- 評価
- ★★☆☆☆
- 投稿日
- 2024-06-09
スティーヴン・キングの小説が素晴らしい映画に恵まれないのと同様に、宮部みゆきもまた自著の映画化に際して、原作と同等のクオリティが得られない作家であると思う。
その理由は奇しくも、スティーヴン・キングと一緒で、ディテールの積み重ねでリアリティを構築しているから、どうしてもセンテンスが長大になる。
映画はそれを限定された時間に置換しきれず、ダイジェスト以上のものを望む事が出来ないのだ。
そこで理想的なアプローチとしては、原作を思い切り意訳して真っ向勝負を回避するか、あるいは短編にするかだろう。
そんな宮部みゆきの原作映画「模倣犯」は、単行本が上下巻合わせて1,500ページというベストセラー大著に敢然と挑んだのが、今は亡き森田芳光監督だ。
当時の森田監督といえば、「黒い家」で「悪魔のいけにえ」的なテイストを発揮し、「39--刑法第三十九条」も当時のサイコ・スリラーブームに便乗しつつ、極めてロジカルな作品にした監督だ。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-09
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この映画、内容はまるっきり"南洋冒険もの"で、ゴジラははっきり言ってゲスト扱い。
宝田明が、実は金庫破りで、ある金庫を破って警察に追われているという設定だ。
これが調子よく、スイスイ金庫を開けるので、なんだか同じ福田純監督の「100発100中」のアンドリュー星野を思い出させる、はじけっぷりだ。
肝心のゴジラだが、最初は眠った姿で登場し、なかなか起きてくれない。
核兵器工場のあるこの島は、インファント島の近くらしく、インファント島から、原住民が奴隷として連れてこられている。
それで残った島の人たちが、助けに行ってもらおうと歌を歌って、モスラを起こそうとするが、これもなかなか起きない。
エビラは、海の中でパシャパシャしてるだけだから、正直言って、あまり見所がない。
エビから進化したような怪獣ではなくて、ただエビのでかいヤツだから、とてもゴジラとも戦いようがないのだ。
それでモスラは、この島もいよいよ核爆発でなくなるという時に、逃げ遅れたインファント島から連れてこられた、原住民や吉村たちを助ける時になって、初めて飛び立ってくれる。 だから、ゴジラとの対決も少ししかなく、あっけない。 したがって、あまり活躍もしない。 ゴジラ映画としては、とにかく不満ばかりが残ってしまう。 この映画から、いわゆる「怪獣島もの」が始まるから、ゴジラ映画の一つの転換期とも言えるのだが。 出演は他に、某国の核兵器工場の責任者に田崎潤、アイパッチをした警備隊長に平田昭彦、インファント島の小美人にペアバンビ、インファント島の原住民に沢村いき雄、水野久美など。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-09
マグロ漁船が遭難し、乗組員達は絶望しされたが、遺族の中にはイタコがあの世にはいないと言ってるから、生きてるはずだと言い出す。
乗組員の弟の良太は、東京に出て、新聞社に訴えるが相手にされない。
そんな時、優勝商品が、豪華ヨットのゴーゴー大会のポスターを見て、会場に出かける。
大会には参加できなかったものの、そこで市野(当銀長太郎)、仁田(砂塚秀夫)と知り合い、ヨットを見に、ヨットハーバーに向かう。
あるヨットに乗り込んだところ、そこには吉村(宝田明)という男がいた。
朝になった、そのヨットは太平洋上にあった。良太が出帆させたのだ。
航海中のある暴風雨の夜、巨大なエビのはさみに、ヨットは破壊される。
なんとか島にたどり着いた3人だったが、そこは某国の核兵器工場だった!!
ゴジラシリーズ第7作目の「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」。
最初イタコのシーンから話が始まったのでどうなることかと思ったら、そういう風に南の島に話を持っていったんですね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-09
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彼女は主人公の少年を連れて、夏服を買いにいくのだった。
その時からずっと年上の美しい彼女に、彼は強い憧れを抱く。
だから、彼女に頼まれたことを忠実に守ろうとするんですね。
彼女が「絶対に秘密よ」と言えば、誰にも喋らない。
だが、そのことが次第に彼を苦しめ、追い詰めていく。
彼はある日、友人の家族たちと一緒に、一家が所有する土地にある川に泳ぎに行き、ひとりの小作人(アラン・ベイツ)と出会う。
男臭さを発散する小作人を、友人の姉はことさら無視し、上流社会の貴婦人らしく、身分の違いを思い知らせようとする態度にさえ見える。
だが、主人公の少年は知っているのだ。
彼は友人の姉から小作人への手紙を頼まれ、何度もとりもちをする。
彼は小作人のところで話をし、納屋で遊んでいる時の方が、上流階級の人々といるより気楽で好きだったのだが、次第に二人の秘密の重さに耐えられなくなり「もう手紙は預からない」と宣言するのだった。
やがて、悲劇が訪れる。友人の母親に追求され小作人の納屋に母親を案内した彼は、そこで大人の恋が現実にどのようなことを行なうのかを目撃するのだった。
身分違いの恋に落ちた男が、その当時の社会でどんな決着をつけなければならないか、彼は12歳で思い知らされるのだ--------。 その夏、彼は人生の苦さを知り、社会の欺瞞を学び、男と女の抑えようのない情熱が生む悲劇を目撃する。 そして、別れの悲しみを味わい、悔恨が疼かせる痛みを覚えるのだ。 だから、夏が過ぎ、秋の服を身に着ける時、少年はもう数か月前のような牧歌的で無邪気な世界には戻れなくなっている。 誰にも、そんな夏があったのではないだろうか--------。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-09
この映画の原題は「The Go-Between」と言って、「とりもち」という意味らしい。
監督は赤狩りでハリウッドを追われ、ヨーロッパでしか映画を撮れなくなったジョセフ・ロージーだ。
そして、「ドクトル・ジバゴ」「ダーリング」のジュリー・クリスティと「まぼろしの市街戦」「フィクサー」のアラン・ベイツという二人の演技派俳優が、恋人たちを演じている。
「恋」は、ロバート・マリガン監督の名作「おもいでの夏」と同じように、中年男の回想から始まる。
だが、それはとても苦い思い出だ。
彼は12歳の時、寄宿学校で一緒の友人の家でひと夏を過ごさないかと誘われる。
彼には母親しかおらず、貧しく夏服の着替えさえままならないが、友人の招きに応じるんですね。
友人の家は大きな屋敷で、広大な土地を持つ大金持ち。
彼は友人と二人で少年らしく遊び回る。
しかし、次第に上流階級の人々の欺瞞にも気付いていくのだった。
貧しくて夏服を持っていない彼を人々はからかい、彼は深く傷つく。
そんな彼を救ってくれたのが、友人の姉(ジュリー・クリスティ)であった。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-09
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この「ロッキー」の続篇、「ロッキー2」は、シルヴェスター・スタローンが主演・脚本に加えて演出も担当している、ワンマン映画ですね。
「ロッキー」の後、主演した「F・I・S・T」も、監督兼任の「パラダイス・アレイ」も、今一つパッとしなかったスタローンとしては、なんとしても、この映画を成功させたかったに違いありません。
彼のそんな初心に帰った、その気迫が、作品の出来は別としても、この映画の強烈な熱気となって表れていたと思います。
物語は、前作のあの感動的なクライマックスから始まります。
あのチャンピオン・アポロとの死闘。駆けつける恋人・エイドリアン。
予想以上の頑張りを見せたロッキーは、一躍、人気者になります。
CM出演の話もきたし、家も買った。
エイドリアンと結婚し、彼女は愛の結晶を身ごもります。
そんな中、アポロは再試合を求めるんですね。
あの時、ロッキーを叩きのめせなかった不満。
つまり、焦りを露わな怒りに変えての挑発なんですね。
だが、ロッキーは、この挑発には乗らない。
エイドリアンとの約束があるからだ。
しかし、生活は次第に苦しくなり、彼は精肉工場や沖仲仕などの肉体労働で働くが、うまくいかない。
妻も身重のまま、ペットショップで働きます。
とうとうロッキーは、再試合の調印をしてしまう。
それを知った妻は、倒れて早産、昏睡状態のまま、生死の境をさまようことになるのです。
神の前で、妻の蘇生を祈るロッキー。
やがて、意識を取り戻した妻は、ロッキーの手を握りしめて、ひとこと言う。
「私とベビイのために勝って」。
あまりにもベタな場面ですが、でも、いい場面ですね。
そして、これからが、レビューでも触れられていたように、アドレナリンの上がる、怒涛のいい場面へとなだれ込んでいきます。
朝陽を背に、力いっぱいのトレーニングをするロッキー。
人間、やる気を起こした時の爽快な感情の高まりを、映像のリズムに再現した見事な場面ですね。
そして、チャンピオン・アポロとの激闘、勝利。 恐らく、公開当時、アメリカの映画館では、観客のもう総立ちの拍手が鳴り響いていたでしょうね。 もう、本当にベタな演出なんですが、観る者の心理を十分に読み込んだ、うまい盛り上げ方ですね。 それだけに、当然、結果は予想がついていたにもかかわらず、でも、わかっていても、ロッキーに声援を送りたくなる魅力を、この映画は持っているんですね。 裏町で、力いっぱい生きて行く勇気。土壇場で立ち上がる、その意欲。 ストレートに、素直に、観る者の心に響いてきます。 映画を観るという行為の中で、これはやはり、大切な事なのだと思いますね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-09
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1930年代の中頃、フランス中部の緑の田園地帯が背景で、田舎道を走るバスから中年の農家の女タティ・クーデルク(シモーヌ・シニョレ)が降り立ちます。
重い荷物を引きずって、通りかかった若者が手を貸して、それが縁でジャンと名乗る旅の若者(アラン・ドロン)は、彼女の家の野良仕事の手伝いをするために雇われる事になります。
このフランスの名女優シモーヌ・シニョレが演じる、女中あがりの後家さんは、十数年前に主家の父親に手ごめにされ、その息子にはらまされて死産。
そして、その息子と結婚したけれども、飲んだくれの亭主は死に、残った舅のアンリ爺さん(ジャン・ティシェ)が今も年がいもなく夜な夜な彼女を求めて来るのだった。
その彼女が舅を「いやらしい老いぼれめ」と罵れば、運河の跳ね橋を挟んで住む、亡夫の妹夫婦は老父を抱き込んで、彼女が支えてきた農場を横取りしようと狙っている。
そうはさせじと、肩ひじ張って後家の頑張りを、シモーヌ・シニョレが、がさつな動作で絶妙に演じてみせる。
この映画の主役は、実質、このシモーヌ・シニョレだと言えます。
やがて判明するジャンの正体は、殺人を犯して追われる身の医学生くずれですが、そんな若者が行きずりの年上の女の痛ましさに、ふと心惹かれ、彼女もまた、その優しさにすがって、女としての最後の炎を燃やします。 だが、ジャンは、彼女の義妹夫婦の娘で、まだ16歳の若さで父無し子をかかえたフェリシーとも、抱き合ってしまいます。 結局、フェリシーの両親は、兄嫁のタティ・クーデルクを憎むあまり、ジャンにも敵意を重ね、彼の秘密をかぎとると、娘に命じてパスポートを盗ませ、それを持って警察に密告します。 映画のラストは、警察官の大掛かりな包囲で、逃れきれぬと悟ったジャンは、未亡人のタティ・クーデルクをかばって射殺され、彼女もまた、流れ弾を受け、燃えさかる家の中で息絶えるのです。
あまりにも、むごすぎる悲劇ですが、映画はむしろ一つの風景の中の出来事として、淡々と描いています。 運河があり、機帆船が通り、跳ね橋が上下する、その古風でのどかなロケーションが実に素晴らしい効果を上げていると思います。 ささやかな地域社会の、まだささやかな片隅にも、人間の欲望と愛欲と孤独とが複雑に絡み合って、破綻の悲劇へと追い詰められていく、この物静かなニヒリズムがとてもいいと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画「キング・オブ・コメディ」の主人公は、例によって偏執狂(パラノイア)的な人物で、映像は、それに対応して、妄想や想像と、現実的な知覚との間を往復するのだが、「ミーン・ストリート」で、すでにお馴染みのこの技法も、ここではごく自然なやり方で使われている。
ストーリー自体は、実に単純だ。
ニューヨークのスタテン・アイランドに母親と住み、テレビのトーク・ショーのスターになりたいと思っている男ルパート・パプキン(ロバート・デ・ニーロ)がいる。
彼は、壁に観客のシルエットまであしらった自分の部屋で、マイク片手に、ジョニー・カーノン流のコミカルな話芸をたえず練習しているのだが、そのうち、彼の目には壁のシルエットが生身の観客に変わり、自分がテレビの喜劇王(ザ・キング・オブ・コメディ)になったかのように思えてくる。
ある日彼は、崇拝する人気コメディアン、ジェリー・ラングフォード(ジェリー・ルイス)が、ファンにもみくちゃにされているどさくさにまぎれて、ちゃっかりジェリーの車に同乗してしまう。
見ず知らずの男に車に乗り込まれて不快さを隠さないジェリーは、テレビに出るチャンスを与えてくれとせがむルパートに対し、秘書に電話をしてアポイントメントを取ってくれれば、いつでも相談にのると言って、このやっかい者をあしらう。 しかし、思いこんだら命がけというのがスコセッシの映画の主人公の典型的なキャラクターだ。 ルパートは、ジェリーのオフィスに通いつめる。 ようやく、秘書に、トーク・ショーのサンプル・テープを持ってくるようにと言わせることに成功した彼は、あの自室の〈スタジオ〉で制作したカセットを、喜びいさんで持参する。 しかし、この手の売込みが毎日ゴマンとあるプロダクションの方は、彼のテープを真面目に検討する気などは毛頭ない。 ルパートは、ジェリーと直接話ができれば、問題は全て解決すると思う。 そこで彼は、郊外にあるジェリーの別荘を探し出し、直接交渉を決行する。 これは、ジェリーを怒らせただけで、テレビ界への頼みの綱は、完全に断たれてしまう。 一方、ルパートとは別に、ジェリーを自分のものにしたいと思って彼をつけまわしている女がいる。
このクレイジーな女マーシャを演ずるサンドラ・バーンハードの演技は、ちょっとした見ものなのだが、ルパートのパラノイアとマーシャのクレイジーさが結びつく時、その結果は見えている。 マーシャとルパートがどのように知り合い、どのようにジェリーを誘拐するに至るかは、完全にデ・ニーロを食ってしまうバーンハードの演技とともに、映画を見てのお楽しみというところだが、誘拐が簡単に成功し、その取引条件が受け入れられて、ルパートはジェリーの代わりにテレビに出、そのあげく、誘拐犯のテレビ出演--新喜劇俳優の誕生と、一朝にして彼が全米のスターになってしまうというのは、いささか話がうますぎる気がする。 しかしながら、誰しもが何らかのパラノイアの中で生き、彼や彼女らの妄想が、時には現実になってしまうのがニューヨークだとすると、そこを舞台にしているこの映画で、クレイジーな男の妄想が、あっさり現実化したとしても不思議ではないのかもしれない。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-08
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東京湾で船を襲う怪物が出現した。
そんな時、町の生物学者の山内博士(矢野明)たちは、海岸で大きなおたまじゃくし形の不思議な生き物を発見する。
しかし、それがヘドラの最初の形だった。
やがて巨大化し、陸上に上がり飛行するヘドラ。
ヘドラの出す硫酸ミストに住民は次々とやられていく。
そこへゴジラが出現し、ヘドラと対決する。
富士の裾野で踊りながらヘドラに殺されていく若者たち(柴俊夫ら)。
山内博士は電極版を使ってヘドラを乾燥させることを提案する。
果たしてヘドラを倒すことはできるのか? --------。
なんとも不思議なゴジラ映画だ。
ヘドラはヘドロから生まれた怪獣。他のゴジラ映画と違い、社会派とでも言うべきなのだろうか?
ヘドラはヘドロを食い、工場の排ガスを吸って大きくなっていく。
海を泳ぐだけの第1期、陸上歩行も可能な第2期、飛行も可能になった第3期、直立しゴジラと対峙する第4期。 徐々に大きくなっていく様には、ゾッとするような恐怖感がある。 その姿は、実に醜悪で無気味だ。 そして最後には、ゴジラよりも巨大になるのだ。 この映画には、公開当時、深刻な社会問題だった、公害問題に対する作者の怒りが反映されている。 またオープニング曲の「美しい空を返せ! 海を返せ! コバルト、カドミウムがどうしたこうした」といった、サイケデリック調の歌も1970年代っぽくて凄い。 このように書いてくると、この映画が面白そうな気がしてくるけれど、はっきり言って、映画としては、あまり面白くない。 "町の科学者が出てきて、怪獣を倒すヒントを見つけ、それで怪獣を倒す"という、従来のゴジラ映画の骨格は、確かに継承している。 しかし、ゴジラとヘドラの対決になっても音楽もほとんどなく、映画的なクライマックスに持っていこうとしていない。 つまり全然盛り上がらないのだ。
出てくる自衛隊も数人だけだし。戦っている迫力がないのだ。 襲われた街は、テレビのニュースで出てくるだけだし、パニックシーンとか都市の崩壊とか、画的な見せ場がほとんどないのだ。 もっとも演出力の問題というより、それ以前に予算がなかったのかも知れない。 出演者はノースターだし、柴俊夫が出演しているが、無名時代の別名での出演だ。 特撮シーンはとにかくチャチすぎる。 ヘドラとゴジラは、ナイトシーンでの対決が多いのだが、これが実に暗いのだ。 お金がなくて、周りの風景やバックを作るとこまで予算がまわらなかったから、暗くしてごまかそうという、感じがしてならない。 そして飛行するヘドラを追いかけるため、ゴジラは後ろを向いて放射能をはき、その勢いで空を飛ぶという掟破りもするのだ。 いくらなんでも、それはないだろうと思う。
監督はこれが第1回監督の坂野義光。劇場用作品で監督したのはこれ1本だけらしく、あと分かっているのはこの後、あの封印された怪作「ノストラダムスの大予言」の脚本を舛田利雄と共同で書いたというだけ。 でも「ノストラダムスの大予言」も書いているという事は、公害問題や環境問題に関心のある人だったのかも知れない。 あらためて、21世紀の今観直してみると、公害問題こそ聞かなくなったが、今人類が直面している"地球温暖化問題"と結び付けると実に恐い気がしてくる。 傑作なのか駄作なのか、実に判断に迷う作品だ。 ゴジラ映画としてのスペクタクル、ドラマ的な面白さは、ほとんどない。 極端に言えばATGのアート系のような作品だ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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終わり良ければ総て良し、とすんなり行かないのが、ジャック・スターレット監督の「悪魔の追跡」だ。
それは、この映画の持つ不気味な余韻が、観終えてもなお、ずっと尾を引くからだ。
恐怖映画も様々あるが、この映画ほど、その気色の悪さが持続する作品は、そうざらにはないだろう。
物語は、バイク工場を共同で経営するピーター・フォンダとウォーレン・オーツの仲のいい男二人が、それぞれの奥さんに扮するララ・パーカーとロレッタ・スウィットと、それに劇中での愛犬ジンジャーを連れて、バス、トイレ、キッチン、それにテレビまで備えたキャンピング・カーでレジャー旅行へ出かける、と言うのが事の発端だ。
その四人が、途中の川辺で旅の一夜を楽しんでいた時、彼らは"悪魔族"みたいな連中の怪しげな儀式を目撃する。
それは、一人の若い女が、さながら生贄のごとく殺害されるという、何ともおぞましい光景だった。
だが、その望き見を連中に悟られた四人は、執拗で激しい追跡を受けることになる。
そして、ここに「悪魔の追跡」が始まることになる--------。
さらには、彼ら夫婦が立ち寄った町の図書館で、「他言はするな」との連中の警告を無視して"悪魔族"について調べたり、地元の警察にあの殺害現場の調査を依頼するなどしたため、怒った彼らに徹底的に追われる羽目になってしまう。 不気味なのは、その警察の中にも一味とおぼしき奴がいたり、逃げてたどり着き、ホッと一安心したのも束の間、キャンプ場の客もどこか怪しかったりと、観ているこちら側も気の休まることがない。 かくて、そんな手を変え品を変えての、恐怖場面が連続することになるのだが、愛犬のジンジャーがキャンピング・カーの中でなぜか突然、怯えるように、唸り声をあげ出す場面あたりから、ジャック・スターレット監督のショック演出が冴えてくる。 中でも、狭い車内で突然ガラガラヘビに襲われる場面など、結構、怖い。 例えば、キッチンの戸棚を開けると、いきなりそこからヘビが飛び出す場面とか、やっと一匹やっつけたかと思ったら、さらにもう一匹残っていて、シャーツと牙を剥く場面は、劇中の人間ならずとも、観ている、こちらの方もビビるほどだ。
これは、もうかれこれ46年も前の作品ながら、その"後味"の悪さから、観た後、いつまでも、記憶の底にくすぶり続けるそんな逸品だ。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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やがて、連合軍の爆撃が始まり、バッキーはその混乱に乗じて、念願の脱走を図ろうとしますが、一方のブルックスはルーシーの安否が心配で脱走どころではないという心境でした。
そして、園長の命令で象のルーシーをオーストリアへ運ぶ事になり、ブルックスの130キロに及ぶ、アルプスを越えてのスリルに満ちた、ルーシーを連れての脱走劇が始まるのです。
この映画の主演は「明日に賭ける」でもマイケル・ウィナー監督とコンビを組んだ「三銃士」のオリバー・リードで、共演は「俺たちに明日はない」で見せたオトボケ演技が印象に残っているクセ者俳優のマイケル・J・ポラード。
この二人の対照的な個性のぶつかり合いが、この映画の魅力の大きな要素になっていると思います。
また、この映画の音楽を担当したのが、私の一番好きな映画音楽家のフランシス・レイで、この映画でもダイナミックな中にも、彼独特の哀愁を帯びた繊細なタッチのリリカルなメロディーを提供していて、彼の音楽を聴くだけでも、この映画を観る価値があるくらいです。
戦場にいるのは、ただ運命に強制されているだけで、現時点での本当の生き甲斐は、1頭のインド象のルーシーを救い出す事だけにある、という心優しい男ブルックス。 彼と対照的なのが、バッキー。彼が戦うのは国とか家族とかのためではなく、戦う事そのものに生き甲斐を感じるという男。 マイケル・ウィナー監督の、英雄ではなく、特異な状況に置かれた人間を描くという意図が、この二人の人間像によく表れていると思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
この映画「脱走山脈」は、私の大好きな映画の1本で、第二次世界大戦の最中に、1頭の象を連れてアルプス山脈を越えて行く、一兵士のスリル満点の冒険を描いた作品です。
第二次世界大戦中に、実際にドイツ軍の捕虜生活を送ったイギリス兵トム・ライトのオリジナル・ストーリーを、トムとこの映画の製作者で監督でもあるマイケル・ウィナーが共同で企画して、映画化したと言われています。
そして、マイケル・ウィナー監督がハリウッドに行く前の、イギリス時代に連発した数々の秀作のうちの1本なのです。
第二次世界大戦末期、戦争嫌いのブルックス(オリバー・リード)と、戦争が面白くてたまらず捕虜になっても脱走のチャンスを狙うバッキー(マイケル・J・ポラード)という、二人の連合軍兵士が、ミュンヘン郊外の捕虜収容所に入れられていました。
ブルックスは、収容所内の動物園でルーシーという名の象の飼育係をやらされていましたが、飼育をしていくうちに、次第にルーシーに愛情を感じ始めていました。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画は、「太陽がいっぱい」の名匠ルネ・クレマン監督がチャールズ・ブロンソン主演で描いた、クールなタッチのサスペンス映画ですね。
この映画は、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの共演で話題となり、ブロンソンが共演者のドロンを食って、大ブレークのきっかけとなった「さらば友よ」の原作者で脚本も書いた、フランスの有名な推理小説家のセバスチャン・ジヤプリゾが、ブロンソンを大いに気に入り、彼のために脚本を書きあげ、「太陽がいっぱい」「パリは霧にぬれて」の名匠ルネ・クレマンが監督をした、ブロンソンのスター作りの基礎ともなった記念すべき作品ですね。
マルセイユに近い地中海に面した小さな避暑地。
ある雨の夜、夫の留守中に妻のメリー(マルレーヌ・ジョベール)は、ストッキングで覆面をした男に襲われますが、必死の反撃をして、逆に相手を猟銃で射殺して、その死体を崖から投げ捨ててしまいます。
そして、翌日、夫の友人の結婚式に出席したメリーは、ひげをはやした見知らぬ男から声をかけられます。 彼は軍の公金を横領して逃げた男を追っているアメリカの陸軍大佐ハリー・トップス(チャールズ・ブロンソン)と名乗り、不敵にもメリーに近づいて来るのです。 そして、彼女の知らない秘密を次々と暴いていくのです-----------。 「禁じられた遊び」で世界的な名声を確立したルネ・クレマン監督の、最も得意とするジャンルにサスペンス映画がありますが、代表作の「太陽がいっぱい」やこの映画などで見せるクールな緊張感溢れる映像と息詰まるサスペンスを、巧みな話術で盛り上げていく手法には、素晴らしいものがありますね。 自分をじわりじわりと追いつめて来る男に、いつしか心魅かれてしまう微妙でデリケートな女心。 サスペンス・ドラマの中にもメロドラマの要素を見事に融合させて、最後まで我々観る者を画面にくぎ付けにして、緊張感を持続させて引っ張っていく、ルネ・クレマン監督の演出のうまさに陶酔させられてしまいます。
ルネ・クレマン監督から特別に依頼された、フランシス・レイの哀歓ただよう、情緒たっぷりな、心の琴線を震わせるテーマ曲が、いつまでも脳裏に焼き付いて離れません。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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仕方なくその地から逃れることになり、チャーリーの蒸気船に乗ることになるのです。
二人はイギリス人魂を見せてやろうと、ドイツ軍の戦艦を自作の魚雷でやっつけようと相談し、戦艦が航行している湖へと蒸気船で下って行くが、川は普通は下れないほどの急流の連続で、川下りは困難を極めることに--------。
冒頭とラストの短いシーンを除けば、あとは全部、チャーリーとローズだけがずっと一緒に画面にいるという感じです。
この濃密なシーンは凄いなと思いましたね。
ボガートとヘプバーンのなんと見事な演技!!
だんだんと惹かれ合っていく様子がはっきりと、生き生きと伝わってくるんですね。
最初はよそよそしく名字を読んでいるのに、途中からローズが「ファーストネームは何?」と尋ねて、「オールナットさん」ではなく「チャーリー」と呼んだりするあたりは微笑ましいくらいです。
ボガートは、ときおりコミカルな仕草や表情を見せるのですが、これがまたいい味なんですね。
コメディ映画ではないのですが、ボカート本人が実に楽しそうに演じているのがわかります。
ヘプバーンは、年増の独身女を演じさせたら天下一品ですね。 縁遠い女性が、だんだんと恋愛に目覚めていく表情がとても素敵ですね。 小さな蒸気船といえども船は船。 川を航行する技術や知恵がないと、どうしようもないのです。 途中で急流のために、スクリューが壊れてしまうシーンがありました。 水に潜ってスクリューとシャフトを外し、炭火で火を熾して、曲がったシャフトを真っすぐに直すのですが、こういうエピソードは、とてもリアルで実に良いですね。 二人が力を合わせて、船を動かしているという姿に感動しました。 ラストでは、いくつかの予想外の展開が待っていました。 なるほど、こういう面白い映画だったんだなと納得しましたね。 「アフリカの女王」というのは、この蒸気船の名前なのですが、本当に洒落たタイトルだと思いますね。 古い映画ですが、何度観ても楽しくて面白い、アドベンチャー川下りものの傑作だと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
この映画「アフリカの女王」の原作は、セシル・スコット・フォレスターの小説で、有名なイギリスの海洋小説であるホーンブロアシリーズの作品なんですね。
私はこのホーンブロアーシリーズやアレクサンダー・ケントのボライソーシリーズが大好きで、以前はよく読んだものでした。
この映画は、「帰らざる河」によく似た展開です。
見知らぬ男と女が、一艘の船に一緒に乗るはめになり、危険な急流を何度も突破しながら、川を下っていくのです。
最初はお互いイヤな奴だなと思っていたのに、だんだんと打ち解けていき、さらに恋愛感情も芽生えていく、その過程が細やかに描かれていますね。
船と言っても小さな蒸気船で、船長はハンフリー・ボガート扮するチャーリー・オールナットで、同乗するのはキャサリン・ヘプバーン扮するローズ・セイヤー。
第一次世界大戦下のアフリカで、宣教師の兄とともに布教活動をしていたローズでしたが、ドイツ軍が村を襲撃し、兄はそのショックで病死してしまいます。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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時は近未来。警察官は、凶悪な犯罪の前に、次々と命を絶たれていく。
ならば、強敵無比、死ぬことのないマシン警察官を造ったらどうだろう、ということで試作された第一号。
これは、強いばかりか凶悪ですらある失敗作だった。
この失敗を好機とばかりに、ライバルが売り込んだのが、殉職した若い警察官の頭脳と肉体に、鋼鉄の外皮とコンピュータ化された機能を加えたロボットだった。
やがて、敵弾に倒れて、死の瀬戸際に立たされる、主人公の警察官。
彼が、大手術を受けて一命をとりとめ、ロボコップとして生まれ変わる。
こうなれば、向かうところ敵なし。
銃撃の真っ只中へ乗り込んで、犯人どもを叩き殺すのだ。
いや、そればかりではなく、凶暴な初代ロボット警察官とも対決する。
この映画の作り方は、まるで西部劇そのものだ。 あの決闘シーンを、近未来に持って来て、とことん刺激を強く表現する。 そして、この映画のポイントは、ラスト・シーン。 自分を強くして、戦う事だけだったロボコップが、初めて人間としての自分を自覚するところで、この映画は終わる。 機械文明に対する、人間の尊厳を描いているようにも深読みできる。 それにしても、こうしたロボット警察官の活躍に対して、拍手しながら見つめるアメリカの大衆。 やはり、凶悪犯罪多発の不安感から来たものだと思えてならないのだが。
- 評価
- ★☆☆☆☆
- 投稿日
- 2024-06-08
プリンスの出演も音楽もない、唯の関係者のインタビューを集めた映画です。久しぶりに金を返せと思いました。これは、劇場で上映するようなレベルのモノではないというのが正直な感想です。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
超 駄作。映画館で上映して料金を取るレベルの作品?では無いと思います。グロテスクで有り、なんの脈絡も理解できません。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
とにかく残念。予告に騙された。何度も寝そうになりました。最近で一番がっかりの映画でした。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
私はレゲエも彼も大好きなので大満足。
英仏初日ボヘミアンラプソディー超えとの触れ込みでしたが私は正直日本ではあまり成功しないだろうと思ってしまいました。
ジャマイカの情勢やラスタ信仰の要素が割と多くて日本人にはよく理解できないだろうし、その分娯楽的要素が少なめ。
英仏米で大ヒットだったのは黒人層の支持も多かったのでは?アフリカからアメリカに連れ去られ生きるために戦った祖先のことを歌った彼を愛する欧米の黒人は多いと思います。
ボヘミアンラプソディーは日本にも7%位を占めるとされているLGBT層にも支持を得たはずです。フレディーのことを知らなかったLGBTの方々も多く劇場に足を運んだのでは?
が、妻以外の多くの女性がボブの子を産んでいますがこの映画では妻との恋愛だけ、多少ゴシップ的要素がある方が大衆受けするのでは?
彼の妻とその長男の監修でこのような内容になったのでは?興行収入よりも大切にしたかったことがあった、
やっぱり金銭欲は無く愛と平和を訴え続けたボブの家族ですね。私は感動で後半泣きっぱなしでした。