- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-12
この韓国映画「黒く濁る村」は、「神弓-KAMIYUMI-」で圧倒的な存在感を示した演技で私を魅了したパク・ヘイルが、2010年に出演した映画で、「シルミド/SILMIDO」のカン・ウソク監督による異色のサスペンス・ミステリです。
20年も音信不通だった父の訃報を受け、山奥の小さな集落にやって来た青年ユ・ヘグク(パク・ヘイル)。
父の財産や土地の所有権が元刑事の村長の名義になっていることや、村人に不穏な空気を感じたユ・ヘグクは、父の死因を探ろうとするが、村人たちの妨害に遭い、事件は意外な顛末を迎えることになるのだった-------。
2時間41分という長尺だが、韓国映画らしい湿っぽい人間描写や、寒村の閉塞感を活かした、ねちっこいサスペンス演出のおかげで、最後まで飽きさせないし、ユ・ヘグクと左遷された検事の関係性も話を盛り上げてくれる。
とはいえ、ミステリとしての詰めは甘いし、細かい部分で杜撰な描写も目立つため、ラストカットの”衝撃”感が、薄れてしまっているのが少し残念だ。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-05-12
アクロバット的なガンプレイが炸裂する、マカロニ・ウエスタンの貴公子ジュリアーノ・ジェンマが、シリアスな復讐劇に挑む「続・荒野の1ドル銀貨」。
ややこしい邦題だが、ジェンマの出世作「荒野の1ドル銀貨」とは関係のない「夕陽の用心棒」の続編となる作品だ。
監督は、「夕陽の用心棒」「荒野の大活劇」でもジェンマと組んだ、イタリアの娯楽映画の職人監督ドゥッチオ・テッサリ。
そして、映画音楽の巨匠エンリオ・モリコーネの音楽も印象的だ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
ジョン・ランディス監督の「アニマル・ハウス」は、素材そのものが、ダイレクトな笑いの発火点となって、我々観る者を直撃する。
時は1962年。アメリカ北東部の名門大学。
そのキャンパスの一隅にあるのが、アニマル・ハウス。
実は学生クラブの一つなのだが、ここの学生ときたら、まあズッコケでたらめ、不潔でとんまときている。
もう、どうしようもないメンバー揃いなのだ。
彼らが学園内で、町中で、もう、めちゃくちゃな行動を見せるのだ。
エネルギッシュな笑いの中で青春には、点取り、ごますり、ガリ勉だけじゃない、もっと貴重なものがあった筈だと、この甥が派語りかけるのだ。
「タミー」をはじめ、1960年代のヒット曲が流れる中の青春讃歌。
決して懐かしさなんかじゃない。
青春とは、エネルギーなんだという強烈なパンチ。
この若さは素晴らしいと思う。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-12
英国映画「雨の午後の降霊祭」は、役者として「大脱走」、監督としても「ガンジー」や「遠すぎた橋」で有名なリチャード・アテンボローがプロデュースしつつ主演もしている映画です。
いかにも英国映画らしい、モノクロームでなくては作れないお芝居です。
テーマは誘拐。犯人夫婦の妻の方が霊媒で、僅かな信者を集めては降霊会を開きます。
リチャード・アッテンボロー扮する夫が、子供を誘拐し、妻が霊媒としてその家に乗り込んで、子供が自分の夢に現われたなどと話します。
身代金をうまく手にいれる場面の疾走感が、とてもいいんですね。
これで犯罪としては成功なのですが、結局は誘拐された子が殺され、やがて実に意外な方法で真実が暴露される。
ここでは、ミステリーという言葉も推理ではなく、神秘という本来の意味に取ったほうがいいのかもしれません。
抑制されたリアリズムで作ってゆくから、最後の超自然的な展開が冴えわたります。
英国以外の国では絶対に作られない種類の映画だと思いますね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-12
この映画「カーツーム」は、19世紀半ばの清朝中国を舞台に、内乱の鎮圧に活躍した英国の将軍”支那のゴードン”の晩年を描く歴史大作。
スペクタクル映画としては説明が多すぎるが、ゴードン将軍役のチャールトン・ヘストンと反乱軍の回教徒のリーダー、マーディ役のローレンス・オリヴィエという、当時の大スターと名優との激突が最大の見物だ。
ゴードン将軍が英国のグラッドストーン首相の策謀で、スーダンの総督として赴任する。
そして、反乱軍のリーダーのマーディと会って局面を打開しようとするが成功せず、遂に首都のカーツームにおいて包囲され、悲愴な最期を遂げるまでを、歴史の教科書的な生真面目さで描いていて、凡庸なバジル・ディアデン監督の演出のせいもあって、面白みのない作品になっている。
もっとも、ドラマ的には盛り上がりに欠けるものの、砂漠の戦闘シーンは、大勢のエキストラを動員して、相当な見せ場になっている。
そして、最大のスペクタクル場面は、やはりクライマックスのカーツームでの攻防戦で、動きは西部劇でのインディアンの来襲より鈍くて爽快さもないが、重量感は十分感じられましたね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
このマルセル・カルネ監督の「天井桟敷の人々」は、第1部「犯罪大通り」と第2部「白い男」で構成されていて、壮大な愛憎絵巻を展開して見せる作品だ。
ドイツ占領下のフランスで、3年カ月の歳月をかけ、豪華なセットや衣装、最高の俳優によって、この芸術作品を完成させた、マルセル・カルネ監督のレジスタンス魂は、今観ても、強く心を打つものがある。
マルセル・カルネ監督は、このドラマを民衆の燃え上がるような
狂気の中に、描き上げていったと思う。
恋とは何か?人間のたとえようもない命のほとばしり。
特に凄いのはラストだ。
去って行く女を追って、青年が走る。
彼を押し包むようにして、民衆が踊り狂う。
この民衆のエネルギーこそ、フランス人のエネルギーの表明であったのだろう。
それはそのまま、ナチスに対して、決して屈服することのない、フランス人魂の表明だったのだ。
そして、三大スターの素晴らしい名演技。
犯罪通りのセットも敬服に値する。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この映画「映画は映画だ」は、ソ・ジソブ、カン・ジファンという二大スターがガチンコで激突する、凄まじい作品だ。
ヤクザのような映画スターであるスタ(カン・ジファン)と、映画スターに憧れるヤクザのガンペ(ソ・ジソブ)。
同じ志向性を持ちながら、決して交わることが無いと思われた二人は、ひょんなことで出会い、同じ映画で競演することになる。
しかし、アクションの演技が出来ないヤクザと、手加減が出来ない俳優は、カメラの前でも本気度100%の殴り合いをしてしまう。
”哀しみと憂愁の翳り”をオーラのごとく放つ、ソ・ジソブの存在感は、やはり、この映画でも凄い。
果たして、こんな状態で本当に映画は完成するのか?-------。
撮影で殴り合うだけでなく、ヤクザがヤクザである限り逃れることの出来ない悲哀も描いていて、この作品は紛れもなく、映画好きの心を熱くする、”映画愛”に満ちた映画なのだ。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-12
この映画「突撃隊」は、若きスティーヴ・マックィーンが主演し、ドン・シーゲルが監督した戦争アクションだ。
上官への反抗で、士官から一兵卒に降格され、最前線に飛ばされたという設定が、まさにマックィーンにピッタリなんですね。
映画の前半は、前線に送り出された兵士たちの不満と、逆に元気はつらつとしてくるマックィーンとの対比で、兵士たちの個性を際立たせ、中盤は本隊が留守であることを隠すために、ジープを改造して戦車のような音を立てたり、敵の隠しマイクを利用して、偽の実況中継をしてみたりと、様々な手を使った騙し合いが、コミカルに展開していく。
白黒映画の89分と短いながらも、映画のツボを押さえたペース配分が、実に見事だ。
さすが、ドン・シーゲル監督、限られた予算でも、使い方次第でいくらでもスケール感は出せるという見本のような映画だ。
マックィーンが配属される分隊には、調達屋のボビー・ダーリンや、修理工あがりのジェームズ・コバーンがいて、思わずニヤリとしてしまいます。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この作品は、それまでセックス・シンボルとして人気を博していたマリリン・モンローの、アクターズ・スタジオでの演技のトレーニングの成果が発揮され、彼女のターニング・ポイントとなった作品で、彼女のとぼけた中にも人間の悲しみを表現した演技は、辛口で知られるニューヨーク・タイムスの映画評で、「マリリン・モンローはついに女優になった」 と評されたのです。
彼女が演じるのは、田舎の純粋というにはいささか常軌を逸した朴訥さの、カウボーイにひと目惚れされる酒場の歌手の役だ。
人生の当面の目標を、ハリウッドの女優になることと決めているこの歌手の、目標からそれていく様子が描かれているのだが、ドラマはコミカルな中にホロリとさせるものがある。
何度となくカウボーイの手から逃れようとするが、とうとうそれもならないままに、雪に閉ざされた、とあるバス停留所のドライブ・インまで連れられて来てしまった。
このドライブ・インでのマリリンの一部始終、つまりカウボーイの中に真実を見たヒロインには、人生と男の裏も表も知り尽くした女ならではの、そこはかとない優しさが漂っていたように思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この映画「赤い天使」は、増村保造監督、若尾文子コンビによる第15作目の作品で、敗色濃い中国大陸を舞台に、従軍看護婦とそこで出会った男たちの物語だ。
この映画は「兵隊やくざ」と同じ有馬頼義の原作ですが、あの痛快さや開放感はどこにもなく、暗く重苦しいトーンで貫かれている。
最前線の野戦病院は、傷病兵であふれ、死者も生者も一個のモノと化していく。
負傷した脚をノコギリで切断する音が響く手術の描写をはじめ、実際に従軍経験のある小林節雄の撮影を得た、増村保造監督の過剰なまでのリアリズム演出は、戦争の真実を抉って鬼気迫るほどだ。
両手を失った一等兵(川津祐介)、戦場の狂気の中で正気を保とうとモルヒネを常用する医師(芦田伸介)。
戦争に身体も心も蝕まれた男たちに深い愛を捧げるヒロインを演じた若尾文子が、凄絶なまでに美しい。
増村保造監督の映画のヒロインの多くは、狂気の愛に生きるが、戦場という極限状況に置かれた若尾文子は、おびただしい死と隣り合わせの男たちに愛を与え、一瞬の生を実感させる。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-12
この東映映画「帰って来た 女必殺拳」は、ご存知、志穂美悦子主演の「女必殺拳」シリーズの第三作目の作品だ。
かつての緋牡丹のお竜の現代版とも言うべき、カラテの名手・李紅竜(志穂美悦子)が暴れまわる痛快アクション映画だ。
この映画は、もちろん言うまでもなく、志穂美悦子の華麗なカラテ・アクションが目玉の荒唐無稽な話ではあるが、志穂美悦子の爽快な身のこなし、少年のように澄んだ表情が、活劇シーンの連続するスピーディーな画面作りと溶け合い、”少年熱血冒険活劇”風の魅力を放っていると思う。
また、人間の激しいアクションこそが眼目であり、話の展開はそのためにだけあるという形は、本来のアクション映画の原点を示すものだと思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この映画「さざなみ」は、第65回ベルリン国際映画祭で、主演男優賞と主演女優賞を受賞した秀作ですね。
長年連れ添った夫婦の関係が、1通の手紙によって揺らいでいく様子を通し、男女の結婚観や恋愛観の決定的な違いを浮かび上がらせていく人間ドラマでしたね。
この「さざなみ」は、静かな映画ながら、その静謐さの中から、オスカー候補となったシャーロット・ランプリングの怒りと悲しみの表情が、微かな隙間から眼光を光らせているように見え、”さざなみ”のようにざわざわと私の心を恐怖に陥れる凄みがありました。
とにかく、この夫ジェフは、妻の前でそれはないでしょうというくらい脇が甘いですね。
妻ケイトの控えめな仕草と態度が、それだけ彼女の憤怒の深淵さを覗かせているのに、あ~、男って愚かですね。
ジェフは、過去の恋愛の記憶を反芻するようになり、妻は夫に対する怒りや不信感を募らせていくんですね。
45回目の結婚記念日で、ジェフと踊るケイトのまなざしに、刹那に感じられた、冷たい刃物の閃きが感じられる、そんな怖い映画でしたね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
銀行強盗のゲッコー兄弟が、元牧師一家を人質に取り、アメリカとメキシコの国境を越える前半部と、国境近くのバーで、”夕暮れから夜明けまで”の間に展開する後半部。
美女のセクシーなダンスの前で、俳優タランティーノが死ぬ時、お得意のバイオレンス・アクションは、血みどろのスプラッターへと切り替わる。
主役は、クールなギャングスターからハイ・テンションなヴァンパイアへと交代し、当時33歳のタランティーノと27歳のロドリゲスという、才気溢れる映画オタクたちは、そのいい加減さと思いつきの力強さを、我々観る者に見せつけるのだ。
すると、それまでおとなしかった、ジュリエット・ルイスは、みるみる色気を炸裂させ、濃い顔のジョージ・クルーニーは、益々、暑苦しく動き回るのだ。
イカしたセリフとヤンチャなストーリー展開。
青臭い楽しさがいっぱい詰まった、この映画は、理屈抜きに面白い作品だ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この映画「アリスのレストラン」は、アメリカのフォーク・シンガーの元祖であるウディ・ガスリーの息子で、現代の吟遊詩人と言われたアーロ・ガスリーが、実名で登場し、自身の同名のヒット曲とともに、自らの青春とその彷徨を演じていくという、ホロ苦いヒューマン・ドラマであり、ニューシネマの傑作だ。
ヴェトナム反戦で揺れる1960年代後半のラブ&ピースなヒッピー・カルチャーを、「俺たちに明日はない」のアーサー・ペン監督が描いた作品。
ヴェトナム反戦のテーマと当時の若者たちのドロップ・アウト的なムードを、1960年代後半の社会風俗的な記録という角度を狙い、抑制の効いたタッチで淡々と描いていると思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この神代辰巳監督の映画「宵待草」で描かれる時代は大正時代。
アナーキズムにかぶれる青年とテロリストが令嬢を誘拐、そしてこの三人の不思議な逃避行が始まる。
「宵待草」に始まり、古びた流行歌をひたすら呟き声で歌い続け、道中でどんでん返しをし、体を求め合い、ススキ野を旅する彼らの佇まいは、どのカットも、胸がざわつく瑞々しさに溢れている。
高橋洋子、高岡健二、夏八木勲という、本能で神代辰巳監督の演出に応える肉体派の役者たちと、晩秋の刻々と変化する風景を、凄まじい美で切りとる姫田真佐久のカメラ。
気球で空を逃亡する、広々とした爽快感の後、地上に降り立ち、そのまま内ゲバが展開する、躍動的な長いワンカットは、まさに奇跡的な映像だ。
革命に走る若者のやるせない道行きを描く、さすらう映画の最高峰とも言える映画だと思う。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-05-12
この「ドクター・モローの島」は、ご存知、H・G・ウエルズの古典SF小説の映画化作品だ。
難破した船員ブラドック(マイケル・ヨーク)が、流れ着いた孤島で、野獣の人間化を研究しているモロー博士(バート・ランカスター)に出会う前半は、ほぼ原作通り。
ただ原作では、外科手術を反復し、それによって生ずる二次的変化の累積によって、野獣を人間化していくという、偶然に頼るやり方だが、映画では、染色体の説明に始まり、脳髄から採取した液を蒸溜したものを、繰り返し注射することになっている。
改変は後半で、原作では、博士の死後、獣人たちが次第に元の野獣に戻っていくありさまの描写にウエイトがかかっているが、映画では、島を脱出しようとしたブラドッグが捕らえられ、人間を野獣化する実験台にされるくだりが追加され、そこが面白い。
結局、彼は博士がパナマで買ったという娘マリア(バーバラ・カレラ)と危うくボートで脱出するが、その娘が実は-----という伏線のオチがついている。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この韓国映画「第7鉱区」は、「グエムル 漢江の怪物」同様、グロテスクな韓流モンスターが出し惜しみせずに大暴れする作品だ。
男勝りのヒロインが、逃げ場のない空間で勇敢に立ち向かう、定番の「エイリアン」スタイルのVFXアクションを繰り広げる。
産油国を夢見て、東シナ海に浮かぶ巨大石油ボーリング船で作業する韓国の作業員たちだが、成果が出ずに撤収命令が下る。
この命令に納得できない女マネージャー(ハ・ジウォン)が、本部から来たキャプテン(アン・ソンギ)に直訴して調査は続けられることになるが、やがて仲間たちが次々と怪死して、突然、巨大な深海生物が出現する。
この深海生物が、とにかく無気味で不死身すぎるクリーチャーで、強烈なインパクトを与える。
監督は、1980年の韓国での民主化運動を巡る悲劇のドラマ「光州5.18」のキム・ジフンで、モンスターの正体を巡る極限状態でのサスペンスもスリリングに、タンクトップ・ヒロインと深海生物が巨大化した怪物との闘いを、ダイナミックに活写して大迫力の興奮が味わえる。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
ジャック・ゴールド監督の「スカイ・エース」は、見応え十分の空戦映画で、飛行機ファンなら、泣いて喜ぶだろう。
第一次世界大戦中のイギリス空軍基地。
出動すれば、誰かが撃墜されるが、パイロットたちは、いつまでも悲しんではいられず、町へ繰り出して、酒と女に溺れ、明日の死に立ち向かう勇気を養っている。
この飛行士たちの群像と、彼らを率いる隊長のマルコム・マクドウェルの苦悩をシビアに描いて、反戦思想を色濃く打ち出している。
空中戦のシーンも堂々たるもので、着任したばかりの若い飛行士のピター・ファースが、初陣の偵察飛行で、敵機に燃料タンクを撃ち抜かれ、辛くも帰還するという一幕等、スリルたっぷりだし、ドイツの気球を爆破しに行くクライマックスも、壮烈なスペクタクルでワクワクしてしまう。
イギリスのSE5、ドイツのフォッカー等、当時の複葉機の機種が、ずらりと登場するのは、飛行機のファンにはたまらないだろう。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
このマルコ・フェレーリ監督の「最後の晩餐」は、数人の男女が、ある邸の中に閉じこもり、朝から晩まで徹底して食べたり、飲み続けたりして、そしてあげくの果てには、排泄物を垂れ流し、皆が皆、食い過ぎのために死んでしまうという、何とも言えぬ凄絶な話だ。
この人間の本能だけをとことんまで押し詰めたような、一種の絶望的な退廃には、まるで妖気のようなものさえ漂い、それがブラック・ユーモア的に発散されている、凄い映画だ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-12
この「OK牧場の決斗」は、1881年10月26日、アメリカで実際にあった有名な決斗を描いた、ダイナミックなアクション西部劇の傑作だ。
同じ素材で、ジョン・フォード監督が「荒野の決闘」を撮っているが、「荒野の決闘」が詩情豊かな”静”の面白さだとすると、この「OK牧場の決斗」は、ガンプレイ・アクションを存分に楽しめる”動”の面白さがあり、実に痛快な娯楽作になっていると思う。
そして、この映画には、懐かしい俳優の顔が、続々登場する。
肺病の賭博師ドク・ホリーデーの愛人のケイト役に、「エデンの東」で母親役を好演したジョー・バン・フリート、映画の冒頭でドク・ホリデーに殺されるガンマンは、後にマカロニ・ウエスタンの大スターになったリー・バン・クリーフ。
また、クラントン一家のビリーは、「イージー・ライダー」の監督・出演で、一躍名を上げた、デニス・ホッパーの若き姿なのだ。