- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
特に後半は、キム・ハンミン監督の畳み掛けるような演出で一気に見せるのですが、クライマックスはもちろん「神弓」対「長弓」の戦い。
ちょうど西部劇の拳銃が、弓に取って代わったようなもので、これでもか、これでもかと双方が死力を尽くすんですね。
そして、その迫力たるや、まるで弓が画面の中から観ている私の方へ飛んでくるような錯覚に陥り、思わず首をすくめることもしばしば。
これは、やはり今はやりのCGに頼らず、高速度カメラで矢の軌跡を再現する、高度な技術力の勝利と言っていいだろう。
そして、それは巧みな編集技術と、クロースアップの多用のおかげでもあるのですが、黒澤明ばりのアクションシーンは、十分堪能できましたね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
この韓国映画「神弓-KAMIYUMI-」は、アクションに次ぐアクションで息つく暇もないほどの迫力の、"弓"対決が堪能できる傑作だ。
鉄砲が登場する前は、刀や槍が主要な武器だったはずだが、この映画では何と弓矢が主役の座に踊り出た。
この作品は、韓国映画の大ヒット作で、主演のパク・ヘイルがその年の韓国国内の映画賞において、主演男優賞を総なめにしたことでも話題になりましたね。
1636年に実際に起きた清と李氏朝鮮との戦い「丙氏の乱」に材を取り、結果的に清軍は、多数の朝鮮人を捕虜として連行したというが、この映画では李氏朝鮮の「神弓」の名手(パク・ヘイル)と清の「長弓」の名手(リュ・スンリョン)が、正面から対決する。
それでも最後は「神弓」の勝利に終わることから、韓国人のナショナリズムを相当、刺激したに違いありません。
韓国で2011年度の興行成績ナンバーワンを記録したのも頷けます。
とにかく、この映画は冒頭からアクションに次ぐアクションの連続で、のんびり構えている暇はないのです。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-07-22
ダラダラした展開でテンポが悪い。個性的な役者の脇役が生かされてなく、もったいない。広瀬すずさんはさすがに存在感があったけど、相手役がちょっと残念やった。もう少し編集で削除して100分位にしたら引き締まったかも。當真あみさんが可愛くてキラキラしてました。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
この映画は、実体験に基づいて書かれた戯曲の映画化作品ですが、収容所経験のない者には、信じられないようなことが多いんですね。
それを、ビリー・ワイルダー監督のまさに名人芸ともいえる演出と、ウィリアム・ホールデンの巧みな演技が、見事にカバーして見せてくれる。
「帰らざる河」や「栄光への脱出」のオットー・プレミンジャー監督が、収容所長役で登場して、なかなかの役者ぶりを披露してくれるあたりも楽しいし、とにかく、ウェルメイドな作品だと思いますね。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
大きなカバンには、収容所にありそうもないものが、いっぱい詰まっており、煙草などで闇商売をやっているんですね。
"そんなバカな----"といったようなことが、そう思わせずに説得力を持って描かれているあたりは、さすがビリー・ワイルダー監督の職人芸だと思いますね。
この"収容所貴族"とでも言うべき男が、脱走者が捕らえられ、銃殺されてスパイがいるとの噂が流れ、疑われ出したところから、映画はちょっと趣を変えて、犯人探しから、それに続く脱走劇へとスリルとサスペンスに満ちたものになっていく。
ノンシャランとしていた男が、リンチされそうになるという状況はあるにしても、スパイ探しをはじめ、果ては窮地に立たされたダンバー中尉を救うため、収容所脱走という大勝負に出るというのは、あまりにも突然の変貌ゆえに、これまた"そんなバカな----"となるところなのだが、これはウィリアム・ホールデンの絶妙の演技によって納得させられてしまうんですね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
このビリー・ワイルダー監督の映画「第十七捕虜収容所」は、第二次世界大戦末期のドイツ、アメリカ空軍の捕虜が集められた第十七捕虜収容所という、閉鎖的状況での人間の葛藤と、脱走に成功するまでの苦悩を描いた、収容所もののはしりとなった作品で、主演のウィリアム・ホールデンがアカデミー主演男優賞を受賞しましたね。
この"収容所もの"というと、何か暗くて重いというイメージがあるものです。
だが、この映画は暗さはありますが、決して重くはない。
ストーリーは、スリリングに展開するし、男ばかりの生活という特殊な環境の中にあって、登場人物たちは、かなり誇張して描かれており、時にそれは道化的にもなって滑稽ですらあるんですね。
数多い登場人物の中で最も面白いのが、セフトン軍曹(ウィリアム・ホールデン)という男。
この男はなかなか抜け目がなくて、収容所生活をできるだけ楽しくしようと、人造酒を作ったり、望遠鏡を作ったりしている。
その望遠鏡で女兵士のシラミ取り入浴をのぞき見るシーンは、爆笑ものだ。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
ベルモンドが、まったく疲れを知らぬ奮闘ぶりでユーモラスな味付けもとても良くて、アラン・ドロンとは違ったキャラで、フランスで彼が人気を博したのがわかる作品ですね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-07-22
かつてフランス映画界で、アラン・ドロンと人気を分け合ったジャン=ポール・ベルモンド主演、「地下室のメロディー」「シシリアン」の職人監督アンリ・ヴェルヌイユ監督の「華麗なる大泥棒」。
ジャン=ポール・ベルモンドがロベール・オッセン、レナート・サルヴァトーリ、恋人のニコール・カルファンと四人グループで、ある邸宅に忍び込み、透視テレビ付き携帯コンピュータという新兵器で、精巧な大金庫を開け、三億フラン相当のエメラルドを盗み出す場面がひとつの見せ場だが、続いてそのエメラルドを狙う腹黒い警部のオマー・シャリフに食い下がられるのが、興味の焦点になってくる。
舞台は地中海の観光都市で、断崖沿いの道でぶつかり合ったり、長い石段を逆落としに走り下りたり、追われるベルモンドと追うシャリフの猛スピードの曲芸的なカーチェイスが、ユーモアたっぷりに見せてくれる。
そして、バスに飛び乗って逃げるアクロバット的な場面や、ダンプの荷台に隠れて逃げたベルモンドが、断崖の上に運ばれ、砂利と一緒にぶちまけられて、急斜面をころげ落ちていく場面なども大いに楽しめる。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
定番ストーリーの、コメディー感が強めの映画だと思いました。
話はフィクションだけど、登場人物はすとぷり本人で、誇張はされているけど、メンバーの特徴をうまく表現してあると思います。
私はすとぷりすなーなので、細かく散りばめられたファンが喜ぶエピソードや音楽が満載で、何度でも観たくなる映画です。
すとぷりを知らない人が観ると、すとぷりってこんな感じの人たちの集まりなんだと知ることができる映画だと思います。
ライブのシーンは、実際のライブを見ているようなので、映画であって、ライブでもあるのかと感じました(*^-^*)
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
主人公以外、誰ひとりとしてまともな人間が出てこないのが素晴らしく、イギリス軍とドイツ軍が鉢合わせして全滅した後、患者たちが急に「もう十分遊んだ」と言って、病院に戻るというアイロニーに満ちた皮肉な結末に、戦争をしている人間と精神病院にいる人間-----狂っているのはどっち? というように痛烈に戦争を風刺しているんですね。
ジョルジュ・ドルリューの音楽もとても印象的で、サーカスの芸人のように綱渡りをするヒロインのジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが、天使のような愛らしさで、最高に素敵でしたね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
この映画「まぼろしの市街戦」は、コミカルな娯楽アクション監督のフィリップ・ド・ブロカが、痛烈な戦争風刺喜劇として描いた奇跡のファンタジーだ。
とにかく、この映画は、観た者すべてが魅了される不思議な魅力に満ちた、愛すべき大人のお伽噺になっていると思う。
この映画は、公開当時、フランスではコケたが、ベトナム戦争が泥沼化していたアメリカでは、ヒッピーたちや学生たちに熱烈に支持されたと言われているんですね。
第一次世界大戦下のフランスで、ドイツ軍が仕掛けた時限爆弾のために町はもぬけの殻になり、爆弾の撤去を命じられたイギリス軍の兵士アラン・ベイツが町に入ると、そこにいるのは、動物と精神病院を抜け出した患者ばかりだった-------。
このイギリス人兵士は、それぞれ派手に着飾って、将軍や貴族や司祭や娼婦や床屋になり切った善良な彼らに、ハートの王様として歓待され、カーニバルの動物たちを解き放って、町を上げてのどんちゃん騒ぎが開始される。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
ラドンの出現からラストに至るまで、全く間延びすることなく、ピシッと引き締まっている。
観る者を全く退屈させない鮮やかな作りになっていると思う。
舞台を阿蘇山や北九州に絞ったところ、主人公を記者や科学者、パイロットといった怪獣映画に便利な職業にせず、炭坑で働く若者に設定しているところも、ゴジラとは違ったものを作ろうという、作り手たちの姿勢が伺えていいと思いますね。
そのため若干、スケール感に欠けるきらいはあるが、ストーリーという点では「ゴジラ」と比べても遜色がないくらいだ。
ただ欠点もないではない。映像の繋ぎのぎこちなさ、メッセージ性の弱さ。
ラストのラドンの最期のわかりにくさなど。
とは言え、全体的にはよくできた映画であり、飛行する怪獣をどのように表現するかという円谷英二の挑戦は、やはり見どころ満載だ。
個人的には歴代怪獣映画の中でも特に好きな作品ですね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-07-22
東宝三大怪獣の地位にありながら、バイプレイヤーとしての活躍が多いラドン。
この「空の大怪獣ラドン」は、そのラドン唯一の単独主演作だ。
公開は1956年。東宝の怪獣映画第三作目にして、初のカラー映画。
監督は、お馴染み本多猪四郎、特技監督は、もちろん円谷英二、原作は黒沼健という陣容だ。
初期の東宝特撮映画は、原作者に香山滋や中村真一郎など一流の作家を起用しているが、この作品でも黒沼健を起用しているのが要注目だ。
今ではほとんど知られていない作家だが、SFやミステリの翻訳・著作で活躍し、とりわけオカルト系については、多くの著作を残している。
この原作が功を奏したのか、この作品のストーリーが、なかなか悪くないのだ。
尺は短いものの、阿蘇山近くの炭坑町で起こったトラブルから殺人事件への発展、意外な犯人、そこから、さらに大きな事件へと連鎖し、やがて、ラドンの出現へと繋がる流れは非常に上手い。
しかも、テンポがいいんですね。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
自己を棄て他者のために生きる美しさが身に迫る。
このように、ジョン・フォード監督の映画には「詩情あふれる---」と形容される繊細な優しさが、いつも漂ってきて、どの映画も美しい。
「映像の詩人」と呼ばれるほどであり、映像の美しさはもちろんですが、それ以上に人間の美しさを描き続けてきたと思う。
それは、生き方の美しさであり、人の心の美しさなのだ。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
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生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱える若い妻、立ち会う三人の男、そして、彼女が出発した町はニューエルサレム-----、そう、この西部劇はまぎれもなくキリストの生誕をベースにした、クリスマス・ストーリーなんですね。
赤ん坊を抱えた時から、この悪党三人は次第に変わっていく。
幌馬車の中に残されていたバイブルを読んだハリー・ケリー・ジュニアは、バイブルの中の彼らは、赤ん坊をエルサレムに連れて行く使命を負ったのだと言う。
つまり彼は、自らを"東方の三賢人"になぞらえているんですね。
自分の体が弱っているにも拘わらず、ハリー・ケリー・ジュニアは、子供を抱え、守り、「水を飲め」というジョン・ウェインに「この子の水を盗めるか」と拒否する。
銀行を襲い、町中で銃を撃ちまくった「三人の名付け親」の無法者たちも、いつの間にか自分を棄て、赤ん坊のために生きる。
ハリー・ケリー・ジュニアは、赤ん坊のために自分が水を飲むことを拒否して死んでいく。
そして、最後に残った大男のジョン・ウェインが赤ん坊を抱き、ヨロヨロと歩く姿から"無私の行為"とでも呼ぶべき何かが伝わってくる。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
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三人は保安官の裏をかこうと、砂漠を横断して別の水場を目指す。
しかし、逃げる時に撃たれた傷がもとでハリー・ケリー・ジュニアは弱り、おまけに眠っている間に馬が逃げ、徒歩で砂漠を渡らなければならなくなる。
砂嵐に襲われ、喉の渇きに耐え、やっとの思いでたどり着いた水場は、より深い井戸を掘ろうとした愚かな男によって、ダイナマイトで破壊されていたのだった。
その男は死に、身重の妻が動かなくなった幌馬車に残されている。
その妻も瀕死の状態だった。
かつて我が子の出産を経験したことがあるペドロ・アルメンダリスが赤ん坊をとりあげる。
ジョン・ウェインは、サボテンから少しずつ水分を絞り取り、赤ん坊に飲ませる。
妻は、三人の名前を確認し、名付け親になって欲しいと言い残して息絶えるのだった。
同じ頃、ある鉄道の中継地で保安官は、昔なじみの老婦人と会い、冗談を言い合うが、その時に「メリークリスマス」という言葉があり、ここで我々観ている者は、初めてこの映画がクリスマスの話なのだと知ることになるんですね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-07-22
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このジョン・フォード監督の「三人の名付け親」の原題は、「3 GODFATHERS」で、フランシス・F・コッポラ監督の名作「ゴッドファーザー」が公開される24年前、1948年の映画で、ウィリアム・ワイラー監督の「砂漠の生霊」のリメイク作なんですね。
三人のアウトローが、銀行強盗をやるつもりで、西部の町に現われるところから、この映画は始まります。
ジョン・ウェインが頭目で、キッドと呼ばれる若い男(ハリー・ケリー・ジュニア)とメキシコ人(ペドロ・アルメンダリス)が仲間だ。
町に着いて早々、彼らは庭いじりをしていた中年男(ワード・ボンド)と知り合い、彼の妻からお茶をご馳走になる。
夫婦は、姪とその夫がニューエルサレムという町からこちらに向かっているのに会わなかったかと聞く。
別れ際に男が革のベストを身につけると胸に輝く銀の星------。
三人はギョッとする。
この三人は銀行を襲って逃げ、ワード・ボンドの保安官は助手を募って彼らを追う。
逃げる途中で水を失った三人が、水場に現われると予想した保安官は、いくつかの水場に先回りして見張りを配置するのだった。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
なにしろ、いま、興行的に安定感のある男、ウィル・スミス主演で独立記念日に公開した大作。
製作にはマイケル・マンにアキヴァ・ゴールズマンやら、ジョナサン・モストウまで名前が連なる豪華な布陣だ。
人々の注目を集め、大ヒットを宿命付けられている。
そんな作品なのだ。だから、「オフビートでオリジナリティの高いコメディ」という側面と、「当代のスーパースターが主演するアクション大作」という側面が、いかに両立・共存しているのかというのが評価のポイントだろう。
そして結論を先に言えば、その両立には成功したとは云い難い、中途半端な印象の残る作品だと思う。
実際のところ、この脚本は、確かに業界内で評判をとるだけのオリジナリティがある。
主人公が自分に協力してくれる親切な男の、その美人妻にちょっかいを出すという、あらぬ展開には思わず吹き出してしまったし、その後の壮大なる痴話喧嘩的ドタバタ騒ぎを経て、「ヒーロー」の持つ神話性のようなところに着地するまとめ方も悪くない。
それゆえに、この脚本が「当代のスーパースターが主演するアクション大作」に向いているのかというと、違うのだと思う。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-07-22
ヒーローものといえば、アメコミ原作全盛の昨今。
しかし「キングダム 見えざる敵」で名を上げたピーター・バーグ監督によるこの映画、「ハンコック」は、アメコミを原作に持たないオリジナル脚本の作品だ。
まあ、ウルトラマンが暴れたら街が破壊されるといった、過去、一瞬だけ面白かった「考察」の類の延長線上というか、無茶をして周囲に甚大な被害をもたらすというので嫌われ者になっている「悩めるヒーロー」の物語である。
自暴自棄でアル中で、素行の悪い超人というオフビートな役柄にウィル・スミス。
この「超人」のイメージチェンジに協力しようとする冴えない男をジェイソン・ベイトマンが、その妻をシャーリーズ・セロンが演じている。
まあ、想像していたよりは面白かった。
なにしろ、「キングダム 見えざる敵」はともかく、デビュー作「Very Bad Things(ベリー・バッド・ウェディング)」の酷い出来栄えで、コメディの担い手としてのピーター・バーグにはあまり信用を置いていないからだ。
ただ、この作品を一概に「コメディ」と言い切るのには違和感があるかもしれない。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-07-22
この映画の売りは、なんと言っても、やはり衝撃のドンデン返しにありますね。
しかし、この映画はスマートなストーリー・テリングを尊重しており、そのためには、中途で少しぐらいのヒントなら見せても構わないと考えているフシがありますね。もちろん、全ては緻密な計算に基づいてはいますが。
そして、最後はとても哀れで悲しい物語として完結するんですね。
生者と死者の世界のあやふやな境界線に、深い思いを馳せずにはいられません。
オチを知ってしまった今でも、もう一度観てみたいと思わせてくれるんですね。
光と闇の巧みなコントラストが、この映画を完璧な恐怖映画に仕立て上げていると思います。
この映画では、暗闇はサスペンス、光はショックを演出しています。
暗闇は恐怖の余り、真相が見えなくなっていることを象徴し、光は子供を殺し得る危険なもの、最後には視点を変える契機として、劇的な役割を果たしているのだと思います。