一度死んでみた:P.N.「水口栄一」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2020-06-04
この映画を観た時、とても発想がいいと思った。そして何よりも面白いのだ。広瀬すずさんはあまりにもキュートで大好きだ。とにかく楽しめる映画である。
この映画を観た時、とても発想がいいと思った。そして何よりも面白いのだ。広瀬すずさんはあまりにもキュートで大好きだ。とにかく楽しめる映画である。
私はこの映画を何度も観た。最初に観たきっかけは村西利恵さんが出演されていると聞いたからだ。彼女はニュースキャスターでお馴染みで、大ファンだった。何度観ても、やはりとても素晴らしい作品だと思う。これからも奇跡の出会いを大切にしていきたいと思っている。
私はこれまで銀行の方とはご縁があり、アイデアいっぱいの素敵な女性との出会いがあった。だからこの映画はとても興味があった。この銀行マンのアイデアと情熱は素晴らしいと思う。一見の価値がある作品だ。
high&lowシリーズの中では残念な出来です。アクションシーンが少なく、しゃべってばかり、石黒賢さんはヤクザの会長に全然見えない。この作品は雨宮兄弟ファンの映画ですね。
NHKBSPを視聴。60年前の映画なんですね、でもすごく観やすい。この女性が主人公かと思ったら有名なシャワールームシーンで早々に殺されて、私立探偵かと思いきや殺されて、姉の彼氏と妹かなと思ったら二重人格のノーマン?まあ、おもしろいからええか。音楽も怖くすばらしい。
私は漫才が好きだ。だからこの映画を観た時はとても感動した。何よりも夢があるのがいい。夢があれば人は生きていけるものだ。石原さとみさんはとてもチャーミングで大好きだ。
本ローレン・ホリーが客室乗務員として犯人護送中の飛行機の中で危機を乗り越えるヒロインなのが映画〈乱気流 タービュランス〉1997だ
この映画を観て、とても感動した。発想が面白い。綾瀬はるかさんの演技は素晴らしい。彼女はとびっきりの美人だ。大好きだ。
米国人種問題に端を発したプロテスト運動が静かに広がる報道番組と併せてドキュメンタリーでミュージカル風なピーター・ブルック監督の幻の本作を視聴する。中断された1968年カンヌ国際映画祭への出品映画の衝撃的style,現代に問い掛けた映像の彩りはルイス・ブニュエル監督タッチの諧謔さ,残虐と共に不条理劇の真実を暴き出しているのだから…
幸せのありかを観た。素晴らしい。ケアマネジャーの私にとって忘れられない作品だ。幸せとは何か、人生とは何かをしっかり考えさせてくれる。これからも障害ということを真摯な姿勢でとらえて、行動していくことは何よりも大切だと思う。
香港の一国二制度を崩壊させようと国民に
圧力をかけている中国。本当に恐ろしい国だと再認識
しました。
今から10年くらい前に香港に旅行に行ったときは法輪功
の弾圧を訴えるビラ配りが香港の観光地でされていた。
現地のガイドが”受け取ったビラを隣のマカオに行った
時に所持しているのが警察に見つかったら日本に帰れませんよ
もらわない方が身のためですよ”と教えてくれた。
今の香港だと法輪功のビラ配りは難しくなっているでしょうね。
お話にならない。
主人公がカッコ悪すぎる。主人公に必要なのは才能でも無いし、見た目の良さでも、何らかの能力でも無い。
観客の『目』として歪まない事と
他は負けても、決めなければいけない時に絶対に外さない事です。
クライマックスであの選択をした時点で、その後どう展開しようが、主人公失格です。
大体自分が負かした相手にあんなシケた面見せるなよ。
ベロニカは死ぬことにしたを観た。生きることを真摯な姿勢でとらえている。素晴らしい映画だと思った。真木よう子さんが大好きだった。
モーパッサンの女の一生は何年も前に読んだ。この映画を観た時、よくありそうな人生だと感慨に耽った。人生は良いものでも悪いものでもないのかもしれない。けれども私はそういう人生が大好きだ。あらためて人生とは何か、幸せとは何かを考えさせてくれる名作だ。
私は以前、ある小ホールで英語による白雪姫の朗読をしたことがある。だからこの映画は宝物のような作品である。何度も観たが決して飽きることがない。不朽の名作である。
まず、原作者が女性で驚きました。前半エグい、後半グロい、でも不思議といやな気持ちにならない。役者さんが良すぎたからかも。もっと激しい抗争場面を期待したけど、割と少なく残念です。
S・スピルバーグ監督の〈激突!〉で警官の登場するシーンは本篇のオマージュ何だろう…。兎に角サスペンスの王,ヒッチコック監督のモンタージュの簡潔さが堪能出来る作品
観たかった一本。わずか50年前、こんなに熱を持った学生達が沢山いたことに感嘆した。それに対して一歩も引かずに応えた三島由紀夫氏も凄い。今、三島氏が生きていたら、この日本の現状をどう思うか、聴いてみたい。
これを観たら結成秘話、ロゴの理由、なぜ人前に出ないか、などが分かります。兄弟、友達っていいですね。そんな気持ちになります。けど父親は無茶苦茶や、息子を殴り倒して日本刀抜いて切ろうとする。もし私が息子にしたらソッコーで返り討ちにあいますわ。
不思議な映画を観た。『島にて』だ。映画は普通、物語の「入り口」から入って「出口」に向かう。この構造は、キュメンタリーでもドラマでも共通で、「出口」に向かいながら観客はさまざまな場所を疑似体験し、登場人物と出会いシンパシーを覚えたり嫌悪したりしながら自分と異なる考え方や特異な行動に出会い、驚き、ときに感銘を受け、「出口」に至りながら観客は自らの心の変容を楽しむ。それをカタルシスと呼ぶこともある。
しかし、『島にて』には「入口」も「出口」も存在しない。過疎を嘆くことも、過疎を招いた政策を糾弾することもない。あるのはただ、島にいる人びとに向けられた無垢な眼差しだけだ。終始一貫した寡黙なこの眼差しは、何を意図しているのだろう。映画はなぜ事を起こさない、つまり問題提起をしないのだろう――。
ボクは、わずかな苛立ちを伴いながら「出口」へと向かう。向かいながら映画がすべてを肯定しようと努めていることに気付く。更に気付く。『島にて』は、事を起こさずに、それでも確かに問題提起をしていることに。