対馬丸 さようなら沖縄:P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2023-11-22
🌏沖縄を舞台にしたアニメーション映画の,かんからさんしんや本篇の悲劇を観ると戦争がたくさんの児童を巻き込む姿が。現在地上で進行している事態とシンクロす
🌏沖縄を舞台にしたアニメーション映画の,かんからさんしんや本篇の悲劇を観ると戦争がたくさんの児童を巻き込む姿が。現在地上で進行している事態とシンクロす
アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」は、S・レムの原作に基づいているが、レム的テーマとは全く対極にある映画だ。
レムは未知なるもの、つまり理性を持った惑星の海と遭遇した、人間の認識の問題に興味を抱いていたが、タルコフスキー監督の関心は、あくまで人間の魂の問題にある。
だから、宇宙にあっても、主人公の気持ちは、常に地球の方に向っている。
「ややこしい機械だとか、点滅するランプだとか、どうでもいいガラクタがどっさり出てくる」と、タルコフスキー監督は、自作への不満を漏らしている。
これはSF映画にありがちな、派手な仕掛けで、観る者の思考を中断させるのを嫌ったのだと了解すべきだろう。
この禁欲的な傾向は、この作品以降、さらに強まり、タルコフスキー映画は、いよいよ晦渋の度を増していくのだ。
この映画「ノスフェラトゥ」はタイトルでも分かるように、世界で最初の吸血鬼映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイク作品だ。
導入部から展開、そして結末に至るまで、呆れるほど忠実に再現している。
カメラアングルさえも、同じではないかと笑ってしまうくらいだ。
いかにオリジナルの作品が偉大であるかを証明するような作品なのだが、それでも何か所か、とてつもなく怖く、素晴らしい場面が、新たに挿入されている。
こんなリメイクなら、オリジナル版のムルナウ監督も、きっと喜ぶに違いない。
ドラキュラの餌食となる娘が、イザベル・アジャーニだけに、遥かに魅惑的でもある。
古い映画は苦手でという人は、とりあえずこの作品で恐怖の夜を楽しむのもいいかも知れません。
主人公の青年バーディは、ヴェトナム戦争に出征して、前線で錯乱状態に陥り、今ではアメリカの精神病棟の一室で、まるで飛べない鳥のように身をかたくして座り込み、一日中、金網のついた窓から見える空を眺めているだけです。
バーディは、ヴェトナムの戦場で精神錯乱になって、"鳥"になってしまったのではなく、鳥が大好きな人間であった彼は、しだいに病がこうじて、鳥に"自己同一化"してしまった。
そして、鳥になって町の上を飛びまわる幻覚を見るのです。
それは鳥に憧れ続けた彼にとっての"夢の成就"でもあったのです。
このバーディの視線を追った低空俯瞰撮影が実に見事だ。
ヴェトナム戦争が、バーディに与えた残酷な傷とは、せっかく"鳥"として大空を飛べるようになったのに、ヴェトナムの戦場は、なんとそこでバーディは、ヘリコプターで空を飛ぶのですが撃墜され、彼の精神錯乱は決定的なものになり、彼を飛べなくなった鳥にしてしまうのだ。
そして、コンクリートの病室の中に閉じ込められた金網越しの窓から、空を眺め続けるバーディの姿は、無慈悲にも破壊させられた"夢の残骸"そのものなのかも知れません。
無生物に悪霊が宿って害をなすという映画は、これまでにも沢山あった。
それは家(「たたり」)であったり、船(「ゴースト 血のシャワー」)であったり、ピアノ(「残酷の沼」)であったりする。
悪霊は取り憑く相手を選ばない。
この作品同様、車を主人公にしたものには、題名もズバリ「ザ・カー」という映画が既にあった。
いわば使い古された題材なのだが、この映画に登場する車の悪霊的な性格が、とても魅力的なので、観ていて退屈しない。
その車とは、赤いグラマラスなボディが官能的な1958年型プリマス。
この車の名前が、クリスティーンなのだ
車体に傷を付けられ、美貌をそこなわれるや、時には火達磨になりながらも、車に悪戯した相手を追い詰め殺すのだ。
その徹底ぶりが、とても爽快なのだ。
この監督の映画全てにおいて
都合よく話が進みすぎる
要所でえぇ何それ?って本気で失望
主人公補正をかけすぎて
出会う人皆んな親切で助けてくれる
敵ですら主人公の味方はマジで論外
作品自体が自分の脚で歩いていない
書いた脚本で出来たレールの上をた
だ走っているだけの作品
ラピュタ、魔女宅、ハウルみたいな
シーンがあるけどジブリのパクリと
言う気はありません
ただオマージュですらない
ジブリに対してリスペクトがあるな
らジブリを感じさせるより
どうやって作品が自分の脚で前に歩
いて行くかを考えるべきだろ
監督のアニメーション映画に対して
の考え方があまりにも不埒
本気でありえない
史実本は読んだうえでやっと観る事が出来た。映画になるとこんな描かれ方になるのかと残念です。女性の乳房や船上の情事は必要でしょうか。殺戮場面もだいぶ配慮している感じがします。加害者達のその後をもっと描いてほしかった。
この映画「キングコング対ゴジラ」は、東宝創立30周年を記念して製作された映画で、日米の怪獣王、ゴジラとキングコングの夢の対決が実現した。
TV番組の視聴率UPのため、南の島から運ばれたキングコングが、北極の氷山から復活したゴジラとガチンコ勝負を繰り広げる。
那須高原での初戦で、ゴジラの放射能という飛び道具に敗北したキングコングだが、自衛隊の100万ボルト作戦で体質改善し、パワーアップ。
東京でひと暴れして、憂さを晴らした後、ゴジラの待つ富士山の裾野へ空輸され、第2ラウンドの開始となる。
プロレス的な肉弾戦は、熱海城を経て海に落下し、場外乱闘になる。
泳いで帰るキングコングに、沈んだままのゴジラというように、結局、勝負の決着がつかず、ドロー(?)となってしまった。
この映画「落ちた偶像」は、キャロル・リード監督の「第三の男」と並ぶ、最高作とも言えるサスペンス映画の秀作だ。
グレアム・グリーンの小説の映画化作品で、少年の目から見た、大人の世界の偽善性が描かれ、憧れの英雄を殺人犯だと思い込み、幻滅していく心理描写の変化が、克明に綴られていく。
大使館内を主な舞台にしているが、小道具を巧みに使い、構図の取り方で心理的なサスペンスを高めていく手法は、実に見事だ。
戦後の荒廃が色濃く残る社会状況と、不安定な人間関係が、物語の背後に見え隠れしている。
このフランス映画「突然炎のごとく」は、ヌーヴェルヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォー監督の最高傑作だ。
奔放で炎のように激しい女を、親友同士の二人の男が、同時に愛してしまう。
奇妙な三角関係の中で揺れる男性心理を描いた、ロシェの小説の映画化だが、トリュフォーは、あたかも古い写真帳をめくるような感じを意識した、ロングショットの映像とリズミカルな語り口で、巧みに表現している。
主演のジャンヌ・モローの生き生きとした演技が素晴らしく、この最高傑作に永遠の輝きを与えていると思う。
この映画「ナック」は、才人リチャード・レスター監督が、ビートルズ主演の2本の映画でも縦横に見せた、その調子っ外れな個性を大爆発させた、ごきげんな作品だ。
女性にモテたい男のドタバタを描いた物語だが、実は話の筋はどうでもいいのだ。
饒舌なセリフと無意味な映像の洪水の中から、映画と時代とを痛烈に風刺し、そのスピード感が、カンヌ国際映画祭で、映画好きの度肝を抜いて、見事グランプリを受賞したのだ。
それにしても、主演のマイケル・クロフォードの飄々として、つかみどころのない個性が光っていて、最高だった。
遠藤周作の原作を異文化の衝突の視座で篠田正浩監督が映画化して居ると思われる本篇はマーティン・スコセッシ監督版よりも,何と45年も前に製作されていたんだね
日本映画の再発見と云う本に本篇がモノクロ撮影も為されていることが気になるポイント欄に記述されている。記事を読み,是非そんな黒白版も併せて観たくなった次第
今朝TBSラジオ番組で本ロバート・ジュニア・ダウニーの話題がー。本篇の垂涎のキャスト&スッタフ,是非観たい一本何だね
👩今朝のNHKラジオ深夜便は作詞家・喜多條忠特集,神田川,赤ちょうちん等かぐや姫の歌声に藤田敏八監督のフレッシュな本篇映像が暫し目に浮かんで来たんだなあ
🍒加藤登紀子等の歌う美しき5月のパリと云う唄の時代背景を調べるとフランス五月革命期の本篇のことが出て来た。カンヌ国際映画祭の上映が中止されたりと激動の
「日本暗殺秘録」は、桜田門外の変から二・二六事件まで、近代日本のテロの歴史をオムニバス形式で描いた作品だ。
時代劇から任侠・やくざ路線まで、東映オールスターの出演で、オープニングの桜田門外の変で、若山富三郎のダイナミックな殺陣が登場したかと思えば、大久保利通暗殺の唐十郎や大隈重信暗殺未遂の吉田輝雄などは一瞬の出演と、エピソードによって出番もかなり異なっている。
東映の看板スターが全員テロリスト役で、悪役の多い小池朝雄や賀川雪絵が哀れな善人役というのも面白い。
メインは全体の三分の二を割いた血盟団事件で、純朴な地方青年の小沼正(千葉真一)が、政治家を暗殺し逮捕されるまでの話。
正義感の強い青年が、テロリストになるまでを緻密に描き、映画全体のテーマ性を支えている。
テロリズムの本質に迫る笠原和夫の脚本を、中島貞夫監督がダイナミックに演出している。
イデオロギー的な色彩の強い内容に、スプラッター描写を混在させた点も独特だ。
この「新・ポリス・ストーリー」は、ジャッキー・チェンの人気シリーズの第4作だが、前3作とは設定も異なり、香港を震撼させた、不動産王誘拐事件の実話を基にした、シリアスな刑事ドラマだ。
だが、ジャッキーならではのノンストップ・アクションは健在で、この作品でもダイナミックな活躍を見せてくれる。
誘拐予告を突き付けられた、不動産王の護衛の任務に就いた、特捜刑事のジャッキーだが、狡猾な犯人は、不動産王を簡単に拉致し、ジャッキー自身も罠にはまってしまうのだ。
ジャッキーは、怒りと悔しさに燃え、身の危険を顧みず、必死の捜査に乗り出すんですね。
相変わらずのアクションの醍醐味を見せてくれたジャッキー。
彼のアクションに賭ける情熱には、頭の下がる思いだ。
この映画「モンタルボと少年」は、フランスのモダン・ダンス界をリードする、ダンサー兼振付師のジャン=クロード・ガロッタの世界を映像化した作品だ。
大人の世界を垣間見た少年が、やがて愛や暴力といった現実に飲み込まれていく様を、イメージ・フィルム風に綴った作品なのだ。
監督のクロード・ムリエラスは、それまでビデオ作品や短編映画で注目された映像作家で、この作品が長編デビュー作。
セリフやストーリーは、ほとんどなく、列車の音や鳴き声などを効果的に使用していて、実に見事だ。
そこに、ダンス・シーンを盛り込み、幻想的な味わいを醸し出していると思う。
「続・猿の惑星」は、大ヒットした「猿の惑星」の続篇で、監督はフランクリン・J・シャフナーから「ダーティハリー2」等のテッド・ポストになっている。
前作で白人の娘と一緒に、猿の世界を去ったヘストンは、禁断地帯でパッと消え、新しく遭難した宇宙船のフランシスカスが、白人の娘と二人で猿族に捕まったりした後、地下の世界に入り込む。
その地下の世界は、ニューヨークの地下鉄を中心に、有名な建物が埋没した地区で、住民は放射能の影響でミュータント化しているという設定になっている。
彼らの武器は、テレパシーと一種の幻術で、フランシスカスやすでに捕まっていたヘストンを悩ますのだった。
そして、彼らは核ミサイルを神様と仰いでいるというのも、定石通りで新味がない。
しかも、お話の焦点は猿の軍隊との攻防戦だから、前作ほどの独創性がなく、これも型どおりでつまらない。
もっと奇抜なイマジネーションが必要だったのではないかと思う。
しいて言えば、地下の住民が普通の顏のマスクをとると、いずれも坊主頭でオペラの怪人みたいな顔、というショックぐらいなもの。