- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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金持ちの未亡人の秘書をしていたアメリカ娘のマリアンは、モンテカルロのホテルで、どこか翳のある金持ち貴族のマキシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)と出会い、彼の二度目の妻としてイギリスの荘園マンダレイにやって来ます。
この映画のタイトルの「レベッカ」とは、今は亡き前妻の名前。
画面には一度も登場しないのですが、イギリスのコーンウォールの海岸に立つ由緒あるマンダレイ荘のあらゆるものに、美しかったというレベッカの痕跡が残っていて、その最たる存在が、レベッカの身の回りの世話をしていた召使いのダンバース夫人(ジュディス・アンダーソン)だった。
主人公の「私」は、決して心から打ち解けようとしない夫や、いつも自分を見張っているような黒づくめのダンバース夫人、そしてレベッカの痕跡などに小さな不安を抱きつつ、マンダレイの女主人としての務めを果たそうとするのですが、その一方、孤独で贅沢など知らずに生きてきた「私」にとって、ここでの生活は何から何まで新鮮で、夫への愛も揺るぎないものだった。
それにしても、この"ゴシック・ミステリー"は、描写のほとんどに"チラッとした不安"を誘う仕掛けが埋め込まれていて、観る側も、主人公の「私」と全く同じ条件に置かれているだけに、その一つひとつに落ち着かない気分にさせられてしまいます。 閉じられた部屋。窓をよぎる影。揺れる白いカーテン。レベッカの頭文字のRが浮き彫りになったアドレス帳。黒い犬。 そして、レベッカの呪縛に取り憑かれたような夫の不可解な振る舞い--------------。 二階のフロアの壁に飾られている、夫がお気に入りだと言う、美しい女性の全身像の絵も何やらいわくありげだ。 そして、これらの妖しい雰囲気を醸し出すモノクロの映像がまた絶妙で神秘的なんですね。 そういえば、今やすっかり荒れ果てたマンダレイ荘の外門を、カメラがゆっくりとすり抜けて中へと入っていく冒頭のシーンからして、既に怪しい雰囲気でしたね。
そして、仮装パーティーを開くことにした「私」が、ダンバース夫人に勧められ、二階の絵の女性とそっくりのドレスで装い、夫に激怒される場面の身の置きどころの無さ-------------。 絵の女性はレベッカだったのだ。 映画の後半、ヨットで転覆死したというレベッカの死の真相が、二転三転するくだりも、実にスリリングですね。 「レベッカ」は、幾つもの謎や不安については確かにミステリアスだが、終わってみるとイギリスで玉の輿に乗ったアメリカ娘が、夫を絶対の愛で信じ続けるという、かなり通俗的なメロドラマになっていて、「私」というヒロインよりも、好き勝手に生きた"レベッカの真実"の方が、ずっとインパクトがあるのですが、ヒッチコック監督の巧みな語り口が、通俗性を絶妙にカモフラージュしているのだと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
この映画は「ミステリアスな雰囲気漂う心理サスペンス」の傑作だと思います。
この映画「レベッカ」は、ハリウッドの大製作者デイヴィッド・O・セルズニックと契約したアルフレッド・ヒッチコックが、アメリカに渡って最初に手掛けた作品であり、1940年度の第13回アカデミー賞で、最優秀作品賞と最優秀撮影賞(白黒)を受賞して、アメリカ映画界へ華々しい登場となった作品ですね。
イギリスの女流作家ダフネ・デュ・モーリアが1938年に書いたゴシック・ロマン小説の映画化で、女性が結婚して得る幸福の意味を追った小説ですね。
アルフレッド・ヒッチコック監督は、原作の持つ雰囲気描写を映像に置き替えながらも、内容の上ではヒロインの心理的不安、そして殊に、映画の後半に見られる謎解きと裁判のサスペンスに興味を移し替えてまとめあげていると思います。
この映画は一人称による原作の持ち味をそのまま使って進行しているため、ジョーン・フォンテーンが扮するヒロインの「私」で話が進むのも実にユニークですね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画を知らない人でも、多分、主題歌である「Calling You」は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
私もこの曲を聴いて、ああ、この映画の主題歌だったのかとびっくりしました。
この映画は「バグダッド」なんていうのがタイトルに入っているので、中近東が舞台の暗そうな映画かなと思っていたのですが、とんでもない、舞台はアメリカ。
砂漠のハイウェイで、とある夫婦が喧嘩をするシーンから、この映画は始まります。
太った奥さんの方が、怒って車から降りてしまい、歩き出します。
夫は奥さんの身を案じて、コーヒーの入ったポットを道に置いていきます。
それを拾って帰るのが、「バグダッド・カフェ」という店の主人。
砂漠の1本道沿いにある、このお店がこの映画の舞台となります。
ここは、ガソリンスタンドとモーテルとカフェを細々と経営している埃だらけの汚い店で、女主人のブレンダという黒人女性は、夫がポットを拾ってきたのを知り、あった場所に戻してこいと、ガミガミ怒りだします。
ブレンダは、いつもあまりにうるさいので、夫はとうとう家出をしてしまいます。
夫と喧嘩して車から降りたのは、ジャスミンというドイツ人の女性。 彼女は太っていて、とても無口。 反対に、ブレンダは怒りっぽくて、いつでも大声で不平不満をわめきちらしているんですね。 夫に出て行かれてからは、益々、それがひどくなり、誰にでも当たり散らすのですが、夫がいないので、仕方なく町に買い出しに行っている留守に、ジャスミンが店を綺麗に掃除するんですね。 このあたりから、様子がどんどん変わっていくんですね。 まず、目を見張るのが、「色」ですね。砂漠を表現するために、黄色、赤、青などのフィルターをかけたような色の画面が出てきます。 短いショットの多用もあり、観ている者の目にも焼き付くんですね。 そして、セリフの少なさも、この映画の特徴の一つで、特にジャスミンは、ほんとにしゃべらないんですね。 ドイツ人だからという、わけがあるからでしょうけれど、話せばけっこう上手に英語をしゃべるのに、ブレンダのように饒舌ではありません。 だから最後まで、ジャスミンはミステリアスな存在なんですね。 セリフではなく、映像で語らせることに成功している映画だと思いますね。
とにかく、「誰かに必要だと思われること」は、どんなに素晴らしいことかを教えてくれる映画なんですね。 最初は暗い表情の登場人物たちが、ジャスミンの登場、そして彼女の色々な行動が進むにつれて、生き生きとしてくるんですね。 特に、ブレンダの変化は驚くばかり。ラスト近くになると、そこはまるでラスベガスのような陽気さになっているんですね。 こんな素敵な映画を作った、パーシー・アドロン監督に感謝したい気持ちになりました。 心の底から感動した名作です。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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ストーリー的な難点はまだあります。
グレゴリー・ペック扮するエドワードが、自分の正体がバレて、逃亡する時、イングリッド・バーグマン扮するコンスタンスに置き手紙を書きますが、「君に迷惑をかけたくない」と言っているわりには、ちゃんと自分の居場所を明記しているのは、ちょっとむしが良すぎるのではないかという気がします。
また、その置き手紙を病院の者が発見しても、気にせずバーグマンに渡すのも、何か間が抜けているように思います。
このような、いくつかのストーリー上の問題点があることで、この作品が現代の私を含む多くのヒッチコック映画の愛好者にとって、彼のフィルモグラフィーの中で、あまり重要な作品ではないのではないか?----------と。
だが、答えはNO! だと断言できます。
この作品は、ヒッチコック自身を語る上で、実に重要な作品の一つだからです。
この「白い恐怖」のキー・ワードは、「人間の罪の意識」だと思います。 実際、作品の中にも、精神科医エドワードの著書名、あるいは、バーグマンやペックのセリフの中などに「罪の意識」という言葉が、頻繁に出てきます。 このことから考えると、それはそのままヒッチコック自身の問題でもあったのではないか? 実際、彼は幼少の頃を振り返って、「幼い時から、悪いことをして罰せられることが一番の恐怖だった」と語っています。 厳しい戒律を重んじるイエズス会の学校で学んだヒッチコックは、そんな「罪に対する恐怖」を生涯持ち続けながら、"抑制と規律"の中に生きて来たのではないだろうか。 そして、それは多分、死ぬまで続いたのだろう。 だからこそ、このような映画を作って、自らを慰めたのだと思います。 このことを暗示するように、作品の中に次のようなバーグマンのセリフがあります。 「人はしたことのない事に罪の意識を、子供の時の空想を、現実と混同する事がよくあります----、それが大人になっても罪の意識として残る事があるのです----」と。
つまり、この作品は、そんなヒッチコック監督自身の内に秘めた「心の叫び」と「願望」が、色濃く出たものであり(以降、彼は後の作品でその傾向を露骨に表現するようになります)、自らサイコセラピーを楽しんだ作品なのだと思います。 バーグマンが、ペックに自分の恋心を素直に打ち明け、初めてキスをするシーンで、突然、幾重にも続いた扉が次々と開かれる映像へとオーバーラップします。 これは深読みをすると、ヒッチコック監督自身も、バーグマンが扮する女性のような、知的でクールなブロンド女性に、自分の心の扉を開いてもらいたかったのではないかと思えるのです。 スクリーンの向こう側で、安堵の表情を浮かべるヒッチコック監督の姿が見えてきそうです。 また、この作品に関して、あまりにも有名なのは、夢のシーンのイメージ・デザインをシュール・レアリスムの鬼才サルバドール・ダリが担当していることです。
これに関しては、ヒッチコック監督のたっての希望で、ダリが起用されたにもかかわらず、出来上がった作品が、余りにも極端で複雑過ぎたために、20分ほどあったシーンを、たったの1分20秒にまでカットしてしまったという逸話が残っていることです。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
私はレゲエも彼も大好きなので大満足。
英仏初日ボヘミアンラプソディー超えとの触れ込みでしたが私は正直日本ではあまり成功しないだろうと思ってしまいました。
ジャマイカの情勢やラスタ信仰の要素が割と多くて日本人にはよく理解できないだろうし、その分娯楽的要素が少なめ。
英仏米で大ヒットだったのは黒人層の支持も多かったのでは?アフリカからアメリカに連れ去られ生きるために戦った祖先のことを歌った彼を愛する欧米の黒人は多いと思います。
ボヘミアンラプソディーは日本にも7%位を占めるとされているLGBT層にも支持を得たはずです。フレディーのことを知らなかったLGBTの方々も多く劇場に足を運んだのでは?
が、妻以外の多くの女性がボブの子を産んでいますがこの映画では妻との恋愛だけ、多少ゴシップ的要素がある方が大衆受けするのでは?
彼の妻とその長男の監修でこのような内容になったのでは?興行収入よりも大切にしたかったことがあった、
やっぱり金銭欲は無く愛と平和を訴え続けたボブの家族ですね。私は感動で後半泣きっぱなしでした。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
この映画「白い恐怖」は、フロイトの精神分析学をストーリーに大胆に導入し、人間の罪の意識をキーワードに、実験的映像で心の内面を抉った作品だと思います。
人間には多かれ少なかれ、幼児体験によって、自らを無意識に規制することが、ままあるような気がします。
このアルフレッド・ヒッチコック監督、イングリッド・バーグマン、グレゴリー・ペック主演の「白い恐怖」は、原題の「SPELLBOUND(呪文で綴られた)」が示すように、そんな幼児体験によって、無意識に"罪の意識"に縛られた男が、愛する者の協力によって、それを克服していく愛の物語になっていると思います。
とある精神病院に、新院長のエドワード(グレゴリー・ペック)が赴任してきます。
女医のコンスタンス(イングリッド・バーグマン)は、彼に次第に惹かれていくが、実は彼が本物のエドワードではなく、記憶喪失者であることがわかってきます。
やがて、彼に本物のエドワード殺しの容疑がかかるが、無実を信じるコンスタンスは、彼の記憶を甦らせようと、一緒に逃亡しながら、精神分析を駆使して真実を究明していくのだった----------。
1944年のこの作品「白い恐怖」は、アルフレッド・ヒッチコック監督が、以前から興味を抱いていたという、フロイトの精神分析学をストーリーに大胆に導入した、初めての心理学映画になっていると思います。 以後、彼の作品には、「サイコ」「マーニー」など、同系統の作品がしばしば登場することになりますが、特に精神分析学が"謎解きの鍵"となる心理サスペンスという点で、「マーニー」の先駆的作品になっていると思います。 しかし、当時としては斬新に見えたであろう、このストーリー展開も今の時点で見ると、正直、少し陳腐なものに見えてしまいます。 「濡れ衣を着せられた者の逃避行」だとか、「追われながら追う」と言ったヒッチコック作品の典型的なスタイルをとってはいるものの、フロイトの精神分析や夢判断を露骨に導入し過ぎているため、謎解きが定石通りであまりにも呆気ないのです。 このことは、後の「マーニー」にも言えることで、つまり、論理では説明不可能な人間の心理を多く見ている、我々現代人にとって、この作品のストーリー展開は、あまりにも物足りないのです。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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少年の母親の必死の頼みに、グロリアは最初こう言って断る。
「子どもは嫌いなのよ。特にあんたの子はね。」実に、ハッキリした物言いの女だ。
孤独を引き受けてタフに生きる女は、優しさの安売りなど決してしない。
だが逆に、孤独を知っているからこそ、本当の優しさを心に隠し持っているんですね。
少年の生死を分ける切羽詰まった状況で、グロリアは少年を見捨てられず、彼をかくまってやることになる。
追って来る組織のチンピラどもに立ち向かうグロリアの凄み、これが非常にシビレるほどカッコいい。
「撃ってごらんよ、このパンク!」、ピストルを構えるその足元はハイヒール。スーツはエマニュエル・ウンガロ。
疲れた顔の中年女が、かつてこれほどクールだった事はなかったと思います。
全く、ジーナ・ローランズには痺れてしまいます----------。
安ホテルを泊まり歩く逃避行の中、グロリアと少年の信頼の度は、しだいに深まっていくのだが、グロリアの態度がこれまたクールなのだ。
少年に対して、可哀想な子供扱いは一切なし。
夜、寝る前に、自分のスーツをバスルームに下げてシワを取るようにと少年に言いつけたりする。 一方、少年の方は母親に言いつけられて、それをやるという感じではなく、何か同志のサポートをしているふうに見えてしまう。 一度、グロリアが少年に朝食を作ってやろうとする場面は、私がこの映画の中で最も好きなシーンだ。 フライパンで卵を焼いてはみたが、コゲついてしまい、グチャグチャになってしまう。 すると、いきなりフライパンごとゴミ箱に投げ捨てるグロリア。 結局、朝食はミルクのみ----------。 コワモテの女の優しさが乱暴な形で出るところが、いかにもグロリアらしくて、実にグッとくるのだ。 この映画は、ハードボイルドの衣をまとった「家族の物語」だと言えると思います。 グロリアと少年フィルの関係を通じて、カサヴェテス監督が描こうとしたのは、人種や血縁の壁を超えた、新しい人間関係の可能性と、その温もりだと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
女ハードボイルドの決定版「グロリア」は、タフで泣かせるラブストーリーの傑作ですね。
監督は、"アメリカン・インディーズの父"と呼ばれ、性格俳優としても知られる映画作家のジョン・カサヴェテス。
ハリウッドのシステムを嫌い、独自のゲリラ的な手法での映画作りの姿勢を貫いてきたカサヴェテス監督は、従来の映画には見られなかった、即興的なカメラワークと演技指導で映画に革命を起こした人ですね。
元ヤクザの情婦グロリア(ジーナ・ローランズ)とスペイン人の少年フィル(ジョン・アダムス)の関係は、母子愛的なものだが、二人が心を通わせていく様子は、大人の恋愛以上に絆の強さを感じさせてくれます。
グロリアは元々、子供とは縁のない世界で生きてきた女だ。
それが、同じアパートに住むギャング組織の会計士一家が惨殺された現場に居合わせたお陰で、その家族の少年を預かる羽目になる。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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ニューメキシコのさびれた田舎町。真っ昼間だというのに町はがらんと静まりかえっている。
だが、何かが起こりそうな気配だ。
チャーリー・バーリック(ウォルター・マッソー)とその女房を乗せた車が、オンボロ銀行の前に静かに横づけになる。
パトカーが駐車禁止ですよと近寄って来るが、すぐに済みますとばかりにかわして、バーリックは銀行の中へ。
すると、中にはすでに仲間がいた。ホールドアップ! あっという間の銀行強盗。
いつもはなで肩でしまりのない、ぐうたら男のウォルター・マッソー、人が変わったように機敏に動き回る。
襲撃成功と見えた瞬間、パトカーがもう一度戻って来る。外の車にいた女房に「ちょっと免許証を」。
持っているわけがない。途端に女が拳銃をぶっぱなした。
吹っ飛ばされる警官。撃ち返される強盗たち。
けだるく静かだった町が、一転して血だらけになる。
弾を食らって横転するパトカー。わめき続けるサイレン。 ボンネットをあけたままガムシャラに突っ走る逃走車。 追っかける警官。「あいつら生きたままこの州からは出さねえ!」。 アスファルトなどなく、石ころだらけの田舎道を、銃弾を浴びてガタガタになった車が、猛烈なスピードで突っ走る。 この間、時間にして10分ほどだが、当時60歳のドン・シーゲル監督、乗りに乗っていて、やっぱり、ドン・シーゲル監督の映画にはいつもしびれる。 「ワイルドバンチ」の冒頭の銀行襲撃から逃走までの迫力に勝るとも劣らない。 音楽は「ブリット」「ダーティ・ハリー」「燃えよドラゴン」のラロ・シフリン。 熱っぽいガソリン臭い音楽にのって、ドン・シーゲル監督、最後まで快調に飛ばし続ける。 結局、女房は警官に撃たれて死に、残ったのはバーリックと、若い相棒のハーマン。 このハーマンを演じるのが、「ダーティ・ハリー」で狂気の犯人を演じて、我々映画ファンの度肝を抜いたアンディ・ロビンソン。
女は死んだが金は奪った。まずは成功だ。だが、奪った金が予想外にデカすぎた。 バーリックは、もうかなりのポンコツだから、もっぱらオンボロ銀行から小銭を奪うのが専門だ。 これならケチな仕事だから安全だ。それが今度の中身は、田舎の銀行なのに100万ドル近い大金。 それもその筈、この金はマフィアの隠し金だったのだ。 警官は州を越えたら追って来ない。 だが、マフィアはそうはいかない。まずいことになった。 追っかけるマフィア側、ボスはドン・シーゲル一家の代貸みたいな存在のジョン・ヴァーノン。 そして、手下の殺し屋が「ウォーキング・トール」で、その存在感を示したジョー・ドン・ベイカー。 このジョー・ドン・ベイカーが、とにかく怖い。 プロレスラーみたいにたくましく、背広姿にカウボーイ・ハットという、まるで田舎者のスタイル。 ニヤニヤ笑いながら獲物を追いつめる。 若い相棒のハーマンは、この男に捕まってなぶり殺されてしまう。 ポンコツのウォルター・マッソーは、果たしてこの凶暴な殺し屋から逃げおおせるのか? -----------。
サム・ペキンパー監督の「ゲッタウェイ」は、女連れだったが、こちらは男一人。 ここで、面白いのは、「ゲッタウェイ」でのスティーヴ・マックィーンは、めったやたらとショット・ガンを撃ちまくったのに対し、この映画でのウォルター・マッソーは、ただの1発も拳銃を撃たないことだ。 拳銃は早々と逃走の途中で川の中に棄ててきている。代わりに使うのがオンボロ飛行機と、もうひとつ、"頭"だ。 ウォルター・マッソーは、ただガムシャラに突っ走るだけでなく、老獪に敵に対していく。 このあたり、ドン・シーゲル監督はかなりサム・ペキンパーを意識している感じだ。 殺し屋の追跡をかわしながら、逆に敵の情婦を寝取って円型ベッドで楽しむところなど、余裕しゃくしゃくで笑わせてくれる。 そして、ラストはポンコツ飛行機と車の壮絶な追跡戦だ。 拳銃を1発も使わなくてもアクション映画をスリリングに見せるのだから、ドン・シーゲル監督には完全に脱帽だ。
この映画でもう一ついいのは、舞台がニューヨークやロサンゼルスではなく、ニューメキシコの田舎だということだ。 そして、主人公のチャーリー・バリックは、泥だらけの田舎者のヒーローだということだ。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-08
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イスラエル出身で1980年代のアメリカ映画界を席巻した、ヨーラン・グローバスとメナハム・ゴーランが設立した量産プロダクション、"キャノンフィルム"の総帥のメナハム・ゴーラン自らが監督した、B級アクション映画の傑作だと思います。
主人公のチャック・ノリスを群衆ドラマの一コマとして捉え、チャック・ノリスお得意の"スーパーアクション"を見せながらも、決してアーノルド・シュワルツェネッガーの「コマンドー」のような独り立ちのヒーローにしなかった点も成功の一因だと思います。
シュワちゃんほどの強烈な個性のない、チャック・ノリスを、怒涛のように展開していくドラマの中に組み込むことで、彼自身も逆に生きて来たと思いますね。
救出までのアクションに比べて、ゲリラ側の首領(ロバート・フォスター)を追いつめる第二弾のクライマックスは、チャック・ノリスが主演なので、当然、劇画調になって来て、ロバート・フォスターもボコボコにやられてしまいます。
そんな中、自分はアイリッシュなのに「キリストを信じているのだから」と、敢えてユダヤの人々の間に入るジョージ・ケネディの牧師。 無事、救出されて喜びあう人々を背に、死んだ友を無言で運ぶ隊員たち。 グッと胸が熱くなるいいシーンだ。 それにしても、この映画は、イスラエル出身の製作者、監督でもあるため、アメリカ賛歌の大合唱、アラブ憎しのその怒りの凄さには驚かされます。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
アテネ発、アメリカ行きのジェット機がハイジャックされた。犯人は、独自の行動をとる、超過激派のアラブ・ゲリラ。
乗客は、様々な人生を背負った人たちだ。
シェリー・ウィンタース、ジョージ・ケネディ、マーティン・バルサム、スーザン・ストラスバーグなどなど。
イスラエル系の男性だけが選び出されて、ゲリラ隊と入れ替えられる。
マーティン・バルサム、ジョーイ・ビショップたち数人。
報復のため、殺害を計画しているのか?
大統領命令で人質救出に突入する、"デルタ・フォース"と命名された特殊コマンド部隊。
リー・マービンの隊長、前線の指揮をチャック・ノリス。
リー・マービンという大物俳優、及び脇役として、個性的な演技派俳優が出演していることで、この作品の風格が一段と上がったような気がします。
「エアポート」シリーズのサスペンスと、「ランボー」シリーズのアクションを一つに合わせたようなうまい作り方だと思いますね。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画「ワイルド・ギース」は、アフリカ大陸の動乱を背景に、白人傭兵が大活躍する戦争冒険アクション映画の痛快作ですね。
そして、この映画の最大の見どころは、何と言っても、リチャード・バートン、ロジャー・ムーア、リチャード・ハリス、ハーディ・クリューガーという映画好きにはたまらない、超豪華な重量級四大スターの競演だ。
黒人大統領が軍部のクーデターで逮捕され、利権の確保が目的のイギリスの大銀行家スチュワート・グレンジャーに雇われた戦争屋の元アメリカ将校リチャード・バートンが、ロジャー・ムーア、リチャード・ハリス、ハーディ・クリューガーをスタッフに50名の白人傭兵を集め、訓練するまでを、たっぷりと時間をかけ、それぞれの環境と人間描出を行なうところが、まずこの映画の前半で大いに楽しめる。
ムーアは、麻薬に絡んでギャングに狙われている名パイロット、ハリスは子供を寄宿学校に入れて、侘しく暮らしている作戦の名人、クリューガーは元南アフリカの警官で弓術の名人という設定で、アンドリュー・V・マクラグレン監督は、この映画であくまでも"アクションと冒険の面白さ"を打ち出そうとしているので、流血の氾濫や残虐シーンに節度のある描き方をしていると思う。 そして、後半は、幽閉されているアフリカ某国の黒人大統領リンバニを救出するため、バートン指揮の傭兵たちが落下傘で降下し、戦闘を繰り広げながら血路を開いて行くという、かなり強引で無茶とも思える冒険アクションシーンが描かれていく。 黒人大統領を救出し、作戦は成功するかに見えたが、雇い人の銀行家がクライマックスで、政治状況の変化により傭兵たちを裏切ってしまう。 そのため、救出した大統領を抱えた傭兵たちが、独裁軍事指導者の将軍の指揮下にある黒人兵たちと闘うことになってしまう。
敵味方の動きや戦闘シーンの時間経過、戦闘場面の地形などが、適確に描かれているのは、さすがに長年に渡って、西部劇映画を撮り続けて来たマクラグレン監督、さすがだ。 また、スケールの大きいアクションシーンも数多くの見せ場の連続で、アクション映画の模範になるような出来栄えだ。 四大俳優の中では、ハーディ・クリューガーが、役としておいしいもうけ役で、強い印象を残していたと思う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
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この映画「ジャスティス」は、「夜の大捜査線」の名匠ノーマン・ジュイソン監督が、裁判の世界に材をとった熱血あふれる作品ですね。
主演は、アル・パチーノ。「セルピコ」でも一途に正義の道を通し続ける警察官の姿を、実に鮮やかに演じていましたが、この映画では正義の弁護士を演じています。
それも、その正義感を体で表現してしまう青年なのです。
そして、硬骨ゆえに判事ともぶつかり、時に留置所へまで入れられることもあるのです。
実は、この映画がすこぶる面白いのは、このアル・パチーノの弁護士の姿を通して、平素、我々の見ることの出来ない"司法の世界の裏側"を見せてくれることです。
自分の弁護技術で釈放してやった男が、すぐまた二人の子供を殺したと聞き、やりきれない絶望感におそわれる弁護士もいる。
常に自殺を考えている判事もいる。情けを一切拒否し、厳しい態度で臨む判事もいる。
その実、この判事は裏でサド・マゾにこり、判事という職を一つの権力だと考えている。
この判事が、強姦罪で起訴されて、いつも厳しく突き放している主人公の弁護士に、臆面もなく弁護を頼んでくる。 しかも、他の事件での扱いを有利にするというエサと脅しを付けて強制的に------------。 この司法の世界には、"絶対の正義"があるはずなのに、どろどろの"権力闘争"と、"狂気の人間集団"があるのです。 これで本当に人を裁けるのか? しょせんは、司法の世界の者だって人間じゃないか。 人間が人間を裁くということは、どういうことなのか、一歩間違ったら大変なことになる。 うっかりすると、悲壮感あふれて、じめじめしてしまう題材ですが、ノーマン・ジュイソン監督は、さすが思い入れの情感が入り込まないダイナミックな演出で押し切ってしまうんですね。 狂気が支配している司法の世界を、冷徹な眼で見つめるノーマン・ジュイソン監督は、観る者に驚きを与えても不安を与えない。 こんな狂気の世界でも、正義への希望があることを、ラストの主人公の若い弁護士の表情で、見事に語るんですね。
「夜の大捜査線」で黒人問題に取り組み、「屋根の上のバイオリン弾き」ではユダヤ人問題を、「フィスト」では組合問題を、そしてこの「ジャスティス」で司法の世界を描いたノーマン・ジュイソン監督は、その後「アグネス」では、遂に神の問題にまで取り組んでいるのです。 「夜の大捜査線」以来、ノーマン・ジュイソン監督の正義論は、常に温かい人間肯定で裏打ちされていて、だからこそ私の心を打つのです。 それだけに、この「ジャスティス」でのノーマン・ジュイソン監督の心の叫びは本物だと思います。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
怒りのデスロードは、イモ―タンやオ―ボ―イズに感情移入させてヤホ―となりましたが、今回はクリス.ソ―.ディメンタス将軍にその役は任せ~イモ―タンは変態の独裁者、オ―ボ―イズの死は無駄死と描かれてます~そしてラストのクリス.ソ-.ディメンタス将軍とアニャ.フィリオサの会話、復讐の遂げ方、あるあるに~こんなリベンジものがあるのかと~ジョ―ジ.ミラ―監督の描く神話、寓話的な見事な締めに感動~それから~最後、怒りのデスロードが流れるとは~爺、参りました~直ぐに怒りのデスロード観なければなりません!
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
🎤チャットGPT音声の声の無許可利用問題でスカーレット・ヨハンソンの声がニュースの話題に為り,本篇のようなハスキーボイスな彼女の声が想出されて来たんだなあ
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-08
狭い岸壁にひしめく人たち。
意外な方向に向かっての最後。
面白かった。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-07
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このシリーズは、そもそもはユニバーサル・ホラー「ミイラ再生」のリメイク製作を発端にしています。だが、これまでも、そんな源流はどこへやら、自由に脚色・展開されてきました。
もちろん、インディアナ・ジョーンズに代表されるような、クラシカルな冒険活劇を手本にしているには違いないのですが、なにしろ1999年、つまり、スターウォーズで言えば、新三部作のスタートした夏に、第1作が公開されたという事実が象徴的なように、CGを全面導入したダイナミックなVFXを売り物にしたファンタジー要素が大胆に融合されているところが、他の映画とは異なる個性になっていますね。
いろいろ変化はあったとはいえ、この作品も基本的な路線は同じ。
ドラゴン好きのロブ・コーエン監督が、手綱を握ったこともあってか、悪役ジェット・リーは、当然のごとく凶悪(だがどこか愛嬌のある)ドラゴンに変身し、砂塵の中をミイラの大軍勢が激突する。
ジェット・リーにミシェル・ヨーという、素晴らしいアクションスターを迎えておきながら、VFXで埋め尽くされた画面の中で、我々映画ファンが、この2人に期待するような活躍と見せ場はそれほど多くない。
また、前作で誕生した息子が成長した設定で登場するのですが、主人公ブレンダン・フレイザーの大冒険というより、妻や息子も一蓮托生、「オコーナー家族の珍道中」とでもいうべきファミリー映画路線に舵を切った節がありますね。 それは興行的には意味があるのかもしれませんが、主要なキャラクターが増員した分だけ、描写が薄くなり、とっちらかっただけという印象を受けましたね。 前作までの、「サービス満点」といえば聞こえはいいが、切るところを忘れたかのように何でもかんでもてんこ盛りでお腹一杯という、スティーヴン・ソマーズ路線からは離れ、真っ当な娯楽活劇に仕上がっているとは思います。 しかし、前作までにあった、ある意味でヘンテコリンで荒削りなパワーというか、勢いのようなものは影をひそめています。 そうなると、これはこれで、とりたてて見所のない平凡な娯楽大作以上の何ものでもないわけで、微妙な感じがしますね。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-07
この作品では、舞台をシリーズ当初のエジプトから中国に移していますね。
こうなると、もはやなんでもアリ。ついに、このシリーズの邦題の「ハムナプトラ」って、何の意味もなくなったんですね。
シリーズのヒロインを演じていたレイチェル・ワイズが、残念ながら降板し、マリア・ベロが後を引き継いだが、主人公を演じるブレンダン・フレイザーはもちろん、へっぽこジョン・ハナーも復帰。加えて、これが大事なところなのですが、なんとジェット・リーが悪役で、ミシェル・ヨーも出演。監督も正続を手がけたスティーヴン・ソマーズから、たまには失敗作もあるとはいえ、娯楽映画を撮らせて信頼の厚いロブ・コーエンに交代。
この出演者、この監督ならと、とりたててシリーズへの興味は特にないのですが、一見の価値はあるかなと思って鑑賞しました。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-07
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修治(高倉健)は、少年期・青年期と大阪・ミナミで育ち、骨の髄まで極道がしみこんでいるヤクザだ。
"夜叉の修治"と呼ばれる所以は、その背中の刺青のため。
だが唯一の肉親である妹をシャブで亡くしてから、ヤクザ稼業に嫌気がさし、冬子(いしだあゆみ)との結婚を機に足を洗って漁師になった。
平穏に過ぎてきた15年。だが、ミナミからやってきた蛍子(田中裕子)とヤクザの矢島(ビートたけし)によって、その生活に波風が立ち始めるのだった------------。
「冬の華」以来、「駅 STATION」「居酒屋兆治」と続いてきた降旗康男監督、高倉健のコンビの人情ドラマの終着点とも言えるこの「夜叉」の魅力は、なんといっても撮影の素晴らしさにあると思う。
ささくれだった波頭が押し寄せる、厳寒の漁港・敦賀-----そのファースト・シーンがまず圧巻だし、グレーな色調で統一した漁村は、大阪・ミナミの原色に満ちたネオン・サインとは好対照で、そのうらぶれた感じには郷愁を誘われるものがある。
「海峡」で荒れ狂う海を迫力いっぱいに捉えた木村大作カメラマンは、この作品ではより深みの増した映像を作っていて、凪や波濤など、緩急に富んだ"海の表情"を巧みに表現していて、見事のひと言に尽きる。 そして、それはとりもなおさず高倉健扮する修治の心情にダブってくるのだ。 シャブでひと儲けを企む矢島、それを止めさせようとするミナミ出身の蛍子。 二人の喧嘩が暴力沙汰になり、止めに入った修治は刺青を仲間に知られてしまう。 これ以来、修治の心は千々に乱れ、そして、ついつい蛍子を抱いてしまうのだが、それは蛍子に惚れたというよりも彼女が極道の日々を過ごした街・ミナミの女であり、修治は蛍子を抱くことによってミナミを、ひいては自分の青春を取り戻そうとしているかのように見えてくるのだ。 だからこそ修治は大阪にいくのだと思う。 名目は矢島を救い出すためだが、本当はミナミへの郷愁、つまり、断ち切り難いヤクザ稼業への愛着心が、彼をミナミに向けさせるのだ。
こんなところは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の名作「望郷」にどことなく似ているような気がする。 それは多分、降旗康男監督が東大の仏文科出身であり、そのため日本の田舎の村が舞台の地味な風情にもかかわらず、映像がフランス映画的感覚であり、非常にお洒落で洗練されているのだと思う。 お洒落といえば、健さんが背広姿でカッコいいのはいつものことだが、この作品での漁師姿の決まっていること。 回想シーンでの日本刀を振り回すヤクザよりも、漁師姿の方が似合っているというのはなんとも皮肉だが、それだけ健さんにも貫禄が出て来たという事なのかも知れません。 そして、映画のラストは、家出した隣の息子の手紙で終わります。 「青春は素晴らしいと思いました」という独白に、まぶしそうに空を見上げる修治。 自己の映画人生の青春期を、東映ヤクザ映画の全盛期に過ごした高倉健のそれとが二重三重にダブって、胸に迫ってきます。
"寡黙な耐える男"を演じてきた俳優・高倉健にとって、この作品はモニュメンタルな、いわば終着駅のような意味すら感じさせるのです。
- 評価
- なし
- 投稿日
- 2024-06-07
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サンフランシスコの街を走るバスの乗客8人が、マシン・ガンで皆殺しにされるという事件が起こります。
その乗客の中に若手刑事のエバンスがいた事から相棒のマーティン刑事は、この事件の捜査に執念を燃やし、新しい相棒のラーセン刑事と共に、サンフランシスコの暗黒街を調べ始めます。
ギャンブラーの巣窟、ポルノ劇場、ゲイ・バー、安宿、料理店などの光景が次々と画面に浮かび上がって来て、捜査映画特有のドキュメンタリー・タッチの迫力ある臨場感が感じられます。
地味でヤボったくておよそ風采のあがらない四十男だが、鋭い勘の持ち主であるマーティン刑事。
ベテランでタフだが、ぶっきら棒でいたずらっぽく、少々単純なところもあるラーセン刑事。
この2人のコントラストにも、ある意味、"バディ・ムービー"らしい面白味があります。
殺されたエバンス刑事がなぜこのバスに乗り合わせていたのか? その事に疑問を抱いたマーティン刑事は、調査の結果、エバンズが数年前の未解決事件の捜査を密かに続けていた事を知り、その事件とバス乗客虐殺事件との間に、何らかの関連性があるのではないかと、考えるようになります。
この2つの事件を繫ぐ線。その線を辿って行くと、あっと驚く、意外な事実が明るみに出て来ます。 果たして真犯人は何者なのか?--------。 原作の小説が、刑事の群像に重点を置いて、描き分けていたのに対し、映画はもっぱら2人の刑事の行動に焦点を絞り、拳銃の撃ち合いや追いつ追われつのカー・アクションなど、原作には書かれていない、より映像的な設定を織り込んだ捜査劇にしています。 だから、原作の持つ味わいを期待すると当てがはずれますが、これはこれで、見応えのある刑事映画になっていると思います。 それにしても、主演のウォルター・マッソーという俳優は、お世辞にもハンサムとは言えない風貌ですが、そのマーティン刑事という、中年男の仕事と家庭の問題で悩むという人間味も垣間見せながら、捜査に執念を燃やす中年男を軽妙な中にも、激しい憤りの感情を内に秘めて演じる彼の演技は、本当に素晴らしく、まさに名優中の名優だと思います。