ヒバクシャ 世界の終わりに:P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2025-03-10
🌐プロレタリア文學研究者ノーマ・フィールドが小林多喜二を廻る現代社会の危機のシンボルの世界終末時計を論じる中で鎌仲ひとみ監督の本篇に触れて居るんだなあ
🌐プロレタリア文學研究者ノーマ・フィールドが小林多喜二を廻る現代社会の危機のシンボルの世界終末時計を論じる中で鎌仲ひとみ監督の本篇に触れて居るんだなあ
政府に都合の悪い映画を作り公開したら禁固刑、鞭打ちの刑になる中での作品です~イランの今を知る映画になればと思います。国の為に国民が有るのでは無く、国民の為に国が有ります~宗教の為に人間が存在するのでは無く、人間の為に宗教が存在するのです~ラスト、権力(家父長制)から逃げ惑う母、娘、女達、一番若い世代の妹(無垢な子供)の怒り(威嚇)の弾丸で地獄に落ちる父親、家父長制、権力~ざまあみろ~ネットの世の中ですよ~民衆に世界に隠せません!
💫イベント舞台裏方をして見ると本篇や過去のSF映画見たいな映画クルーの集団作業の指示系統の大変さが少し判る様な気も
作品は、オランダにあるディズニーパークで繰り広げる物語と言う感じ。
てっきり、ディズニー作品かと思ってしまう仕上り。
私達の日常の魔法に、合気道があります。
総合武術の究極のエッセンス、合気道。
礼に始まり礼に終わる。
この姿勢には、エッセンスがあり、懐に飛び込むのにもエッセンスがあります。
日本の茶道も茶室のおもてなしにも、様々なエッセンスがあります。
ストーリーが甘く、仕上りの割には、楽しめなかったなあ?
次回作で、挽回できるといいですね。
さぶイボでまくり。吹き替えも絶対観ます。
こりゃ酷いね
続編ないわけだ
キャラの掘り下げなさすぎて、後半に差し掛かっても誰が誰だかわからん
見ても時間の無駄
神辺(広島県福山市)地区の劇場では、てっきりIMAXシアターで上映すると思っていましたが、小規模キャパ劇場での公開に愕然。大阪まで出かけて鑑賞しました。
映画って、その作品にふさわしい劇場がありますよ!
休憩時間(15分間)のカウントダウン初めて体験しました。いい映画でした。
治安維持法制定百年と小林多喜二のタイトルで多喜二祭で講演を聴くと本篇見たくて
リーディングでも語られることの多い三浦綾子の原作の母,何時聴いても悲痛だが息子の観た未来に託する母の願いは熱く重く
ニュースでよく聞くヨルダン川西岸や入植の実態が分かる。
生まれた国によってはメダルを目指すことすら妨げられる。
🌊舞踏家・土方巽は海洋生物の怪獣見たいに大地に根付いたエロスとタナトスの舞
ヴィットリオ・デ・シーカ監督のクリント・イーストウッド共演のオムニバスの一篇も興味津々。ラジオFMピーター・バラカンのナビゲーション番組で取り上げ上げられたロバータ・フラックもイーストウッド処女監督作の恐怖のメロディでの音楽が
多摩美術大学の20世紀論で取り上げられた舞踏家・土方巽,寺山修司監督の本篇も唐十郎作品同様に影響が感じられて仕舞うが
とにかく主演並びに役者たちが真剣やった~監督のめざす内容も短絡でなくて、コメディながら、深みが盛り込まれていた👏
Vシネの豪華版な感じ。坂ノ上茜さんがアクション頑張っていたのが印象に残りました。
ここのコメント、ろくに観てない奴とか映画に高尚なものを求める奴、予算豊富な映画と比較する奴多すぎw 低知能すぎる
ホラー要素が許容できるコメディ好きな人にはおすすめ!後半では笑いもありつつ、生き方を考えられるようなグッとくる要素もあり、B級映画と思いきやそれ以上のものが観られる良い映画です。
ある意味ナニコレ感の凄い、がっかり映画でした
予告編を見た時、ニコラス•ケイジとジョン•トラボルタのフェイスオフ?見事に悪い意味で期待を裏切った、真実が後半?明らかになっていく、後輩の刑事が可哀想、素直でいい人、最後に乗っ取られた?殺人鬼にあの世で詫びれ、こうなったのはお前に一番の責任?
喝采!感涙‼️:映画『名もなき者』レビュー
オスカー授賞式前の鑑賞がかなわなかったが、結果無冠が信じられない素晴らしい仕上がり。
伝記映画にありがちのメーキャップ寄せでなく、佇まいがボブ・ディラン、歌も弾きぶりもブルースハープ(ハモニカのことですね)の吹きぶりも板についていて、エンドロールでわざわざ他の演者たちも含め本編吹き替えなしが明示されている。ジョーン・バエズのモニカ・バルバロもピート・シーガーのエドワード・ノートンも、その他登場人物いずれもが既知のイメージを損なうことなく見応え十分。2時間強の上映時間があっと言う間である。映画館に足を運んだ時間がIMAXのみの時間帯で、実は鑑賞料金高額に一瞬怯んだのだが、音響、内容からすると正しい選択となった。
あの時代、ディランもバエズも時代の子だった。政治的状況がきちんと織り込まれ自分もかすかに齧った世相、雰囲気がしっかり伝わってくる。とりわけ「時代は変わる」のライブシーンで観衆が「For the times they are-changin’」と声を合わせるあたりには胸震えるものがある。世界中が政治の時代だった。今の日本では、完全にフィクションの世界であることが悲しい(老輩の繰り言です)。
ボブ・ディランの最初の画期となった『追憶のハイウェイ61』前史を基軸としておそらく楽曲を聴かせようという製作意図ゆえなのだろう、エル・ファニング扮する最初期の恋人やジョーン・バエズとの恋模様は描写あっさりで、それがまた音楽映画としての全体像へのほどよい妙味にとどまり、観る者、聴く者として嬉しい。
いつもまでも「風に吹かれて」、「ミスター・タンブリン・マン」ではない、前に進まなければならない、というディランの希求の描出が鮮明である。その背中を押し続けたディランが敬愛するウディ・ガスリーを演じたスクート・マクネイリーの存在感にも説得力がある。画面注視で自然と溢れてくる涙は、このふたりの親愛の情によるものだったのかも知れない。エンドロールで、あらためて流れるシャラメとバルバロによるディランとバエズとが声を重ね合った「風に吹かれて」が流れたあたりではもう堪えることができなかった。場内が明るくなった瞬間、応援上演会だったら間違いなくBlaboと喝采を贈っていた。