映画感想・レビュー 169/2613ページ

ダウト あるカトリック学校で:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-01

この映画「ダウト あるカトリック学校で」を観終えて、まず思ったのは、このドラマを舞台劇で観たら、さぞ面白かっただろうなという事です。

元々この作品は、ブロードウェイの舞台でトニー賞を受賞した大ヒット舞台劇の映画化作品で、1964年のニューヨークのカソリック・スクールが舞台となっています。

苛烈な規律を強いる校長(メリル・ストリープ)の下に着任したのが、規律よりも生徒の自主性を重んじる神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)。
その神父が、アフリカ系の生徒に性的ないたずらを加えているのではないかと、校長が疑いを抱きます。

神父は、本当にやったのか?
脚本は、その答えを巧みに避けていると思う。
更に、校長と神父の対立には、厳格と寛容、禁欲と享楽、伝統と革新、そして逸脱への不信と統合への過信など、様々な”二律背反的な対立”が潜んでおり、このドラマに深い奥行きを与えていると思う。

この事からも、このドラマは、実によく練られた、いい舞台劇だという事がよくわかります。
だが、映画としては、かなり疑問が残ります。

ソルト:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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映画が終わって気が付いたのだが、この映画は、たった100分の長さなのだ。
非常に密度が濃い、タイトな1時間40分で、これは娯楽映画の手本と言っていいと思う。

この映画のエンディングは、重たい運命を背負った主人公が、悲壮な覚悟をもって、闇の中に去って行くという、この終わり方に痺れてしまった。

ソルト:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

内容的には、”二重スパイ”もので、かつて、二重スパイの嫌疑をかけられた主人公が、自らの無実を証明する為に奔走するが、実は嫌疑通りに二重スパイでした、という映画を観ていたので、この手の映画では、何が起こっても不思議はないと思っている。

しかし、一般的に行って、その手の映画の主人公は、我々観る者が好意を抱き、感情移入する対象として描かれるのが常であり、騙し、騙されの展開も、それゆえの衝撃であるのが常道だ。

この映画は、そうした作品と似て非なる展開を見せるところが面白い。
なにしろ、この主人公は、少なくとも序盤においては、露骨に謎の多い行動をとるのだ。
なかなか、この人物の真意が読めないのだ。

信用できない主人公が生むサスペンス。
次第次第に、細かな違和感が積み上がっていくあたりの演出のさじ加減が実にいい。
何が起こっているのか分からないままに、迫力のあるチェイスやスタントを連打し、主人公に感情移入をしても良いのか分からない不安な状況のまま、徹底して引っ張り続ける脚本は、相当の力技だ。

ストーリーの牽引力、スター女優の吸引力を信じているのだろうが、無茶な冒険をするものだと思う。 映画の中盤になって、ようやく主人公の行動原理と目的が知れる決定的な出来事が起こるのだが、その後も、ダレることなく突っ走る、スピード感溢れる語り口、無駄のない演出が素晴らしい。 アンジェリーナ・ジョリーは、アクション系の作品では彼女のベストだろう。 宣伝文句だけでなく、どうやら相当数のスタントを実際にこなしているようだ。 スタントマンが演じるなりしていれば、もっと見た目がスタイリッシュに仕上がったと思われるアクション・シーンが幾つもあるが、彼女自身が演じたからこその限界が見えると同時に、それゆえに感じられるリアリティと迫力もある。 主人公を女性にしたことで、ドラマ的な厚みも出たが、少ないセリフながら、表情で語れる彼女の演技力も作品に大いに貢献していると思う。

貴族の巣:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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滅びゆくロシア貴族への限りなきノスタルジーを、彷徨えるインテリ貴族の心象風景を通して、ツルゲーネフ文学の精神と香気を伝える 「貴族の巣」”

このアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督の「貴族の巣」は、これがソビエト映画かと疑ってしまうほど、清新な映像感覚に溢れた作品だ。

1970年度の作品ということで、映画史的に言うと、いわばソ連のニューシネマと呼ぶべき作品なのかも知れない。

時代は、19世紀のロシア。地方貴族のラブレツキー(レオニード・クラーギン)は、長く西ヨーロッパで暮らしていたが、華やかで空疎な社交生活のうちに妻の不貞にあい、傷ついて故郷に帰って来る。

したたる緑、光と影の交錯、むせかえる大地の匂い。
その安らぎの風景の中で、彼は美しく成長した遠縁の娘リーザ(イリーナ・クプチェンコ)に会い、少年のような恋をする。

リーザは心優しく、信仰心の厚い清純な乙女だ。
だから、彼女は愛を恐れ、愛には罪が伴うものだと思ってしまう。

その心が、深くラブレツキーに傾いた時、先に病死と伝えられた、彼の妻バルバラ(ベアタ・トゥイシケヴィッチ)が姿を現わす。 そのため、リーザは修道院に入り、バルバラは再びパリへと去り、そして、ラブレツキーは、今ようやく”わがロシア”の大地に根をおろそうとするのだった--------。 当時、若干23歳の新進気鋭の若手監督だったアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督は、彷徨えるインテリ貴族の挫折の心象風景を、見事に、尚かつ大胆なイメージで捉えて、滅びゆくロシア貴族への限りなきノスタルジーを甘美に謳い上げるのです。 主人公のラブレツキーが、亡き母の面影をしのぶ時、うす紫の花を抱えて、ひとり野を行く淋しげな幼女の、そのイメージに寄せる悲しいまでの愛しさは、リーザを恋うる思いから、さらに母なる大地へと繋がるのです。 こうしたあたりにも、原作の精神と香気を見事に伝えようとする、アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督のツルゲーネフ文学に対するオマージュ、祈りの精神に溢れた映画だと思います。

恋人よ帰れ!わが胸に:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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ただし、この快調なテンポはそう長く続かない。
特に、ハリーの別れた妻が悪計に加担するあたりから、話のスピードや皮肉が急に落ちるのだ。
それでも、臭いほどにあくどいウォルター・マッソーの芝居は、実に上手い。

この映画が撮られた1960年代後半のハリウッド・コメディは、少し前から非常に難しい状況を迎えていたと思う。
そして、この直後には、アメリカン・ニューシネマの洪水が始まるのだ。

詐欺や人種問題の扱い方を見ても、「恋人よ帰れ! わが胸に」は、そんな大きな時代の端境期を反映したコメディだと言えそうだ。

恋人よ帰れ!わが胸に:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

名匠ビリー・ワイルダー監督が、「恋人よ帰れ! わが胸に」を撮った時、すでに彼のピークを過ぎていた。

「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」「あなただけ今晩は」と4年間に3本もコンビを組んだジャック・レモンとも、しばらく離れていた。
しかも、この作品の前作「ねえ! キスしてよ」の評判は、あまり芳しいものではなかった。

つまり、当時60歳のビリー・ワイルダー監督は、それなりの覚悟を決めて、この「恋人よ帰れ! わが胸に」を撮らなければならなかったはずだ。
その意気込みは、序盤の快調なテンポに表れている。

物語の舞台は、クリーヴランドのフットボール・スタジアム。
ライン際でゲームを撮っていた、TVのカメラマンのジャック・レモン扮するハリーは、ブラウンズの選手に激突され、病院に運び込まれる。

そこへ真っ先に駆けつけたのは、義兄のウォルター・マッソー扮するウィリーだった。
悪徳弁護士のウィリーは、テレビ局や球団から巨額の賠償金をむしり取ろうと画策を始める。

生きものの記録:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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準禁治産者の仮処分を受け、ブラジルへ行けなくなったこの父親は、一族を率いるボス猿の感じから一気に弱々しい、老いた人間の姿になってしまい、急に不安がつのって発狂し、工場に放火してしまうのです--------。

この映画は、そんな彼の、というより、全ての人間が持つ、”核の恐怖”を見事に視覚化してみせます。
夏の寝苦しい夜、蚊帳の中で眠る彼の顔は、あたかも被爆後の瀕死の人間のようです。
心労から頬のこけた顔が、蚊帳にオーバーラップして、ケロイドで苦しむ顔に見えてくるのです。

映像による大胆な”誇張的表現”ですが、これが素晴らしい説得力を持って私の胸に迫ってきます。

誇張で真実を抉り出す、”風刺画家・黒澤明”の面目躍如たる、素晴らしい作品だと思います。

主演の三船敏郎が老けのメイクで、”核への恐怖”から、一気に狂気へと至る人間像を熱演していて、さすがに三船、実にうまいと唸らされます。

また、黒澤監督との名コンビで知られた音楽の早坂文雄は、この主人公の”心の不安や焦燥”を映し出す主要な楽曲を残した後、作品の完成を見ることなく逝去されました。

生きものの記録:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

この映画「生きものの記録」は、黒澤明監督が原水爆反対の立場を表明した映画ですが、興業的には失敗したと言われています。

黒澤監督の数少ない興業的な失敗作だと言われているこの作品を、自分の眼で確かめるために鑑賞しましたが、黒澤監督のこの映画に賭ける熱意、訴えずにはいられない強いメッセージ性がストレートに伝わってきて、何故ヒットしなかったのかが不思議なくらいの素晴らしい映画だと思います。

主人公は若き三船敏郎が演じる町工場の経営者・中島喜一。
この老人は実にエネルギッシュで、前半のイメージは、大家族を率いたゴリラかオランウータンというような感じで、三船の獣のような動物的な野性味に溢れています。

そして、この老人は原水爆の実験に脅威を感じ、この地球上で安全な場所は南米にしかないと考えるに至り、”核実験の死の灰”から逃れるために、彼は一族全員を連れてブラジルへ移住しようとするのです。

このことを知って慌てた家族の者たちが、父親を準禁治産者にする訴えを起こします。
財産を自由に処分出来ない準禁治産者に認定してもらうためなのです。

最前線物語:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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エネルギーと鋭い観察が詰まった作品で、魔法の瞬間とシュールで記憶に焼き付くイメージに満ちている。精神病院の患者が、マシンガンをぶっ放しながら、戦争への意気込みを宣言したり、ノルマンディー上陸の場面では、死体がはめている腕時計に長くカメラを向けたりと、サミュエル・フラー監督の演出にはドキリとさせられる。

スティーヴン・スピルバーグ監督が「プライベート・ライアン」で、この作品に触発されたことは有名だ。
また、強制収容所のひとつが解放された後、兵士が死んだ子供を抱えている神秘的な場面は、我が日本の溝口健二監督の「雨月物語」で、主人公が幽霊のもとへ帰って来るシーンを想起させますね。

とにかく、この映画を観終えて思うのは、全体を貫く明るさとヒューマンな感情、戦車の中の出産などのギャグというように、従来の戦争映画にはない、不思議な感動を味わえた作品でしたね。

最前線物語:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

この映画「最前線物語」は、サミュエル・フラー監督の最も野心的な作品で、彼自身が第二次世界大戦で経験した第一歩兵部隊での年代記となっている。

カルト映画で有名な異才サミュエル・フラーのこと、とにかく雄大なスケールの風変わりな戦争大作で、素晴らしく詩的なアイディアと強い感情と形而上的な意味が含まれている異色作だ。

1918年、終戦を知らず一人のドイツ兵を殺した男がいた。そして、第二次世界大戦中の1942年、激戦の北アフリカで、その男”軍曹”は、4人の新兵を含む歩兵隊16中隊第一狙撃兵分隊を指揮していた。

「僕には殺人はできない」という新兵に、「殺人じゃない、ただ殺すだけだ」と答える彼。やがてシシリー島からノルマンディー上陸作戦、そしてチェコのユダヤ人強制収容所の解放へと歴戦、”戦場で生きること”をモットーとする軍曹の教えのもと、若者たちは一人前の男に成長していく------。

バットマン ビギンズ:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-01

この映画はバットマンの誕生秘話を描いている。
「バットマン フォーエバー」で子どもの頃、井戸に落ちた事故により、コウモリへの恐怖を覚え、両親を強盗に殺されたという話から、1作目の「バットマン」に出てくる怪人ジョーカーの出現や警察がバットマンを呼ぶときの合図を決めるなど、話がスムーズ?に繋がっている。
気になった点として、ゴッサム・シティがティム・バートン監督作品のバットマンに出てくる街とは違う場所に見えることだ。
今回の「ゴッサム・シティ」は二重構造になっているんですか?
普通に街の人々が行きかう通りから、地下のようなところに入ると、そこは暗く、犯罪が渦巻いている。
それとは別に悪の巣窟であり、貧困の街であるナローズ島がある。
ナローズ島だけを見ると、いつものゴッサム・シティに見えるのだが、他は現代の大都市の真ん中に、無理矢理ウェインビルを建て、そこを中心に四方八方にモノレールを通しただけの街になっている。

夜の風景はまだ良いのだが、昼間の街は、あまりにも綺麗に見えて、あのゴッサム・シティとは別の街に見える。 昼間の街並は映さないほうがイメージを保てたと思う。 その辺りが不満かな。 またヒロインのレイチェルが無防備すぎるのもちょっとね。 危険人物と平気で二人きりにならないで欲しい(笑)。 また、脇役ではゲイリー・オールドマンとリーアム・ニーソンが良かったな。

失楽園:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★☆☆
投稿日
2024-06-01

この映画は一言で言えば、都会的で洗練された、うまい映画だ。
リアリズムを避けた、流麗な映像が、主人公たちから生臭さを消し去り、どこかよそよそしいのだが、互いの家族をうっちゃって、性愛に溺れていく男女の姿なんて、しょせん他人から見たら、よそよそしい存在で、これはこれでいいと思う。
そして、夜の街を役所広司と黒木瞳が、世間を締め出すようにして、うつむきかげんに歩くシーンなど、実にエロティック。
ただ、役所広司がいつものワンパターンの演技をしていて、しらけてしまった。

学校(1993):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-01

この「学校」は山田洋次監督の念願作で、東京の下町の夜間中学の熱血教師と、世代も国籍も異なる7人の教え子たちとのヒューマン・ドラマ。
テレ臭くなるほど真面目で一途な内容だが、それぞれにクセのある人物が織りなす笑いが、ふんだんに盛り込まれていて、泣かずにはいられない場面もある。
時代や家庭、社会や教育の現場から、様々な事情ではみ出した彼らが、夜間中学という教育の現場で、活き活きと学ぶ(遊ぶ)さまは、感心するし、尚且つ、面白いのだ。
ただ、西田敏行の熱血先生が、独り寂しく故郷で病死した、田中邦衛の不幸な人生と彼の思い出を語った後、いきなり正面きって、幸福ってどういうことなのだろうと切り出したのには、正直、唖然とした。

127時間:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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最後の最後に主人公が下す決断と、その行動を、逃げずにしっかりと映像化してみせたところもいい。
自らの手で、肌すらろくに切れないような鈍い中国製十徳ナイフで右腕の切断を試みるんですね。

これは、言葉にするのは簡単ですが、やるとなれば想像を絶する行為だ。
まずは骨を折るところから始め、ナイフを突き立て、筋肉、腱や神経を切断していく映像だけでも、目を塞ぎたくなるのだが、痛さ倍増の音響効果が加わって、耳まで塞ぎたくなること請け合いである。

言ってみれば、この作品は、リアル切り株映画で、「グロ」っていう単純なものではない。
ホラー映画のように、観る人を不快にさせることを目的としていたり、見世物としてのグロ描写でもない。


生きるための最後の希望として、歯を食いしばる主人公と観る者の心がシンクロし、画面を見つめる我々もまた、必死で歯を食いしばり、失神したりしないように踏ん張るのだ。 こういう描写があるために、この作品を敬遠する向きもあるようだが、しかし、この描写なしには作品は成立しない。 鑑賞後の、不思議な清々しさは、あのシーンを乗り越えて初めて獲得できるのだと思う。 主人公に同化して、彼の127時間を安全で快適な場所で疑似体験する、これはそういう作品なのだと思います。

127時間:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

ダニー・ボイル監督の「127時間」は、ユタ州内の渓谷で落石に腕を挟まれて脱出不能になった若者が、孤立無援のまま5日間を過ごし、生きるための尋常ならざる決断と行動を起こすまでを描いた実話を題材とした映画ですね。

主人公のアーロン・ラルストンを演じるジェームズ・フランコは、そういう設定の物語ゆえに、全編出突っ張りの一人芝居。

岩の谷間で身動きできなくなったひとりの男の話を、1本の映画として語って見せるのはなかなかの挑戦だと思います。
観る前は、なんだかんだいって単調で退屈なものになるんじゃないかと想像して、期待値を下げたりもしていたのだが、そこはそれ、華麗なる映像テクニックとガチャガチャ編集を得意技とするダニー・ボイルのこと、主人公の回想、現在、想像、夢、妄想を巧みに繋ぎ合わせ、94分を一気に駆け抜けて見せる。

題材によっては、その技術がドラマを語る邪魔になることもあるが、前作の「スラムドッグ$ミリオネア」といい、この作品といい、題材にピタリとはまるとそのリズム感、疾走感が圧倒的に心地良い。

デストラップ 死の罠:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

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推理小説好きなら、観ておきたい価値のある映画「デストラップ 死の罠」。

原作はアイラ・レビンで、ニューヨークのブロードウェイで、延々ロングランした舞台劇の映画化作品だ。

この舞台劇は、ロンドンで大ヒットした、アガサ・クリスティの「ねずみとり」に刺激され、触発されて、製作された気配が多分にあるのだが、イギリス的な本格ミステリの構成とムードを持ちながら、裏側にいかにもアメリカ人好みの乾いた感覚が秘められているのだ。

この映画の演出は、ニューヨーク派の名匠シドニー・ルメット監督。
二幕仕立てという舞台構成を、そのまま映画に持ち込む事で、その構成自体をサスペンスに利用したところは、ミステリ好きを喜ばせる演出だと思う。

才能の枯れたスリラー舞台作家。
若者の持ち込んだ脚本が、あまりにも見事なので、それを自分のものにしようと計画を立てる。
そして、妻をも計画に誘い込み、自分の家で、この若者を殺そうとするのだ。

登場人物は、この三人と近所の奇妙な老婦人だけ。 そして、主な舞台は、この家だけ。 陪審員の控室のみで、あれ程の緊張感と迫力を創り上げた「十二人の怒れる男」の監督だけあって、この限られた場所、その大道具を逆に生かして、二重三重のドンデン返しを語って見せるのだ。 作家のマイケル・ケインも、妻のダイアン・キャノンも、ベストの演技を示している。 そして、青年はあの「スーパーマン」でブレイクしたクリストファー・リーヴだが、複雑な性格の役を陰影を込めて演じていて、実に素晴らしい。 こうしてみると、舞台で練られたミステリの面白さを、単に映像化しただけだと思われがちだが、ところが実はさにあらず。 プロローグに映画ならではのトリックが、はめ込まれているのだ。 実のところ、私はこの部分で完全に騙されてしまった。 憎い人だ、シドニー・ルメット監督。

砂上の法廷:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-01

生来の無精な性格から、キアヌ・リーブスには無精ひげが似合い、ワイルドなアクション俳優というイメージがある。
個人的には、「スピード」の時のような精悍な感じが好きなのだが。

この「砂上の法廷」では一転して、七三分けにツルンとした、さっぱり顔で法廷劇に臨んでいる。
バイクにまたがって法廷に通うところに、従来のキアヌらしさがあるから、スーツの似合う入廷後の姿に変身ぶりを実感できる。

キアヌ演じる弁護士の資産家の友人が殺害され、17歳の息子が容疑者となる。
有罪を裏付ける証言が相次ぎ、少年は黙秘を続ける。

不利な状況にも、弁護士は辣腕を振るい、証言のほころびを突く。
裁判の行方が混迷する中で、少年が予想外の告白を始めて--------。

テレビの2時間ドラマに収まりそうな題材に、コートニー・ハント監督は、映画らしい厚みを加えている。 自然光の照明は、法廷の人々の心象を陰影で映し出す。 CMを挟んだ予定調和のタイミングではなく、急転、急変で意表を突く。 資産家夫人役のレニー・ゼルウィガーも「謎」をにおわせ、変身キアヌと相まってけむに巻く。 回想シーンに嘘を交えない正攻法でしっかりだまされる。

四谷怪談(1959):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-01

「四谷怪談」の主演の長谷川一夫は、天下の二枚目だ。
その彼が伊右衛門を演じるというので、厄介な問題が生じてしまった。

四谷怪談の主人公、民谷伊右衛門はおのれの欲望のためなら、人殺しも平気な極悪人だ。
だが、いかに夏の定番とはいえ、天下の二枚目に悪役はさせられない。

そこで、このジレンマを解決するため、ストーリーの大改変が行われたのだ。

すなわち、伊右衛門を上司の娘婿に仕立てて、出世の手蔓としたい周囲の陰謀で、彼は妻が不貞を働いていると信じ込み、死に追いやるが、遂にその真相を知り、悪人達と大立ち回りの末、これを討ち果たす。

もともと鶴屋南北の戯曲自体が長いので、映画化の際、かなりの脚色を行うのが常だったとはいえ、悪玉を善玉に変えてしまったのは、この作品くらいのものだろう。

悪魔の陽の下に:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-01

この映画は、戦闘的宗教作家ベルナノスの聖性と魔性の闘いを描いた同名小説を、モーリス・ピアラ監督が、大胆に映像化した作品だ。

原作の枝葉を削ぎ落し、すっきりとテーマを絞り込んだ脚本と、緻密な映像設計で、この難解な原作を見事に映像化している。

主演のジェラール・ドバルデューも、見事な演技を披露している。
1987年度のカンヌ映画祭でグランプリに輝くが、凄まじい賛否両論を巻き起こしたことでも有名だ。

太陽の年:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-06-01

第二次世界大戦終了直後のポーランド。
病気の母親とつましく暮らす戦争未亡人のエミリア。

戦犯調査団の米兵ノーマンと知り合い、辛い思いをしてきた二人の心が溶け合う。

ノーマンは、結婚を申し込み、アメリカに誘うが、彼女は思いきれなかった。

ラストのモニュメント・ヴァリーのダンス、戦争の影響が残る、若くない二人の愛は哀しい。

最終更新日:2025-11-09 16:00:01

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