い込み、「よくやったぞ、勲章だ! 」と喜ぶのだから、いよいよあきれかえったお話なのだ。 デタラメと言えば、これくらいデタラメな戦争映画もないだろう。 しかし、この映画は、そういうデタラメなところが見どころなので、これに腹を立てるような人には、最初から関係のない喜劇なのだ。 それにしても、自分たちが命を捨て、血を流して戦った第二次世界大戦を、こなにふうに笑って笑って、笑い飛ばせるユーモア精神は、たいしたものだと思う。 そして、こんなふうに戦争を捉えて描くと、戦争というものが、いかに馬鹿々々しいものであるか、ということがかえって、くっきりと浮かび上がってくるのだ。

戦略大作戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

この映画「戦略大作戦」は、戦争アクションに、金の延べ棒奪取作戦をプラスしたところが新味の、戦争冒険アクション映画の痛快娯楽作だ。
監督は「荒鷲の要塞」のアクション映画を得意とするブライアン・G・ハットン。

この映画は、戦場の中での戦闘アクションだけでなく、計画犯罪ものの持つ面白さも盛り込んで、二倍楽しんでいただきましょうという趣向だ。
この着想はなかなか面白い。とにかく、人をくった話が展開するのだ。

そして、この映画には当時、大きな反響を呼んでいた、ロバート・アルトマン監督の「M★A★S★H」の影響を大いに受けていると思う。
朝鮮動乱のアメリカ野戦外科病院を舞台に、そこに勤務する軍医たちの奇妙奇天烈な行動を描いた反戦コメディで、ブラック・ユーモアのタッチを含んで描いていた映画だった。

利休:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-19

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利休の権威が増大するとか、一面で堺の豪商である、彼の経済力に対し恐れを感じたという説もあれば、豊臣政権内部での権力抗争で、反対勢力からの讒言に遭ったとの説もあり、朝鮮出兵などでの反対意見の進言が、秀吉の逆鱗に触れたとする説などが、後世の歴史家から言われています。

しかし、この作品では、芸術の頂点に立つ利休と、政治権力の頂点に立つ秀吉との心理的な葛藤に焦点を絞って描かれています。

尾張の貧農から身を起こして天下人となった秀吉には、芸術と、それから皇室の権威への凄まじいまでのコンプレックスがあった、としています。
それが、茶の湯に金をとめどなくつぎ込む執着、黄金の茶室で、帝に茶をふるまった際の秀吉の異様な興奮、そして、貧しい農婦でしかなかった実母の大政所を飾る禁裏勤めをしていたと称する偽りの履歴、といった形で描写されるのです。

皇室の権威の方は、いくら関白太政大臣になっても、それ以上はどうしようもありませんが、芸術だと金の力で牛耳れば、いちおう格好はつくものです。
巨大なパトロンとして、あらゆる芸術家たちの上に君臨することで、芸術を司どろうとするのです。

しかし、それは所詮、擬制の支配でしかなく、同じ茶の湯の土俵上では、秀吉は利休の足元にも及ばないのです。 この映画の冒頭の茶室の場面、夏の払暁、秀吉を迎える利休は、庭に咲き乱れる白い朝顔を一輪だけ花筒に活け、残りの全てを門弟に命じて摘み取らせておきます。 そうやって、唯一の存在にした一輪の朝顔が、茶室の柱で客人を迎える趣向は水際立っています。 また、二人が最後に対決する茶室の場面でも、秀吉が素材として与える梅の枝を、無造作に花を散らし、水盤に投げ出した大胆な技で圧倒し、権力者がいくら寛大ぶってみせても、決して屈しない芸術精神を意志強く表明しているのです。 秀吉自ら、茶碗を評してみせたりして半可通ぶり、斯界の第一人者・利休を力で支配しても、芸術に関しては、遠く及ばないのをはっきりと自覚しているのです。 どんな世俗的な栄光を得ても、また権力を握っても、芸術的才能を得ることはできないということを-------。

だが、秀吉=権力、利休=芸術と単純に対比するわけにもいかないのです。 秀吉には、天下を獲った男ならではの力量と人間的魅力があり、それには十分、人の心をとらえる価値があるのです。 また利休の方には、純粋に芸術の道を求める姿勢にとどまらぬ、権力への志向が潜んでいるのです。 秀吉につき従うこと自体、精神の完全な自由を犠牲にして、名誉と力を得る行為だし、黄金の茶室という「わび」とは無縁の趣味に、どこか美を感じてしまっていると述懐もするのです。 あくまで、芸術に殉じた弟子の山上宗二の純粋さとは、距離ができてしまっているのです。 そして、その利休の側のジレンマと対置されるからこそ、太閤秀吉の芸術コンプレックスとの対照が際立ってきて、この二人の巨人の人間関係の奥行きを深めているのだと思います。 利休の三國連太郎、秀吉の山崎努、もうこれ以上の適役は考えられないほどの二人の名優の演技が、圧倒的に素晴らしく、権力と芸術が真っ向から激突する重量感溢れる、このドラマに厚みと深さを与えているのだと思います。

他の役にも重厚な配役がなされてはいるものの、それらのベテラン俳優たちの印象がすっかり霞むほど、二人の演技が抜きん出ていると思います。 顔に刻まれた深い皺の間に永年の芸の蓄積と、人間的な深みを感じさせる三國連太郎は、後頭部ひとつにも強烈な存在感を主張させ、微動だにせぬ後ろ姿の風格だけで、芸術家の強固な魂を表現してみせます。 また、一方の山崎努は、老境を迎えた成り上がりの権力者の恍惚と不安の交錯を、育ちの卑しさを滲ませながら、カリカチュアにならぬ、ぎりぎりの絶妙なリアリティで演じきってみせ、これまた実に見事です。 草月流の三代目家元でもある勅使河原宏監督は、特に美術に贅を尽くしてみせます。 大ベテランの西岡善信の細密な設計によるセットの中で、織部茶碗など実際の桃山時代の第一級の美術品を使う絢爛たる豪華な書画骨董が、本物の輝きを発していると思います。

この茶道のみならず、陶芸、華道、造園、建築、工芸、そして舞踊や能に至るまで、ふんだんに提供される本物の美の重みが、利休と彼をめぐる桃山文化人たちの芸術生活を引き立てているのだと思います。 各種芸術に造詣の深い勅使河原宏監督をはじめ、脚本には画家で芥川賞作家の赤瀬川原平、衣装にワダエミ、音楽に武満徹と現代日本の代表的芸術家を参加させているのも、「芸術」について追及しているこの映画に相応しいと思います。

利休:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

歴史ドラマというものは、厳然とした歴史の流れがあらかじめ決まってしまっているから、物語の筋がどうなるのかを楽しむ余地は少ないものです。
織田信長の後には豊臣秀吉が、秀吉の後には徳川家康が天下を獲る定めになっているし、話の中で石田三成がいくら智略の限りを尽くしたところで、彼が政権を取り損ねて殺されたのは周知の事実です。

野上彌生子原作の歴史小説「秀吉と利休」を基にして作られた、この勅使河原宏監督の「利休」も例外ではありません。

主人公の千利休が、秀吉から死に追いやられる結末はわかっているし、愛弟子の山上宗二が惨殺されるのも、利休の反対を押し切って朝鮮出兵が強硬されるのも、歴史のままです。

そして、三成が利休に家康の毒殺を命じる創作エピソードにしても、家康が生き永らえるのは必然だから、果たして実行するかどうかのスリルには結びつかないのです。

だから、我々観る者は、結果よりもその途中のプロセスを、ドラマとして楽しむというスタンスで観るわけです。
なぜ、秀吉は寵愛していた利休を殺したのか、その歴史上の「なぜ」が、この映画の最大のテーマになっているのです。

成龍拳:P.N.「雪風」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-19

笑顔のない真面目なジャッキーチェンは、面白くない。アクションもキレもスピード感もなく、内容もグダグダ。成龍拳はどれなの?千々はほんまに妊娠してたの?

長距離ランナーの孤独:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

このトニー・リチャードソン監督、トム・コートネイ主演の「長距離ランナーの孤独」は、感化院に送り込まれた若者が、クロス・カントリー・レースの長距離ランナーに選ばれ、ただひたすら走る話だが、その走る過程に、貧しい自分の生きた環境などを回想し、そして最後には、保守的なイギリスの権化みたいな、感化院長の顔を思い出し、あんな奴にハクを付けるために走るのはイヤだと立ちどまってしまう話だ。

リズム感あふれるランニングの中に、現代イギリスの若者の反逆の姿を描いた、"怒れる若者たち"を代表するトニー・リチャードソン監督の秀作だ。

パレルモ・シューティング:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-19

黒澤明監督の志村喬主演の名篇生きるが主人公の死の陰翳深い作品で在ったように本篇もメメント・モリ,死が照射する生の捉え方を問う。ヴィム・ヴェンダース監督の伝記映画ピナ・バウシュの踊り続ける生命或いは最新作の邦画パーフェクト・デイズの日常生活も何処か哀しみの影に包まれて

最終更新日:2025-05-05 16:00:02

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