映画感想・レビュー 38/2520ページ

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱える若い妻、立ち会う三人の男、そして、彼女が出発した町はニューエルサレム-----、そう、この西部劇はまぎれもなくキリストの生誕をベースにした、クリスマス・ストーリーなんですね。

赤ん坊を抱えた時から、この悪党三人は次第に変わっていく。
幌馬車の中に残されていたバイブルを読んだハリー・ケリー・ジュニアは、バイブルの中の彼らは、赤ん坊をエルサレムに連れて行く使命を負ったのだと言う。
つまり彼は、自らを"東方の三賢人"になぞらえているんですね。

自分の体が弱っているにも拘わらず、ハリー・ケリー・ジュニアは、子供を抱え、守り、「水を飲め」というジョン・ウェインに「この子の水を盗めるか」と拒否する。

銀行を襲い、町中で銃を撃ちまくった「三人の名付け親」の無法者たちも、いつの間にか自分を棄て、赤ん坊のために生きる。
ハリー・ケリー・ジュニアは、赤ん坊のために自分が水を飲むことを拒否して死んでいく。

そして、最後に残った大男のジョン・ウェインが赤ん坊を抱き、ヨロヨロと歩く姿から"無私の行為"とでも呼ぶべき何かが伝わってくる。

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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三人は保安官の裏をかこうと、砂漠を横断して別の水場を目指す。
しかし、逃げる時に撃たれた傷がもとでハリー・ケリー・ジュニアは弱り、おまけに眠っている間に馬が逃げ、徒歩で砂漠を渡らなければならなくなる。

砂嵐に襲われ、喉の渇きに耐え、やっとの思いでたどり着いた水場は、より深い井戸を掘ろうとした愚かな男によって、ダイナマイトで破壊されていたのだった。

その男は死に、身重の妻が動かなくなった幌馬車に残されている。
その妻も瀕死の状態だった。

かつて我が子の出産を経験したことがあるペドロ・アルメンダリスが赤ん坊をとりあげる。
ジョン・ウェインは、サボテンから少しずつ水分を絞り取り、赤ん坊に飲ませる。
妻は、三人の名前を確認し、名付け親になって欲しいと言い残して息絶えるのだった。

同じ頃、ある鉄道の中継地で保安官は、昔なじみの老婦人と会い、冗談を言い合うが、その時に「メリークリスマス」という言葉があり、ここで我々観ている者は、初めてこの映画がクリスマスの話なのだと知ることになるんですね。

三人の名付け親:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

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このジョン・フォード監督の「三人の名付け親」の原題は、「3 GODFATHERS」で、フランシス・F・コッポラ監督の名作「ゴッドファーザー」が公開される24年前、1948年の映画で、ウィリアム・ワイラー監督の「砂漠の生霊」のリメイク作なんですね。

三人のアウトローが、銀行強盗をやるつもりで、西部の町に現われるところから、この映画は始まります。
ジョン・ウェインが頭目で、キッドと呼ばれる若い男(ハリー・ケリー・ジュニア)とメキシコ人(ペドロ・アルメンダリス)が仲間だ。

町に着いて早々、彼らは庭いじりをしていた中年男(ワード・ボンド)と知り合い、彼の妻からお茶をご馳走になる。
夫婦は、姪とその夫がニューエルサレムという町からこちらに向かっているのに会わなかったかと聞く。
別れ際に男が革のベストを身につけると胸に輝く銀の星------。
三人はギョッとする。

この三人は銀行を襲って逃げ、ワード・ボンドの保安官は助手を募って彼らを追う。
逃げる途中で水を失った三人が、水場に現われると予想した保安官は、いくつかの水場に先回りして見張りを配置するのだった。

ハンコック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

なにしろ、いま、興行的に安定感のある男、ウィル・スミス主演で独立記念日に公開した大作。
製作にはマイケル・マンにアキヴァ・ゴールズマンやら、ジョナサン・モストウまで名前が連なる豪華な布陣だ。

人々の注目を集め、大ヒットを宿命付けられている。
そんな作品なのだ。だから、「オフビートでオリジナリティの高いコメディ」という側面と、「当代のスーパースターが主演するアクション大作」という側面が、いかに両立・共存しているのかというのが評価のポイントだろう。

そして結論を先に言えば、その両立には成功したとは云い難い、中途半端な印象の残る作品だと思う。

実際のところ、この脚本は、確かに業界内で評判をとるだけのオリジナリティがある。
主人公が自分に協力してくれる親切な男の、その美人妻にちょっかいを出すという、あらぬ展開には思わず吹き出してしまったし、その後の壮大なる痴話喧嘩的ドタバタ騒ぎを経て、「ヒーロー」の持つ神話性のようなところに着地するまとめ方も悪くない。

それゆえに、この脚本が「当代のスーパースターが主演するアクション大作」に向いているのかというと、違うのだと思う。

ハンコック:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-22

ヒーローものといえば、アメコミ原作全盛の昨今。
しかし「キングダム 見えざる敵」で名を上げたピーター・バーグ監督によるこの映画、「ハンコック」は、アメコミを原作に持たないオリジナル脚本の作品だ。

まあ、ウルトラマンが暴れたら街が破壊されるといった、過去、一瞬だけ面白かった「考察」の類の延長線上というか、無茶をして周囲に甚大な被害をもたらすというので嫌われ者になっている「悩めるヒーロー」の物語である。

自暴自棄でアル中で、素行の悪い超人というオフビートな役柄にウィル・スミス。
この「超人」のイメージチェンジに協力しようとする冴えない男をジェイソン・ベイトマンが、その妻をシャーリーズ・セロンが演じている。

まあ、想像していたよりは面白かった。
なにしろ、「キングダム 見えざる敵」はともかく、デビュー作「Very Bad Things(ベリー・バッド・ウェディング)」の酷い出来栄えで、コメディの担い手としてのピーター・バーグにはあまり信用を置いていないからだ。

ただ、この作品を一概に「コメディ」と言い切るのには違和感があるかもしれない。

アザーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

この映画の売りは、なんと言っても、やはり衝撃のドンデン返しにありますね。
しかし、この映画はスマートなストーリー・テリングを尊重しており、そのためには、中途で少しぐらいのヒントなら見せても構わないと考えているフシがありますね。もちろん、全ては緻密な計算に基づいてはいますが。
そして、最後はとても哀れで悲しい物語として完結するんですね。
生者と死者の世界のあやふやな境界線に、深い思いを馳せずにはいられません。
オチを知ってしまった今でも、もう一度観てみたいと思わせてくれるんですね。

光と闇の巧みなコントラストが、この映画を完璧な恐怖映画に仕立て上げていると思います。
この映画では、暗闇はサスペンス、光はショックを演出しています。
暗闇は恐怖の余り、真相が見えなくなっていることを象徴し、光は子供を殺し得る危険なもの、最後には視点を変える契機として、劇的な役割を果たしているのだと思います。

アザーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

誰もいない部屋から聞こえてくるピアノの音、不気味にはためく窓辺のカーテン、死者の写真、闇夜に浮かび上がる洋館、といった怪奇演出は、怪談文化をバックボーンに持つ、我々日本人のセンスにもしっくりと馴染むような気がします。
何を見せて、何を見せないのか。これは恐怖映画の永遠の命題だろうと思います。
アレハンドロ・アナーバル監督は、ヒッチコックの映画から多大な影響を受けたと語っていますが、ヒロインが見えない存在への恐怖に浸食されていくという観点から、とりわけ「レベッカ」の表現技術を意識していると思います。
そして、見えないものに息を与え、得体の知れない恐怖を生み出すことに成功していると思います。
さらに、グレース・ケリーやジョーン・フォンテーンといった、ヒッチコック映画のヒロインを思わせるニコール・キッドマンのクール・ビューティーぶりが、もう素晴らしいの一言に尽きますね。
情緒不安定なヒロインの錯綜する心理を見事に演じ、恐怖とインパクトを増幅させてくれます。

アザーズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

1945年、第二次世界大戦末期のイギリスのジャージー島。出征した夫の帰りを待つニコル・キッドマン扮するグレースは、広大な屋敷で二人の子供と暮らしている。
子供達は、極度の光アレルギーで、屋敷の窓という窓には、いつも分厚いカーテンがかかっている。
ある朝、屋敷に三人の新しい使用人がやって来る。
そして、その日を境に、数々の不可解な現象がグレース一家を襲い始める。
屋敷の中に見えない何者かが入り込んでいる。それは一体誰なのか? というスリリングな物語ですね。

近年のホラー映画は、スプラッタやサイコ系が主流を占めていると思います。
確かに、死者の魂や幽霊といった宗教観は、IT全盛の現代にあっては、いかにも古臭いという感じは否めません。
そんな中、アレハンドロ・アナーバル監督は、オールドスタイルのゴシック・ホラーに、恐怖演出の原点を見出し、古典への帰着を起点として、新たなゴシック・ホラーを創造しようと試みていると思います。
この点が、私がこの作品を好きな理由なんですね。

アポロンの地獄:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

どうしてもお上品ぶった神を、土俗信仰のシャーマンの次元に引きずり下ろしたことによって、人間の、神や運命に対する恐れというものが、より赤裸々に出たような気がします。

そしてまた、王家の人々も、決して豪壮なお城に鎮座しますお偉いさんといった風ではなく、まるで部族の族長といった感じなのです。

これは何もパゾリーニ監督が、奇をてらったのではなく、人間と人間のつながりを、より素朴なところから問い直そうとしたからでしょう。

まさに、文明の初源の姿です。だから、タブーと信仰という、なんとなく、わかったつもりになっていた問題を、一種の荒々しさでもって納得させてくれるんですね。

アポロンの地獄:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

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この映画「アポロンの地獄」は、スキャンダラスな死を遂げたピエル・パオロ・パゾリーニ監督が、人間の根源的なるものを抉ったスキャンダラスな作品です。

父を殺し、母を犯すという人間社会の本質的なタブーをテーマにした、ギリシャ悲劇「オイディプス王」はあまりにも有名ですが、いかにも荘厳にもっともらしくやられる劇を見慣れた者には、この映画のもつ粗野さは大変衝撃的です。

この映画は、ギリシャ神話で有名なオイディプス王の伝説を、現代的な視点から鮮烈な映像美で描いた問題作だと思いますね。

不吉な運命の予言を背負ったオイディプス王が、そうとは知らずに父親を惨殺し、母親と関係する。
その後、地獄に落とされ、真実を知ったオイディプス王は、自分の両眼を抉るという異常な物語なんですね。

なんともびっくりさせられたのは、テーベの町の人々を恐怖のどん底に落とし込むスフィンクスの造形です。
なんというか、アフリカのシャーマンという感じで、およそギリシャ悲劇のイメージから遠いものがあります。

アジョシ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

ウォンビンは立ち姿もスラッとして美しいし、アクションが、すごくシャープでとにかくカッコ良いですね。
目だけで哀愁、優しさ、精悍さを表現しているのも、また素晴らしかったですね。

アジョシ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

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もし、その時の子が生きていればと、ソミと重ね合わせて見る事もあっただろうし、妻子に対する贖罪の気持ちもあったのだろう。

そして、2度とあの喪失の苦しみを味わいたくないとも思ったのだろう。
それらの理由から、テシクは、ソミを守らなくてはと心に決めるのだった---------。
たった一人で、大勢を相手にし、爆発するかのごとく相手を倒していく。

敵のマンシク兄弟は、いやらしさたっぷりの悪い奴らで、テシクがやっつける事でカタルシスを感じるようになっている。
ベトナム人の殺し屋ラム(タナヨン・ウォンタラクン)は、テシクと同じような目でソミを見つめ、テシクに多少、共感する所があったような表情でしたね。
印象深い存在で、この二人には、日本の任侠映画に通じる男気を感じましたね。

ラスト、テシクとソミが抱き合うシーンは、なかなか感動的です。
「(今度は)助けに来てくれたんだよね」と愛を確認するソミ。
父親の様に大きな愛で包むテシク。
贖罪からもやっと解き放たれて、優しい笑顔を見せるんですね。

アジョシ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

ジェイソン・ボーンを彷彿とさせるような、只者ではない身のこなし。
そこからはもう、ウォンビンに釘付けになりましたね。
鍛え抜かれた肉体に高いスキル。

かつての韓流四天王の一人で、それまでは、ピュアな雰囲気が魅力的なウォンビンだったが、この映画「アジョシ」では、男臭い魅力を前面に出していて、そのギャップがまたいいんですね。

隣の少女と言うだけで、どうしてここまで身体を張るのか?
一つには、お互いの”孤独な魂”が共鳴したんでしょうね。
ウォンビンが演じるテシクは、訳あって、人付き合いを避けて、ひっそりと暮らしている。

一方、隣の少女のソミの母親は、だらしなく、まともな育児をしていない。
ソミが慕うのは、隣のおじさん(=アジョシ)のテシクだけ。

ソミ本人から、「知らん顔されても、おじさんを嫌いにならない。好きな人がいなくなるから」と言われたら、孤独な叫びが、胸に響くというものでしょう。

だんだん、テシクの過去が判明していくのですが、彼は軍の特殊作戦部隊の要員で、そのために、妊娠中の妻が殺されてしまったんですね。

ツリー・オブ・ライフ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

そんなドラマに、生命や自然の躍動を伝える壮大なイメージ映像が重ねられる。
CGも駆使し、星の誕生や太古の海、恐竜のいた時代など、今の自分へ繋がる、途方もない命の連鎖が、生き生きと浮かび上がってくる。

そしてドラマは、喪失感を抱えたまま成人となった、ショーン・ペン演じる現代の長男が、家族との和解に至るまでを描いていく。

全編を通して、人生の意味を神に問うような語りが、実に印象的だ。

大学で哲学を教えていたというテレンス・マリック監督は、農場の風景が美しい「天国の日々」や、哲学的な戦争映画「シン・レット・ライン」などで、愚かな人間をそのまま包み込む自然を描くことを、モチーフとしてきた映画作家だ。

そして、わずか5本目のこの監督作で、カンヌ国際映画祭の最高賞を受賞したのだ。

ツリー・オブ・ライフ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

この映画「ツリー・オブ・ライフ」は、厚みのある人間ドラマと、そこからイメージを羽ばたかせる美しい映像、クラシックの流麗な音楽。
これらが、混然一体となった秀作だと思います。

孤高の天才・テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」は、家族を亡くした喪失感や父と子の確執など、誰もが経験する家族の物語を、太古から繰り返される、命の物語として、壮大に描き出していると思います。

この映画の主要な舞台は、1950年代のアメリカのテキサス州の小さな町だ。
ブラット・ピットとジェシカ・チャスティン演じる夫婦は、3人の子をもうけて、幸福な日々を送っている。

庭の木漏れ日、母のスカートの揺らぎ、ギターを爪弾く音-------。
日常にありながら、移ろいやすい奇跡のような輝きが、丹念に描かれていく。

やがて、野心を抱いた父は、家庭でも強権的に振る舞い始め、穏やかな母や子供たちとの幸せな日々が軋みだす。
長男は純真さを失って、父を強く憎むようになる。

ハロウィン(1978):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

悪霊の化身の如く、闇の中で襲い続け、殺し続ける。
女性たちが悲鳴を上げて助けを求めても、ハロウィンの夜なので、みんな悪戯だと思ってしまう。

夾雑物を一切排除し、ストレートに、スリルを味わわせるのが、この映画のポイントだ。

クライマックス。死んだと思った殺人鬼は、何度も立ち上がる。
そして、最後は、弾を五発も体に受けて、それでも姿を消してしまう。

脚本・監督・音楽を、一手に引き受けているジョン・カーペンターは、南カリフォルニア大学出身の若手監督だった。

この殺人鬼、実は現代人の精神の深奥に潜んでいる、悪の部分の象徴なのではないだろうか。
犯人の心理を語らない、恐怖づくりの裏側に、そんなジョン・カーペンター監督の真意を思ってしまう。

殺人鬼が最後に狙う女性。扮しているのが、ジェイミー・リー・カーチス。
あの「サイコ」のジャネット・リーと「お熱いのがお好き」のトニー・カーチスの娘ですね。

ハロウィン(1978):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-22

万聖節の前夜。平時は闇に身を潜めている、あらゆる魔性の者たちが、この夜だけは姿を現わす。

そんな伝説の中、子供たちは、妖精のコスチュームとマスクを着け、家々のベルを鳴らして、お菓子をもらう。

ハロウィンの夜とは、現代人にふっと自ら心の空洞を、覗き見させる時でもあるのかも知れない。

アメリカのイリノイの小さな町。ハロウィンの夜、6歳の少年が、姉を殺した。
それから15年。またハロウィンの夜。

あの少年も今は青年。嵐の中を精神病院から脱走し、この街に戻って来た。
白いデスマスクを着け、木陰から闇へ。次々と人を殺す。

両親たちが出かけた後、幼い子供たちのお守りをしている、若い女性を襲うのだ。
彼を追う医師。この犯罪、動機は一切なし。

欲望という名の電車:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

というより、心の内側から溢れてくる感情を溢れるままに任せておく時、どんな風に肉体や神経が生き生きと動き出すかを経験させ、それを与えられた役に応用させるというわけだ。

つまり、役の気持ちというより、俳優自身の気持ちをナマナマしく吐露することに重点が置かれるわけで、それでは役に忠実ではないみたいであるが、俳優だって生身の現実の人間である以上、自分という人間の本当の感情に忠実であれば、それはそれで、現実的なものになるのだ。
このことで、役という他人を真似るよりも実在感は、より強いものに成り得るのだと思う。

マーロン・ブランドという俳優は、この"メソッド"という演技理論を、映画の中で最初に体現してみせた役者なのです。

欲望という名の電車:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

このアクターズ・スタジオは、彼の後もジェームズ・ディーン、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノなどのハリウッドを代表する演技派スターをゾクゾク排出したことでも有名で、ブロードウェイやハリウッドのスターたちもが、我も我もと演技の勉強に押しかけてくるところになったのです。

そして、このアクターズ・スタジオのやり方というのは、もともとはスタニスラフスキーの演技理論に基づく、"メソッド"というもので、俳優自身の内面にある喜びや悲しみや怒りやコンプレックスを重要視しているのだ。

誰だって自分の心の中を覗いてみれば、複雑に絡み合った様々な感情があるものだ。
ただそれを、いちいち表に出していたのでは世間を渡っていけないから、余計な感情は押し隠したり、押し潰したりしているまでなのだ。

ところが、この"メソッド"では、日頃、忘れているその微妙な感情を思い出させ、それを体の動きや表情で具体的な表現にすることを教えるのだ。

欲望という名の電車:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-22

野性的な逞しい男と言えば聞こえはいいが、品性下劣な卑しい男というよりなく、決してヒーローではない。
しかし、この役を演じたマーロン・ブランドが、なぜスターで主役のヴィヴィアン・リーを食うほどに評判になったかというと、その演技が、まるで実在の人間のようにナマナマしかったからだと思う。

それまで、スターと言えば、なんといっても、スクリーンの中でいい格好を見せるものと決まっていたと思う。
例え、リアリズム映画であっても、また適役や脇役でも、それはそれなりにいい格好というものがあって、いい格好をすることが演技であるのは当たり前だったのだ。

この衝撃的なマーロン・ブランドの演技は、彼が新人時代にこの映画の監督でもあるエリア・カザンなどが教授陣の一員に加わって、当時発足したばかりのニューヨークのアクターズ・スタジオという俳優養成所で学んだことが大きいと思う。

最終更新日:2024-10-28 16:00:02

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