パレスチナ1948 NAKBA 作品情報

ぱれすちなないんてぃーんふぉーてぃえいとなくば

※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。

「パレスチナ1948 NAKBA」の解説

NAKBA(大惨事)と呼ばれる1948年の虐殺に端を発する、イスラエルによるパレスチナ人迫害の歴史を追った長編ドキュメンタリー。40年間にわたって記録し続けた数万枚の写真、1000時間を越える映像で描き出した。監督・撮影は、フォトジャーナリストで報道写真月刊誌『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一。2006年、フォトジャーナリスト広河隆一はイスラエルのキブツダリヤを再訪する。そこに暮らす入植者の多くはユダヤ人である。60年代末、広河が共同農場キブツで過ごしていたころ、気になっていた村の跡があった。パレスチナ人の村ダリヤトルーハである。広河はその失われた村の住民を捜し始める。1982年、広河はシャティーラ・サブラキャンプで、パレスチナ人の大虐殺を8ミリフィルムで撮影する。このとき彼は、メルバット・アフィフィという少女と出会った。1988年、広河は少女と再会する。少女の姉キファーはPLO(パレスチナ解放機構)のゲリラになり、何年も行方不明だった。それを聞いた広河は、彼女が南レバノンのヒヤム刑務所に収監されていることを突き止める。キファーは釈放され、6年の獄中生活で受けた拷問体験を語る。1996年、姉妹はそれぞれ働いていた。キファーは愛していない男性との結婚を控え、「獄中の方が幸せだった」と呟く。2006年、広河はキファーと再会する。故郷を取り返そうというキファーの意思は消えていない。1994年ヘブロン市街、ユダヤ人過激派によるパレスチナ人虐殺によって、パレスチナ人による民衆蜂起が激化した。これは1948年のNAKBAに端を発すると広河は考え、1948年に破壊された村への取材を本格化させる。そしてヨルダン川西岸地区トゥルカレムのタントゥーラ村文化資料館に足を運ぶ。この文化資料館を開いたモハメド・タンジは、父親から1948年5月の虐殺を聞かされていた。イスラエルを訪れ続ける広河は、60年代末交流があったイスラエル人とも何度か再会を果たした。広河はダリヤトルーハ村の元住民を、イスラエル北部マクル村で見つける。2002年にイスラエルに破壊されたジェニンでも、ダリヤトルーハ村で暮らしていた人々と出会う。2006年11月、広河はマクル村の人々と、ダリヤトルーハ村跡へ向かう。

公開日・キャスト、その他基本情報

公開日 2008年3月22日
キャスト 監督広河隆一
配給 バイオタイド
制作国 日本(2008)
上映時間 131分

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最終更新日:2022-07-26 11:03:35

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