映画感想・レビュー 70/2520ページ

マシンガン・パニック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-07

MWA賞の最優秀長編賞受賞の世界的なベストセラー小説「笑う警官」の舞台をサンフランシスコに移して映画化した作品が、 「マシンガン・パニック」ですね。

この映画「マシンガン・パニック」は、ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァルのおしどりコンビによる、アメリカの推理小説の最高賞と言われる、MWA賞の最優秀長編賞を受賞した、我々ミステリー・ファンにはお馴染みの"マルティン・ベック"シリーズの「笑う警官」という世界的なベストセラー小説の映画化作品。

この映画が日本で公開された1970年代半ばは、パニック映画の全盛期で、この映画もそうした時代の風潮の中で、原作の内容とはほとんど関係のないような、「マシンガン・パニック」というとんでもない題名が、配給会社によって付けられたという背景があります。

原作は、冬のスウェーデンのストックホルムで起こった謎のバス乗客虐殺事件を、マルティン・ベックを初め、数人の刑事がコツコツと地道に調べ歩き、意外な人物を真犯人として逮捕するという捜査的な興味を加味した推理小説ですが、トーマス・リックマンがシナリオ化して、「暴力脱獄」「ブルベイカー」のスチュアート・ローゼンバーグが監督したこの映画は、中年の2人組刑事の足による追求に重点をおいて、いかにもアメリカ映画らしい捜査ドラマに作り変えられています。 そこが、この映画の面白さであると同時に、弱点にもなっているような気がします。 原作の舞台であるストックホルムをサンフランシスコに置き換え、主人公のマルティン・ベックは、ジャック・マーティンという名前に変えられ、「おかしな二人」などの喜劇で名をあげた、ウォルター・マッソーが扮して、いつもの彼とはうってかわった、渋い演技を見せています。 そして、彼とコンビを組むレオ・ラーセン刑事に扮しているのは、「ヒッチコックのファミリー・プロット」のブルース・ダーンで、ユーモラスな味を出してなかなか良い演技を見せています。

勝利への脱出:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-07

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この映画「勝利への脱出」は、ジョン・ヒューストン監督による"脱走アクション映画"の傑作ですね。

舞台は第二次世界大戦下の連合軍捕虜収容所。と言えば、かつてのダイナミックな脱走ドラマの大傑作「大脱走」を思い出してしまうが、この映画はちょっと違うのだ。
何とサッカーの試合の最中に、脱走しようというアイディアなのである。

1943年、ナチス占領下のパリ。連合軍捕虜収容所で、サッカーの元全英選抜選手とドイツの選手が出会った事から、ドイツ軍VS捕虜選抜チームのサッカー・ゲームが企画される。
そして、レジスタンスはこれを利用して捕虜たちの集団脱走を企てるが-----------。

この映画の中心人物は三人。マイケル・ケインのイギリス将校。冷たいばかりの完璧な計算で脱走計画を推し進め、時には仲間の腕を叩き折る事さえやってのける。

スウェーデン出身の名優・マックス・フォン・シドーが扮しているのはドイツ将校。
スポーツマンとしての純粋な気持ちと共に、ドイツ捕虜収容所政策を、対外的に明るくイメージ・アップしようと考えて、サッカー試合を実現させる。

そして、もう一人は、陽気でおっちょこちょいのアメリカ将校のシルヴェスター・スタローン。 この計画に参加したいのだが、なかなか仲間に加えてもらえない。このスタローンが実にいい。 アメリカ青年らしい爽やかさと一途な正義感を素朴に演じていて好感が持てる。 「ロッキー」のイメージそのままに、典型的な"愛すべき"アメリカの青年像を体現している。 スタローンのおかげでラストのサッカー試合がぐんと盛り上がる。 試合途中の脱走計画をやめて、最後の試合を勝ち抜こうとするわけだが、ラストの描写が何とも甘いという欠点も、途中の中だるみも、このサッカー場面の迫力が、充分にカバーしていると思う。 ブラジルのサッカーの神様ペレを初め、本物のサッカーのスター選手が捕虜の兵士として試合に加わっているのも見ものだ。

かつての「大脱走」のクライマックスが、個々の力による脱走であったのに対して、この映画では"集団プレー"。 今、この時を共に戦い抜こうという、アメリカ人向けのメッセージが聞こえてきそうだ。

皇帝のいない八月:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

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この松竹映画「皇帝のいない八月」は、現実味のあるポリティカル・サスペンスだけに、危険な要素があると思います。

まず、この映画は、左派の映画人として知られる山本薩夫監督が、どのような意図をもってこの映画を演出したかに興味があります。
「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環蝕」「不毛地帯」と続く作品に、山本監督の一貫した政治的立場をうかがい知ることが出来ますが、この映画についての山本監督の演出の言葉は、極めて明瞭です。

「映画は確実に、"現在"を反映する。私にとって"現在"とは、見えざる権力の影の部分で仕組まれつつある右傾化への危機感である。その右傾化の極北にあるのが、クーデターである。戦後、幾度か計画され未遂に終わったクーデターは、三島事件のように個人の生きざまとして処理され、その背後の黒い影の部分は抹殺されてしまう。『皇帝のいない八月』が素材としている自衛隊クーデターは、もちろんフィクションであるが、日本という精神風土の中で、果たしてクーデターは起こり得ないだろうか。

夜の闇をついて走るブルートレインに託して、私はこの映画で日本の"現在"と、否応なく巻き込まれて圧殺されていく人々の愛を、スリリングに描いてみたい」と語っているように、山本監督は、当時の日本にクーデターの危機を感じていたのかも知れません。 "見えざる権力の影"が、日本を右傾化し、それがクーデターに至るのだとみているようです。 つまり、"影の権力構造"が、彼の一連の作品に見られる批判の対象なのだと思う。 そのような彼の政治思想が、彼の作品に共通する"図式化"を生んでいる一因でもあるのです。 この映画でも、佐林首相(滝沢修)や保守党の黒幕・大畑(佐分利信)の扱いは、安易なパターン化を抜け出していないし、利倉内閣調査室長(高橋悦司)や江見陸上自衛隊警視部長(三國連太郎)の行動も、現実性を欠いているように思えます。 それに、在日米軍トーマス准将が、どのような役割をもっているのかも、クーデターの背景として明らかではない。 "影の部分"が何者であり、それが何故に、またどのようにしてクーデターを操るのかについて、山本監督は明らかにしないで思わせぶりに終わっている。

いずれにせよ、選挙の上に立つ議会制度が、腐敗しマンネリ化した時にクーデターの危機が生じ、また一方、クーデターに危機感をもつことが、民主主義を健全に機能させるとも言えるだろう。 この映画での首謀者・藤崎元一尉(渡瀬恒彦)の悲愴感は、三島由紀夫を想起させるし、映画でも三島最後の記録写真が出て来ます。 「憲法を改めて、かつてあった美しい秩序を、美しい精神を構築する」という藤崎の檄は、三島のそれとあまりにもそっくりです。 三島と結びつけることによって、山本監督はその演出の言葉と違った感銘を、当時の観客に与えたのではないだろうか。 山本監督の意図とは反対に、観客は藤崎の滅私の"生きざま"に、三島を重ねて感動を受けているのかも知れません。 この映画の原作は、小林久三の傑作ポリティカル・サスペンス小説ですが、この原作に忠実な余り、藤崎の妻・杏子(吉永小百合)と彼女の前の恋人・石森(山本圭)の複雑な男女関係を割愛しなかったことが、この映画の男性的な緊迫感を削いでいると思う。

また、ハイジャックされた夜行寝台ブルートレイン、さくら号の岡田嘉子と渥美清の二人も、なくもがなである。 小説では、人間の動きが中心となっているが、この映画では、列車の動きが視覚的にサスペンス感を高めていて、このブルートレインが欠くことの出来ない主役となっているように思う。 尚、この映画の題名の「皇帝のいない八月」とは、"暑い八月の狂詩曲"とも言われる佐藤勝作曲のテーマ曲であり、クーデターの作戦隠語でもあるのです。

恐怖の報酬 ディレクターズ・カット版(1952):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-07

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石油会社は、ニトログリセリンを爆発させ、その衝撃力によって火を消そうと計画する。
ところが、このニトログリセリンの運搬が実に厄介なのだ。一滴、落としても爆発する。
うっかり処置を誤ろうものなら、大爆発を起こしてしまうという代物なのだ。

このニトロを荷台に積んで、二台のトラックが出発する。報酬は、一人2,000ドル。
ただし、これは成功報酬で、無事運び終えなければ手にすることが出来ない。
火災現場の油田まで、途中には幾つもの難所があり、ニトロは、いつ爆発するかも知れない。

一台のトラックには、二人の運転手が乗る。
正規の運転手と助手の二人ずつだが、二台のトラックで計四人。さすがにフランス映画らしく、この四人の性格描写が際立っている。

パリの地下鉄の切符を壁に飾り、いつパリに帰れるかを夢見ている男にイヴ・モンタン。零落した親分肌の男にシャルル・ヴァネル。
さんざんナチスに苦しめられた男にペーター・ファン・アイク。あと一か月しかもたない肺病病みの男に、イタリア人のフォルコ・ルリ。

ニトログリセリンの運搬は、モンタンとヴァネルがペアになり、もうひとつのペアは、ルリとアイク。 この四人でニトロの運搬作業が繰り広げられて行くのだが、要するにこれは、”道中もの”の変型なのだ。 日本の「東海道中膝栗毛」やアメリカ映画の珍道中シリーズなどでもはっきりと描かれているように、この種の道中記ものには、必ず人間関係の逆転がある。 例えば、主従関係が途中何かの事件に遭遇して、そっくり逆転して、これまて従者だった者が主人格になり、主人格だった者が従者になるという傾向だ。 それがストーリーの流れに変化を与え、人間の性格描写の彫りを深くする役割を果たしているのだが、この映画の人間関係の逆転は、実に鋭く描かれている。 親分肌のシャルル・ヴァネルと若僧のイヴ・モンタンが乗ったトラックは、急カーブの難所にさしかかる。 そこは、車の退避のために木の櫓が設けられている。 だが、その櫓の一部は腐っていて、トラックの重量にはとても耐えられそうにもない。 そのことを察したヴァネルは、トラックを運転中のモンタンとの共同作業中に現場から逃げ出すのだ。

トラックはモンタンの必死の努力で奇跡的に無事だったが、この事件をきっかけに両者の立場は一気に逆転する。 歳を取ると、人間は気弱にも、卑怯にもなるものだと呟くヴァネル。 そして、ヴァネルは、次の難所の巨大な落石をニトロで爆発するシーンで、トラックのそばから逃げようとせず、自ら死のうとする。 老残の彼の心情が惻々として伝わってくるが、そこで死にきれなかった彼が、その次の難所の事故で死に至る負傷をしてしまう。 言ってみれば全編が、障害レースのようなもので、一難去ってまた一難といった具合に、トラックの行く手に、次々と現われる障害に工夫と仕掛けがなければ、我々観ている者は、次第に障害物の刺激に慣れて、ハラハラ、ドキドキしなくなるものだ。 したがって、この種のサスペンス映画は、直接的で視覚的な恐怖感と、もうひとつ、心理的な恐怖感を巧みに融合させることが必要になってくると思う。

直接的で視覚的な恐怖感とは、トラックのワイヤーが引っ掛かり、切れそうになってギリギリと音をたてるカットとか、前を行くルリとアイクの乗ったトラックが、突然、爆発し、あとには破片すら残っていないといったシーンなど、ふんだんに散りばめられている。 このような連続活劇の手法が有効であるのは、トラックの荷台に積んだニトロが、いつ爆発するのかという、我々観る者、ひとりひとりの想像力の中に潜んでいる恐怖感と結びついて、恐怖感を増幅させるからだと思う。 このアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の視覚的で心理的な恐怖感を巧みに融合させた演出上の計算は、心憎いまでに確かだと言えると思う。 「人間の感情の中で最も古く、もっとも強烈なもの、それは恐怖である。恐怖の中で最も強烈なもの、それは未知の恐怖である。」。 これは「異次元の色彩」で知られるH・P・ラヴクラフトの有名な言葉だが、恐怖が人間本来の感情と最も強く結びついている以上、それを巧妙に呼び覚ましたのが、サスペンス映画だと言えると思う。

ニトロを積んだトラックが山道を走って行く。 この先、トラックには何が起きるのか? 運転手にも、我々観る者にもわからない。 我々は、スクリーンの中の運転手と共に、未知の恐怖を共有することになるのだが、こういった”恐怖感覚”を、実にうまく利用して作ったのが、この映画だと思う。 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のエンターテインメントに徹し、徹頭徹尾、我々観る者をハラハラ、ドキドキさせる映画を作ってみせるという執念と熱気が、観ている私を金縛りにして、”真昼の幻覚”といったものに誘ってくれたのだろうと思う。 なお、この映画は1953年度のカンヌ国際映画祭で最高の作品に与えられるグランプリを受賞し、また主演のシャルル・ヴァネルが最優秀主演男優賞を受賞していますね。

恐怖の報酬 ディレクターズ・カット版(1952):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

この映画「恐怖の報酬」は、映画史上に燦然と輝くサスペンス映画の傑作ですね。
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督にとって、この「恐怖の報酬」と「悪魔のような女」が彼の作品を代表する二大サスペンス映画だ。

この映画「恐怖の報酬」のストーリーは、非常にシンプルだ。危険このうえない、爆発物のニトログリセリンを、A地点からB地点に運ぶ話である。
話としては、それだけである。それ以外の余計な夾雑物は全くない。実にスッキリしている。
この危険なニトログリセリンを、無事A地点からB地点に運ぶことが出来るかどうか?

サスペンス映画としては、申し分のない設定だと言えるだろう。舞台はラテン・アメリカのある国のラス・ビエドラスという小さな町。
ここには、世界中から喰いつめた男たちが集まって来る、いわば人生の吹き溜まりのような町なのだ。
そして、町には不景気風が吹いていて、男たちは仕事にあぶれている。

そんなある日、町から500キロほど離れた油田が火事になる。

人間の証明:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

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人間の虚栄と孤独の底から証明される人間そのものとは何かという原作のテーマを映画的サスペンスの世界で描いた角川映画が「人間の証明」だと思う。

この映画「人間の証明」は、角川春樹事務所の「犬神家の一族」に続く第2回作品で、製作が角川映画、配給が東映、興業(上映)が東宝という三者協力体制であり、これに撮影の現場を担ったスタッフの日活が加わっての日本映画界にとっては異例づくめでの公開でした。

原作は当時のベストセラー作家の森村誠一の第三回角川小説賞の受賞作で、脚本は当時としても異例の一般公募を行ない、結果としてプロの脚本家の松山善三が第一位となり、監督は「新幹線大爆破」等のサスペンス物を得意とする佐藤純彌、音楽に「犬神家の一族」やアニメのルパン三世でおなじみの大野雄二を起用し、このような多角的な角川旋風が、当時の沈滞していた日本映画界に新風を吹き込んだ事でも知られる作品です。

しかし、このような日本映画界にとっての異端児の作品に対する当時の評価は、「まとまりの悪い、消化不良の大作」、「ツッパリに見合う新鮮さもなく、中身は母もの悲劇」、「読み捨ての域を出ず、国籍不明映画」、「見世物多すぎ、焦点ボケ」等と厳しいものでした。 「見てから読むか、読んでから見るか」という言葉が、この映画の宣伝に使われていますが、個人的には、この映画の場合、まず原作を読んで、現在の東京とニューヨークを結び付け、更に太平洋戦争直後の傷跡に遡って、"人間の虚栄と孤独の底"から証明される人間そのものとは何かという事を沈思黙考して、ゆっくりと考える事が先にあった方がいいと思います。 原作の森村誠一が、この小説のあとがきの中で、「論理性だけでなく、人間性が犯人を討ち取るような推理小説」と書いていて、原作の本文中の「八杉恭子は、自分の中に人間の心が残っていることを証明するために、すべてを喪ったのである。棟居は、人間を信じていなかった。

だが決め手をつかめないまま恭子に対決したとき、彼は彼女の人間の心に賭けたのである。心の片隅で、やはり人間を信じていたのだ」という一節が、この原作の小説の重要なテーマだと思います。 そして、原作と映画の脚本とを比較してみると、主人公が原作の棟居刑事(松田優作)から、映画では八杉恭子(岡田茉莉子)に移っています。 また、映像美を強調するために恭子は女性評論家ではなく、ファッション・デザイナーに変えられています。 それから、ニューヨークの場面も車の追跡という映画的な見せ場も追加されています。 そして、特に、人間を証明するという最も重要な場面が、原作では、棟居刑事が恭子から自白を勝ち取るところに重点がおかれているのに対して、映画では、棟居刑事が自白を迫るガレージの場面から、更に、華やかな表彰式での恭子の告白、そして霧積での投身とそれを許す棟居刑事という場面にまで発展させています。

このようなテンポの早い映画的な展開も、原作を先に読んでいれば、非常にわかり易いと思います。 また、外国人スタッフだけを使ってのニューヨークロケもさほど違和感もなく、映画のラスト近くの、霧積からニューヨークへの映画的展開も実にうまいと思います。 そして、ケン刑事(ジョージ・ケネディ)の最後の死は、終戦の決着でもあるのかも知れません

ザ・ドライバー:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

この映画「ザ・ドライバー」は、凄まじいカーアクションと刑事対ドライバーの虚々実々の駆け引きをクールに描き、アクション映画の原点を示した作品だと思います。

このクールで戦慄的な我々映画ファンを痺れさせる「ザ・ドライバー」は、チャールズ・ブロンソンとジェームズ・コバーン主演の「ストリート・ファイター」という小味なアクション映画を撮った、ウォルター・ヒル監督の第二回監督作品です。

銀行ギャングや強盗の逃走を請け負う、プロのゲッタウェイ・ドライバーのドラマですが、とにかく凄まじいカーアクションと、刑事対ドライバーの虚々実々の闘いに焦点を絞り、余計なものは一切描かれず、いわば、"アクション映画の原点"に戻ったような作り方であり、ムダな場面が目障りだった前作の「ストリート・ファイター」よりも、ずっと面白く出来ていると思う。

ロサンゼルスの街の地図を性格に頭に刻み込んだゲッタウェイ・ドライバー(ライアン・オニール)は、その鮮やかなハンドルさばきで、追跡してくるパトカーをまいて夜の闇に消えてしまう。

なんべんもそんな彼にキリキリ舞いをさせられた刑事(ブールース・ダーン)たちは、なんとかしてドライバーを逮捕しようと考えて、卑怯な罠を仕掛けるが、その罠にもかからないのだ。 まるで、マシーンのように冷徹なドライバー。 うす汚い人間性をむき出しにして、ドライバーの逮捕に執念を燃やす刑事。 この二人のコントラストにも迫力があり、彼らの闘いがドラマティックな興趣を盛り上げていると思う。 それまでの甘い二枚目からイメージ・チェンジしたライアン・オニールの好演も素晴らしいが、それ以上に印象的なのは刑事役のブルース・ダーンの怪演だ。 そして、フランスの演技派女優のイザベル・アジャーニがドライバーに近づく女ギャンブラーに扮している。 普通のドラマ設定なら、彼女とドライバーの間に恋愛感情が生じ、そのあげくベッドシーン-------となるはずなのだが、そういう余計なものを一切省いたところが、この作品の良さだろうと思う。

ロサンゼルスの素晴らしい夜景の中で展開される追いつ追われつのカー・チェイスは、凄い見せ場になっていて、アクション映画の魅力をたっぷりと堪能しました。

ザ・ヤクザ(1974):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

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外国の監督が、日本を舞台にした映画を撮ってもめったに成功しないものだ。
必ず風俗的にチグハグで、ヘンテコなところが出てくるからだ。

だが、この映画「ザ・ヤクザ」は、稀に見る成功作だと言ってもいいと思う。
何しろ監督が「ひとりぼっちの青春」や「追憶」などのシドニー・ポラックだということと、ヤクザ映画(任侠映画)の本家・東映の全面的な協力のおかげで、おかしな失敗をしないですんだと思う。

アメリカで私立探偵をしていたハリー(ロバート・ミッチャム)が、友人のタナー(ブライアン・キース)から、ヤクザの東野(岡田英次)に誘拐された娘を取り戻してくれと頼まれて来日し、終戦の頃に愛し合った英子(岸恵子)と再会する。

彼女の兄だという健(高倉健)は、ヤクザの足を洗い、京都で剣道の師範をしているが、昔、英子がハリーに救われた"義理"を返すために協力を約束する。

ハリーと健は、タナーがつけてよこした若い用心棒のダスティ(リチャード・ジョーダン)も加えて行動を起こし、タナーの娘の奪還に成功する。 その結果、健もハリーも東野一味から狙われることになり、健の兄で全国ヤクザの長老格の五郎(ジェームズ繁田)を苦しい立場に立たせることになる。 シドニー・ポラック監督は、古めかしいフジヤマ・ゲイシャ的なイメージにこだわらず、1970年代当時の日本の自然な風俗の中で、物語を進めていて、安直なアクション映画のタッチではなく、腰を据えたドラマの味を出していると思う。 京都の大学の講師だった五年間に、ヤクザ映画の熱狂的なファンになったというポール・シュレーダーの原作もなかなかうまく出来ており、タナーが東野に密売する銃器の前払金を使い込んで、銃器を渡せなくなったため、娘を誘拐されたことがわかってから、場面は急テンポで緊迫の度を増していく。 そして、東野に脅かされたタナーが、ハリーの暗殺を企てたりしたあげく、ハリーが健と二人で、東野の邸へなぐり込みをかけるクライマックスへと至る。

健さんは日本刀、ミッチャムはショットガンと拳銃で暴れるこの修羅場は、カメラ・アングルにも工夫を凝らした、見応えのある一幕で、岡崎宏三の撮影が光っている。 健はこの乱戦で、東野の子分だった五郎の息子を殺す羽目になったため、指を詰める。 そして、健が実は英子の兄ではなく夫なのに、恩義のために自分たちの関係を隠していたという事情を知ったハリーも、侘びのしるしに指を詰めて健に送る。 "義理"というものが、本家の東映の映画より、合理的によくわかるのが面白い。 健さんも、ミッチャムも好演で、真の友情が生まれる経過がよく出ており、英語と日本語のまぜかたも上手くいっている。 そして、岸恵子もこの二人のバランスに相応しい配役だったと思う。

卍 リバース:P.N.「ゆう」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-07

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

都内にて鑑賞。
話の中盤あたりで中崎さんが男を誘惑し病院のベッドで下着を自ら脱ぎだし、乳首を丸出しにするシーンはとても魅力的だった。照明も明るい雰囲気だったのでしっかりと確認できた。
話の内容は現代よりな話、少しつくりが雑な所もあったが、ミステリアスな雰囲気で楽しめた。
3人でベッドシーンの際に薬を飲ませるシーンがあったのだが、いまだに謎が解けていない。あのシーンに何の意図があったのかわからない。
であれば、むしろ3人で絡むシーンを作った方が内容的におもしろかったのではないかと感じた。
田中朱里さんのミステリアスな雰囲気で芝居を楽しめた。
ただ、ホテルに男を誘い出すシーンで、下着をつけたままで乳首を丸出しにしていなかったのは残念だった。R15作品なのでもう少し攻めてほしかった。

母('29):P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

👧5歳のデコちゃんこと高峰秀子は,本篇の準ヒロインの八雲美恵子が自宅で着物姿でお嬢さんなので居るのを見て子どもながらに,大人がこんな風でよいのものか?と心配してたと云うエピソードも在るとか

ミッシング(2024):P.N.「bogi」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-07

ほぼ同世代の平仮名三女優、はるか、まさみ、さとみ。
迫力の点でやや遅れをとっていたが、本作で追いついたかも。
終盤に纏まりがつかなくなりつつあったが、ラストシーンで締めた。

マッドマックス フュリオサ:P.N.「ロマンティックエロ爺」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

2024年、最大の期待作、いや~前作、怒りのデスロードから9年間、最大の期待作でした~フィリオサの母ちゃんが最高!フィリオサの子供時代を演じるアリ-ラ.ブラウンちゃん凄い~そして、そして.映画オタクの現代の女神、アニャの登場です!クリス.ソ―.デェメンタス将軍の最高のクズっぷり見事です~しかし~しかし~監督ですよ監督!やはりジョ―ジ.ミラ―は、私の神でした!

乱れる:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

🐄監督松山善三と本篇のデコちゃんこと高峰秀子の養女がラジオ番組で紹介して居たパク・チャヌク監督のお気に入りの一本

浜の朝日の嘘つきどもと:P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

この映画を観て、とても感動した。これは何よりもあらためて映画の素晴らしさを教えてくれたからだ。高畑充希さんが出演されている。私は高畑充希さんの大ファンなのだ。彼女は凄く美しくて、演技も素晴らしい。最高の女優さんだと思う。これからもこの映画は私の心の中で、いつまでも鈴のように鳴り続けるだろう。

銀河鉄道999:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

今朝のNHKラジオ深夜便昭和歌謡は1979年のヒット曲特集,ゴダイゴの本篇主題歌。スローなリズムを機関車の躍動感あるものに換えて作曲し歌われたエピソードも

Aサインデイズ:P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

🎸今朝のNHKラジオ深夜便明日への言葉はフィンガー5のアキラ,本篇宜しくAssignバーでの演奏活動の話や大ヒットの後に来る波乱万丈な人生で自分の歌を探し求めるのは映画そのもの何だ!自曲の沖縄ソングのウチナーが番組内で紹介されて♬

ミスター・パーフェクト(2011):P.N.「人生は、映し鏡、あなたの行いを跳ね返す」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

何か、不思議と縁が繋がるのか、たまたま、しかも、特別上映の特別料金。

この作品の為に、わざわざ出向いたので、諦める訳にはいかない。

13年も前の作品ですが、
インド映画の良さも盛り込み、ハリウッド超えの勢いで、最近は、主役が、ハーフ級の顔立ち、ここ最近でも数本鑑賞していたので、顔馴染みが、出演されてました。

王道のインド映画の路線を行く作品で、様々な要素を盛り込んで、楽しく鑑賞させてくれます。

ハリウッド超えのインド映画ですが、インド映画の良さを失わず、更なる発展を、これからも楽しい作品を期待しています。

さあ、次は、『PS2』が、楽しみです。

告白 コンフェッション:P.N.「ちと怖いけど、いけないけど笑ってしまう、」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

ほぼ、山小屋と、ほぼ、三人がメインで展開する、リズミカルよく、舞台劇の様な、面白さ。

大がかりなセットを組めば舞台化もできそうだが、映画化の方が、何かと都合いいだろう?

予告では、2パターンがあって、何か気になるパターンがあって、それを確かめたいのもあり鑑賞しました。

ああ、そう言うことか?と、かなり、グロテスクなのを想像してましたが、ハッと驚かされる演出に、思わずドキッとしましたが、
決して、笑っていけない内容ですが、まさかの、逆ギレ?

愛は、強要したり、奪ったり、偽るモノではないと言う戒めも含め、三者が、自業自得の悲劇で、喜劇と言う、落語の様な、シェークスピアな、落ちでした。

映画『からかい上手の高木さん』:P.N.「6月の花嫁、からかい上手は扱い上手」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-07

タイトルのコミックは知っていたが、まあ、面白そうな位の、

映画化と知り、なんだか、鑑賞してみたくなりました。

監督は、『ちひろさん』
、道理で、人間を内面から上手に描いているんですね。

タイトルから、だいたい想像はできますが、二人の主役を内面から上手に描き、ロケ地も人々も、見事に景色化して、情緒豊かに、コミカルに、この時期、6月公開にぴったりの展開でした。

人間が一番関心があるのが、人間自身、その豊かな表現で楽しませてくれる作品。

からかい上手は、扱い上手と言いまして、イジメとは違い、仲のいい中高生がよくやっているヤツです。

そこに愛がないとできない、そして、相手への理解、観察がないと、

正に、人生全般は、観察。

親が、たまに、赤ちゃんをからかったりして、遊ばせますね、そこには、観察と愛があります。

からかい上手は、愛するのが上手い、愛され上手なのです。

最終更新日:2024-10-30 11:00:02

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