映画感想・レビュー 98/2564ページ

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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ここで、四人は砂金を分けようとするが、ダッチマンの阻止と彼らを革命の英雄と持ち上げる村人の歓呼に、あっさりと砂金はおろか報酬金まで彼らに提供してしまうのだ。

これはいかにも"アメリカ映画"的で、こんなことは初期から黄金期のマカロニ・ウエスタンでは考えられない行為である。
この作品の公開が、1969年であることから、マカロニ・ウエスタンの変質がうかがえると思います。

尚、メキシコの将校役として、ジャコモ・ロッシ・スツアルトが顔を出しているのは拾いもので、丹波哲郎は「野獣暁に死す」の仲代達矢に続いて、イタリア西部劇に出演した二番目の日本人スターということになり、"サムライ"という役名で、無口な役柄で刀を振りかざしての活躍はまさに、"日本人ここに在り"を示していたと思います。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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そして、出演俳優は、TVの人気ドラマ「スパイ大作戦」のリーダー、フェルプス役で有名なピーター・グレイブス、ジェームズ・ダリー、バッド・スペンサー、ニーノ・カステルヌオーボ、そしてわが日本の丹波哲郎。
丹波哲郎の外国映画への出演は「太陽にかける橋」「第七の暁」「007は二度死ぬ」に次いで4本目の出演作になる。

物語は、この五人が、メキシコに列車で運ばれてくる砂金を奪い、革命軍に寄与するというもので、リーダーのダッチマン(ピーター・グレイブス)に報酬1,000ドルで雇われる"サムライ"(丹波哲郎)は、剣と手裏剣の名手、ジェームズ・ダリーは、爆薬専門の脱走兵、バッド・スペンサーは、牛泥棒にして鉄道の線路の操作がうまく、ニーノ・カステルヌオーボは、身の軽さが身上というプロたち。
各々がそれぞれ特技を持っているのは、「荒野の七人」にもみられるように、この種の映画のお約束のパターンになっている。

五人は革命の闘士を処刑しようとしていた兵隊たちを皆殺しにしたり、いったんは捕まるものの、村娘の機転で脱走に成功し、列車を奇襲して目的を達するのだ。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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もちろん、もうひとつの背景としては、日本側が香港映画の活劇、カンフー映画などへ、その買い付け方針を変更していったということもあるが、1970年代以降の日本公開のマカロニ・ウエスタンは、その大半がアメリカのメジャーの配給会社によるものであることは注目していいように思われます。

アメリカは過去にもすでに、やはりイタリア映画に資本投下をして、史劇を送り出したことがあるが、かくて歴史は繰り返されていくのだ。
そして、出演者たちも、もうハリウッドで食いっぱぐれたセコハン・スターたちではなくなり、現役の人気も知名度もあるスターが駆り出され、作品のセールス・ポイントになっていく。こうして、マカロニ・ウエスタンのアメリカ化、国際化が始まっていったのだ。

さて、この「五人の軍隊」は、「サスペリア」などのイタリアの鬼才監督・ダリオ・アルジェントが脚本に参加している一編だが、MGMの配給で監督はアメリカの俳優出身で「荒野の愚連隊」や「第十七捕虜収容所」などに出演し、その後、監督に転じて「新・猿の惑星」や「オーメン2/ダミアン」や「ファイナル・カウントダウン」を監督したドン・テイラー。

五人の軍隊:P.N.「オーウエン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-28

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「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」などのマカロニ・ウスタンを撮った、セルジオ・レオーネという世界的に通用するマカロニ・ウエスタンの監督が誕生し、この監督がクリント・イーストウッドやロッド・スタイガーやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンといった本場アメリカの有名俳優たちを次々と起用し、作品も興行的に成功したことから、このイタリア製西部劇のマカロニ・ウエスタンは、単なるイミテーションから、それ自体のものとして認められたとも言えるのだ。

こうして、1960年代後半から1970年代初期にかけて、アメリカは進んでマカロニ・ウエスタンを買い付け、その英語版を世界に配給し、あるいは資本を投下して製作に関わっていくことになる。ロケ地は、スペインの荒野や山岳丘陵地帯、スタッフ、キャストにイタリア人やスペイン人を使うという按配だ。

これは、日本におけるマカロニ・ウエスタンの配給が、それまでもっぱら、東宝東和や日本ヘラルドといった邦人系の配給業者によっていたものが、1970年を境にアメリカのメジャー会社にとって代わられていくことでも如実にうかがえる。

五人の軍隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-28

この「五人の軍隊」は、殺しと流血の暴力描写で全世界で一大ブームを巻き起こした、マカロニ・ウエスタンの痛快娯楽作ですね。

イタリア製西部劇の"マカロニ・ウエスタン"は、まがいもの、殺しと流血の暴力礼讃映画だと言われながら、本場のアメリカ映画界において、正当派の西部劇が衰退していく中で、その存在価値を全世界に広めていったのです。

映画は娯楽で、ましてや、それが西部劇ならば、派手なドンパチに残酷のスパイスをたっぷりふりかけたマカロニ・ウエスタンは、イタリア映画の重要な海外マーケットである中近東や南米、アフリカ諸国の他、本場のアメリカにまで拡散し、この国の貴重な外貨獲得の手段になったのだった。
そして、商売になるとわかったら、なりふりかまわず突き進む、イタリア通俗娯楽映画の真骨頂がここにあるのだと思います。

アメリカで言うところの、"スパゲッティ・ウエスタン"という言葉には、もの珍しさと蔑称のニュアンスが込められている気がしてならないのだが、アメリカも、その存在をもはや無視できなくなってきたことは時代の流れ、趨勢でもあったのだろう。

風の奏の君へ:P.N.「気温のページ」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

文化放送(ラジオ)の「くにまる食堂」にて、試写を見たパーソナリティ二人が紹介していたのを聞き、観ようと思いました。
その言葉のとおり、最後の20分ほどは涙が溢れて止まらない感じになりました。あまり多くの映画を見てはいないのですが、これまで見た中では涙の量が一番多かったと思います。
でも、観た後は、「素晴らしいものを見せてもらった」という爽快感でいっぱいになりました。
おそらく、監督さん、出演者、関係者の「ふるさとへの愛」で貫かれている作品だからなのかなと思います。
皆さんに心からの「ありがとう」、「おめでとう」をお伝えしたいです。

フィリップ:P.N.「愛の逃亡劇」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

すっかり、青年の復讐をとげる物語かと思っていましたが、

何々、スナイパー、工作員並の人物。

隠蔽工作が解かれ、明らかとなった、ケネディ大統領暗殺の全貌。

60年も経てば、関係者もほぼ他界、ヨーロッパでもかなり変貌を遂げたポーランド、その内を開示しても問題はなくなったのでしょう?

スパイ、工作モノの要素が強く、少しラブロマンスで濁していますが、フィリップが、賢くて強く、スナイパー並の腕前と立ち居振舞い。

果たして、彼は、単なる復讐者なのか?

自伝的なら、この作品は、後々の様々な映画の題材となったでしょう?

そのネタ元だからと言う落ちなのかも知れません?

九十歳。何がめでたい:P.N.「なるようになる無為自然の老先生(子)」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-28

草笛光子さん
佐藤愛子さん
どちらもめでたい、ご長寿。

幸せの波動を分けてもらえます。

私は、半分位しかですが、
本の内容、映画のストーリーに、驚く程共感する点がありました。

保育園反対のお話なんかは、エピソードの数々に少し価値観が似ていて、

誰から教えてもらった忘れましたが、
「本当に働いている人は働いている様に見えない」
と言う言葉が小学生の頃から頭の片隅にあり、普通に生きる大切さを大切にしています。

つくづく、普通に生きることは、世間では難しく考えている様です。

普通に仕事をすればいいものをことさら主義主張ばかりで、肝心の仕事はそっちのけ、

無為自然、ことさら騒ぎ立てなくても、自己アピールしなくても、なるようになる。

心がすぐ他人の意見に振り回され、スマホ片手に外にばかり向いていて、自分の中が常に不在中。つい、余計な言動に走る。

自然の運びの様な生き方をすれば、収まるところに収まる。

お二方の、老先生は、
その生きる姿勢が、老子(先生)の無為自然に通ずるのかも知れません?

ホステル:P.N.「雪風」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-06-27

前半のエロシーンはもう一つやねえ。拷問シーンももう一つやなあ。期待し過ぎたかも。日本人女性を犠牲にするのは、つらいです。三池崇史監督、イーライ・ロス監督ワンカットの出演笑いました。2も観たくなりました。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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原作者の水上勉は、この映画を観終えた後の感想として「やはり映画は、芸術の中でも最も景色と密着して、思想を具現し得る武器だなと思った。
感心したのは、最後の鳥葬の場だった。
ぼくらの歴史は、名もない野の聖たちを鴉に喰わせてきた歴史である。
篠田さんは、いいたいことを景色の奥に秘めて、この熱っぽい作品を完結している。」と評されています。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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彼女は、このおりんという難しい役を演じるにあたって「最初は目をつぶっての芝居が不安でした。しかし、元瞽女の杉本キクエさん(無形文化財伝承者)にお会いして、仏さまのような優しい人柄に打たれたおかげで、おりんの心境がつかめ、演技のために目をつぶると逆に心の安らぎを感じるようになりました」と語っています。

映画のラストシーンで憲兵隊から釈放されたおりんが、一人で旅を続け、着ている着物は破れ、埃だらけのよれよれの姿になって断崖に足を滑らせたのか、それとも身を投げたのか映画は詳しく説明しませんが、おりんは白骨となって自然の懐へ還ります。

悲しい人生の最後の極限の姿を、白骨で表現する最後のシーンは、原作以上に何か心の奥底に迫って来るものがあります。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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黒澤明監督の「羅生門」や溝口健二監督の「雨月物語」などの名作を手掛けた撮影監督の宮川一夫は、失われつつある農村の風景を日本の原風景として捉え、その風景を後の時代に残そうという使命感に燃えてファインダーをのぞいて、まるで涙を浮かべながら撮影しているような、そのシーンのひとコマ、ひとコマが我々観る者の心の奥底に伝わってきます。

宮川一夫は、大正時代の日本の原風景を求めて3年がかりで日本全国80か所のロケ地を探し回ったとの事です。

現在の視点から見ても、日本の中にまだこのような昔ながらの場所が残っていたのかという、素晴らしい風景が次々と出てきて、その風景の中で、おりんという瞽女の姿は失われていくものへの哀惜であり、消え去ろうとする古い文化の終焉を表現しているのだと思います。

全盲の瞽女という難しい役を演じた岩下志麻は、おりんの生まれつきの明るさ、純粋無垢な心の美しさ・素直さを、魂のこもった演技で表現していたと思います。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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映画は、6歳の時に親に捨てられ、越後の高田瞽女屋敷に引き取られたおりん(岩下志麻)が21歳の時に、ある男とふしだらな関係を持ったという事で屋敷から追放され、"はなれ瞽女"となります。

おりんは、たった一人で門付けをして、誰もいない破れ小屋や雨漏りのする御堂に寝泊りし、男に体をまかせてはわずかなお金をもらうという漂泊の旅を続けて行きます。

その旅の途中で出逢った得体の知れない平太郎(原田芳雄)は、おりんの仏さまのような心と姿の美しさに魅かれ、おりんの体を求めようとはしませんでした。
一方のおりんも生まれて初めて、人の心の優しさに触れ、平太郎に魅かれていきます。

このおりんと平太郎の二人の奇妙とも思える漂泊の旅が、裏日本の自然の美しさと古い町並みを背景として、しみじみと描かれていきます。

はなれ瞽女おりん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-27

映画「はなれ瞽女おりん」は、水上勉原作の小説を"近松門左衛門の絢爛たる世界を、日常性から脱却して、非日常の世界へ没入する事で、美と恍惚とエロティシズムの極致を描いた「心中天網島」"の篠田正浩監督が映画化した作品で、撮影監督を宮川一夫、音楽を武満徹という日本を代表する超一流の布陣で製作されています。

瞽女とは、盲御前という敬称から発生した言葉だと言われていますが、三味線を弾き、語り物、はやり唄、民謡などを歌って日本中の村から村へと門付けをして歩く盲目の旅芸人で、その村に1年に1回訪れるのが大正時代の日本において娯楽の少なかった農民たちにとって待ちわびた楽しみであり、農村での大衆芸能を最も伝統的に継承するものでした。

この瞽女さん達は、全員が盲目の女性であるため、独特の仲間組織と厳しい内部戒律を守ってきたそうです。
このような厳しい戒律の中で、男子禁制を破った場合には仲間から追放されたそうで、この追放された人を"はなれ瞽女と呼びました。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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それは、見世物にも人間にもなりきれないという不幸を、背負っていたのかも知れない。

そして、エレファント・マンはやっと人間扱いされた時に、初めて自らの意志で死を選ぶのです。
それは私には、ある種、”甘美な死”に感じられた。

彼は命をかけて叫んだのだ。「私は、お化けではない。人間なのだ」と。
この、人間であるということは、彼にとっては”見果てぬ夢”だったのだ。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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それは、全て私たちの心の内側にある反応である。
私たちは天使でも悪魔でもない。あるいは、天使でも悪魔でもある。
野卑な好奇心も、他人の不幸を思いやる想像力も持っているのだ。
そういう意味で、登場人物が善玉悪玉に色分けされすぎていることには、かなり不満が残ってしまった。

エレファント・マンの不幸は、彼が醜い肉体に生まれついたことと共に、インテリジェンスを持っていたことだと思う。
自分と、世間とを映し出すインテリジェンスという”鏡”を持っていたことだと思うのです。

見世物であるためには、あまりにもインテリジェントでありすぎた。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-27

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この映画の冒頭は、そのイメージ・シーン。美しい女の顔のアップ。唸り声をあげて襲いかかる象の群れ。
戦慄を覚える、非常に怖いシーンだ。

19世紀末のロンドンの陰鬱な暗い街並み。
モノクロの画面はアンチック・カードのような暗い美しさに満ちている。
そして、見世物小屋から小びと、シャム双生児、巨人などのフリークに助けられて逃亡するシーンも、幻想的な美しさに満ちている。

産業革命当時の、鉄と火とじゅうじゅうと煮えたぎる水—-
これが冒頭の象のシーンとなぜか一つになって、荒々しい”恐怖イメージとなって、観ている私の胸に迫ってくるのだ。
私にとっては、これはエレファント・マンの醜い肉体よりも、もっと深い恐ろしさだった。

そして、エレファント・マンが目前に現われた時の、様々な人々の様々な反応。
恐怖の叫び声をあげる看護婦。好奇心をむきだしにする夜警や子供たち。
ひとすじの涙を流す外科医。

エレファント・マン(1980):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-27

この映画「エレファント・マン」を初めて観た時、奇形の人間が主人公の映画だとの前情報で、観るのをどうしようかと、ちょっとためらった思い出があります。

奇形、業病—-シチュエーションの異常さで見せる映画が元々嫌いで、不幸な人々を、ある種の見世物にして満足するような映画があまりにも多いから。

けれども、この映画はそういう”イージーな感動”を当てにした映画ではなかったのです。
頭巾を脱いだエレファント・マンを画面に登場させる時に、敢えてアップで撮らずに、遠景にした、そういうところにも、素材の異常さに頼っていない映画だということがわかって、好感が持てたのです。

世にも稀な奇形に生まれつき、「エレファント・マン」と呼ばれ、見世物にされていたジョン・メリック。彼は19世紀末のイギリスに実在した人物だと言われています。

見世物の口上では、奇形の原因は、母親が象に踏み倒されたためという(だが、本当のところは全くの原因不明なのだが)。

最終更新日:2025-05-05 16:00:02

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