彼女が選んだ安楽死~たった独りで生き抜いた誇りとともに~:P.N.「マサ」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2025-04-07
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
本当に観てよかった。遠方から観に来ました。この人の生き方を尊敬する。最後は安らかだった。とても安らかに旅立たれました。
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
本当に観てよかった。遠方から観に来ました。この人の生き方を尊敬する。最後は安らかだった。とても安らかに旅立たれました。
くすっと笑えるシーンなどがありました。「心配無用のすけ」がいいネーミングですね。
NHKラジオ深夜便日本の歌・心の歌,昭和歌謡スターセレクションは本篇の伊東ゆかり,一寸セクシーな代表曲の小指の思い出は園まりへと当初,伊東は想って居たと云う。知らなかったの,誰も知らない,ウイリー・ネルソンのカヴァー曲クレージー狂おしく等も真夜中にムーディなサウンドが
今朝のNHKラジオ深夜便・朗読の時間は本篇原作者の久生十蘭作の短篇の春節,戦中戦後の異色な純文学風な幻想性が立ち昇り
4月5日(土)3回目の鑑賞、時間が空いたので他に見たい映画の都合が合わず、まだ上映していたので、もう一回見てもいいかなと思い鑑賞、私は同じ映画を何度も回数を重ねて見るタイプで、今回も笑い泣けて感動できた、良い映画は何度見ても良い、2600万円の低予算の自主制作?映画が去年の8月?今も上映している(今は一日一回上映)この映画がヒットしたと言う事がわかる、先日の日本アカデミー賞にも各賞ノミネ-ト、しかし受賞したのは作品賞だけ?相変わらずの審査基準だ、私にとっては近年の邦画(日本映画)では侍タイムスリッパーはワクワクさせられた映画の一本である事は間違いない。
🎻更に今朝のNHKラジオFMリサイタル・パシッオ,チェロ奏者の情熱のモーメントではコロンブの前奏曲やマレの人間の声が
NHKFM映画音楽特集番組で流された本篇,テーマ曲は余りにもよく知られ。シルベスター・スタローンの恋人役はフランシス・フォード・コッポラ監督の妹何だなあ
今朝のNHKラジオ深夜便ロマンチック、コンサートは1963年ポピュラー音楽特集,ブラザーズ・フォーの唄う歌は本篇から
今朝のNHKラジオ深夜便日本の歌、心の歌ジャパニーズ・ポップスは本篇のキャンデーズ作品集,やさしい天使,微笑み返し,年下の男の子,翼,哀愁のシンフォニー,罠,ハートのエースが出てこない等懐かし
👀今朝のNHKラジオ深夜便ミッドナイトトークのguestは松重豊,転勤家族故に引っ越しが多いことが性格俳優のカメレオン振りを素養したのかなあとインタビューで
一方、この映画で残念だと思うのは、被害者の父親を演じる柄本明と、犯人の祖母を演じる樹木希林が、そのキャスティングも含めて類型的に過ぎ、新鮮味を感じられないことだ。
そして、毎度、毎度ワンパターンの回想だ。これは、映画から緊張感を奪っている。
特に、犯人の告白については、「本人はこう語っている、聞き手はそう想像したみたいだけど、実際のところはどうだったのか?」と、観る者に疑念を挟む余地を残すことはできなかったのか。
与えられた環境の中で、真面目に暮らしている人々の人生が、ちょっとしたきっかけで、大きく狂っていく。
親と子、人と人の絆であったり、それが希薄な現代社会に生きる孤独であったり、地方の疲弊や退廃であったり、現代風俗の軽薄さであったりというドラマをオーソドックスにやるなら、東宝映画じゃなくて、松竹の山田洋次監督あたりが撮ったら、もっと良い作品になっていたのではないかと思う。
妻夫木聡が演じる犯人は、環境・境遇の産物としての悲しい犯罪者だ。また、彼に共感し、自首を遮って、逃避行に誘う深津絵里演じる女もまた、行き場所のない、地方都市で深い孤独を抱えて生きてきた人間だ。映画は、小説のような描き込みをすることができないかもしれないが、妻夫木、深津、この二人の好演は、その行間を埋めて余りある。映画としては、二人の気持ちが通い合い、逃避行に至るまでが見所であって、その後は、推進力が失われてしまう。だが、正直に白状すれば、二人の人生が、残酷にも交差する瞬間を誠実に切り取って見せてくれたところに感動したので、それだけで満足しているところがある。二人の孤独な心が通い合う過程に説得力があったし、二人のキャラクターに対して、同情というのではなく、立場や境遇こそ違え、強い共感を持った。殺人事件の被害者である保険外交員の女性の、殺されてしかるべきとまでは言わないまでも、ムカつく行動原理や、犯人に対する侮蔑的な言動も、「現実にいるよね、こういう女」という枠を踏み外して、戯画的になる寸前の範囲で踏み留まり、よく描けていたと思う。それにしても、満島ひかりは、さすがに巧い。享楽的で自己中心的なチャラい学生も、描き方は表層的だが、演技のニュアンスが加わって、それなりの人間味も良く出ていたと思う。
舞台となる地方の、東京や都市部とは違った空気も、良く映し出されていた。
このアンドレイ・タルコフスキー監督の「アンドレイ・ルブリョフ」は、「語り始め」の物語だ。
語りかける側の人間が、一度喪った言葉を取り戻し、再び話し始めるまでの物語でもある。
アンドレイ・ルブリョフは、15世紀のロシアに生きた天才的なイコンの画家だ。
中世ロシアの蒙昧、貧困、病苦、戦争-----異民族タタール人に踏みにじられるロシアで、あらゆる世の悲惨をまのあたりにしたアンドレイは、戦いの混乱の中で人を殺し、絵を描くという表現を捨て、沈黙の行に入る。
15年間をその沈黙の中に過ごした後、彼がようやく口を開き、再び絵を描き始めたのは、瑞々しい鐘作りの若者の、表現への狂おしいまでの執着を見たからだ。
語り始めること---表現を取り戻すというモチーフは、タルコフスキーの他の作品では、「鏡」にも見られたと思う。
「鏡」のプロローグには、吃りを矯正される少年の挿話が置かれていたが、あの一見、他の部分とは何の関係もなさそうなシーンが、実は「語り始め」、それまでの強いられた沈黙を破って、表現が復活するという重要なテーマを背負っていたのだ。
沈黙は贖罪のためであると同時に、また、心に残った深い傷跡をも暗示する。
少年時代を第二次世界大戦の只中に過ごしたタルコフスキーの心の傷痕は、「僕の村は戦場だった」の少年の悲惨な運命を描かせた。
異民族の侵入、同じ民族同士の血で血を洗う争いという、15世紀のロシアの現実を映す目は、そのままタルコフスキーの生きた戦中、戦後のソビエトを透視していると思う。
現実に強いられ、あるいは自らに強いた沈黙から復活するアンドレイの姿に、やはり表現者としてのタルコフスキーを重ね合わせることは、決して無理ではないだろう。
戦後のソビエト映画界において、特異な位置を占めるタルコフスキーの、表現への原点とも言うべきものが、この映画には表われていたと思う。
この映画は天使の街、Los Angels を舞台にした、不思議な空気感と切なさの残るファンタジーですね。
全体を覆う現実離れした空気感、切ない雰囲気と展開、説明の省略、流れるようなカメラワーク、美しいヴィジュアル・イメージ、柔らかな光。
音楽もまた、強く自己主張するのではなく、このファンタジーの世界を膨らませ、柔らかく支えるのに貢献していて、全身が映画の世界に優しく包み込まれているかのように感じます。
こんなに繊細なタッチのアメリカ映画は本当に珍しい。
「天使の片思い」から「2人が恋に落ちていくプロセス」に重点を置いた構成により、メグ・ライアンの魅力的な表情が活きたとも言えますね。
元来、コメディタッチの作品で本領を発揮する彼女ですが、たまにはこういう役もいいものですね。
この映画は主演スターであるニコラス・ケイジとメグ・ライアンの魅力を活かしつつ、他のハリウッド映画にはない、独特の雰囲気を持つ作品に仕上がっていると思いますね。
アンドレイ・タルコフスキー監督が、ソ連邦国立映画高等学院監督課の卒業製作として監督したこの作品は、ニューヨーク国際学生映画コンクールで第1位に輝き、以後タルコフスキー監督が国際的に注目されるようになったきっかけの作品。
アルベール・ラモリスの「赤い風船」に触発されて、少年と大人との友情を、詩情豊かに謳い上げた、タルコフスキー監督の初期の秀作だ。
アドリブだけのミステリー映画で、なかなか面白かったしエンドロール後の出演者が雑談するのもよかった。さゆりんごの演技がちょっと残念。
素直に面白かったと言いたい。上映中気になったことがある。奇をてらったわけではなかろうが、アクション、歌、踊りなどそれぞれの場面によってIMAXの大スクリーンをフルに使った画面になるところと、シネスコ画面(スクリーン上下が黒くなる)いつもの外国映画パターンになるところがあってどちらかに統一して欲しかったな。エンドクレジット-あれは珍しい。
荒唐無稽な内容ならこれくらい面白く作ってくれなけりゃな。アッパレ!インド映画。
⚾今朝のNHKラジオ深夜便は本篇出演の大谷翔平に因む応援歌特集,54本ホームランや59盗塁では昭和54年59年ヒットソング。ゴダイゴのビューティフルネームや女性ヴォーカル高橋真梨子の桃色吐息,小柳ルミ子,天を舞う,さだまさしの唄も流れ
今朝のNHKラジオ深夜便は本篇声の出演の西川きよし前編,白木みのるや吉本興業での横山やすしのコンビの運命的な出逢いを
NHKラジオ深夜便息子から観た父・桂米朝,厳しい落語修行の模様がありありと