若人のうたごえ 作品情報

わこうどのうたごえ

第一部・若人のうたごえ--大学出の駅弁売り、春山和夫は野崎村のうたごえ運動の指導者であり、ツバメガールの夏川京子とは恋仲であった。野崎村では村長や神主、村会議員等はうたごえ運動を赤呼ばわりしていたが、蔭ながら応援をしてくれるのは玄海和尚であった。ある日村に梅村雲平を頭とする長谷川、魚川の三人組のスッポン屋が現われた。彼等のスッポン養殖談義にまるめこまれた村長一派は和尚の忠言もきかず、村の行事として大々的にスッポンの養殖をすることに決めてしまった。一方うたごえ運動に対抗して村長の娘美子を中心とするマンボグループがあった。和夫の親友の栗原運転手は美子に想いをよせていたが、美子は和夫を想っていた。美子達は公民館をねじろにスッポン屋の長谷川からマンボの指導を受け、村祭の当日舞台を作ってマンボ大会を催した。しかし和夫達の合唱団は会津盤梯山をうたって応酬し、これに唄い勝った。この時、祭で和夫の家に招かれて来た京子の許に東京の弟が病に倒れたという電報が届いた。 第二部・お母さんの花嫁--京子の家は昔交響楽団の指揮者であった父恵吉と高校合唱団の指揮をしている弟の孝の三人暮しであった。恵吉は今はあるキャバレーにつとめていた。孝の親友花田道代は母親ふみと二人で楽器店を開いていた。孝と道代のグループは来るべき音楽大会で優勝すべく練習に励んでいた。練習の過労で孝は病に倒れたのであった。道代は母と恵吉の結婚を望んでいた。一方野崎村では、もともとペテン師の雲平達は村人の疑惑が次第にスッポン養殖事業に高まるのを知り、なんとかして悪事露見を防ごうと遂に雲平自身東京にスッポンの卵を求めに行くことになった。この雲平の挙動に不審を抱いた玄海和尚は小坊主の三休を尾行させた。和夫や栗原はスッポン池の調査に出かけ、これを知った雲平一味に暴力をふるわれてしまった。東京では道代はふとしたことから指を怪我したが、それにもめげず音楽会の当日舞台に上り孝のタクトでピアノをひいた。鍵盤は鮮血にそまったが優勝の栄冠を得ることは出来た。その頃野崎村から京子の許へ和夫入院の急報が入った。 第三部・明日への招待--京子は早速野崎村の病院を訪れたが、何故か和夫には面会謝絶とのことで会えなかった。和尚一派と村長一派の対立が深まってゆく中に一事件がもち上った。それは丹野巡査と車掌マリ子の結婚式を神式でやるか仏式でやるかの問題であった。村長と和尚と神主の三者会談の結果、公会堂で挙式することに決まった。雲平はスッポン事業がうまくいかないのを見て、公会堂を一大娯楽センターにする案を村長に提出した。その建設資金を横領しようというのが彼の本心であった。この案は村会で決まらず公聴会を開くことになった。その当日、会場の公会堂は村長一派に占領され、案反対の演説をした和夫達は多数にやじられて立往生をしてしまった。が、この時村長達の幹部は美子達女性群にさらわれ、玄海和尚の寺の本堂に連れこまれてしまった。そこでは村民の老若男女が京子のアコーディオンで合唱の最中であった。丁度その時、雲平にだまされていた料理屋「いろは」の酌婦、マキによって雲平一味の悪事があばかれた。すべては解決した。村長と和尚は和解した。村民の合唱がひびく丘。豊年万作の幟がひらめく青空の下に、京子と和夫、栗原と美子の幸福そうな姿があった。(第二部と第三部は56年1月に公開)

「若人のうたごえ」の解説

「森繁のやりくり社員」の川内康範と「美女決闘」の村山俊郎が共同で脚本を書き、「たん子たん吉珍道中」の毛利正樹が監督、「あばれ行燈」の友成達雄が撮影を担当した。主なる主演者は「息子一人に嫁八人」の舟橋元、日比野恵子、「あばれ行燈」の田崎潤、「お嬢さん女中」の江畑絢子。なお伴奏音楽は始どなく、“流浪の民”他二十曲の合唱が全篇各所でうたわれている。(三部作。第1部は'55年12月、第2・3部は'56年1月に公開)

公開日・キャスト、その他基本情報

キャスト 監督毛利正樹
出演舟橋元 日比野恵子 田崎潤 高島稔 小倉繁 武智豊子 坊屋三郎 江畑絢子 中村是好 高岡久美子 江見渉 若月輝夫 信夫英二 真山くみ子 高田稔 和田孝 三宅邦子 池内淳子 花岡菊子 阿部寿美子 丹波哲郎 井波静子 原聖二 城実穂 武村新 池月正 岡龍三 御木本伸介 国創典 高松政雄 築地博 水帆順子 小森敏 広瀬康治 東京子 加藤章 児玉一郎
配給 新東宝
制作国 日本(1955)
上映時間 45分

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最終更新日:2022-07-26 11:03:48

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