映画感想・レビュー 35/2520ページ

オデッサ・ファイル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

ヨーロッパにとって、ナチスの不気味な残影はいつまでも人々の心の中に消える事なく残っていて、「マラソンマン」(ジョン・シュレシンジャー監督)、「ブラジルから来た少年」(フランクリン・J・シャフナー監督)などの映画でもこの事は繰り返し描かれ、あらたなるナチス的なものへの恐怖と憎悪の感情が悪夢として残っている事をこの「オデッサ・ファイル」もポリティカル・スリラーという形に仮託して、訴えかけて来ていると思います。

オデッサ・ファイル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

ミラーは次第に抜き差しならぬ"戦慄と恐怖と陰謀"の大きな渦の中に巻き込まれていきますが、ミラーは直接には戦争を知らない世代で「居酒屋」のドイツの名女優でマクシミリアン・シェルの実姉でもあるマリア・シェル演じる母親から過去の"驚愕の事実"を聞かされます。
そして、映画のクライマックスとも言うべきラストシーンになります。

この"驚愕の事実"を知ったミラーは、どんな事があろうともロシュマン大尉を許す事が出来ず、遂にその姿なき宿敵ロシュマンとの対決の時が来ます。

「真夜中のカーボーイ」で夢と現実の中に彷徨う現代人の無力感・焦燥感を絶妙に演じたジョン・ヴォイトと、冷徹水の如き尊大さでナチス復興の野望を打ち出してやまぬ男ロシュマンの粘着質の人間像を、凄みを効かせて演じたマクシミリアン・シェルの対決シーンは、新旧二大演技派俳優の火花を散らす演技合戦でもあり、本当に見応え十分でこの二人の壮絶な演技の背後から、新しい時代が必ずしも古い時代をそう易々と乗り越えてはいない事をある種の重量感をもって訴えかけてくる迫力を感じました。

オデッサ・ファイル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

現実問題として、フレデリック・フォーサイスが、この小説の執筆計画を発表したところ、おびただしい数の脅迫の手紙が届いたとの事で、今なお、ナチスの思想的な残党が世界の隅々に根強く息づいているのかと思うと底知れぬ恐怖を覚えます。

ユダヤ老人の日記には、収容所で悪魔のように冷酷無比の名優マクシミリアン・シェル演じるロシュマン大尉に関する内容が事細かに記されていて、ミラーはこの未知の男を探し出さずにはいられない"強い衝動"に襲われ、行動を開始しますが、すると彼は次々と不可解な事件に遭遇する事になります。

ある日突然、地下鉄のホームから誰かに突き落とされたり、三人組のイスラエルの諜報機関に拉致され、猛烈な特訓を強制されてSS機関へ送り込まれたり、彼と新星メアリー・タム演じる恋人ジギーとの会話が警察を通じてSS側に洩れたり、彼がSS機関の名簿である"オデッサ・ファイル"を盗み出そうとして、SS機関の人間と激しい死闘を強いられたりと----まさに次から次へと展開する息詰まるサスペンスの連続で映画的緊張感に酔いしれてしまいます。

オデッサ・ファイル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

この映画は"オデッサ"という恐るべき組織に単身挑む一人のルポライターのジョン・ヴォイト演じるペーター・ミラーが、その謎を追って展開するサスペンスフルなポリティカル・スリラーです。

映画は1963年11月下旬、みぞれ降りしきる西ドイツのハンブルクで、ミラーは、突然アメリカで起こったケネディ大統領暗殺のニュースを耳にします。
彼はその時、自家用車内にいて、たまたまその脇を1台の救急車がすり抜けていくのをルポライターとしての好奇心から尾行し、貧しい一人のユダヤ老人が自殺した事を知ります。

この老人は戦時中、アウシュビッツの強制収容所に入れられドイツ人から忍びがたい屈辱を与えられ、その事実を丹念に日記に残していて、その日記を読んだ事がミラーにオデッサ調査の気持ちを起こさせます。

オデッサという組織が、ただナチスの戦犯者を国外へ逃亡させるだけなら、それほど恐れる必要もありませんが、しかし、この組織が旧ナチス勢力による第三帝国の夢よもう一度とその復興を企てているところに戦慄すべき問題を孕んでいます。

オデッサ・ファイル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

原作はイギリスのジャーナリスト出身のフレデリック・フォーサイスで、彼はドゴールフランス大統領の暗殺未遂を描いた「ジャッカルの日」の世界的な大ベストセラーによって、一躍、ポリティカル・スリラー小説の第一人者となり、その後、立て続けに「オデッサ・ファイル」、「戦争の犬たち」を発表し、その地位を不動のものにしました。
当然の事ながら、これら3作の原作を読破した上で、この映画「オデッサ・ファイル」をじっくりと楽しみながら鑑賞しました。

製作は「ジャッカルの日」の敏腕プロデューサーのジョン・ウルフ、監督は当時「ポセイドン・アドベンチャー」の大ヒットでそのキャリアの絶頂期を迎えていたロナルド・ニーム、脚色は「ジャッカルの日」、「ブラック・サンデー」などポリティカル・サスペンスを得意とするケネス・ロス、撮影は「寒い国から帰ったスパイ」の名手オズワルド・モリス、音楽は「エビータ」のアンドリュー・ロイド・ウェバーという一流の豪華なスタッフが集結していて、映画ファンとしてはもう観る前からワクワクしてきます。

オデッサ・ファイル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-23

"フレデリック・フォーサイス原作のオデッサの謎を追って展開するポリティカル・スリラーの傑作"

この映画「オデッサ・ファイル」の題名のオデッサとは、Organization der Ehemaligen SS-Angehorigenのイニシャルから1文字づつとった略語ですが、それはSS(ナチス親衛隊)の逃亡を図るための秘密組織で、その実情については多くの謎のベールに包まれていて、アウシュヴィッツのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の実行者であるアイヒマンを追って、遂に南米アルゼンチンで捕らえたイスラエルのユダヤ人本部では、その組織について、「初めナチスの残党は、米軍発行の新聞紙"星条旗"の運搬トラックの運転手を買収し、アイヒマン以下をその荷の中に隠して検問所を突破し、40マイルごとに作られた秘密の連絡所でシリア人のパスポートを受け取ってスイスの国境を越え、ジュネーブを経てアルゼンチンへ亡命させた。
そして、この組織はあらゆる階層の人々によって忠実に支えられ、膨大な資金源などもその民族的背景の奥深くに隠されている」とその驚くべき事実を語っています。

ドラブル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

というのも、もちろん電話は盗聴されているので、ケインは妻に約束の場所を口で言う代わりに電話で「サウンド・オブ・ミュージック」の音楽を聞かせるのだ。
それは、息子にせがまれて夫婦が何回となく観に行った映画だったのだ--------。

そして、息子が幽閉されているイギリス東南部の風車の名所へ、ケインが駆けつけるクライマックスは、ヒッチコック監督の「海外特派員」を思い出すほどの素晴らしさだ。

この風車に到着してからの敵役ジョン・ヴァーノンとの撃ち合いは、ドン・シーゲル監督ならではの、スピーディでダイナミックな強烈なパンチの効いた暴力描写が炸裂し、この静かなスパイ・スリラーの数少ないアクション・シーンを際立たせていると思う。

ドラブル:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

ドン・シーゲル監督、マイケル・ケイン主演の「ドラブル」は、映画の冒頭が、少年たちの美しいコーラスをバックにした小学校の色々な風景のスチール写真の積み重ねなので、まるで児童映画かホームドラマを予想させるが、5分も経たないうちに急速にサスペンスの世界へと突入していく。
職人監督ドン・シーゲルらしい出だしのうまさだ。

誘拐、ドラブルという名の破壊工作員たちの秘密組織、黒い風車----、ちょっとアルフレッド・ヒッチコック監督のスパイ・スリラーを思わせるような、なかなかいいムードの映画だ。
そして、沈んだ色調のイギリスの風景も優しくノスタルジーに溢れている。

小さな一人息子を誘拐された夫婦。
夫(マイケル・ケイン)は、秘密情報部員だが、情報部の協力を得られず、たった一人で息子の救出のために、事件の渦中に飛び込んでいく。

ケインは外から妻に電話をかけて、情報部にも警察にも知られずに、会いに来てくれと伝える。
その伝え方が面白く、洒落ているのだ。

黒衣の花嫁:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

彼女はつくづくきつい顔をしている。拳銃や弓矢や毒薬がよく似合う。
そして、この映画の面白さは、このゆるがぬ意思、確たる決意のうちにある。
三人目の被害者が死ぬ直前に、彼女は、自分の目的を明かし、それでようやく観る者は、連続殺人の脈絡と動機を知ることになる。
結婚式の最中に死んだ夫の復讐というのは、殺人の理由として、あまりにもロマンティックで、説明にはなっても、彼女への同情を呼びはしない。
そして、その非現実的なところが、ミステリーとしては成功の要因になっていると思う。

黒衣の花嫁:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

小説の場合には倒叙型、つまり犯人の側から事件を書くスタイルは、むしろ例外なのだが、映画にはこの倒叙型が多いと思う。
映画は謎解きの理屈ではなく、実際の行動の描写だから、犯行を追う方が、余程、作りやすいし、良い映画になると思う。
このフランソワ・トリュフォー監督が、敬愛するアルフレッド・ヒッチコック監督へオマージュを捧げた「黒衣の花嫁」は、この倒叙型の典型的な映画で、観る者は連続殺人の犯人が、ジャンヌ・モローであることを初めから知っている。
むしろ謎は、なぜ彼女がかくもゆるぎなき意思を持って、次々に殺人を行なうかという、動機の方にある。

893愚連隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

クールなコンボ・ジャズや、ホットなエレキのビートにのせて「イキがったらあかん。ネチョネチョ生きてるこっちゃ」とうそぶく時、初期のゴダールに限りなく接近する。

特攻隊崩れの天知茂の戦中派ヤクザにも、ここではない、どこかを夢見るハーフの少年にも与しない脆さ、そして、儚さと裏腹の刹那のカッコよさにシビレル。

893愚連隊:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

中島貞夫監督の「893愚連隊」は、衰退する時代劇から任侠路線へ、過渡期にあった東映京都撮影所から飛び出した突然変異の傑作だ。

現代の京都を舞台にしたオールロケ、若手俳優中心の地味なキャスト、モノクロと低予算だったが、文字通りのストリート感覚に貫かれて躍動する画面は永遠に新しい。

これぞまさしく太秦ヌーヴェルバーグ。ヤクザの義理人情や掟を否定。
愚連隊民主主義を標榜しつつ、セコイしのぎに精を出す、松方弘樹、荒木一郎、近藤正臣らのチンピラたちの軽薄な日常。

小さな巨人:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

西部開拓裏面史を綴った二時間半の大作。
ジョン・フォード監督の西部劇の名作「駅馬車」のインディアンの襲撃シーンを想起させる、駅馬車の馬から馬へと乗り移って、インディアンとダスティン・ホフマンがお互いの力と技を競い合うという、迫力のあるアクション・シーンなどもあるのだが、全体の印象は、単なる西部劇だと簡単に、気軽に言えないような重厚な、しかし見応えのある映画だと思う。

小さな巨人:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

「小さな巨人」は、演技派俳優のダスティン・ホフマンの独演会といった感じがなきにしもあらずの映画だが、実際のインディアンの酋長チーフ・ダン・ジョージの老いた、風格のある存在が実に印象的で、特に「我が心は鷹のように大空を舞う」という幸福感を表す言葉が、美しく感動的だ。

悪魔の赤ちゃん:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★☆☆☆
投稿日
2024-07-23

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

「ローズマリーの赤ちゃん」は、魔族の子であったが、この映画の悪魔の赤ちゃんは、突然変異の殺人鬼である。

生まれたばかりの赤ん坊が、殺人を犯すというのは、いかにも怪奇的なイメージだが、結局は単なるゲテモノらしく、赤ちゃんも怪物扱い。

そのくせ、怪物に製薬会社を襲わせたりして、それとなく薬品公害による奇形児の悲劇みたいなものを、ほのめかすといったいやらしさ。

牛乳屋が車の中で殺されるところとか、警官隊に追い詰められた怪物が、下水道を逃げ回るラストは悪くはないのだが、カメラが赤ちゃんの目になって、いろいろな光景を捉えていく演出など、冗漫すぎて、イライラさせられた。

豹は走った:P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-23

この映画は、西村潔監督のハード・アクション映画の傑作だ。
ストイックなスナイパー・田宮二郎と、元オリンピック射撃選手の警官・加山雄三の死闘が展開する。

東南アジア某国の大統領が、米国への亡命を求めて日本に滞在する。
大統領を護衛するため、警視庁を辞職させられ、殺しのライセンスを得た加山雄三が、身辺警護に当たり、暗殺を請け負った国際的な殺し屋、ジャガーこと田宮二郎と対決する。

若大将路線とは異なる加山雄三が、サイレンサー付きワルサーP38、ストック付きモーゼル・ミリタリーと銃にこだわり、ライフルを抱えた田宮二郎との血みどろの一騎打ちとなる見せ場は、見どころ満載で、実に面白い。

JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版:P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

この映画を観て、とても感動した。1963年11月22日、テキサス州ダラスで起こったジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺はあまりにも悲劇性をまとったものであり、私はひじょうに関心があった。それだけにこの映画も興味深かったのだ。これは何よりも決して飽きさせない魅力があると思った。この映画を思い出すと私は今のアメリカというものを考えざるを得ない。11月の米大統領選で再選を目指した民主党のバイデン大統領は7月21日、選挙戦からの撤退を表明した。バイデン氏は後継の民主党候補としてハリス副大統領を推薦し、ハリス氏は立候補を表明した。トランプ氏はハリス氏ならバイデン氏よりも倒しやすいと自信をのぞかせている。それにしてもなぜトランプ氏はアメリカ再生への期待を一身に受ける形になっているのか。それはトランプ氏の様々な発言によって米国民たちの多くが今のままではダメだと気づくきっかけになったからだろう。これはあらためてアメリカについて、世界について考えさせてくれる素晴らしい作品だと思う。

ピクニック(1955):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2024-07-23

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

結局、彼女は自分の感情を偽り、通すことが出来ず、自分に首ったけの金持ちの息子からの求婚を拒絶し、生活の安定は望めそうもないが、熱烈に互いを愛し合うことの出来る、ウィリアム・ホールデンのもとに走り、幸福な結婚を求めることになる。

つまり、彼女は美女=愛玩物としての自分を演じることを、中途で放棄せずにはいられない存在なのだ。

自分の美しさへの確信と、そこから裏腹に生じる不安に揺れ動く、キム・ノヴァクの姿態は、やはり感動を誘わずにはいられないし、夜の闇に浮かび上がる、ピンクのドレスを身にまとった彼女の美しさがいつまでも忘れられない。

ピクニック(1955):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-07-23

親しげではあるが、どこか排他的なところもある、アメリカの片田舎に、突如、現れる来訪者が、歓迎されるかに見えて、結局は排除されるという筋立て、とりわけ女性が数の上で優位を占める環境に、いかにも男っぽい存在が放り込まれ、安定を誇っていた集団に、確実に、ある動機をもたらしたあげく、残酷にいたぶられる陰惨な光景は、例えばドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドのコンビによる異色作「白い肌の異常な夜」を想起させる。

「ピクニック」でキム・ノヴァクが演じた17歳の娘は、誰もが賞賛し、見惚れずにはいられない美しい娘だった。
周囲の人々も、その美しさを祝福し、温かく見守っていたし、彼女もまたそのことを充分意識し、髪の手入れやドレスの選択に余念がなかった。

だが彼女は、一方で自分が人々の視線を集め、鑑賞される人形でしかないことに悩む脆弱ささえも併せ持つ娘だったのだ。

情事(1960):P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-07-23

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

なぜアンナが失踪したのか、彼女がいったいどうなったのか、さっぱりわからないまま、この物語は進行していく。

クラウディアとサンドロがいくら探し回っても、手掛かり一つつかめないのだ。
そんな状況の中で、惹かれ合っていく二人の愛は、ひどく不安定で心もとない。

第一、本当に彼らは愛し合っているのだろうか。
もしかしたら、アンナが突然いなくなったという奇怪な現実を前に、説明のつかない恐怖心、不安感にかられ、思いを同じくする者を本能的に求めただけかも知れない。

サンドロの浮気を知って絶望するクラウディアと、男泣きする彼、その肩をそっと抱く彼女で終わるラストは、何とも曖昧模糊としており、宙ぶらりんで放置されたような妙な気分になってくる。

この映画は"愛の不毛"というより、不毛な土地すら失われてしまったとも思える空漠感がやり切れなかった。

最終更新日:2024-10-28 16:00:02

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