映画感想・レビュー 7/2465ページ

嘆きのテレーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

初めて燃えあがった炎を消すまいと、彼女は夫に離婚を迫るが聞き入れられず、パリの親戚に預けられることになる。

その途中、夫は、後を追ってきてローランと争い、列車から転落死する。
そのショックで姑は、半身不随となりローランとの仲も冷たくなってしまう。

燃えあがった炎は、再びしぼんでいく。
だが、ローランを愛したということで、テレーズにはそれなりの幸福感も残っただろうに、列車で同室だった男のゆすりという思いがけない事態が発生し、かぼそい炎は大きくゆらぎ、そしてさらに、映画にとっては実に素晴らしいが、テレーズにとっては、まことに悲痛な幕切れとなるのだった。

暗く、重く、陰惨な環境にあったがゆえに、いっそう青白く、鬼火のように燃えたテレーズの”女の情念の炎”を、マルセル・カルネ監督はリアリストの本領をいかんなく発揮して的確に描写してゆく。

一点たりともゆるがせにはしていない”緊迫と緊張の映像世界”に、ただただ魅せられてしまった傑作中の傑作だ。

嘆きのテレーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-14

暗闇の中で、青白い炎が妖しく燃えている。
マルセル・カルネ監督の「嘆きのテレーズ」は、そんな映画だ。

炎はヒロイン、テレーズの女の情念。決して赤々と燃えあがることはない。
病弱の夫と、その夫をまるで赤子のようにいたわり、可愛がる老いた姑にはさまれ、テレーズの日々は、暗い。
その中でも情念の炎は、チロチロと燃えていた。

貧弱な夫とは比べものにならない頑強で逞しい肉体を持ったローランの出現で、炎は勢いを得た。
おそらくは、生まれて初めての燃えあがりだったのだろう。

だが、テレーズはそれを赤く燃えあがらせることはできない。
彼女は、それほどに幸せに恵まれていなかったのだ。
逞しい男の腕に抱かれ、官能に酔いながらも暗く無表情なシモーヌ・シニョレの顏がそのことを物語っている。

そして、炎の燃えあがりが、やがて不幸へと結びついてゆくだろうことも、無表情さは語っている。

戦場にかける橋:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

この味方の連合軍の兵士によって爆破されてしまう”橋”を、戦争というものの無意味さを象徴するものとして、シンボリックに描いたデビット・リーン監督の演出の意図は成功していると思う。

このように戦争を題材にした作品でも、デビッド・リーン監督のような超一流の監督の手にかかると、さすがにそのレベルが違う。

英・米・日の三つのタイプの軍人気質の対立を軸に、スケールの大きな”人間ドラマ”に仕立て、普通のありきたりの戦争映画や捕虜収容所映画の範囲を遥かに超えた、感動を生み出していると思う。

映画を観終えて、アレック・ギネス率いるイギリス軍捕虜たちが口笛で吹く「クワイ河マーチ」が、いつまでも耳の奥に残って、私の心を名画を観た後の心地良い余韻に浸らしてくれるのです。

戦場にかける橋:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
☆☆☆☆
投稿日
2024-06-14

この主人公三人の三者三様の軍人気質の葛藤が、この物語の大きな軸になっているが、何といってもジャングルの中での”集団ドラマ”として、そのスケールの大きな展開が、実に見事だ。

その後、ウィリアム・ホールデンは、不屈のアメリカ魂の持ち主なので、脱走を図り、見方に連絡するとまた引き返し、完成した橋にダイナマイトを仕掛けるのだ。

このように、焼けつくような太陽の下での厳しい労働、軍人の意地、そして脱走と、男性的な骨太のドラマを息もつかせず見せていく、デビッド・リーン監督の演出は、さすがに素晴らしい。

敵軍のための橋なのだから、アレック・ギネスのイギリス将校は、橋の爆破を喜ぶべきなのに、自分たちが必死で架けた橋を守ろうとし、争ううちに爆発が起こり、敵も味方も橋もろとも壮絶な最期を遂げてしまう——-。

アレック・ギネスが最後に取ったこの行動が、滑稽に見えないで、人間としての自然な気持ちのように思われるところまで、デビッド・リーン監督は、観ている私の心をグイグイと物語の内側へと引きずり込んでいくのです。

戦場にかける橋:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

この「戦場にかける橋」という作品は、第二次世界大戦下のタイとビルマの国境近くの日本軍の捕虜収容所が舞台で、この地で日本軍と日本軍の捕虜となった連合軍が、タイ=ビルマ国境のクワイ河に鉄道用の橋を架けるために捕虜たちが動員されるが、イギリス軍指揮官のアレック・ギネスは、ジュネーヴ協定違反だと抗議して従おうとしない。

彼は営倉へ入れられるが、騎士道精神にもとるからと言って、脱走計画にも応じない。
日本軍の捕虜収容所長の早川雪州は、西欧的な教養も身につけていて、そんなアレック・ギネスの態度に自身のサムライ魂と共通するものを見出し、あらためて協力を依頼する。

そこでアレック・ギネスは早川雪州の心情を理解し、日本軍の技術者が建築に失敗した架橋工事を、部下とともに始めるが、同じ捕虜仲間のアメリカ軍のウィリアム・ホールデンは、敵の軍隊のために工事に熱中するなんて愚かなことだと呆れて見ている。

戦場にかける橋:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-14

デビッド・リーン監督はイギリスの生んだ最も才能豊かな映画監督の一人で、彼の名前を最初に世界的にしたのは、中年の良識ある男女の恋を、落ち着いた緻密な心理描写で見事に描ききった「逢びき」だ。

続いて「大いなる遺産」「オリヴァ・ツイスト」などのチャールズ・ディケンズの映画化でも巧みな語り口を見せ、再び中年の男女の恋をうきうきした気分の中でリリシズムのやるせなさで描いた「旅情」を撮り、映画界で名匠の地位を築いていったと思う。

そんなデビッド・リーン監督が、名プロデューサーのサム・スピーゲルとコンビを組んだ、スケールの大きい、ダイナミックで力強い、起伏に富んだ2本の作品「戦場にかける橋」と「アラビアのロレンス」を発表することによって、世界の映画界で最も風格のある物語の語り手になっていったのです。

デルス・ウザーラ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

このような意味からも、黒澤明がこの映画を撮ったのは、それなりの必然性があったようにも思われます。

老いたデルスは、一時、慣れぬ都会暮らしをした後、再び、大自然のもとへと帰って行きます。
だが、アルセーニエフにもらった新式の銃が仇となって、海賊に襲われ殺されてしまいます—-。

“大自然への畏敬”を描いたこの映画の背後には、哀しいことに、”人間と文明への懐疑”が潜んでいるということを思わずにはいられませんでした。

デルス・ウザーラ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

天涯孤独で家も持たず、ウスリー地方の密林の自然と共に暮らしている猟師、デルス・ウザーラ。
1902年の秋、地誌調査のためシベリアのウスリー地方に入ったアルセーニエフ隊は、初めてデルスに出会います。

移り変わる自然ばかりでなく、水や火や天空にまで命というものを感じて生きているデルスは、ハンカ湖で突然来襲した吹雪からアルセーニエフを救出します。
この大自然をこよなく愛するデルスの生き方にアルセーニエフは感動し、二人は強い友情で結ばれていくことになります。

ここで、そんなデルスに、人間社会の面倒事がイヤになってしまった黒澤明を重ね合わせてみても、それほど間違いではないような気がします。
この作品を撮る前、黒澤明は「トラ・トラ・トラ!」の監督解任などトラブル続きで、自殺未遂事件を起こしています。

そんなこともあってか、シベリアの大自然は、人間の油断を許さぬ厳しいものがありますが、また、人間を暖かく迎え入れてくれる”安息の場”という感もあります。

デルス・ウザーラ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-14

黒澤明の映画といえば、どうしても強い風雨の前での人間たちのギラギラとした争いの場面を連想してしまいます。自然とは黒澤明の映画にとって、実に効果的な舞台背景だったと思う。

人間の生きることの厳しさを描き続けて来た黒澤明が、初めて自然の厳しさそのものを描こうとしたのが、この映画「デルス・ウザーラ」であると思う。

原作は、帝政ロシア時代の探検家・アルセーニエフの探検記で、黒澤明監督は30年間この作品の映画化を胸に抱き続けてきただけあって、準備と撮影に2年半も費やすという力の入れようでした。

そして、この映画は黒澤明監督としては初めての合作映画であり、また初の70ミリ作品でもあり、アカデミー外国語映画賞、モスクワ映画祭でグランプリを受賞しています。

デルス・ウザーラは、20世紀のはじめ、アルセーニエフが率いるシベリア探検隊の道案内をつとめた男です。
デルスは自然と溶け合うことを何よりの生き方としています。大自然の中で、”孤高に生きる”彼に、黒澤明監督は称賛を惜しみません。

エド・ウッド:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

とにかく、ベラ・ルゴシを初めとするエドウッド映画の常連出演者たちというのが、全く”可愛いフリークスたち”と呼びたいような顔ぶれなのだ。

実在した人物で、「アマデウス」で私がそのツルツルの異様な顔面に狂喜したジェフリー・ジョーンズが演じている、いんちき預言者のクリズウェル、プロレスラーあがりで目の悪い大男トー・ジョンソン、とんでもなく、くびれたウエストを持つ女ヴァンバイア、そしてビル・マーレイが控え目な演技で、不思議な暖かさを漂わせて絶妙に演じた、ホモ・セクシュアルの友人バニー。

こういう”浮世離れ”した人物たちに、ティム・バートン監督の”共感と思慕”が捧げられているのであって、殊更に奇抜なことのようには描いておらず、非常に微笑ましくも好感が持てるのだ。

エド・ウッド:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

みすぼらしいスタジオの中で、スタッフの一人が、ライバルのボリス・カーロフの名前を口にした途端、「ファック・ユー!」と激怒するのだが、「アクション!」の合図がかかった途端、コローッと変わって、悲劇的な威厳に満ちた人物になりきる。
力強く”Beware!”と語り始め、”Pull the strings!”と語り終わる——。

その一つ繋がりの場面に、役者の性とか凄みを目のあたりにして、思わず目頭が熱くなってきた。
それから、ブツブツ文句を言いながらも、突如、大ダコと迫真の”格闘”をしてしまうところなども、本当に凄い。

そして、”Home”で始まる長ゼリフにも胸を打たれる。
「故郷---。私には故郷なぞない。世間の人々に追われ、さげすまれて逃れて来た、この密林こそ私の故郷。今こそ世間に重い知らせてやる。私の産み出した原始人間たちが世界を征服するのだ---。」

エド・ウッド:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

ハリウッド映画界の、一筋のおかしな血の流れ。精神的な血縁関係。
それがこの映画に、「愛」と「時間」の厚味を与えているのだと思う。

エド・ウッドを演じたジョニー・デップは、いつもの「暗い翳りを帯びたナイーブな人間」というのと全く違ったキャラクターを、非常にうまくこなしている。

何しろ、このエド・ウッドという男は、感動的なまでに思い込みが激しい、空回り野郎なのだ。
顔はいつも上方45度を見上げ、目はキラキラ、口もとはニカーッとマンガ的な芝居だが、決して”演りすぎ”の感じはしない。
特に、映画製作会社を口説く時の眉の動きが凄い!! うねる、うねる。

しかし、何と言っても圧倒的に素晴らしいのは、ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーだ。
一世を風靡したが、今は落ち目の怪奇スターという、”華やかさと哀れさ”の同居する人物を見事に演じ切っている。

エド・ウッド:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

ペラペラと薄っぺらで、安っぽくて、滑稽で、なんだか涙ぐましく美しい。
特に私が痺れたのは、大ダコと円盤のモダンアート的な画面の部分だ。

この「エド・ウッド」は、1950年代のハリウッド映画界の片隅のそのまた片隅のようなところに実在した監督エド・ウッドをめぐるお話だ。

エド・ウッド監督(ジョニー・デップ)は、1930年代にボリス・カーロフと並ぶ怪奇俳優として活躍した、晩年のベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)と出会い、何本かのSF・怪奇映画を撮り、不遇のまま死んだが、没後、”史上最低の映画監督”として、おかしなカルト的な人気を獲得するようになる。

作った映画もヘンテコなものだが、エド・ウッド自身も女装癖の衣装倒錯者で、やっぱり、ちょっとヘンテコな人だったようだ。
そのエド・ウッドを、「エドの同類」だと自認するティム・バートンが撮ったのだから面白い。

1950年代のヘンテコ監督エド・ウッドとベラ・ルゴシ、そして現代のヘンテコ監督ティム・バートンとベラ・ルゴシを演じるマーティン・ランドー、この二組の関係がオーバーラップする。

エド・ウッド:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-14

この映画「エド・ウッド」は、”史上最低の映画監督”と言われたエド・ウッドの若き日を、彼をこよなく愛するティム・バートン監督が映画化した、非常に美しい作品だ。

主演にはティム・バートン監督が「シザー・ハンズ」で組んで以来、もはや彼の盟友ともなったジョニー・デップが好演しているが、それにも増して素晴らしかったのは、ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーで、アカデミー賞の他、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞で、最優秀助演男優賞を受賞しているのも納得の演技だ。

とにかく、この映画は冒頭のクレジット・タイトル場面から、グイグイと惹きずり込まれてしまう。
とある野原の一軒家。”風雲急を告げる”ような音楽。棺の中から起き上がり、もっともらしい予言をする怪人物、墓場。
そして、クネクネと脚をくねらす大ダコ、ツーツーと宙を飛ぶ円盤——。

ティム・バートン監督としては珍しいモノクロ画面に、子供じみたロマンティシズムが横溢している。

飢餓海峡:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

犯人を演ずる三國連太郎の凄まじいまでの迫力を持った告白の熱演が展開される。
まさに日本映画史に残る、圧倒的な熱演に唸らされる。

執念の刑事を演ずる伴淳三郎もいぶし銀のような演技で、一世一代の好演だと思う。
そして、恩を忘れなかった哀しき娼婦役の左幸子も、したたかな演技を繰り広げており、芸達者たちの演技合戦も実に見ものだ。

また、伴淳三郎とコンビを組む、若き刑事に高倉健が扮しているが、東映で任侠の男を演じていた頃、健さんは自分の代表作はと問われ、この作品を挙げていたそうだ。

重量感たっぷり、見応えもたっぷりの、日本映画史に残る秀作だと思う。

飢餓海峡:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

犯人と思しき男は、京都の舞鶴で事業家として成功している。
だが、名前は違っているし、犯行を実証するものもない。
どうやって、犯人を暴いていくのか——-。
そこがクライマックスとなる。

事件は、犯人が下北半島に上陸して一夜を共にした女の出現で、解決へと向かう。
女はその時、犯人から大金をもらったことに恩義を感じ、その時の礼を言おうとして、犯人に近づき殺される。

女の一途な純な心は、自らを守ろうとする男のエゴで消されていく。
のっぴきならないところに追い詰められていく男と女の関係を、内田吐夢監督はダイナミックに描いていく。

犯人は逮捕される。悪は憎むが、悪人の中にも人間の善なる心の一片を知りたいと、事件を追い続けてきた刑事に、犯人はその心情を吐露する。

飢餓海峡:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-14

この映画「飢餓海峡」は、映像実験もあり、力量観あふれる運命劇で、壮大なスケールの人間ドラマの秀作だ。

水上勉の同名小説を、鈴木尚之がシナリオ化し、内田吐夢監督が映画化したものだが、内田吐夢監督は、その持てる力をフルに発揮し、16ミリフィルムを拡大して、実感を強調するなどの映像的な実験も試みて、力量観あふれる運命劇を作り上げている。

物語は、1946年、台風が青函海峡を通過中、一瞬の晴れ間を台風の通過と間違えたため、青函連絡船が転覆し、500人余りの人が死亡した”洞爺丸事件”から幕を開ける。

台風が吹き荒れる中、函館に近い岩内町では大火が発生し、質屋一家が殺害される。
犯人は、洞爺丸事件のごたごたに紛れて、内地へと逃亡したのではとみられた。

執拗に犯人を追う刑事を通して、物語は推理ドラマ風に展開していく。
そして、事件発生から犯人逮捕までには7年の歳月が流れる。

その間に、人間の在り様は大きく変わっていく。
その変わり様と変わらぬ人間の心を、内田吐夢監督はじっくりと凝視していく。

フェーム:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

彼らの学校での勉強の日々を描きながら、悩み多き青春の息吹を画面いっぱいに表現していくんですね。

こうした才能が必要な世界に首を突っ込んだ大部分の人は、結局はプロになれずに終わります。
ましてや、名声を獲得するなんてことは、至難の業なんですね。
ほとんどが落ちこぼれで終わってしまうのです。

そんな青春の一時期の”試行錯誤自体”に意味を見い出そうとしたのが、この映画なのだと思います。

最後の卒業公演のシーンで、この中の誰がフェームを得るのだろうと問うのは、ナンセンスです。
人生で最も大事なのは、何かを成し遂げようとする、その”過程”の中にこそあるのですから。

フェーム:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-14

この名匠アラン・パーカー監督の映画「フェーム」は、ニューヨークにある名門の芸能専門学校で学ぶ若者たちを描いた青春映画で、この学校の入学テストから卒業公演までの四年間を活写して、フェーム(名声)を求める若者たちの熱気がムンムンしている、その情熱が伝わってくる映画なんですね。

この映画は、まず入学試験の風景が楽しいんですね。
やたら上手なのから下手なのまで、人種もいろいろ、その雑多に混み合った特売場みたいな雰囲気の中で、テストが行なわれるんですね。

歌を歌う者、寸劇をやる者、楽器を弾く者、ダンスを踊る者というように、画面いっぱいに展開していくのです。

そして、合格したショービジネス界の卵たちの生活ぶりが、描かれていきます。
補欠で入った内気な女の子。母が有名な俳優だという演劇志望の男の子。
女友達の試験についてきて、見事なディスコダンスで自分の方が合格してしまった黒人青年など。

戦争のはらわた:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-06-14

隊長ジェームズ・メイソンや副官デイヴィッド・ワーナーが点描されるうちに、コバーンは負傷して病院へ送られ、看護婦センタ・バーガーと仲良くなったりするが、再び前線に復帰して、ソ連軍の猛攻に遭い、生き残った部下と孤立し、敵中を突破して友軍と合流しようとする。

このコバーン扮する主人公は、いかにも映画の主人公らしく、人情的で英雄的だ。
シェルの命令を受けて、コバーンや彼の部下たちを殺そうとした中尉を殺す場面は、さすがに暴力映画の巨匠ペキンパー監督らしく迫力がある。

全体を通じて最もペキンパー監督らしい野心が窺えるのは、すごく細かいカットを複雑に丹念に編集して、大激戦の迫力を構成しようとしたところだ。

凄絶な戦闘に男たちの求めるものは何か。
ペキンパー監督は、戦場での男たちの生き様を、スローモーションを効かせたダイナミックな演出で鮮やかに描写していて、ジェリー・ゴールドスミス作曲のエモーショナルなテーマ音楽も胸をえぐる。

最終更新日:2024-06-24 16:00:01

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