映画感想・レビュー 157/2613ページ

2010年:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

我々映画ファンを魅了したSF映画の傑作「2001年宇宙の旅」の続篇が、この映画「2010年」だ。
厳密に言えば、続篇というより解決篇だろう。

スタンリー・キューブリック監督による前作は、物語性を極度に排し、素晴らしい映像のシンフォニーで、独自の宇宙哲学を伝えたものだった。

何より、真理の判断を観る者自身のイマジネーションに委ねたところが、我々の興味を嫌が上にもかき立てたのだ。

それに対して、この娯楽職人監督のピーター・ハイアムズが撮ったこの作品は、よりわかりやすく、全ての謎を具体的に解いてみせる。

胎児となって宇宙へ消えた乗組員は?
叛乱を起こしたコンピュータは?
地球や月にあった石板の謎は? ----------。

レイズ・ザ・タイタニック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

観ている者は、いつの間にか、これが現実の再現のように思えてしまうのだ。
だからこそ、引き揚げの瞬間と、ニューヨークの帰りのシーンは、強烈な現実感で感動してしまうのだ。

そして、この映画はこの後、”もう一つの謎の解明”を見せるのだが、夢を追う人間の心理を見事に読み取って、”虚構のスペクタクル”に現実的な感動を与えたジェリー・ジェームソン監督は、なかなかの切れ者だと思う。

レイズ・ザ・タイタニック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

この「レイズ・ザ・タイタニック」と言う作品は、その”夢”に挑戦した映画なのだ。
当時、現実にタイタニック号の引き揚げの計画が話題になり、製作の進行と重なったのは偶然のようだが、アメリカやイギリスの人たちにとっては、いかに大きな”夢”であったのかがよくわかる。

それだけに、この映画のポイントは、タイタニック号浮上の瞬間と、再びニューヨーク港に入るシーンだ。
リシャの客船アテナイ号を改造して使用したのだそうだが、特撮とロケを合わせたその成果は、やはり息をのむスペクタクルだ。

それは、特撮のうまさという以上に、実は映画の作り方自体に巧みなトリックが絡んでいるからだと思う。

映画は北極海のソ連領からワシントンの政治の極点を結ぶドラマ・ラインを、あたかもニュース・ドキュメンタリーのように冷たく抑えて撮っていくのだ。

レイズ・ザ・タイタニック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「レイズ・ザ・タイタニック」は、異色のスペクタクル映画の傑作だ。

人間というものは、常に”夢と冒険”を追い求める存在だと思う。
かつてのタイタニック号引き揚げのニュースなどは、そんな夢を追う人間の挑戦の一つでもあるのだ。

このタイタニック号と言えば、1912年4月14日、処女航海で氷山とぶつかり、北大西洋の底に沈んでしまった超豪華客船で、その存在自体がまことにドラマチックである上に、この船には様々な人々が乗り合わせていて、人の世の定めを思わせるところから、それまでにも数多くの小説や映画の素材になって来たのは、衆知の事実だ。

だが、沈んでいくタイタニック号を描いた映画は多くても、再び浮上する姿を描いた映画はなかったと思う。
人々の夢であるだけに、映像化が難しかったのだろうし、CGの発達していなかった当時としては、巨体が浮き上がる瞬間の撮影が出来なかったからだと思う。

エクスカリバー(1981):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

誰しもが心の中に抱いている、正義と勇気と愛という理想の”夢”は、今のような時代だからこそ、余計に膨らむもの。

現代における、人間性の回復を描きつづけて来た、ジョン・ブアマン監督は、そんな現代の若者の姿をこそ、中世伝説の中で、描こうとしたに違いないのだ。

エクスカリバー(1981):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

美しいドレスを着て、高価な宝石を身に纏っているのではない。
布なのか革なのかわからない、つづれを纏い、自然の中を生き生きと闘い抜いていくのだ。

まるでヒッピーみたいな衣装。荘重、荘厳なムードよりも、テンポの速い、現代の若者たちが飛び跳ねている感じなのだ。

あの「スター・ウォーズ」が、宇宙の世界に現代のヤンチャ坊主どもを放り出して、暴れさせたのと同じ感覚なのだ。

それでいて、画面は実に美しいのだ。決して極彩色ではない。
いつか夢に見たことがある、遠い遠い憧れの見知らぬ国に来ているような気持ち。

あの誰もが経験する、夢の中のような、単色のベールがかかって、それが一種、夢幻の美しさを創り上げている。
夢幻の武者模様の美しさは、黒澤明監督の「影武者」の影響も大きいと思う。

エクスカリバー(1981):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

の映画「エクスカリバー」は、ひとくちで言うと、アーサー王と円卓の騎士の物語だ。

英語圏の人々なら、知らぬ人とてない、中世のイギリスの英雄。
それまでも、アメリカ映画が何度も映画化してきた題材だが、この映画ではガラリと様子が違う。

父が岩にはめこんだ、宝剣エクスカリバーを抜いて、見事、王座についたアーサー王。
王妃グエナビアと共に、イギリスに正義の王国を作ろうとするのだが、裏切りと復讐の中で、滅ぼされてしまう。

王をめぐる円卓の騎士たちは、正義の再現の為、隠された聖杯探しに、放浪の旅を続けるのだ。

戦闘、魔術、勇気、愛----------。
あの有名な騎士ランスロットと王妃グエナビアの道ならぬ恋も織り込まれていて、興味が尽きない。

設定は同じでも、それまでのアーサー王伝説の映画化とはっきり違うのは、王妃も騎士も、完全に現代人なのだ。

カラーズ 天使の消えた街:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

「夜の大捜査線」「帰郷」の名カメラマン、ハスケル・ウェクスラーの臨場感溢れる厳しい映像に助けられながらも、デニス・ホッパー監督の演出がもう少し、うまく内容を整理して描いていたなら、もっと上質な作品になっていたのではないかと思います。

カラーズ 天使の消えた街:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

初めは反発しながらも、次第に心を開いていくマクガバン。
その二人の交流が、チンピラたちとの銃撃戦と交差して描かれていきます。

この映画の原題の「Colors カラーズ」というのは、チンピラたちの”組織”の事ですが、彼らの肌の色も指しているのは明らかです。黒人、メキシコ系、白人、みんな、それぞれ社会の中で組織を作っているではないか。
カラーっていったい何なんだ? --------。

若手警官のマクガバンはユダヤ系、ベテラン警官のホッジスはイタリア系。
アメリカ自体が組織分けされた国じゃないか!----と、デニス・ホッパー監督は、そう語っているように感じられます。

そして、この映画のラスト。ベテランの警官が死に、若手の警官が次の新人と組む事になります。
かつて自分が教えられた通りの実体験教育をするあたりの、ありきたりですが、いい幕切れになっているなと思います。

カラーズ 天使の消えた街:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

”ロサンゼルス市警の警官コンビとストリート・ギャングたちとの攻防を乾いたタッチで描いた 「カラーズ 天使の消えた街」”

この映画「カラーズ 天使の消えた街」は、ロサンゼルス市警のギャング犯罪取り締まりチームの”CRASH”に所属する制服警察官コンビとストリー・ギャングたちとの抗争を徹底して乾いたタッチで描いた、「イージー・ライダー」でアメリカン・ニューシネマの伝説的なカリスマになった、デニス・ホッパー監督が撮ったハード・アクション・ムービーです。

当時、約7万人のストリート・ギャングがいたと言われていた街、ロサンゼルス。
それも大きな組織ではなく、チンピラ・グループで、麻薬を求める金欲しさの犯罪、縄張り争い。
それが善良な一般市民をどんどん恐怖の犯罪に巻き込んでいくのです。

対するロサンゼルス市警察官。この映画で活躍するのは、”CRASH”に所属する制服警察官で、制服の威信を信じ捜査に突っ走る若手警官マクガバン(ショーン・ペン)と、定年を一年後に控えたベテラン警官ホッジス(ロバート・デュヴァル)が、続発するギャング犯罪に向けてコンビを組まされます。

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

この「網走番外地」で主人公の橘真一は、しばしば「俺は馬鹿だ」と自嘲的に言いますがしかし、馬鹿と知りつつ、人間には、男には、やらねばならぬ事がある、やらねばならぬ時がある、というのが、高倉健映画の根本的なテーマでもあるのです。

橘真一というキャラクターの造形から表現された”日陰者のパトス”で、多くの大衆を魅了した、この高倉健という稀代の俳優が、後に国民的な大スターになる地位を築いたのは当然の事だと思います。

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

当時の日本映画界において、例えば、日活の石原裕次郎が上流階級、小林旭が中流階級といった雰囲気を醸し出していたのに対して、高倉健は最下層のどん底の境遇に育った主人公を演じる事によって、この大ブレイクのきっかけを掴んだのです。

北海道の雪原が大自然の猛威を奮う零下30度の過酷な風景や、新宿の歌舞伎町を足早に急ぐ高倉健を、ゲリラ撮影で追跡した夜の新宿の生々しいビジュアル感----。

そして、甘い声の石原裕次郎、甲高い声の小林旭になくて、高倉健の特徴としてあったもの、それがドスの効いた低い声で、それが、彼の演技においても、映画が最も盛り上がる最後の正念場において、腹の底から押し殺した低い声で発する”極め台詞”が、それまでのストイックで寡黙な主人公の最高の武器になるのだと思います。

網走番外地(1965):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

チャンバラ時代劇から任侠映画路線への転換期に生まれた、1960年代の東映プログラム・ピクチャーの記念碑的大ヒット作品で、高倉健が大ブレイクするきっかけとなった作品でもあるのが、石井輝男脚本・監督による「網走番外地」です。

伊東一の原作から、題名と舞台設定を採り入れて、スタンリー・クレイマー監督、トニー・カーティス、シドニー・ポワチエ主演の「手錠のままの脱獄」をインストールしたアクションを描こうとする、奇才・石井輝男監督の試みは、網走刑務所に収監された受刑者の現在と回想シーンで、巧みに起伏をつけながら、クライマックスの大脱走へとストーリーを盛り上げていると思います。

極貧の不幸な家庭環境に育ち、ヤクザの道に入った主人公の橘真一は、暴力的な男の後妻になった母親が、ガンになったと聞き、死ぬ前に一目だけでも会って、これまでの極道を詫びたいとの一心から、仮出所を目前にして、脱獄の企てに乗ってしまいます。

クロコダイル・ダンディー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

アメリカ映画が、アメリカのチンピラの撃滅を描くとすると、「ダーティー・ハリー」や「コブラ」のように、どうしてもスーパーヒーローとして大上段に構えてしまうものだ。

それはそれで面白いのだが、この「クロコダイル・ダンディー」の主人公は、いとも気楽にやってのける。

アメリカ映画の場合は、文明のヒズミを、文明の中の正義で解決しようとしてみせた。
ところが、このオーストラリア映画は、自然を相手に生き続けて来た、人間のネイティブな命の力を再確認させてくれる。

その為、この映画はとても爽やかで、楽しいのだ。
そして、全く暗さがないのだ。

決してスーパーマンではないけれど、現代人に人間の逞しさを思い起こさせてくれる。
主演のポール・ホーガンは、我々観る者の心に涼風を呼ぶのだ。

湖面を渡る、風のような映画だと思う。

クロコダイル・ダンディー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画「クロコダイル・ダンディー」は、実に爽やかな作品だ。

オーストラリアのジャングルで、ワニを相手に生き抜いて来た冒険家。
そんな彼が、ニューヨークへ乗り込んで行く事になる。
オーストラリアの大自然と、犯罪多発の街ニューヨークとの対比が、実に面白い。

ニューヨークの街では、チンピラ共が暴れまくっている。
冒険家のポール・ホーガンは、ジャングル仕込みの腕前で、いとも簡単に、次々とチンピラ共をやっつけて行く。

公開されたアメリカの映画館では、もう大爆笑、大拍手の盛況だったらしい。
現実のチンピラ共の犯罪に、アメリカの善良な市民が、いかに頭を悩ませているか、映画館での反応は、それを物語っていたようだ。

そして、この映画のヒーローは、何とも気張らず、自然体のところが、実にいいのだ。

サルバドル 遥かなる日々:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

友が命を懸けて撮った写真を、必死で持ち帰ろうとする彼。
愛するエル・サルバドルの女性を、アメリカへ密入国させようとして、国境警備隊に阻まれる彼。

メロドラマ仕立ての構成であるが故に、なおさら軍隊の虐殺ぶり、それを援助するアメリカ政府への怒りが痛烈に伝わるのだ。

それでいて、政府軍の兵士を惨殺しようとする、革命派の行動にも批判の目を向ける。
その冷静さとエネルギーのバランスの相乗効果が、実に見事だ。

サルバドル 遥かなる日々:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-13

この映画は、「プラトーン」の前にオリヴァー・ストーン監督が撮った映画だ。
ストーンと共に原作・脚本を書いたのは、リチャード・ボイル。
ベトナム、北アイルランド、カンボジア、ニカラグア等の動乱の中へ身を投じ、己が目で見た戦争や革命の実態を報道し続けてきたジャーナリストだ。

この映画は、1980年に動乱のエル・サルバドルに潜入したボイル自身の発案である。
主人公にもボイルの名前が使われている。
と言っても、主人公を決してヒロイックには描いていない。
主人公は、ふしだらな生活を送っている青年。
仲間を誘って、エル・サルバドルへ飛んだのも、そんな生活を清算したかったからなのだ。

彼は思想的に、右でも、左でもない。その彼が、エル・サルバドルの現実を見る事によって、動乱そのものが、狂気の殺戮であるという事を知る積み重ねが凄い。

戦火のかなた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

被占領下のイタリアのレジスタンスが、六つの短いエピソードで語られるが、ロベルト・ロッセリーニ監督は、実際に戦時下の1944年から1946年にかけてシチリア島、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ロマーニャ地方、ポー河のデルタ地帯にロケーションを敢行し、それぞれのロケ地で撮影隊のまわりに集まって来た群衆の中から出演者を選び、これらずぶの素人の生々しい現実感を生かすために、シナリオもセリフも書き直して撮ったということだ。

フィレンツェのエピソードとポー河のエピソードが、特に強烈で感動的でしたね。

戦火のかなた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-13

イタリア映画のネオレアリズモの傑作と言うだけでは、この映画の素晴らしさを言い表わすのに充分ではないだろう。

当時ロベルト・ロッセリーニ監督の助監督であり、共同のシナリオライターであったフェデリコ・フェリーニは、彼の著「私は映画だ/夢と回想」の中で、次のように述懐している。

「-----『戦火のかなた』は私にとって映画との最初の、本物の接触だった。ここには私がロベルトから学んだ本物の教訓があった---それはカメラの前で謙虚であるということであり、ある意味で、撮影されたもの---人間、顔への驚くべき信頼だった」と。

とにかく、この映画に出てくる人間たちが素晴らしい。顔が素晴らしい。
不器用なくらいテクニックのないナイーヴな映画なので、びっくりする。

まるで初めて映画を発見するような感動に襲われる。
シンプルでスピーディーで無造作とも言える力強い演出が、映画的興奮を誘うばかりでなく、劇映画と記録映画が一本の作品の中に分かちがたく一体化している幸福な映画だ。

帰って来たドラゴン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-13

最後は、教会の屋上で、もはや香港映画の定番ともいえる、くどすぎるくらいの延々たる決闘が展開するのだが、ここのアクションの振り付けは、身体能力の高いブルース・リャンと倉田保昭なので、かなり凝った面白さに満ち溢れていたと思う。

最終更新日:2025-11-10 16:00:01

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