- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
誰もいない部屋から聞こえてくるピアノの音、不気味にはためく窓辺のカーテン、死者の写真、闇夜に浮かび上がる洋館、といった怪奇演出は、怪談文化をバックボーンに持つ、我々日本人のセンスにもしっくりと馴染むような気がします。
何を見せて、何を見せないのか。これは恐怖映画の永遠の命題だろうと思います。
アレハンドロ・アナーバル監督は、ヒッチコックの映画から多大な影響を受けたと語っていますが、ヒロインが見えない存在への恐怖に浸食されていくという観点から、とりわけ「レベッカ」の表現技術を意識していると思います。
そして、見えないものに息を与え、得体の知れない恐怖を生み出すことに成功していると思います。
さらに、グレース・ケリーやジョーン・フォンテーンといった、ヒッチコック映画のヒロインを思わせるニコール・キッドマンのクール・ビューティーぶりが、もう素晴らしいの一言に尽きますね。
情緒不安定なヒロインの錯綜する心理を見事に演じ、恐怖とインパクトを増幅させてくれます。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
1945年、第二次世界大戦末期のイギリスのジャージー島。出征した夫の帰りを待つニコル・キッドマン扮するグレースは、広大な屋敷で二人の子供と暮らしている。
子供達は、極度の光アレルギーで、屋敷の窓という窓には、いつも分厚いカーテンがかかっている。
ある朝、屋敷に三人の新しい使用人がやって来る。
そして、その日を境に、数々の不可解な現象がグレース一家を襲い始める。
屋敷の中に見えない何者かが入り込んでいる。それは一体誰なのか? というスリリングな物語ですね。
近年のホラー映画は、スプラッタやサイコ系が主流を占めていると思います。
確かに、死者の魂や幽霊といった宗教観は、IT全盛の現代にあっては、いかにも古臭いという感じは否めません。
そんな中、アレハンドロ・アナーバル監督は、オールドスタイルのゴシック・ホラーに、恐怖演出の原点を見出し、古典への帰着を起点として、新たなゴシック・ホラーを創造しようと試みていると思います。
この点が、私がこの作品を好きな理由なんですね。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
どうしてもお上品ぶった神を、土俗信仰のシャーマンの次元に引きずり下ろしたことによって、人間の、神や運命に対する恐れというものが、より赤裸々に出たような気がします。
そしてまた、王家の人々も、決して豪壮なお城に鎮座しますお偉いさんといった風ではなく、まるで部族の族長といった感じなのです。
これは何もパゾリーニ監督が、奇をてらったのではなく、人間と人間のつながりを、より素朴なところから問い直そうとしたからでしょう。
まさに、文明の初源の姿です。だから、タブーと信仰という、なんとなく、わかったつもりになっていた問題を、一種の荒々しさでもって納得させてくれるんですね。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
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この映画「アポロンの地獄」は、スキャンダラスな死を遂げたピエル・パオロ・パゾリーニ監督が、人間の根源的なるものを抉ったスキャンダラスな作品です。
父を殺し、母を犯すという人間社会の本質的なタブーをテーマにした、ギリシャ悲劇「オイディプス王」はあまりにも有名ですが、いかにも荘厳にもっともらしくやられる劇を見慣れた者には、この映画のもつ粗野さは大変衝撃的です。
この映画は、ギリシャ神話で有名なオイディプス王の伝説を、現代的な視点から鮮烈な映像美で描いた問題作だと思いますね。
不吉な運命の予言を背負ったオイディプス王が、そうとは知らずに父親を惨殺し、母親と関係する。
その後、地獄に落とされ、真実を知ったオイディプス王は、自分の両眼を抉るという異常な物語なんですね。
なんともびっくりさせられたのは、テーベの町の人々を恐怖のどん底に落とし込むスフィンクスの造形です。
なんというか、アフリカのシャーマンという感じで、およそギリシャ悲劇のイメージから遠いものがあります。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
ウォンビンは立ち姿もスラッとして美しいし、アクションが、すごくシャープでとにかくカッコ良いですね。
目だけで哀愁、優しさ、精悍さを表現しているのも、また素晴らしかったですね。
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- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
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もし、その時の子が生きていればと、ソミと重ね合わせて見る事もあっただろうし、妻子に対する贖罪の気持ちもあったのだろう。
そして、2度とあの喪失の苦しみを味わいたくないとも思ったのだろう。
それらの理由から、テシクは、ソミを守らなくてはと心に決めるのだった---------。
たった一人で、大勢を相手にし、爆発するかのごとく相手を倒していく。
敵のマンシク兄弟は、いやらしさたっぷりの悪い奴らで、テシクがやっつける事でカタルシスを感じるようになっている。
ベトナム人の殺し屋ラム(タナヨン・ウォンタラクン)は、テシクと同じような目でソミを見つめ、テシクに多少、共感する所があったような表情でしたね。
印象深い存在で、この二人には、日本の任侠映画に通じる男気を感じましたね。
ラスト、テシクとソミが抱き合うシーンは、なかなか感動的です。
「(今度は)助けに来てくれたんだよね」と愛を確認するソミ。
父親の様に大きな愛で包むテシク。
贖罪からもやっと解き放たれて、優しい笑顔を見せるんですね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
ジェイソン・ボーンを彷彿とさせるような、只者ではない身のこなし。
そこからはもう、ウォンビンに釘付けになりましたね。
鍛え抜かれた肉体に高いスキル。
かつての韓流四天王の一人で、それまでは、ピュアな雰囲気が魅力的なウォンビンだったが、この映画「アジョシ」では、男臭い魅力を前面に出していて、そのギャップがまたいいんですね。
隣の少女と言うだけで、どうしてここまで身体を張るのか?
一つには、お互いの”孤独な魂”が共鳴したんでしょうね。
ウォンビンが演じるテシクは、訳あって、人付き合いを避けて、ひっそりと暮らしている。
一方、隣の少女のソミの母親は、だらしなく、まともな育児をしていない。
ソミが慕うのは、隣のおじさん(=アジョシ)のテシクだけ。
ソミ本人から、「知らん顔されても、おじさんを嫌いにならない。好きな人がいなくなるから」と言われたら、孤独な叫びが、胸に響くというものでしょう。
だんだん、テシクの過去が判明していくのですが、彼は軍の特殊作戦部隊の要員で、そのために、妊娠中の妻が殺されてしまったんですね。
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- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
そんなドラマに、生命や自然の躍動を伝える壮大なイメージ映像が重ねられる。
CGも駆使し、星の誕生や太古の海、恐竜のいた時代など、今の自分へ繋がる、途方もない命の連鎖が、生き生きと浮かび上がってくる。
そしてドラマは、喪失感を抱えたまま成人となった、ショーン・ペン演じる現代の長男が、家族との和解に至るまでを描いていく。
全編を通して、人生の意味を神に問うような語りが、実に印象的だ。
大学で哲学を教えていたというテレンス・マリック監督は、農場の風景が美しい「天国の日々」や、哲学的な戦争映画「シン・レット・ライン」などで、愚かな人間をそのまま包み込む自然を描くことを、モチーフとしてきた映画作家だ。
そして、わずか5本目のこの監督作で、カンヌ国際映画祭の最高賞を受賞したのだ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
この映画「ツリー・オブ・ライフ」は、厚みのある人間ドラマと、そこからイメージを羽ばたかせる美しい映像、クラシックの流麗な音楽。
これらが、混然一体となった秀作だと思います。
孤高の天才・テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」は、家族を亡くした喪失感や父と子の確執など、誰もが経験する家族の物語を、太古から繰り返される、命の物語として、壮大に描き出していると思います。
この映画の主要な舞台は、1950年代のアメリカのテキサス州の小さな町だ。
ブラット・ピットとジェシカ・チャスティン演じる夫婦は、3人の子をもうけて、幸福な日々を送っている。
庭の木漏れ日、母のスカートの揺らぎ、ギターを爪弾く音-------。
日常にありながら、移ろいやすい奇跡のような輝きが、丹念に描かれていく。
やがて、野心を抱いた父は、家庭でも強権的に振る舞い始め、穏やかな母や子供たちとの幸せな日々が軋みだす。
長男は純真さを失って、父を強く憎むようになる。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
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悪霊の化身の如く、闇の中で襲い続け、殺し続ける。
女性たちが悲鳴を上げて助けを求めても、ハロウィンの夜なので、みんな悪戯だと思ってしまう。
夾雑物を一切排除し、ストレートに、スリルを味わわせるのが、この映画のポイントだ。
クライマックス。死んだと思った殺人鬼は、何度も立ち上がる。
そして、最後は、弾を五発も体に受けて、それでも姿を消してしまう。
脚本・監督・音楽を、一手に引き受けているジョン・カーペンターは、南カリフォルニア大学出身の若手監督だった。
この殺人鬼、実は現代人の精神の深奥に潜んでいる、悪の部分の象徴なのではないだろうか。
犯人の心理を語らない、恐怖づくりの裏側に、そんなジョン・カーペンター監督の真意を思ってしまう。
殺人鬼が最後に狙う女性。扮しているのが、ジェイミー・リー・カーチス。
あの「サイコ」のジャネット・リーと「お熱いのがお好き」のトニー・カーチスの娘ですね。
- 評価
- ★★★★★
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- 2024-07-22
万聖節の前夜。平時は闇に身を潜めている、あらゆる魔性の者たちが、この夜だけは姿を現わす。
そんな伝説の中、子供たちは、妖精のコスチュームとマスクを着け、家々のベルを鳴らして、お菓子をもらう。
ハロウィンの夜とは、現代人にふっと自ら心の空洞を、覗き見させる時でもあるのかも知れない。
アメリカのイリノイの小さな町。ハロウィンの夜、6歳の少年が、姉を殺した。
それから15年。またハロウィンの夜。
あの少年も今は青年。嵐の中を精神病院から脱走し、この街に戻って来た。
白いデスマスクを着け、木陰から闇へ。次々と人を殺す。
両親たちが出かけた後、幼い子供たちのお守りをしている、若い女性を襲うのだ。
彼を追う医師。この犯罪、動機は一切なし。
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- なし
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- 2024-07-22
というより、心の内側から溢れてくる感情を溢れるままに任せておく時、どんな風に肉体や神経が生き生きと動き出すかを経験させ、それを与えられた役に応用させるというわけだ。
つまり、役の気持ちというより、俳優自身の気持ちをナマナマしく吐露することに重点が置かれるわけで、それでは役に忠実ではないみたいであるが、俳優だって生身の現実の人間である以上、自分という人間の本当の感情に忠実であれば、それはそれで、現実的なものになるのだ。
このことで、役という他人を真似るよりも実在感は、より強いものに成り得るのだと思う。
マーロン・ブランドという俳優は、この"メソッド"という演技理論を、映画の中で最初に体現してみせた役者なのです。
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- なし
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- 2024-07-22
このアクターズ・スタジオは、彼の後もジェームズ・ディーン、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノなどのハリウッドを代表する演技派スターをゾクゾク排出したことでも有名で、ブロードウェイやハリウッドのスターたちもが、我も我もと演技の勉強に押しかけてくるところになったのです。
そして、このアクターズ・スタジオのやり方というのは、もともとはスタニスラフスキーの演技理論に基づく、"メソッド"というもので、俳優自身の内面にある喜びや悲しみや怒りやコンプレックスを重要視しているのだ。
誰だって自分の心の中を覗いてみれば、複雑に絡み合った様々な感情があるものだ。
ただそれを、いちいち表に出していたのでは世間を渡っていけないから、余計な感情は押し隠したり、押し潰したりしているまでなのだ。
ところが、この"メソッド"では、日頃、忘れているその微妙な感情を思い出させ、それを体の動きや表情で具体的な表現にすることを教えるのだ。
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- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
野性的な逞しい男と言えば聞こえはいいが、品性下劣な卑しい男というよりなく、決してヒーローではない。
しかし、この役を演じたマーロン・ブランドが、なぜスターで主役のヴィヴィアン・リーを食うほどに評判になったかというと、その演技が、まるで実在の人間のようにナマナマしかったからだと思う。
それまで、スターと言えば、なんといっても、スクリーンの中でいい格好を見せるものと決まっていたと思う。
例え、リアリズム映画であっても、また適役や脇役でも、それはそれなりにいい格好というものがあって、いい格好をすることが演技であるのは当たり前だったのだ。
この衝撃的なマーロン・ブランドの演技は、彼が新人時代にこの映画の監督でもあるエリア・カザンなどが教授陣の一員に加わって、当時発足したばかりのニューヨークのアクターズ・スタジオという俳優養成所で学んだことが大きいと思う。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
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ところが映画化された「欲望という名の電車」では、ブランシュを「風と共に去りぬ」の大スター、ヴィヴィアン・リーが演じて決して悪い出来でもなかったにもかかわらず、彼女以上に、コワルスキーを演じた、当時新人のマーロン・ブランドの方がより評判になったと言われています。
この映画での彼の役は、ニューオーリンズの工場労働者で、ある日ふっと、自分の妹の家に訪ねて来て、居ついてしまった姉のブランシュが、親譲りの財産を使い尽くしてしまったばかりか、高校教師なのに教え子をホテルに引っ張り込むなどの淫乱ぶりのために、学校や町を追われて自分たちを頼って来たのだと知る。
ブランシュは、淫乱というより一種の神経症で、とてもかわいそうなハイ・ミスなのだが、お上品ぶったものに反感を持っているコワルスキーは、彼女がそんな正体を隠して、まるで貴族のように振る舞うのに腹を立て、キム・ハンター演じる妻がお産で入院している間に、ブランシュを犯してしまうのだ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
このエリア・カザン監督の「欲望という名の電車」は、テネシー・ウィリアムズのアメリカ演劇を代表する戯曲の映画化作品ですが、この戯曲は単に戦後アメリカの生んだ最良の戯曲であるだけではなく、恐らくは20世紀以降の世界の戯曲の中でも屈指の傑作に数えられるものだと思う。
南部の地主階級に代表される古い文明が没落していって、それが貧しく粗野ではあるけれども、バイタリティー溢れる都市の労働者に組み伏せられていく。
ヴィヴィアン・リーが、今は無残な境遇なのに昔の夢にすがって生きる、没落地主の家のハイ・ミスの役で、マーロン・ブランドが、この女の夢をひっぺがえして、遂に発狂させてしまう、ニューオーリンズのポーランド系移民の労働者の役を演じている。
もともとこの戯曲は、このあわれにも誇り高き、ハイ・ミス、ブランシュ・デュボアがヒロインで、彼女の哀しい運命を切々と謳い上げるところに主眼が置かれている。
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- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
あのサンフランシスコを舞台にした「ダーティハリー2」もそうでした。
法律では裁けない凶悪犯たちを、現職の白バイ警官たちが、次々に処刑していく話でした。
「ダーティハリー4」では、ハリー自身が悪を処刑します。
それから、チャールズ・ブロンソン主演の「狼よさらば」。
あの映画は、ニューヨークが背景だったが、警察が捕まえても、すぐ釈放されてしまう街のチンピラたちを、一人のインテリが、自分で次々と処刑するというストーリーだった。
現行法の中でしか行動できない警察に対する、じれったさを感じて、犯罪を憎み、憤る庶民の気持ちは、よくわかります。
こうした映画がヒットするという事も、実は庶民一人一人の心の中に、そうした怒りがあるからなのだと思う。
しかし、こうした思想が、誤った形でエスカレートした時、それがファシズムを生む源になる事も、我々は同時に考えなければならないと思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
このイタリア映画「黒い警察」は、現代の恐怖を鮮烈に描いた問題作だ。
国際都市ローマでは、凶悪犯罪が益々エスカレートし、警察は必死になって捜査網を広げていくのだが、捕まえた犯人たちは、罰せられる前に、次々と釈放されるのだった。
法の網の目をかいくぐって、犯罪はより強烈に、凶悪化していくのだった。
そんな中で、法を逃れた犯罪者たちを、次々と死刑にしていく、残酷な黒い集団が現われる。
本物の警察では、法律が邪魔して処罰できない犯罪者たちを、この集団は叩き殺し、縛り上げ、銃弾をぶち込んで、私刑の血祭にしていくのだった。
この黒い警察の正体は、いったい何なのか?
イタリア映画伝統のリアリズムと、残酷な手法が重なりあって、凄い迫力を盛り上げていく。
イタリアでは、上映禁止にまでなった問題作で、全篇に流れる哀調のテーマ曲が、たまらなく胸を打ちます。
とにかく、恐ろしい話です。混乱の時代だからこそ生まれた映画だと思う。
しかし、それにしても、こういう映画は、1970年代の初め頃は、世界各国で製作されていたんですね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-07-22
水の都ベネチア。幼い娘の死のショックから、まだ立ち直れないでいる夫婦が、この街を訪れる。
おりしも猟奇的な連続殺人事件が発生し、妻は盲目の霊媒師に会って以来、精神状態が益々マイナスの方向に傾くし、ホテルの部屋を全裸でチョロチョロしていた夫も、自分の葬式の幻影を見る。
そして、赤い服を着た子供の後ろ姿がちらつくのだった。
ラストには度肝を抜かれるので、要注意だ。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-07-22
フェラーリの創始者。エンツォ・フェラーリの壮絶な半生を描いた作品。
本年度ベスト級。
カーレースメインの作品と思いきやちょっと違ってた(笑)
エンツォ・フェラーリの公私に渡る色々な出来事をメインに展開するストーリーだった。
エンツォ夫婦に起こった出来事がかなりエグい!
これは当事者でないと解らないけど関係する人々が皆、辛い感じで落とし所が見出だせない(笑)
でもエンドロールで本当の結末が解る親切設計(笑)
期待したレースのシーンは後半に登場。
年間に100台も売れないフェラーリが倒産の危機の中、イタリア全土1000マイルを走る「ミッレミリア」と言うレースに参加する展開。
街中には防護フェンスとかあるけど郊外には何も無し。
だけど郊外をレースカーが走るシーンの風景がとても美しい。
かなり危険な感じで走る郊外で案の定事故が発生。
かなりのインパクト!
シートベルトって当時は無かったの?
エンツォを演じたアダム・ドライラーさん。
今まで見た雰囲気とは異なった格好良い感じが印象的でした( ´∀`)