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- ★★★★★
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- 2024-05-21
この映画を観て、とても感動した。これはあまりにも面白くて、決して飽きさせないストーリーだからだ。サンフランシスコと言えば、私はこれまで何度もサンフランシスコの夢を見た。ジュリー・ロンドンさんの想い出のサンフランシスコを聴いていると、私は前世はアメリカ人だったのではないかと思ったものだ。それだけにこの映画は私の心を捉えて離さなかったのだ。また殺人事件というものはやはり興味深かった。殺人を通して人間というものが、あらためて見えてくるからだ。素晴らしい作品だと思う。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
NHKラジオ第一の百年ラジオで紹介された有名なラジオドラマの原点はは残念ながら初回を含む3回分しか残っていないと云う。本篇の岸恵子と佐田啓二の共演の映画化はラジオドラマと並行して実現したとも。近年,朝ドラやアニメーション化でも注目された菊田一夫原作。貴重な第一回分が今回放送された
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
今朝のNHKラジオ深夜便ジャパニーズ・ポップスは本篇の寺尾聰特集,大ヒットしたルビーの指輪はレコード化に際して,当初盛り上がりに欠けると訝られたが石原裕次郎の,まあいいんじゃないの一声で実現してレコードに,そして年末の日本レコード大賞受賞へと云うエピソードも紹介された。他に季節風,ママに内緒の子守唄,出航さすらい,囁くようなムーデイな曲目が
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- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-21
この作品は、中国の心情を歴史的観点から考察できる作品です。
なぜ、中国が、今の様な態度や政策をとるのか、その根拠が、理解できます。
日本については、『ラスト・エンペラー』よりは、とんでも日本が
改善されているので、まだ、史実に近いのかも知れません?
ただ、この作品は、中国を理解する上では優れた作品です。
映画作品としては、いまいちですが、
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- ★★☆☆☆
- 投稿日
- 2024-05-21
これは作品としてひどい。
『唄う六人の女』
『隣人X疑惑の彼女』
以来の残念さ、
まだ、前2作は、結末までの展開が惜しかったの対し、この作品は、演出・構成から、練り上げる構築力もちぐはぐ。
まるで、スマホをいじっている人間の頭の中みたいな内容。
あっちいって、こっちいって、している内に、何がしたかったかの方向性を失い、スマホ中毒よろしく、映え映えポイントだけで、まったく繋がらない作品。
最近、世界の有名監督がスマホで迷走した作品が増え、日本のアニメ、コナンも、皆、ふぞろいのスマホ頭たちになってしまったようです。
別に参考にしなくても構いません。本人の自覚無しに何も変わらないのですから。
お金を払ったので鑑賞しましたが、すべて中途半端。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
実は、この件について初めて知った。しかし、これは暴露話ではなく、1つの真実の「愛」の形として伝えたかったのだと思った。そして改めて痛感したのは、ジョン・レノンに今も生きていて欲しかった、ということである。
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
1970年代当時、そして今現在まで、ジャマイカ、レゲエ、ボブ・マーリーのことを知らなさ過ぎたことが恥ずかしくなった。「音楽」は小さい頃から親しんで聴いてきたつもりが、「音楽」そのものにはそれほど大きな力は無いと思ってきた。しかし、時には「人の心」だけではなく、「国家」自体をも動かす力も持ち備えているということを改めて思い知らされた。
- 評価
- ★★★☆☆
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- 2024-05-20
グループメンバーも推しの人達もスタッフさんも出演者がみんないい人達ばかりでほっこりして泣けました。予想外によかった。ドラマも観てみます。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
キッドの映画は残念ながらあまり評価が高くないことが多い印象でしたが、今年はキッドだけでなく平次も参加し、恋模様も絡み面白い映画になっていたと思います。「名探偵コナン」だけでなく「まじっく快斗」まで知ってる方向けというか、知っているとより楽しめる内容。平次まわりの様々なキャラも登場するため、ついてこれない人がいてもおかしくはないのが少し心配にはなりました。でもコアなファンには嬉しいですよね!映画から参加の新キャラクターも素敵で、可能ならこれからも出てほしいとまで思いました。衝撃のラスト、「名探偵コナン」「まじっく快斗」はこれからどうなっていくのでしょうか…!
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
1950年代のロンドン、裕福な家の家政婦を勤めながら、近隣の老人たちの家を回って、あれこれと面倒を見る働き者の主婦ヴェラ・ドレイク。
物静かな夫、青春を謳歌する息子、人見知りは激しいが気持ちの優しい娘。
心安らぐお茶の時間、暖かい夕食。
なんの問題も無さそうな家族だが、彼女には家族に秘密でやっている事があった。
無償で、望まない妊娠をした女性たちを、助けてやっているのだ。
つまり、堕胎の手助けを。
医師の免許を持たない彼女のやり方は、極めて原始的なものだが、子供を持つ訳にはいかない、特に貧しい女性たちに彼女はなくてはならない存在なのだった。
たとえ、それが法に背く事だと知っていても。
だが、クリスマスの夜、ヴェラの処置を受けて容態が悪くなった金持ちの娘の親から訴えられて、ヴェラは家族の前で警察に連行される。
訳が解らず途方に暮れる家族たち。
果たしてヴェラに下される判決は?-------。
この映画のうまいところは、原因の一因である男性たちを責めず、根本的な問題を蔑ろにしている社会を責めず、客観的に起こった事をそのまま描こうとしているところです。 ヴェラのやっていた事をいいとか悪いとか言うのではなく、周りの人間たちが事件を、彼女をどう扱うのか、最も親しい人間を責め蔑む世間に、家族がどう対応するのかを描いているところです。 主演のイメルダ・スタウントンの演技は実に見事で、実際にいる人みたいでした。 軽快に日々の仕事をこなし、傷ついた娘たちに優しい言葉をかけ、家族と笑い、警察に行ってからは小動物のような目を潤ませ、聞き取れないほどの小さな声で「娘さんたちを助けました」と言う彼女は、ヴェラ・ドレイクそのものでした。
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
なぜ? が許されない何でもありのミュージカルの世界であってみれば、観る者はただ、アステアがすべてを肯定するように、軽やかにタップを踏むたびに訪れてしまうに違いない、この世ならぬ幸福に身を任せればいいんですね。
そしてまた、その幸福な記憶はあくまでハリウッド全盛時代のスタジオ・システムの産物であったミュージカル映画が、やがて衰退の運命を辿った後も、「女は女である」のゴダールは言うに及ばず、ジョン・ヒューストンの「アニー」やら、はたまた「ロッキー・ホラー・ショー」に至るまで幾多の映画作家の手によってスクリーンの中に蘇ることになるんですね。
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
フレッド・アステア演じる落ち目のハリウッドのミュージカル・スター、トニー・ハンターが古巣のブロードウェイに戻り、そしてカムバックを賭けたミュージカル・コメディ「バンド・ワゴン」のリハーサルが、開始される-----という入れ子構造でストーリーが進行する。
典型的なバック・ステージ物の体裁をとったこの作品でもそれはやはり、あますところなく発揮されている。
この映画でなんといっても美しいのは、最初、衝突していたアステアと相手役のバレリーナ、シド・チャリシーが、はじめて互いに心を許し合って公園のベンチを前に、いつまでも緩やかにステップを踏み続ける、あのいささか唐突とも思えるシーンだ。
- 評価
- ★★★★★
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- 2024-05-20
現在にまで至るミュージカル映画の基本的なスタイルを生み出したという意味で、その代名詞的存在なっているのが、1940年代から1950年代にかけての一連のアーサー・フリード製作による50本近くに及ぶ、いわゆるMGMミュージカルであり、それらを特徴づけていたのは、スタジオ内に建てられた、めくるめくような人工的セットで、華麗な歌と踊りの物語が繰り広げられるという、ショーとドラマが一体化した、"アンチ・リアリズム"の織り成す至福の境地であった。
かつての人気ダンサー、トニー・ハンターは、昔馴染みの夫婦に書いてもらった台本で、再起を図ろうとするが、相手役の人気バレリーナとは喧嘩ばかり。
おまけに、演出家はコメディのはずのこの舞台を、どうやら現代版ファウストに仕立て上げようとしているらしい。
そんな中、開幕の日は、刻一刻と迫ってくるが-------。
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
この映画「追想」はハリウッド映画界から追われていたイングリッド・バーグマンが、7年ぶりに復活を果たした作品で、彼女の演技の素晴らしさを堪能出来る、そんな作品です。
主人公のアナスタシアにイングリッド・バーグマン、山師のボーニンにユル・ブリンナーという凄い顔合わせで、ロシア帝国のロマノフ王朝のたった一人の生き残りのアナスタシア王女を巡って展開する、サスペンス・タッチの歴史ドラマだ。
ロシア革命から、辛くも逃げ延びたと伝えられる、ロマノフ王朝の王女アナスタシアに絡む、"恋と陰謀"を、「将軍たちの夜」の名匠アナトール・リトヴァク監督が情感たっぷりに描いた、見応えのあるドラマになっていると思う。
この映画の最大の魅力は、何と言っても、彼女は本当にアナスタシアなのか? ----というサスペンス・ミステリータッチの要素が強いところだろうと思う。
イングリッド・バーグマン演じる記憶喪失の女性の"ミステリアスな雰囲気"が、実に素晴らしい。
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
また、この「水」は、母胎の中の羊水でもあり、世紀末を世界の始まりに戻そうとすることは、胎内への回帰等、胎を持たない男の発想であり、そんなことでもたつくゴルチャコフに嫌気がさして去ってゆくエウジェニアは、中性的な魅力にあふれている。
この映画の中で、特に印象的だった場面は、水溜まりの向こうに横たわるゴルチャコフ。雨が降っている。屋根のない柱廊。
廃墟と化し、屋内であり、屋外でもある奇妙な建物、映画全体を支配する幻を、この建物に感じてしまいました。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
エウジェニアは、ロシアへのノスタルジアにとり憑かれたゴルチャコフの、果てしない思案に耐え切れず、別の恋人のもとへ去ってしまう。
そして、ドメニコは焼身自殺し、残されたゴルチャコフは、ドメニコの遺志を継いで、ひとりで温泉を渡り切った時、力尽きてしまうのだった--------。
タルコフスキーにとって「水」は、地上で最も美しく、謎めいた物質なのだろう。だから、ドメニコは俗世の人間に狂人扱いされながらも、水=温泉を渡ろうとする。
俗世間の人々から、このように狂人扱いされているドメニコは、世紀末の世界を救おうと、ろうそくを灯して水を渡ろうとする。
「水」は、禊に使われるように、ここでもある種の力を持っている。
そして、「水」はあの世とこの世の間の川。ドメニコは、その川の渡し守なのだ。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-05-20
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変な家の間取りから何故こんな作りにしたのかとユーチューバーと不動産屋とが推理していき次第に想像を越えてくるストーリーになっていく巻き込まれ型のホラーサスペンス映画です。違和感を感じて真実を追っていくと左手のない死体が見つかり失踪した家族を探しに田舎の本家まで乗り込む。呪いを防ぐ為の儀式まで繋げたストーリー自体は無理矢理な感じは否めないしラストの主人公の家も変な間取りだったので怪異がでるというオチだったのは残念かな、、、虫とか出さずに怪音だけで終わったほうがあれこれ想像できて怖かったのでは?
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
イタリアの中部地方の山間には、不可思議な町、あるいは村が存在する。それはまさに「存在」そのものだ。
アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジー」が描くのは、幻想の「水」を辿る旅であり、タルコフスキー自身の、故郷ロシアへの郷愁が、主人公アンドレイ・ゴルチャコフの心象風景として表われていると思います。
ゴルチャコフは呟く。「この風景は、どこかモスクワに似ている」と。霧の漂う丘陵地帯。白い馬。佇む女たち。
そこには、動くことを止めた時が、うずくまっている。
かと思うと、深い谷底から生えてきた角のような台地に、ひしめきあって建つ、赤っぽい石造りの建物。
周囲を濃い緑の山々に囲まれた一握りの台地は、霧の切れる一瞬、幻想ではなかったかと、私は目を疑ってしまう。
しかし、確かに実在する土地なのだ。「ノスタルジア」の旅は、こうして、幻想の中でスタートする--------。
イタリアで、ロシアの詩人ゴルチャコフは、恋人のエウジェニアとともに温泉地を訪れ、世紀末の世を救おうと、ろうそくを灯して水を渡ることに執着する老人ドメニコと出会う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
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主人公のムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)は、平凡な男だ。
それなのに、彼はいつの間にか、彼をめぐる社会からはみ出した"異邦人"になってしまっていることに気づく。
平凡な男が、いつの間にか平凡でない存在になってしまうのはなぜだろうか?
養老院で母が死んだので、彼は町から60キロほど離れた田舎の養老院へ行く。
汚いバスの中で、彼は暑さにぐったりしている。
暑い時に暑いと感じるのは当たり前だ。
そんな風に、彼の気持ちは、常に当たり前に動いて行く。
母の遺骸の傍らで通夜をしながら、彼は煙草を吸う。そして、コーヒーを飲んだ。
そのことが、後で彼が裁判にかけられた時、不利な状況証拠となってしまう。
母の遺骸に涙も流さず、不謹慎にも煙草を吸い、コーヒーを飲んだと受け取られるのだ。
それでは、ムルソーにとって、母の遺骸の前で泣き、煙草もコーヒーも断つことが、彼の本当の気持ちに忠実だったのかといえば、それはもちろん違う。 そんなことは、悲しみのまやかし的表現であり、嘘である。 ムルソーは、自分の気持ちを偽ることができなかったのだ。 暑い葬式の後で、泳ぎに行き、女友達のマリー(アンナ・カリーナ)に会い、フェルナンデルの喜劇映画を観に行った。 それは、果たして、法廷で非難されたように不謹慎な行為なのだろうか? ムルソーは、ごく当たり前に生活する。 それが、世の中を支配しているまやかしの道徳にそぐわなかったのだ。 ムルソーは、"異邦人"のごとく見られ、断罪される。 だが、真に断罪されなければならないのは、彼を有罪とした社会なのだ。
"太陽のせいで"アラブ人を射殺する有名な事件は、原作者アルベール・カミュの"不条理"の哲学を直截に、しかも余すところなく具現化したものと言えるだろう。 ムルソーの人生は、不条理だ。だが、それでは条理とはなにか? ムルソーの生き方を見ていると、不条理に生きる人生こそが、最も平凡な、というよりは人間として当然の人生ではないかとさえ思われる。 それに比べて、条理の側に立ってムルソーを断罪する人たちの道徳や倫理観の、なんと非人間的なことか。 ムルソーの不条理とは、最も人間的に生きることなのであった。 かくて、最も人間的に生きた人間が断罪される不条理こそが問われなければならなくなってくるのだ。
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
この映画「黒い瞳」の原作は、チェーホフの「小犬を連れた貴婦人」を基にしている。
チェーホフのこの原作は、今までにも映画化されていますが、この作品の監督ニキータ・ミハルコフは、原作にちょっとしたひねりをつけ、ほろ苦さのあるコメディに仕上げていると思う。
主人公のロマーノ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、ブルジョワの娘エリザ(シルヴァーナ・マンガーノ)と結婚してもう25年もたっている。
怠け者のロマーノは、もう何年も働かず怠惰な生活を送っている。
彼は、たまたま出かけた湯治場で、小犬を連れた貴婦人(エレナ・ソフォーノワ)を見かけ心を奪われる。
彼は、貴婦人の黒い瞳が忘れられず、ロシアへ帰った彼女の後を追って、かの地へと赴くのだ。
ストーリの骨組みはこのような内容ですが、この映画の見どころは、名優マルチェロ・マストロヤンニが扮するロマーノの駄目男ぶりだろう。
つまり、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した、マストロヤンニのうまさが見どころになっていて、男のずるさ、いい加減さをたっぷりと、薄気味悪いほど見事に演じている。
一見にやけた二枚目にも見えるマストロヤンニですが、この人は意外と硬派な経歴を持っているんですね。 1923年生まれというから、世代的には戦中派で、実際、第二次世界大戦には出征し、イタリアが降伏した後は、北ドイツの強制収容所に入れられ、しかも、そこを脱走してヴェネチアへ逃げ込んだというから凄い。 この「黒い瞳」は、広大なロシアの風景も見どころにもなっていて、撮影は、イタリアと当時のソ連で行なわれ、ソ連ではレニングラード、ボルガ地方、ラドガ湖近辺で行なわれたそうです。 ロマーノの馬車が、ロシアの草原でジプシーの馬車と出会うシーンは、ことのほか美しく、フランシス・レイの流麗な音楽も、実に効果的だ。 ラストシーン近くでロマーノが、「今死んで、神様に何か聞かれたら、何も答えるものがない。子供の頃、母が歌ってくれた子守唄と、エリザの初夜の表情、そしてロシアの霧だけだ。」と、こんなことを言って目に涙をためる。 マルチェロ・マストロヤンニという俳優は、本当に人間の喜怒哀楽を巧みに演じる、見事な名優だと思いますね。