うぉっしゅ:P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2025-04-20
今朝のNHKラジオ深夜便明日への言葉は本篇の岡崎育之助監督,ユニークな視座からの感動の作品,interviewで創作の秘密を
今朝のNHKラジオ深夜便明日への言葉は本篇の岡崎育之助監督,ユニークな視座からの感動の作品,interviewで創作の秘密を
今朝NHKラジオ深夜便日本の歌・心の歌,ジャパニーズ・ポップスは伊藤久男の特集,本篇より更けの街,他君愛しき人よは映画君の名はより,アザミの花,山の煙,栄冠は君に輝く,オロチョンの火祭り等も
NHKラジオ深夜便ロマンチックコンサートはプリンス特集其処で本篇サウンドトラックよりバットダンス,他&レボリューションでパープルレイン等が真夜中に流されて
東野圭吾氏の小説を映画化したけど、あまりにも雑過ぎてガッカリしました。個性的な役者を揃えたのに生かされてない。残念な作品でした。
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
タイトル通り、ラストでは泣いてしまいました。出演者の方も、優秀な役者さんばかりで、とても感動しています。
キャスティングについて申し上げると、主役が幼少期(青年期)から大人に成長するとき、子役と大人役の俳優さんとの間に連続性(キャラクターや顔立ちなど)が感じられないと、ギャップを感じてしまうことがあります。
35年目のラブレターの上白石萌音さんと原田知世さんもそうでしたが、今回も、夕花役の當間あみさんと尾野真千子さんがどうしても結びつかなくて、興ざめしそうになりました。しかし、尾野さんの涙の演技が素晴らしく、帳消しになりました。
個人的には、尾野真千子さんと美村里江さんの配役は、反対の方が良かったのではと思いました。
ポン・ジュノ監督が自作のパラサイト半地下の家族の韓国公開前interviewでイノセントな要素でウエス・アンダーソン監督の本篇に通じ逢うと述べて居て興味をそそる
イドン・ジン著ポン・ジュノ映画術の中にパラサイト半地下の家族に就いての監督インタビューが在り,水のシーンでは本エイブラハム・ポロンスキーの映画悪の力にインスパイアされて居ると云う興味深い点が
東京新聞夕刊の映画から世界が見えるー古今東西の名作・話題作で紹介された本篇,ポン・ジュノ監督のリスペクトと共に名優アン・ソンギが子役で出演して居た事も!
もう何度も観て慣れてるはずが、スクリーンで観たら鼓屋敷の回転の臨場感がすごくて、アトラクション乗ってるみたいに思えました。
雷の呼吸も、大画面だと迫力あるし、這ってくる鬼の舌の気持ち悪さも倍増です。
NHKラジオ深夜便日本の歌・心の歌,田端義夫作品集のラストソングは十九の春,本篇沖縄のBegin縁のソングでも在って
グレース・ケリーの短いハリウッドでのスター人生において、アルフレッド・ヒッチコック監督の手による「裏窓」と「泥棒成金」の2作品の間に位置し、そしてアカデミー主演女優賞を彼女にもたらしたのが、この映画「喝采」だ。
ブロードウェイのヒット戯曲の映画化であるこの作品は、モノクロフィルムによる作品ですが、それとは関係なしに、ヒッチコック作品の時のグレース・ケリーとは、まるで違う彼女の一面を楽しめる作品だと思う。
物語は、かつては人気エンターテイナーであったが、今はアル中となってしまった夫(ビング・クロスビー)とその妻(グレース・ケリー)。
ある日、夫に舞台の主役の話が転がり込む。
なんとか立ち直ってもらおうと献身的に尽くす妻だったが、夫は舞台の悪評に落ち込むばかり。
そんな時、若き演出家(ウィリアム・ホールデン)は彼女に抱いていた熱い想いを告白するのだった------。
簡単に言ってしまえば、バックステージものの三角関係のドラマ。
とはいえ、グレース・ケリーをはじめ、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデンというベストなキャストによる名演で、多くの映画ファンの心をつかんだ傑作だと思う。
この作品でのグレース・ケリーは、ヒッチコック作品の彼女とはまるで別人のような感さえしてきます。
ヒッチコックが愛したグレースは、ここにはいません。
ここにいるのは、決して本心を見せない”冷淡で暗い”人妻なのです。
彼女は、人生に疲れながらも恋に揺れ動く。
映画の中盤でその苦渋の思いを、ウィリアム・ホールデン扮する若き演出家にぶつけるシーンのグレースの演技は圧巻だ。
いくら女は強いといわれても、それは最終的に頼ることのできる男がいる上でのことだと思わずにはいられない。
今も昔も、女の本質は変わっていないのだと思う。
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
山奥にひっそりと建った古寺。その古寺は、そそり立つ険しい山々に囲まれ、鏡のように静かな湖の真ん中に浮かんでいる。
景色が四季にうつろう美しい在り様を眺めるだけでも、この映画を観る価値は十分にあると思う。
山と湖の遠景は、山水画を見ているような趣があるし、寺の建物や湖の周辺の樹々はくっきりとその姿を示している。
一分の緩みもなく緊密に組み立てられた映像が、俗世と完全に隔絶されたありのままの自然を、それだけでひとつのスペクタクルにしていると思う。
ただ、そうは言っても、その景色の中にいる”人間の在り様”が、この映画の大きなテーマであることは言うまでもないだろう。
春のうららかな萌える青葉を背景に描かれるのは、老僧に育てられる幼年僧の無邪気な行動と、それによって知らずに発した生類への罪を問う挿話だ。
夏の生命力みなぎる深緑を通しては、少年になった僧が少女に恋心を抱き、彼女を追って町へ出奔するいきさつが語られる。
秋の燃える紅葉の下、十数年ぶりに帰って来た時には、妻に手を賭けた殺人犯になっており、ここで自殺を図る。
老僧に導かれ刑に服した後、その跡を継いで廃墟となった寺を守って峻烈な修行を自らに課す姿が雪と氷で白一色の厳冬風景とともに映し出される。
幼少青壮それぞれを別の役者が演じ、一人の人生というより人間全般の一生を象徴的に追いかけていく。
そして、そこには、”人間の存在そのものがもたらす罪深さ”が、常に意識されているのだ。
しかし、一方で、再び春が訪れることは、”救い”を感じさせてもくれるのだ。
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
この映画は、上田秋成の「雨月物語」から「浅茅が宿」「蛇性の婬」の2編を取り出して脚色された、溝口健二監督の映画史に残る名作だ。
この映画は一種の怪談物なのだが、確かに、このような高雅なロンティシズムの香りを漂わせた怪奇映画は、日本映画の得意とするものなのかも知れない。
戦国時代の末期、羽柴秀吉と柴田勝家の軍勢が琵琶湖の畔で鬩ぎ合っていたころの話だ。
この戦火のどさくさで焼き物を売って儲けようと野心を起こした陶工の源十郎(森雅之)は、妻の宮木(田中絹代)、妹の阿浜(水戸光子)、その亭主の藤兵衛(小沢栄太郎)などを動員して、大急ぎでたくさんの焼き物を作り、それを売るために小舟で湖を渡る旅に出る。
源十郎は、焼き物を買ってくれた若狭(京マチ子)という美しい女の屋敷に品物を届けに行ったまま、彼女の色香に魅せられてそこに留まり、彼女と契りを交わしてしまう。
だが、実は彼女は既に滅亡した一族の女の死霊だったのだ。
旅の僧の忠告でそれを知った源十郎は、体中に経文を書いてもらってやっと呪縛を脱して故郷へと帰る。
家では宮木が子供を守って暮らしていて、源十郎を温かく迎え入れてやる。
ところがこの宮木も、一夜明けてみるとその姿がないのだ。
実は彼女も、家へ帰る途中で雑兵に殺され、死霊となっていたのだ。
侍になった藤兵衛も、一時は戦場で大将首を拾って出世したが、阿浜が娼婦になっているのを知って夢から醒め、一緒に家に帰って来る。
こうして、戦争で狂った男たちの夢も消え、再び、営々と地道に働く日々が訪れたのだ。
京マチ子の若狭の情熱と、田中絹代の宮木のエレガントな気高さと、二人の女優の美しい死霊の魅惑は、実に素晴らしい。 京マチ子は、朽木屋敷と呼ばれる幽霊屋敷全体の妖しい光線の中で激しく動き,田中絹代は,簡素な田舎家の夜の灯りの中の、ひっそりとした見のこなしで、”母性の優しさ”を感じさせる好演で、観ている私を不思議な静けさの中に引きずり込んでいく。 能から多くの要素を取り入れたという早坂文雄の静謐な音楽と、名手・宮川一夫のカメラが全編に冴え渡り、特に源十郎と若狭のシークエンスにおいては、日本的な”幽玄妖美の世界”が、たぐい稀な映像美として描かれていると思う。 この映画を観終えて、つくづく思うことは、かつての日本映画の質の高さ、映画人の映画に賭ける情熱のほとばしりの凄さだ。
乃南アサの直木賞受賞作『凍える牙』といえば、過去に何度かテレビドラマ化され、小説だけでなくドラマで作品の魅力に触れた人も多いだろう。
原作者の乃南アサ自身が、「誰よりも『凍える牙』を理解していることが感じられた」とコメントしている通り、難事件に切り込む様子や主人公となる女刑事の職場での葛藤を描くと同時に、事件の鍵を握るウルフドッグの闇夜を駆け抜ける姿が脳裏に焼き付いて離れない。
車内で不可解な人体発火事件が発生、ベテランながら出世の道が険しいサンギル刑事(ソン・ガンホ)は、新人女性刑事ウニョン(イ・ナヨン)とコンビを組まされ、難事件に挑み始める。
遺体に残った獣に噛まれた跡や、腰に締めたベルトの発火装置で、他殺と判断したサンギルだったが、被害者周辺を洗ううちに、更なる連続殺人事件が発生する。
狼と犬の交配種であるウルフドッグが、噛み殺す現場を唯一目撃したウニョンは、署内の圧力にも屈せず、ウルフドッグの調教主を割り出そうとするのだったが--------。
『悲夢(ヒム)』のイ・ナヨンが、男性社会のしかも警察という組織の中に蔓延する、セクハラやパワハラを受け、上司が真相究明を諦める中、最後まで事件に喰らいつく芯の強いウニョンを、凛とした美しさで好演している。
働く女性であれば、一度は体験があるであろう、苦々しい場面が度々描かれるからこそ、殺人鬼に変貌させられた、ウルフドッグの孤独な瞳に共鳴していくウニョンの気持ちに寄り添えるのではないだろうか。
一方、ウニョンの上司であるベテラン刑事サンギルを、名優ソン・ガンホが、中年の悲哀を漂わせながら飄々と演じ、ちぐはぐコンビぶりを発揮する。
刑事魂と出世欲の間で葛藤する姿もまた、男ならではの孤独な闘いを映し出す。
組織の中に波紋を巻き起こし、真相の追及に没頭するウニョンを次第に受け入れ、サンギルが上司として、刑事として一皮剥けるまでのドラマも映画版ならではの見どころだろう。
人間に調教されたウルフドッグの謎、そして事件があぶり出す社会の闇に迫るアクションシーンも圧巻だが、更なる犯行を重ねるかもしれないウルフドッグを、単身バイクで追いかけるウニョンの真夜中の疾走は、切ないまでに美しかった。
追う者と追われる者、もしくは人間と動物の垣根を越えた”孤独な魂の共鳴”が、サスペンスにとどまらない余韻を残す作品だ。
「影なき狙撃者」は、初期の「終身犯」や「5月の7日間」や「大列車作戦」、後期の「フレンチ・コネクション2」や「ブラック・サンデー」などの骨太な社会派サスペンス映画で、我々映画ファンを楽しませてくれた、ジョン・フランケンハイマー監督が、若かりし頃に撮った秀作です。
この映画の時代背景は、朝鮮戦争の頃。
1950年代というのは、まさにアメリカとソ連の東西冷戦の時代でした。
それぞれの本土で戦ってはいないものの、朝鮮半島を舞台にして、代理戦争を行なっていたわけです。
この時代の米ソの対立は、凄まじいものがあります。
ハリウッド映画界でも、かの有名なマッカーシー上院議員を中心とした、「赤狩り」の嵐が吹き荒れていました。
共産主義者は、まるで悪魔のように思われていた時代でした。
この朝鮮戦争下において、中共軍に捕らえられてしまったアメリカ軍兵士が、暗殺者に仕立てられてしまうというストーリーです。
現在の時点で観てみると、それほどもの凄いアイディアではないのですが、恐らく、この映画が製作された当時は、画期的だったのではないでしょうか。
あまり詳しいことは書けませんが、小道具としてトランプが使われていて、効果的であると同時に「影なき狙撃者=トランプ」という連想が、記憶に深く刻まれてしまうほどのインパクトがあります。
この映画の主人公は、ベネット・マーコ(フランク・シナトラ)とレイモンド・ショウ(ローレンス・ハーヴェイ)という二人の軍人です。
シナトラは格闘シーンがあるのですが、ぶっつけ本番だったので、右手の親指を骨折するという怪我をしたというエピソードが残っています。
やはり、きちんとリハーサルをして本番に臨まないと、怪我をしてしまうということなんですね。
ハーヴェイは、セントラルパークの池に飛び込むシーンがありますが、撮影時は厳冬で、彼はスタッフが氷を取り除いた、水温マイナス9度の池にダイビングしたそうです。
ほんとに、俳優とは大変な職業だなとつくづく思いますね。
ストーリーもハラハラ、ドキドキの連続で、出演者たちの熱演、そして最高にスリリングな展開で、極上の政治サスペンス映画に仕上がっていると思います。
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
単なる勧善懲悪の神であれば、悪領主を倒して、めでたし、めでたしで終わるところを、自らの怒りを鎮めるまで大暴れしてしまうのです。
つまり、時に”善神”にも、”破壊神”にもなってしまうのが、この大魔神の大いなる魅力だと思います。
本当に、映画好きの私の心を虜にし、”映画的興奮”で、ワクワクさせてくれます。
大魔神が歩を進める度に地響きが鳴り渡り、歩いた後が瓦礫と死体の山を築いてしまう。
これはもう尋常じゃありません。まさしく悪魔そのものではないかと思うのです。
柔和な顔を持つ”武神像”と、怒りが頂点に達した時に、顔が”仁王像”に変わる大魔神。
これは、一つの神像の中で、”優しき心と怒りの心”がせめぎ合い、その時の表情が”神像の顔”になるのだと思っています。
そして、この映画で大魔神の暴走を止めるのは、心が清らかで美しい、小笹(高田美和)の”切なる願いと涙”なのです。
小笹の必死の、命を懸けた切なる願いに打たれた、神像の”優しき心”が覚醒して、”怒りの心”を鎮め、再び、元の柔和な武神像の顔へと戻っていくのです。
元ネタになった「巨人ゴーレム」にはなかった、オリジナリティ溢れる「大魔神」の魅力の全てがここにあるのです。
この大映の特撮時代劇「大魔神」という映画が、子供向けに堕していず、大人の鑑賞にも耐え得る立派なドラマになっているのも素晴らしいのですが、加えて、実写の人間を入れ込んだ見事なブルーバック合成や、二・五分の一の精巧なミニチュア・ワーク、そして、真っ赤に染まった空が印象的な見事な色彩設計などが完全に融合し、クライマックスのあの迫力のある破壊のシーンが生まれたのだと思います。
これこそが、我々、映画ファンの心を鷲づかみにした、この映画の最大の魅力だと思うのです。
特に城や日本家屋の破壊シーンは、東宝特撮映画で描かれる怪獣映画の大都市破壊のそれとはひと味違った”美学”が感じられて、いいですね。
しかし、この映画「大魔神」が素晴らしいのは、何といっても、単純に悪を征伐するための神ではなく、”悪魔的にまで恐ろしい神の精神”を持ち合わせている事だと思うのです。
大魔神は、十字架のようになった柱に悪領主を押さえつけ、鉄釘で串刺ししただけでは怒りはおさまらず、今度は村里にその怒りの矛先を向けようとするのです。
「赤い河」(1948)を皮切りに、「リオ・ブラボー」(1959)、「エル・ドラド」(1966)と、ジョン・ウェインとのコンビで西部劇等の傑作を次々と放った、巨匠ハワード・ホークス監督にとって、この「リオ・ロボ」は、盟友ジョン・ウェインとタッグを組んだ遺作。
確かに、ホークス&ウェイン・コンビ作の最高峰「リオ・ブラボー」とは比べるべくもない凡作かもしれないが、ハリウッド伝統の”王道的西部劇”の醍醐味を存分に味わえる、良質なエンターテインメント映画に仕上がっていると思う。
「リオ・ブラボー」と「エル・ドラド」に続く三部作の最終章とされるこの作品は、なるほど前二作と同じく、主人公たちが、保安官事務所に立て籠るという設定を用いている。
しかし、大きく違うのは、この作品の保安官ヘンドリクスが、悪者側だということだろう。
敵の親玉ケッチャムを人質に、保安官事務所を占拠したマクナリーらは、ボスを奪い返さんとする保安官一味を相手に、攻防戦を演じることになる。
その一方で、軽妙なユーモアとハードなアクションを織り交ぜた、ノリの良い群像活劇という路線は、往時ほどの切れがないとはいえ、前二作をそのまま踏襲しており、色々な意味で、安心して楽しめる作品に仕上がっていると思う。
当時、既に60代だったジョン・ウェインの動きが、やけに鈍くてアクション・シーンがキツイとか、その相棒コルドナ役に起用されたメキシコの若手トップ俳優のホルヘ・リヴェロに、ウェインと渡り合うほどのカリスマ性がないとか、敵の一味が、ヘナチョコ過ぎるとか、色々と粗を探せばキリのない作品ではある。
脇役陣で光っているのは、飲んだくれのクレイジーなフィリップス老人を嬉々として演じているジャック・イーラム。
「リオ・ブラボー」のウォルター・ブレナンに相当する役柄だが、西部劇の個性的な悪役俳優として鳴らした、ジャック・イーラムの芸達者ぶりが実に面白い。
「おもいでの夏」で私を虜にしたジェニファー・オニールも、鼻っ柱の強い女性シャスタを好演している。
ジョン・ウェインの盟友ロバート・ミッチャムの息子クリストファー・ミッチャムは、「チザム」(1970)や「100万ドルの決斗」(1971)でも共演しており、恐らくデュークは、映画界の後見人として後押ししていたのだろうが、残念ながら期待されたほどのスターにはなれませんでしたね。
泣いて笑った。
大好きな映画。
愛すべき役者さんたち。
心が温かくなった。
観てよかった。
また観に行く。
この映画「博多っ子純情」は、長谷川法世が「週刊漫画アクション」に連載していた人気漫画の映画化ですが、異才・曾根中生監督の歯切れよく、気風よく弾ける演出が素晴らしい作品だ。
性に目覚め、いまだ見も知らぬ女性の神秘に興味を抱く、男子中学生3人組が、憧れの女性とのデートを夢見たり、不良に囲まれた同級生をカッコ良く助けようと意気がったりする様を、コミカルに誇張を込めて描いた痛快作だ。
この映画は、威勢はいいが、どこかとぼけている博多弁のセリフが作品の基調をなし、今や日本映画界の名バイプレイヤーのひとりになった、若き日の光石研扮する郷六平をはじめとする中学二年の男子中学生3人組が、生まれて初めて山笠を担いで男をあげたり、初恋のお姉さんに悶々としたり、クラスメートの女の子(松本ちえこ)にキスをせがまれたり、夜道で高校生に絡まれて喧嘩したり-----といった印象深いエピソードがきびきびと展開していく。
そして、何といってもこの映画の白眉は、六平の正義感を発端として三人組が、別の中学の大勢の生徒と決闘するはめになり、三人組に加勢する番長の一団と福岡城址で大乱闘になる終盤だ。
これが、六平の失禁しながらの機転で、無血の解決をみることになるんですね。
この決闘シーンは、鈴木清順監督の「けんかえれじい」を彷彿とさせ、勢いと余韻に満ちたユニークな戯作タッチを全篇に行き渡らせた「博多っ子純情」は、曾根中生監督の登場人物たちに注ぐ愛情が素晴らしく、彼の演出の頂点をなすものだと思いますね。