小さな巨人:P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-23
西部開拓裏面史を綴った二時間半の大作。
ジョン・フォード監督の西部劇の名作「駅馬車」のインディアンの襲撃シーンを想起させる、駅馬車の馬から馬へと乗り移って、インディアンとダスティン・ホフマンがお互いの力と技を競い合うという、迫力のあるアクション・シーンなどもあるのだが、全体の印象は、単なる西部劇だと簡単に、気軽に言えないような重厚な、しかし見応えのある映画だと思う。
西部開拓裏面史を綴った二時間半の大作。
ジョン・フォード監督の西部劇の名作「駅馬車」のインディアンの襲撃シーンを想起させる、駅馬車の馬から馬へと乗り移って、インディアンとダスティン・ホフマンがお互いの力と技を競い合うという、迫力のあるアクション・シーンなどもあるのだが、全体の印象は、単なる西部劇だと簡単に、気軽に言えないような重厚な、しかし見応えのある映画だと思う。
「小さな巨人」は、演技派俳優のダスティン・ホフマンの独演会といった感じがなきにしもあらずの映画だが、実際のインディアンの酋長チーフ・ダン・ジョージの老いた、風格のある存在が実に印象的で、特に「我が心は鷹のように大空を舞う」という幸福感を表す言葉が、美しく感動的だ。
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「ローズマリーの赤ちゃん」は、魔族の子であったが、この映画の悪魔の赤ちゃんは、突然変異の殺人鬼である。
生まれたばかりの赤ん坊が、殺人を犯すというのは、いかにも怪奇的なイメージだが、結局は単なるゲテモノらしく、赤ちゃんも怪物扱い。
そのくせ、怪物に製薬会社を襲わせたりして、それとなく薬品公害による奇形児の悲劇みたいなものを、ほのめかすといったいやらしさ。
牛乳屋が車の中で殺されるところとか、警官隊に追い詰められた怪物が、下水道を逃げ回るラストは悪くはないのだが、カメラが赤ちゃんの目になって、いろいろな光景を捉えていく演出など、冗漫すぎて、イライラさせられた。
この映画は、西村潔監督のハード・アクション映画の傑作だ。
ストイックなスナイパー・田宮二郎と、元オリンピック射撃選手の警官・加山雄三の死闘が展開する。
東南アジア某国の大統領が、米国への亡命を求めて日本に滞在する。
大統領を護衛するため、警視庁を辞職させられ、殺しのライセンスを得た加山雄三が、身辺警護に当たり、暗殺を請け負った国際的な殺し屋、ジャガーこと田宮二郎と対決する。
若大将路線とは異なる加山雄三が、サイレンサー付きワルサーP38、ストック付きモーゼル・ミリタリーと銃にこだわり、ライフルを抱えた田宮二郎との血みどろの一騎打ちとなる見せ場は、見どころ満載で、実に面白い。
この映画を観て、とても感動した。1963年11月22日、テキサス州ダラスで起こったジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺はあまりにも悲劇性をまとったものであり、私はひじょうに関心があった。それだけにこの映画も興味深かったのだ。これは何よりも決して飽きさせない魅力があると思った。この映画を思い出すと私は今のアメリカというものを考えざるを得ない。11月の米大統領選で再選を目指した民主党のバイデン大統領は7月21日、選挙戦からの撤退を表明した。バイデン氏は後継の民主党候補としてハリス副大統領を推薦し、ハリス氏は立候補を表明した。トランプ氏はハリス氏ならバイデン氏よりも倒しやすいと自信をのぞかせている。それにしてもなぜトランプ氏はアメリカ再生への期待を一身に受ける形になっているのか。それはトランプ氏の様々な発言によって米国民たちの多くが今のままではダメだと気づくきっかけになったからだろう。これはあらためてアメリカについて、世界について考えさせてくれる素晴らしい作品だと思う。
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結局、彼女は自分の感情を偽り、通すことが出来ず、自分に首ったけの金持ちの息子からの求婚を拒絶し、生活の安定は望めそうもないが、熱烈に互いを愛し合うことの出来る、ウィリアム・ホールデンのもとに走り、幸福な結婚を求めることになる。
つまり、彼女は美女=愛玩物としての自分を演じることを、中途で放棄せずにはいられない存在なのだ。
自分の美しさへの確信と、そこから裏腹に生じる不安に揺れ動く、キム・ノヴァクの姿態は、やはり感動を誘わずにはいられないし、夜の闇に浮かび上がる、ピンクのドレスを身にまとった彼女の美しさがいつまでも忘れられない。
親しげではあるが、どこか排他的なところもある、アメリカの片田舎に、突如、現れる来訪者が、歓迎されるかに見えて、結局は排除されるという筋立て、とりわけ女性が数の上で優位を占める環境に、いかにも男っぽい存在が放り込まれ、安定を誇っていた集団に、確実に、ある動機をもたらしたあげく、残酷にいたぶられる陰惨な光景は、例えばドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドのコンビによる異色作「白い肌の異常な夜」を想起させる。
「ピクニック」でキム・ノヴァクが演じた17歳の娘は、誰もが賞賛し、見惚れずにはいられない美しい娘だった。
周囲の人々も、その美しさを祝福し、温かく見守っていたし、彼女もまたそのことを充分意識し、髪の手入れやドレスの選択に余念がなかった。
だが彼女は、一方で自分が人々の視線を集め、鑑賞される人形でしかないことに悩む脆弱ささえも併せ持つ娘だったのだ。
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なぜアンナが失踪したのか、彼女がいったいどうなったのか、さっぱりわからないまま、この物語は進行していく。
クラウディアとサンドロがいくら探し回っても、手掛かり一つつかめないのだ。
そんな状況の中で、惹かれ合っていく二人の愛は、ひどく不安定で心もとない。
第一、本当に彼らは愛し合っているのだろうか。
もしかしたら、アンナが突然いなくなったという奇怪な現実を前に、説明のつかない恐怖心、不安感にかられ、思いを同じくする者を本能的に求めただけかも知れない。
サンドロの浮気を知って絶望するクラウディアと、男泣きする彼、その肩をそっと抱く彼女で終わるラストは、何とも曖昧模糊としており、宙ぶらりんで放置されたような妙な気分になってくる。
この映画は"愛の不毛"というより、不毛な土地すら失われてしまったとも思える空漠感がやり切れなかった。
被害者そっくりの人形の首を、鎖で吊るすミステリアスな予告殺人、意外な黒幕も登場する、ドンデン返しのストーリーが展開していく。
「オーロラ殺人事件」のドン・シャープ監督の演出は、オランダの特色を活かし、狭く入り組んだ運河で繰り広げられる、モーターボートでのチェイスが、実にスリリングで面白かったですね。
「デンジャー・ポイント」は、オランダのアムステルダムを舞台にした、アリステア・マクリーン原作の「麻薬運河」の映画化で、インターポールの捜査官が、国際的な麻薬密売組織を追うサスペンス・アクションだ。
オランダへ到着早々、殺し屋に命を狙われた捜査官は、助手のバーバラ・パーキンスと麻薬ルートを探って、本拠地に潜入するが、味方は殺され、自らも捕まってしまう---------。
「きんぽうげ」に出演した、スウェーデンの俳優スヴェン=バーティル・タウベが、クールに主役を演じている。
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犯人が見つかることと結婚は何の関係もないはずだが、しかし殺人の容疑者をかくまって、その言葉を信じ、真犯人を自分で探すというのは、相当な覚悟のいる仕事だから、それを実行することによって、ファニー・アルダンは愛を告白することになる。
つまり彼女は、二重のマン・ハントをして、犯人と夫を同時に捕らえるわけだ。
一人の女優のために、彼女だけのために作られた映画であるという点も、この映画を楽しくしている。
日曜日が待ち遠しい!
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推理小説の中の探偵は、シャーロック・ホームズからリュー・アーチャーまで、まず男と相場が決まっているのに、映画では女が探偵をつとめる場合が多い。
つまり女の方が絵になるのだ。
このフランソワ・トリュフォー監督の遺作となった「日曜日が待ち遠しい!」の中では、ファニー・アルダンが大活躍する。
彼女は小さな不動産屋のさえない社長(ジャン=ルイ・トランティニャン)の秘書で、殺人の容疑者になった社長を助けるために走り回る。
もちろん彼女は、ひそかに社長を愛しているのだ。
最後に見事に犯人は見つかり、二人は結婚する。
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バレリオ・ズルリーニ監督は、イタリア人の立場から、イタリア人が侵略した国で何をしたかを描くのは、辛いことだったと思う。
そして、その気持ちは痛いほど、画面の中に刻まれている。
国境の町が燃え盛り、イタリア兵は暴虐を振るう。
エフティキアは、パルチザンに参加するために去っていった。
マルチーノ中尉は、自分と銃火を交えるかもしれない彼女を、複雑な気持ちで見送るのだった---------。
1940年10月28日、イタリアはギリシャに侵攻し、蹂躙した。
ジュリアーノ・ジェンマと並ぶ、マカロニ・ウエスタンのスターだった、トーマス・ミリアン扮するイタリア軍のマルチーノ中尉は、戦火の中を12人のギリシャ人慰安婦を国境へ運ぶ任務を与えられた。
その慰安婦の一人に、「太陽がいっぱい」で私を虜にしたマリー・ラフォレ扮する、憂い顔の美しいエフティキアがいた。
バレリオ・ズルリーニ監督は、トラックに乗った女たちや、それに同乗するイタリア軍の将校たちをとらえながら、戦争の勝者と敗者をじっくりと見つめていった。
🎹今朝のNHKラジオ深夜便アーカイブスはフジコ・ヘミングInterview,ショパンの演奏会,人生を振り返えった貴重な番組
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鏡ひとつで見せる、愛の燃え上がり。結婚式でさんざん待たせる女心。
美容院で、突然、夫の浮気を感じる彼女。髪を振り乱したまま、鬼女の形相で証拠を探すところなんかは、とにかく凄い。
宝石屋の言葉から、さらなる夫の浮気を知って、表情を変える彼女。
演じるメリル・ストリープは圧倒的にうまいけれど、マイク・ニコルズの演出は、憎い程に見事ですね。
このマイク・ニコルズ監督と言えば、忘れることができないのは「卒業」ですね。
あの時、ダスティン・ホフマンは、キャサリン・ロスを結婚式場から奪って走った。
走ってバスに飛び乗った。あれから長い月日が流れていった。
愛していても、長い年月の中で、男は時に他の女に燃え上がる。いや、女だってそうかもしれない。「卒業」が恋愛篇なら、「心みだれて」は結婚篇。
ラストは、二人の子供を連れた彼女が、ワシントンからニューヨークの実家に帰るところ。
男と女って何だろう? 結婚って何だろう?
身につまされて、笑い転げて、ほろっと胸を熱くさせてくれる映画だ。
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この映画「心みだれて」は、大人の鑑賞に耐え得る映画ですね。
内容は、結婚に関する喜劇であり、悲劇を描いていますね。
メリル・ストリープとジャック・ニコルソンの二大演技派俳優の競演。
この二人は、ジャンルこそ違うが、共に第一線で活躍するコラムニスト。
友人の結婚式でと知り合って、心が揺れて結婚へ。子供の誕生。夫の浮気。別居から、また仲直り。二児の誕生。夫の再びの浮気。女の自立、男の自由と、そんな堅苦しいことを、この映画は描いていない。
知的な家庭のごくありふれた生活。その中のさざ波を、この映画は実に鮮やかに描いて見せるんですね。
揺れ動く女の心の綾、そのディテールが、まことに的確に捉えられている面白さ。
この「赤い殺意」は、「にっぽん昆虫記」で、土俗的な性のリアリズムを描いた今村昌平監督が、再び挑戦的に”性”を描いた作品だ。
この作品は、今村昌平監督の作品の中でも、非常にユニークな傑作で、暴行された女性が、被害者である事を逆手にとって、その立場を加害者と逆転していくという、新しい視点になっている。
封建的な、家中心の思想の強い東北地方を舞台に、古い因習の重圧に苦しむ、小心な女性が、ある事件を契機に、強い女性へと変貌していく様を、リアルに描いた、今村昌平監督の真骨頂とも言うべき作品だ。
”日本の女性はどんな目にあっても凄いぞ”という日本の母系家族が一つのモチーフとなっていて、地味な題材を暗くせずに、女性の深奥に隠れているバイタリティや生命力の噴出を描いて、今村節が冴え渡る重喜劇の傑作だと思う。
メーデーのデモ隊に対する襲撃とか、左翼に対する弾圧などが掘り起こされて、セミ・ドキュメンタリー・タッチの画面の連続だ。
フランチェスコ・ロージ監督は、この後もマフィア追及の映画を撮り続けたが、それはイタリアでは命をかけた戦いに等しいのだ。
黒い霧は、決して去らないからだ。
1950年7月5日。シシリー島で、サルバトーレ・ジュリアーノという30歳の男の射殺死体が発見された。
彼はなぜ殺されたのかというのを、過去にさかのぼって見せていくこの映画に、生前のジュリアーノは登場しない。
彼が関わった事件だけが再現されていく。
出だしから、グイグイと画面に惹きつけられた。
死者はマフィアの一員だった。警察とか憲兵とかにも関係があった。
そのせいか、事件の証人や容疑者が、次々と殺される。
そして、何も解明されないまま映画は終わるのだ----------。