映画感想・レビュー 5/2487ページ

華麗なる大泥棒:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

かつてフランス映画界で、アラン・ドロンと人気を分け合ったジャン=ポール・ベルモンド主演、「地下室のメロディー」「シシリアン」の職人監督アンリ・ヴェルヌイユ監督の「華麗なる大泥棒」。

ジャン=ポール・ベルモンドがロベール・オッセン、レナート・サルヴァトーリ、恋人のニコール・カルファンと四人グループで、ある邸宅に忍び込み、透視テレビ付き携帯コンピュータという新兵器で、精巧な大金庫を開け、三億フラン相当のエメラルドを盗み出す場面がひとつの見せ場だが、続いてそのエメラルドを狙う腹黒い警部のオマー・シャリフに食い下がられるのが、興味の焦点になってくる。

舞台は地中海の観光都市で、断崖沿いの道でぶつかり合ったり、長い石段を逆落としに走り下りたり、追われるベルモンドと追うシャリフの猛スピードの曲芸的なカーチェイスが、ユーモアたっぷりに見せてくれる。

そして、バスに飛び乗って逃げるアクロバット的な場面や、ダンプの荷台に隠れて逃げたベルモンドが、断崖の上に運ばれ、砂利と一緒にぶちまけられて、急斜面をころげ落ちていく場面なども大いに楽しめる。

劇場版すとぷり はじまりの物語~Strawberry School Festival!!!~:P.N.「amkm」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

定番ストーリーの、コメディー感が強めの映画だと思いました。
話はフィクションだけど、登場人物はすとぷり本人で、誇張はされているけど、メンバーの特徴をうまく表現してあると思います。
私はすとぷりすなーなので、細かく散りばめられたファンが喜ぶエピソードや音楽が満載で、何度でも観たくなる映画です。
すとぷりを知らない人が観ると、すとぷりってこんな感じの人たちの集まりなんだと知ることができる映画だと思います。
ライブのシーンは、実際のライブを見ているようなので、映画であって、ライブでもあるのかと感じました(*^-^*)

まぼろしの市街戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

主人公以外、誰ひとりとしてまともな人間が出てこないのが素晴らしく、イギリス軍とドイツ軍が鉢合わせして全滅した後、患者たちが急に「もう十分遊んだ」と言って、病院に戻るというアイロニーに満ちた皮肉な結末に、戦争をしている人間と精神病院にいる人間-----狂っているのはどっち? というように痛烈に戦争を風刺しているんですね。

ジョルジュ・ドルリューの音楽もとても印象的で、サーカスの芸人のように綱渡りをするヒロインのジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが、天使のような愛らしさで、最高に素敵でしたね。

まぼろしの市街戦:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

この映画「まぼろしの市街戦」は、コミカルな娯楽アクション監督のフィリップ・ド・ブロカが、痛烈な戦争風刺喜劇として描いた奇跡のファンタジーだ。

とにかく、この映画は、観た者すべてが魅了される不思議な魅力に満ちた、愛すべき大人のお伽噺になっていると思う。

この映画は、公開当時、フランスではコケたが、ベトナム戦争が泥沼化していたアメリカでは、ヒッピーたちや学生たちに熱烈に支持されたと言われているんですね。

第一次世界大戦下のフランスで、ドイツ軍が仕掛けた時限爆弾のために町はもぬけの殻になり、爆弾の撤去を命じられたイギリス軍の兵士アラン・ベイツが町に入ると、そこにいるのは、動物と精神病院を抜け出した患者ばかりだった-------。

このイギリス人兵士は、それぞれ派手に着飾って、将軍や貴族や司祭や娼婦や床屋になり切った善良な彼らに、ハートの王様として歓待され、カーニバルの動物たちを解き放って、町を上げてのどんちゃん騒ぎが開始される。

空の大怪獸 ラドン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

ラドンの出現からラストに至るまで、全く間延びすることなく、ピシッと引き締まっている。
観る者を全く退屈させない鮮やかな作りになっていると思う。

舞台を阿蘇山や北九州に絞ったところ、主人公を記者や科学者、パイロットといった怪獣映画に便利な職業にせず、炭坑で働く若者に設定しているところも、ゴジラとは違ったものを作ろうという、作り手たちの姿勢が伺えていいと思いますね。

そのため若干、スケール感に欠けるきらいはあるが、ストーリーという点では「ゴジラ」と比べても遜色がないくらいだ。

ただ欠点もないではない。映像の繋ぎのぎこちなさ、メッセージ性の弱さ。
ラストのラドンの最期のわかりにくさなど。

とは言え、全体的にはよくできた映画であり、飛行する怪獣をどのように表現するかという円谷英二の挑戦は、やはり見どころ満載だ。

個人的には歴代怪獣映画の中でも特に好きな作品ですね。

空の大怪獸 ラドン:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

東宝三大怪獣の地位にありながら、バイプレイヤーとしての活躍が多いラドン。
この「空の大怪獣ラドン」は、そのラドン唯一の単独主演作だ。

公開は1956年。東宝の怪獣映画第三作目にして、初のカラー映画。
監督は、お馴染み本多猪四郎、特技監督は、もちろん円谷英二、原作は黒沼健という陣容だ。

初期の東宝特撮映画は、原作者に香山滋や中村真一郎など一流の作家を起用しているが、この作品でも黒沼健を起用しているのが要注目だ。

今ではほとんど知られていない作家だが、SFやミステリの翻訳・著作で活躍し、とりわけオカルト系については、多くの著作を残している。

この原作が功を奏したのか、この作品のストーリーが、なかなか悪くないのだ。
尺は短いものの、阿蘇山近くの炭坑町で起こったトラブルから殺人事件への発展、意外な犯人、そこから、さらに大きな事件へと連鎖し、やがて、ラドンの出現へと繋がる流れは非常に上手い。

しかも、テンポがいいんですね。

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

自己を棄て他者のために生きる美しさが身に迫る。

このように、ジョン・フォード監督の映画には「詩情あふれる---」と形容される繊細な優しさが、いつも漂ってきて、どの映画も美しい。

「映像の詩人」と呼ばれるほどであり、映像の美しさはもちろんですが、それ以上に人間の美しさを描き続けてきたと思う。

それは、生き方の美しさであり、人の心の美しさなのだ。

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱える若い妻、立ち会う三人の男、そして、彼女が出発した町はニューエルサレム-----、そう、この西部劇はまぎれもなくキリストの生誕をベースにした、クリスマス・ストーリーなんですね。

赤ん坊を抱えた時から、この悪党三人は次第に変わっていく。
幌馬車の中に残されていたバイブルを読んだハリー・ケリー・ジュニアは、バイブルの中の彼らは、赤ん坊をエルサレムに連れて行く使命を負ったのだと言う。
つまり彼は、自らを"東方の三賢人"になぞらえているんですね。

自分の体が弱っているにも拘わらず、ハリー・ケリー・ジュニアは、子供を抱え、守り、「水を飲め」というジョン・ウェインに「この子の水を盗めるか」と拒否する。

銀行を襲い、町中で銃を撃ちまくった「三人の名付け親」の無法者たちも、いつの間にか自分を棄て、赤ん坊のために生きる。
ハリー・ケリー・ジュニアは、赤ん坊のために自分が水を飲むことを拒否して死んでいく。

そして、最後に残った大男のジョン・ウェインが赤ん坊を抱き、ヨロヨロと歩く姿から"無私の行為"とでも呼ぶべき何かが伝わってくる。

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

三人は保安官の裏をかこうと、砂漠を横断して別の水場を目指す。
しかし、逃げる時に撃たれた傷がもとでハリー・ケリー・ジュニアは弱り、おまけに眠っている間に馬が逃げ、徒歩で砂漠を渡らなければならなくなる。

砂嵐に襲われ、喉の渇きに耐え、やっとの思いでたどり着いた水場は、より深い井戸を掘ろうとした愚かな男によって、ダイナマイトで破壊されていたのだった。

その男は死に、身重の妻が動かなくなった幌馬車に残されている。
その妻も瀕死の状態だった。

かつて我が子の出産を経験したことがあるペドロ・アルメンダリスが赤ん坊をとりあげる。
ジョン・ウェインは、サボテンから少しずつ水分を絞り取り、赤ん坊に飲ませる。
妻は、三人の名前を確認し、名付け親になって欲しいと言い残して息絶えるのだった。

同じ頃、ある鉄道の中継地で保安官は、昔なじみの老婦人と会い、冗談を言い合うが、その時に「メリークリスマス」という言葉があり、ここで我々観ている者は、初めてこの映画がクリスマスの話なのだと知ることになるんですね。

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

このジョン・フォード監督の「三人の名付け親」の原題は、「3 GODFATHERS」で、フランシス・F・コッポラ監督の名作「ゴッドファーザー」が公開される24年前、1948年の映画で、ウィリアム・ワイラー監督の「砂漠の生霊」のリメイク作なんですね。

三人のアウトローが、銀行強盗をやるつもりで、西部の町に現われるところから、この映画は始まります。
ジョン・ウェインが頭目で、キッドと呼ばれる若い男(ハリー・ケリー・ジュニア)とメキシコ人(ペドロ・アルメンダリス)が仲間だ。

町に着いて早々、彼らは庭いじりをしていた中年男(ワード・ボンド)と知り合い、彼の妻からお茶をご馳走になる。
夫婦は、姪とその夫がニューエルサレムという町からこちらに向かっているのに会わなかったかと聞く。
別れ際に男が革のベストを身につけると胸に輝く銀の星------。
三人はギョッとする。

この三人は銀行を襲って逃げ、ワード・ボンドの保安官は助手を募って彼らを追う。
逃げる途中で水を失った三人が、水場に現われると予想した保安官は、いくつかの水場に先回りして見張りを配置するのだった。

ハンコック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

なにしろ、いま、興行的に安定感のある男、ウィル・スミス主演で独立記念日に公開した大作。
製作にはマイケル・マンにアキヴァ・ゴールズマンやら、ジョナサン・モストウまで名前が連なる豪華な布陣だ。

人々の注目を集め、大ヒットを宿命付けられている。
そんな作品なのだ。だから、「オフビートでオリジナリティの高いコメディ」という側面と、「当代のスーパースターが主演するアクション大作」という側面が、いかに両立・共存しているのかというのが評価のポイントだろう。

そして結論を先に言えば、その両立には成功したとは云い難い、中途半端な印象の残る作品だと思う。

実際のところ、この脚本は、確かに業界内で評判をとるだけのオリジナリティがある。
主人公が自分に協力してくれる親切な男の、その美人妻にちょっかいを出すという、あらぬ展開には思わず吹き出してしまったし、その後の壮大なる痴話喧嘩的ドタバタ騒ぎを経て、「ヒーロー」の持つ神話性のようなところに着地するまとめ方も悪くない。

それゆえに、この脚本が「当代のスーパースターが主演するアクション大作」に向いているのかというと、違うのだと思う。

ハンコック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

ヒーローものといえば、アメコミ原作全盛の昨今。
しかし「キングダム 見えざる敵」で名を上げたピーター・バーグ監督によるこの映画、「ハンコック」は、アメコミを原作に持たないオリジナル脚本の作品だ。

まあ、ウルトラマンが暴れたら街が破壊されるといった、過去、一瞬だけ面白かった「考察」の類の延長線上というか、無茶をして周囲に甚大な被害をもたらすというので嫌われ者になっている「悩めるヒーロー」の物語である。

自暴自棄でアル中で、素行の悪い超人というオフビートな役柄にウィル・スミス。
この「超人」のイメージチェンジに協力しようとする冴えない男をジェイソン・ベイトマンが、その妻をシャーリーズ・セロンが演じている。

まあ、想像していたよりは面白かった。
なにしろ、「キングダム 見えざる敵」はともかく、デビュー作「Very Bad Things(ベリー・バッド・ウェディング)」の酷い出来栄えで、コメディの担い手としてのピーター・バーグにはあまり信用を置いていないからだ。

ただ、この作品を一概に「コメディ」と言い切るのには違和感があるかもしれない。

アザーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

この映画の売りは、なんと言っても、やはり衝撃のドンデン返しにありますね。
しかし、この映画はスマートなストーリー・テリングを尊重しており、そのためには、中途で少しぐらいのヒントなら見せても構わないと考えているフシがありますね。もちろん、全ては緻密な計算に基づいてはいますが。
そして、最後はとても哀れで悲しい物語として完結するんですね。
生者と死者の世界のあやふやな境界線に、深い思いを馳せずにはいられません。
オチを知ってしまった今でも、もう一度観てみたいと思わせてくれるんですね。

光と闇の巧みなコントラストが、この映画を完璧な恐怖映画に仕立て上げていると思います。
この映画では、暗闇はサスペンス、光はショックを演出しています。
暗闇は恐怖の余り、真相が見えなくなっていることを象徴し、光は子供を殺し得る危険なもの、最後には視点を変える契機として、劇的な役割を果たしているのだと思います。

アザーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

誰もいない部屋から聞こえてくるピアノの音、不気味にはためく窓辺のカーテン、死者の写真、闇夜に浮かび上がる洋館、といった怪奇演出は、怪談文化をバックボーンに持つ、我々日本人のセンスにもしっくりと馴染むような気がします。
何を見せて、何を見せないのか。これは恐怖映画の永遠の命題だろうと思います。
アレハンドロ・アナーバル監督は、ヒッチコックの映画から多大な影響を受けたと語っていますが、ヒロインが見えない存在への恐怖に浸食されていくという観点から、とりわけ「レベッカ」の表現技術を意識していると思います。
そして、見えないものに息を与え、得体の知れない恐怖を生み出すことに成功していると思います。
さらに、グレース・ケリーやジョーン・フォンテーンといった、ヒッチコック映画のヒロインを思わせるニコール・キッドマンのクール・ビューティーぶりが、もう素晴らしいの一言に尽きますね。
情緒不安定なヒロインの錯綜する心理を見事に演じ、恐怖とインパクトを増幅させてくれます。

アザーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

1945年、第二次世界大戦末期のイギリスのジャージー島。出征した夫の帰りを待つニコル・キッドマン扮するグレースは、広大な屋敷で二人の子供と暮らしている。
子供達は、極度の光アレルギーで、屋敷の窓という窓には、いつも分厚いカーテンがかかっている。
ある朝、屋敷に三人の新しい使用人がやって来る。
そして、その日を境に、数々の不可解な現象がグレース一家を襲い始める。
屋敷の中に見えない何者かが入り込んでいる。それは一体誰なのか? というスリリングな物語ですね。

近年のホラー映画は、スプラッタやサイコ系が主流を占めていると思います。
確かに、死者の魂や幽霊といった宗教観は、IT全盛の現代にあっては、いかにも古臭いという感じは否めません。
そんな中、アレハンドロ・アナーバル監督は、オールドスタイルのゴシック・ホラーに、恐怖演出の原点を見出し、古典への帰着を起点として、新たなゴシック・ホラーを創造しようと試みていると思います。
この点が、私がこの作品を好きな理由なんですね。

アポロンの地獄:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

どうしてもお上品ぶった神を、土俗信仰のシャーマンの次元に引きずり下ろしたことによって、人間の、神や運命に対する恐れというものが、より赤裸々に出たような気がします。

そしてまた、王家の人々も、決して豪壮なお城に鎮座しますお偉いさんといった風ではなく、まるで部族の族長といった感じなのです。

これは何もパゾリーニ監督が、奇をてらったのではなく、人間と人間のつながりを、より素朴なところから問い直そうとしたからでしょう。

まさに、文明の初源の姿です。だから、タブーと信仰という、なんとなく、わかったつもりになっていた問題を、一種の荒々しさでもって納得させてくれるんですね。

アポロンの地獄:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

この映画「アポロンの地獄」は、スキャンダラスな死を遂げたピエル・パオロ・パゾリーニ監督が、人間の根源的なるものを抉ったスキャンダラスな作品です。

父を殺し、母を犯すという人間社会の本質的なタブーをテーマにした、ギリシャ悲劇「オイディプス王」はあまりにも有名ですが、いかにも荘厳にもっともらしくやられる劇を見慣れた者には、この映画のもつ粗野さは大変衝撃的です。

この映画は、ギリシャ神話で有名なオイディプス王の伝説を、現代的な視点から鮮烈な映像美で描いた問題作だと思いますね。

不吉な運命の予言を背負ったオイディプス王が、そうとは知らずに父親を惨殺し、母親と関係する。
その後、地獄に落とされ、真実を知ったオイディプス王は、自分の両眼を抉るという異常な物語なんですね。

なんともびっくりさせられたのは、テーベの町の人々を恐怖のどん底に落とし込むスフィンクスの造形です。
なんというか、アフリカのシャーマンという感じで、およそギリシャ悲劇のイメージから遠いものがあります。

アジョシ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

ウォンビンは立ち姿もスラッとして美しいし、アクションが、すごくシャープでとにかくカッコ良いですね。
目だけで哀愁、優しさ、精悍さを表現しているのも、また素晴らしかったですね。

アジョシ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

もし、その時の子が生きていればと、ソミと重ね合わせて見る事もあっただろうし、妻子に対する贖罪の気持ちもあったのだろう。

そして、2度とあの喪失の苦しみを味わいたくないとも思ったのだろう。
それらの理由から、テシクは、ソミを守らなくてはと心に決めるのだった---------。
たった一人で、大勢を相手にし、爆発するかのごとく相手を倒していく。

敵のマンシク兄弟は、いやらしさたっぷりの悪い奴らで、テシクがやっつける事でカタルシスを感じるようになっている。
ベトナム人の殺し屋ラム(タナヨン・ウォンタラクン)は、テシクと同じような目でソミを見つめ、テシクに多少、共感する所があったような表情でしたね。
印象深い存在で、この二人には、日本の任侠映画に通じる男気を感じましたね。

ラスト、テシクとソミが抱き合うシーンは、なかなか感動的です。
「(今度は)助けに来てくれたんだよね」と愛を確認するソミ。
父親の様に大きな愛で包むテシク。
贖罪からもやっと解き放たれて、優しい笑顔を見せるんですね。

アジョシ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

ジェイソン・ボーンを彷彿とさせるような、只者ではない身のこなし。
そこからはもう、ウォンビンに釘付けになりましたね。
鍛え抜かれた肉体に高いスキル。

かつての韓流四天王の一人で、それまでは、ピュアな雰囲気が魅力的なウォンビンだったが、この映画「アジョシ」では、男臭い魅力を前面に出していて、そのギャップがまたいいんですね。

隣の少女と言うだけで、どうしてここまで身体を張るのか?
一つには、お互いの”孤独な魂”が共鳴したんでしょうね。
ウォンビンが演じるテシクは、訳あって、人付き合いを避けて、ひっそりと暮らしている。

一方、隣の少女のソミの母親は、だらしなく、まともな育児をしていない。
ソミが慕うのは、隣のおじさん(=アジョシ)のテシクだけ。

ソミ本人から、「知らん顔されても、おじさんを嫌いにならない。好きな人がいなくなるから」と言われたら、孤独な叫びが、胸に響くというものでしょう。

だんだん、テシクの過去が判明していくのですが、彼は軍の特殊作戦部隊の要員で、そのために、妊娠中の妻が殺されてしまったんですね。

最終更新日:2024-07-26 16:00:01

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