- 評価
- ★★★★★
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- 2024-05-20
キッドの映画は残念ながらあまり評価が高くないことが多い印象でしたが、今年はキッドだけでなく平次も参加し、恋模様も絡み面白い映画になっていたと思います。「名探偵コナン」だけでなく「まじっく快斗」まで知ってる方向けというか、知っているとより楽しめる内容。平次まわりの様々なキャラも登場するため、ついてこれない人がいてもおかしくはないのが少し心配にはなりました。でもコアなファンには嬉しいですよね!映画から参加の新キャラクターも素敵で、可能ならこれからも出てほしいとまで思いました。衝撃のラスト、「名探偵コナン」「まじっく快斗」はこれからどうなっていくのでしょうか…!
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- ★★★★★
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- 2024-05-20
1950年代のロンドン、裕福な家の家政婦を勤めながら、近隣の老人たちの家を回って、あれこれと面倒を見る働き者の主婦ヴェラ・ドレイク。
物静かな夫、青春を謳歌する息子、人見知りは激しいが気持ちの優しい娘。
心安らぐお茶の時間、暖かい夕食。
なんの問題も無さそうな家族だが、彼女には家族に秘密でやっている事があった。
無償で、望まない妊娠をした女性たちを、助けてやっているのだ。
つまり、堕胎の手助けを。
医師の免許を持たない彼女のやり方は、極めて原始的なものだが、子供を持つ訳にはいかない、特に貧しい女性たちに彼女はなくてはならない存在なのだった。
たとえ、それが法に背く事だと知っていても。
だが、クリスマスの夜、ヴェラの処置を受けて容態が悪くなった金持ちの娘の親から訴えられて、ヴェラは家族の前で警察に連行される。
訳が解らず途方に暮れる家族たち。
果たしてヴェラに下される判決は?-------。
この映画のうまいところは、原因の一因である男性たちを責めず、根本的な問題を蔑ろにしている社会を責めず、客観的に起こった事をそのまま描こうとしているところです。 ヴェラのやっていた事をいいとか悪いとか言うのではなく、周りの人間たちが事件を、彼女をどう扱うのか、最も親しい人間を責め蔑む世間に、家族がどう対応するのかを描いているところです。 主演のイメルダ・スタウントンの演技は実に見事で、実際にいる人みたいでした。 軽快に日々の仕事をこなし、傷ついた娘たちに優しい言葉をかけ、家族と笑い、警察に行ってからは小動物のような目を潤ませ、聞き取れないほどの小さな声で「娘さんたちを助けました」と言う彼女は、ヴェラ・ドレイクそのものでした。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
なぜ? が許されない何でもありのミュージカルの世界であってみれば、観る者はただ、アステアがすべてを肯定するように、軽やかにタップを踏むたびに訪れてしまうに違いない、この世ならぬ幸福に身を任せればいいんですね。
そしてまた、その幸福な記憶はあくまでハリウッド全盛時代のスタジオ・システムの産物であったミュージカル映画が、やがて衰退の運命を辿った後も、「女は女である」のゴダールは言うに及ばず、ジョン・ヒューストンの「アニー」やら、はたまた「ロッキー・ホラー・ショー」に至るまで幾多の映画作家の手によってスクリーンの中に蘇ることになるんですね。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
フレッド・アステア演じる落ち目のハリウッドのミュージカル・スター、トニー・ハンターが古巣のブロードウェイに戻り、そしてカムバックを賭けたミュージカル・コメディ「バンド・ワゴン」のリハーサルが、開始される-----という入れ子構造でストーリーが進行する。
典型的なバック・ステージ物の体裁をとったこの作品でもそれはやはり、あますところなく発揮されている。
この映画でなんといっても美しいのは、最初、衝突していたアステアと相手役のバレリーナ、シド・チャリシーが、はじめて互いに心を許し合って公園のベンチを前に、いつまでも緩やかにステップを踏み続ける、あのいささか唐突とも思えるシーンだ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
現在にまで至るミュージカル映画の基本的なスタイルを生み出したという意味で、その代名詞的存在なっているのが、1940年代から1950年代にかけての一連のアーサー・フリード製作による50本近くに及ぶ、いわゆるMGMミュージカルであり、それらを特徴づけていたのは、スタジオ内に建てられた、めくるめくような人工的セットで、華麗な歌と踊りの物語が繰り広げられるという、ショーとドラマが一体化した、"アンチ・リアリズム"の織り成す至福の境地であった。
かつての人気ダンサー、トニー・ハンターは、昔馴染みの夫婦に書いてもらった台本で、再起を図ろうとするが、相手役の人気バレリーナとは喧嘩ばかり。
おまけに、演出家はコメディのはずのこの舞台を、どうやら現代版ファウストに仕立て上げようとしているらしい。
そんな中、開幕の日は、刻一刻と迫ってくるが-------。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
この映画「追想」はハリウッド映画界から追われていたイングリッド・バーグマンが、7年ぶりに復活を果たした作品で、彼女の演技の素晴らしさを堪能出来る、そんな作品です。
主人公のアナスタシアにイングリッド・バーグマン、山師のボーニンにユル・ブリンナーという凄い顔合わせで、ロシア帝国のロマノフ王朝のたった一人の生き残りのアナスタシア王女を巡って展開する、サスペンス・タッチの歴史ドラマだ。
ロシア革命から、辛くも逃げ延びたと伝えられる、ロマノフ王朝の王女アナスタシアに絡む、"恋と陰謀"を、「将軍たちの夜」の名匠アナトール・リトヴァク監督が情感たっぷりに描いた、見応えのあるドラマになっていると思う。
この映画の最大の魅力は、何と言っても、彼女は本当にアナスタシアなのか? ----というサスペンス・ミステリータッチの要素が強いところだろうと思う。
イングリッド・バーグマン演じる記憶喪失の女性の"ミステリアスな雰囲気"が、実に素晴らしい。
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- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
また、この「水」は、母胎の中の羊水でもあり、世紀末を世界の始まりに戻そうとすることは、胎内への回帰等、胎を持たない男の発想であり、そんなことでもたつくゴルチャコフに嫌気がさして去ってゆくエウジェニアは、中性的な魅力にあふれている。
この映画の中で、特に印象的だった場面は、水溜まりの向こうに横たわるゴルチャコフ。雨が降っている。屋根のない柱廊。
廃墟と化し、屋内であり、屋外でもある奇妙な建物、映画全体を支配する幻を、この建物に感じてしまいました。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
エウジェニアは、ロシアへのノスタルジアにとり憑かれたゴルチャコフの、果てしない思案に耐え切れず、別の恋人のもとへ去ってしまう。
そして、ドメニコは焼身自殺し、残されたゴルチャコフは、ドメニコの遺志を継いで、ひとりで温泉を渡り切った時、力尽きてしまうのだった--------。
タルコフスキーにとって「水」は、地上で最も美しく、謎めいた物質なのだろう。だから、ドメニコは俗世の人間に狂人扱いされながらも、水=温泉を渡ろうとする。
俗世間の人々から、このように狂人扱いされているドメニコは、世紀末の世界を救おうと、ろうそくを灯して水を渡ろうとする。
「水」は、禊に使われるように、ここでもある種の力を持っている。
そして、「水」はあの世とこの世の間の川。ドメニコは、その川の渡し守なのだ。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-05-20
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変な家の間取りから何故こんな作りにしたのかとユーチューバーと不動産屋とが推理していき次第に想像を越えてくるストーリーになっていく巻き込まれ型のホラーサスペンス映画です。違和感を感じて真実を追っていくと左手のない死体が見つかり失踪した家族を探しに田舎の本家まで乗り込む。呪いを防ぐ為の儀式まで繋げたストーリー自体は無理矢理な感じは否めないしラストの主人公の家も変な間取りだったので怪異がでるというオチだったのは残念かな、、、虫とか出さずに怪音だけで終わったほうがあれこれ想像できて怖かったのでは?
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
イタリアの中部地方の山間には、不可思議な町、あるいは村が存在する。それはまさに「存在」そのものだ。
アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジー」が描くのは、幻想の「水」を辿る旅であり、タルコフスキー自身の、故郷ロシアへの郷愁が、主人公アンドレイ・ゴルチャコフの心象風景として表われていると思います。
ゴルチャコフは呟く。「この風景は、どこかモスクワに似ている」と。霧の漂う丘陵地帯。白い馬。佇む女たち。
そこには、動くことを止めた時が、うずくまっている。
かと思うと、深い谷底から生えてきた角のような台地に、ひしめきあって建つ、赤っぽい石造りの建物。
周囲を濃い緑の山々に囲まれた一握りの台地は、霧の切れる一瞬、幻想ではなかったかと、私は目を疑ってしまう。
しかし、確かに実在する土地なのだ。「ノスタルジア」の旅は、こうして、幻想の中でスタートする--------。
イタリアで、ロシアの詩人ゴルチャコフは、恋人のエウジェニアとともに温泉地を訪れ、世紀末の世を救おうと、ろうそくを灯して水を渡ることに執着する老人ドメニコと出会う。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
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主人公のムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)は、平凡な男だ。
それなのに、彼はいつの間にか、彼をめぐる社会からはみ出した"異邦人"になってしまっていることに気づく。
平凡な男が、いつの間にか平凡でない存在になってしまうのはなぜだろうか?
養老院で母が死んだので、彼は町から60キロほど離れた田舎の養老院へ行く。
汚いバスの中で、彼は暑さにぐったりしている。
暑い時に暑いと感じるのは当たり前だ。
そんな風に、彼の気持ちは、常に当たり前に動いて行く。
母の遺骸の傍らで通夜をしながら、彼は煙草を吸う。そして、コーヒーを飲んだ。
そのことが、後で彼が裁判にかけられた時、不利な状況証拠となってしまう。
母の遺骸に涙も流さず、不謹慎にも煙草を吸い、コーヒーを飲んだと受け取られるのだ。
それでは、ムルソーにとって、母の遺骸の前で泣き、煙草もコーヒーも断つことが、彼の本当の気持ちに忠実だったのかといえば、それはもちろん違う。 そんなことは、悲しみのまやかし的表現であり、嘘である。 ムルソーは、自分の気持ちを偽ることができなかったのだ。 暑い葬式の後で、泳ぎに行き、女友達のマリー(アンナ・カリーナ)に会い、フェルナンデルの喜劇映画を観に行った。 それは、果たして、法廷で非難されたように不謹慎な行為なのだろうか? ムルソーは、ごく当たり前に生活する。 それが、世の中を支配しているまやかしの道徳にそぐわなかったのだ。 ムルソーは、"異邦人"のごとく見られ、断罪される。 だが、真に断罪されなければならないのは、彼を有罪とした社会なのだ。
"太陽のせいで"アラブ人を射殺する有名な事件は、原作者アルベール・カミュの"不条理"の哲学を直截に、しかも余すところなく具現化したものと言えるだろう。 ムルソーの人生は、不条理だ。だが、それでは条理とはなにか? ムルソーの生き方を見ていると、不条理に生きる人生こそが、最も平凡な、というよりは人間として当然の人生ではないかとさえ思われる。 それに比べて、条理の側に立ってムルソーを断罪する人たちの道徳や倫理観の、なんと非人間的なことか。 ムルソーの不条理とは、最も人間的に生きることなのであった。 かくて、最も人間的に生きた人間が断罪される不条理こそが問われなければならなくなってくるのだ。
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
この映画「黒い瞳」の原作は、チェーホフの「小犬を連れた貴婦人」を基にしている。
チェーホフのこの原作は、今までにも映画化されていますが、この作品の監督ニキータ・ミハルコフは、原作にちょっとしたひねりをつけ、ほろ苦さのあるコメディに仕上げていると思う。
主人公のロマーノ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、ブルジョワの娘エリザ(シルヴァーナ・マンガーノ)と結婚してもう25年もたっている。
怠け者のロマーノは、もう何年も働かず怠惰な生活を送っている。
彼は、たまたま出かけた湯治場で、小犬を連れた貴婦人(エレナ・ソフォーノワ)を見かけ心を奪われる。
彼は、貴婦人の黒い瞳が忘れられず、ロシアへ帰った彼女の後を追って、かの地へと赴くのだ。
ストーリの骨組みはこのような内容ですが、この映画の見どころは、名優マルチェロ・マストロヤンニが扮するロマーノの駄目男ぶりだろう。
つまり、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した、マストロヤンニのうまさが見どころになっていて、男のずるさ、いい加減さをたっぷりと、薄気味悪いほど見事に演じている。
一見にやけた二枚目にも見えるマストロヤンニですが、この人は意外と硬派な経歴を持っているんですね。 1923年生まれというから、世代的には戦中派で、実際、第二次世界大戦には出征し、イタリアが降伏した後は、北ドイツの強制収容所に入れられ、しかも、そこを脱走してヴェネチアへ逃げ込んだというから凄い。 この「黒い瞳」は、広大なロシアの風景も見どころにもなっていて、撮影は、イタリアと当時のソ連で行なわれ、ソ連ではレニングラード、ボルガ地方、ラドガ湖近辺で行なわれたそうです。 ロマーノの馬車が、ロシアの草原でジプシーの馬車と出会うシーンは、ことのほか美しく、フランシス・レイの流麗な音楽も、実に効果的だ。 ラストシーン近くでロマーノが、「今死んで、神様に何か聞かれたら、何も答えるものがない。子供の頃、母が歌ってくれた子守唄と、エリザの初夜の表情、そしてロシアの霧だけだ。」と、こんなことを言って目に涙をためる。 マルチェロ・マストロヤンニという俳優は、本当に人間の喜怒哀楽を巧みに演じる、見事な名優だと思いますね。
- 評価
- ★★☆☆☆
- 投稿日
- 2024-05-20
明治維新前夜の1856年夏。伊豆の下田港を舞台に、米国との通商条約締結の命を受けた、初代日本総領事ハリスの苦難を描く歴史ドラマ。
公開当時、西部劇と戦争映画にしか出演しないような、御大ジョン・ウェインが、芸者ガールと恋に落ちるという、"キワモノ的な楽しみ"も用意された作品だ。
彼は俳優歴が長いだけに、結構、変な役柄もこなしていて、特に「征服者」でのドジョウ髭の成吉思汗役は、あまりにも有名だ。
「野蛮人と芸者」という原題の通り、ジョン・ウェインが体現する粗野で無骨なアメリカ文化と、芸者によって代表される繊細な日本文化が比較して描かれているのだが------。
実話に基づき、かなり真面目に作ってはいるのだが、未開の地に白人が文明をもたらすという、アメリカ映画お得意のパターンを崩すには至っていない。
監督のジョン・ヒューストンは、そこそこいい映画を撮ってはいるのだが、作品に非常にバラツキの多い監督でもあり、この作品は、そのダメダメな作品の一本だ。
欠点だらけの映画だが、唯一の救いは、ジョン・ウェインに貫禄負けせずに、下田奉行役を堂々と演じた山村聰の存在だ。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-20
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この「龍の忍者」は、東映が協力した香港カンフー・アクション映画で、まず東映スタイルの忍者群の活躍場面が紹介されてから、舞台は中国へ。
隠棲する元伊賀流の忍者・田中浩を慕う、若者コナン・リーが、ユーモラスにカンフーの腕前を発揮するが、田中を父の仇と思い、日本から探しに来た真田広之が現われ、若い二人の対決となり、これに真田の恋人・津島要がちらりと絡む。
監督はユアン・ケイという人物だが、展開のテンポの速さや、場面処理の歯切れの良さは、従来の香港映画とはだいぶ違う。
東映側が相当、手伝っているのがうかがわれる。
真田が田中を襲う場面など、とても香港映画とは思えないタッチだ。
だが、お話そのものは散漫で、なんだかはっきりしないところもあるが、やがて、田中は自分が父の仇ではないことを真田にわからせ、リーと仲良くするように言い残して自殺する。
その光景を見て、真田が田中を殺したものと勘違いしたリーは、真田に決闘を挑み、五重塔のてっぺんで丁々発止と渡り合う。
ここは香港映画らしい、延々と続く、いつもの長丁場だが、さんざん闘ったあげく、二人が和解したところへ、邪教を操る男の一味が現われ、インスタントの祭壇を組み立て、二人に挑戦する。 ブルース・リー(李小龍)の凄味のあるアクションから、ジャッキー・チェン(成龍)のユーモラスなアクションへと、この映画の製作当時、カンフー映画の流れは移っていて、この映画もユーモラスな趣向が主体で、中国の妖術が、日本の刀には通じない、というお笑いもある。 この敵の親玉がやたらと強く、さすがの二人もたじたじになるが、いくら強くても、久米の仙人みたいにお色気には弱いと知り、津島要のお色気攻撃で、骨抜きになったところを、KOするというのがオチになっている。 それにしても、若き日の真田広之の、JACで鍛えた、キレキレのカンフー・アクションは、今観ても凄いの一言に尽きる程、素晴らしい。
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-20
妙に気になる俳優の中のひとり、ジャンカルロ・ジャンニーニ。
ジャンカルロはルキノ・ヴィスコンティ監督の「イノセント」、エットーレ・スコラ監督の「ジェラシー」などに出演していましたが、特に「イノセンス」での北イタリアの上流社会の男のデカダンスを実に見事に演じていて、もうすっかり彼の魅力の虜になりました。
どこか、マルチェロ・マストロヤンニに似ていなくもないけれど、ジャンカルロは、マルチェロよりも遥かにキザでセクシーなイタリア男だという気がします。
そして、この典型的なイタリア俳優の魅力を何よりも最大限に発揮したのは、リナ・ウェルトミュラー監督の「流されて---」でした。
粗野で下品でセクシーで、それでいてふとした表情に知的なデカダンスをのぞかせるジャンカルロは、ミラノが代表する北イタリアの洗練された知性と、ナポリが代表する南イタリアの陽気さと激情という、イタリアを二分する特性のどちらも持ち合わせた、稀有で貴重なイタリアの俳優だと思います。
そして、リナ・ウェルトミュラー監督とジャンカルロは、「ミミの誘惑」「愛とアナーキー」「セブン・ビューティーズ」などの作品でコンビを組んだ、いわば師弟コンビなのですが、この「流されて---」のジャンカルロは南イタリアの男を体現しています。 八月の地中海に白い帆を張る豪華なヨット、ナポリの実業家夫人ラファエロは、ブルジョワ仲間たちとバカンスを楽しんでいる。 ところが、モーターボートで沖へ出た夫人は、モーターの故障から召使いの男ジェナリーノとたった二人、無人島に漂着した。 自給自足の原始的な生活の中で、夫人と召使いの立場は逆転していくのだった----- 。
この映画は、アメリカでは一種の"フェミニズム"映画として大ヒットしたそうですが、女性監督の視点から描いた男と女の愛の力学が、ブルジョワと労働者階級、支配者と被支配者、文明と原始といった見事すぎるくらいの図式にピタリと当てはまったせいなのかもしれません。 しかし、思うにウェルトミュラー監督のフェミニズム意識と恋愛観は、もっとしたたかで複雑ではないだろうか。 この映画の原点は、やはりヨーロッパの成熟が生んだ"官能の世界"なのだと思えてなりません。
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-05-20
人間の様々な欲望を得ようとする行為が詰まった感じの作品。
本年度ベスト級。
介護施設の殺人事件の犯人を探す福士蒼汰さん演じる刑事の圭介。その上司の浅野忠信さん演じる伊佐美。
過去に50人以上の犠牲者を出した薬害事件の真相を追う週刊誌記者の福地桃子さん演じる池田。
この2つのストーリーに加え、刑事の圭介と介護施設で働く松本まりかサン演じる佳代のSMチックなHなストーリーが同時進行(笑)
介護施設で犯人を探す圭介と伊佐美。
かなり強引な進め方で怪しい人物を犯人に仕立て上げる感じが胸糞悪い(笑)
この行為は過去の薬害事件が国のある機関の圧力で捜査が出来なくなり迷宮入りしてしまった刑事の伊佐美の無念の想いがそうさせてしまった感じ。
福士蒼汰&松本まりかサンのエロいシーンが凄い(笑)
このシーンが本作でどのような効果をもたらしているのか謎(笑)
本作が表現したかった「慾望」の象徴だと自分的に解釈。
本作で唯一まともな人物は福地桃子さん演じる記者の池田だけだったかもしれません( ´∀`)
- 評価
- ★★☆☆☆
- 投稿日
- 2024-05-20
謎が多くて本作の表現したい事が解らなかった作品。
本年度ベスト級。
由茉役の蒔田彩珠さん目当てで鑑賞するものの残念な作品だった。
余命7日の由茉と彼氏の雪夫の物語。
「君」と言うセリフが多め。
それに重要な意味があると思いきや、そうでは無かった謎。
ベッドシーンや入浴シーンも登場。
かなり中途半端な感じ。
それに意味があるのか謎。
でもホテルの清掃員向けに由茉が書いたメッセージは良かった!
封筒に入れたアレは不要だろっ!
ラストで予想も出来ない展開があると期待するものの何も起こらず謎の展開。
笑いも感動も涙も何も無い、全く謎の作品だった(笑)
ロリータファッションにも全くハマらず。
この世界観は自分には全く刺さらず。
由茉の彼氏の演技も微妙で残念😞
蒔田彩珠さんの次回作には激しく期待しています( ´∀`)
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-20
石原さとみサンの迫力ある演技に圧倒された作品。
本年度ベスト!!
失踪した娘の美羽の情報を得ようと奮闘する沙織里と旦那。
失踪直前まで美羽と一緒にいた沙織里の弟の圭吾。
地元テレビ局で失踪した美羽の取材を唯一続けている記者の砂田。
これらの登場人物に加え警察が絡んで行く感じの作品。
とにかく沙織里を演じた石原さとみさんの演技に圧倒される。
泣くシーンや叫ぶシーン。
ドアを蹴飛ばすシーンや砂田が乗った車に窓越しに哀願するシーン等、終始切羽詰まった感じの演技の迫力が凄い!
そんな中、中村倫也さん演じるテレビ局の砂田が沙織里が唯一頼れる人なんだけど、視聴率を上げたい局との間に挟まれた砂川の葛藤するシーンも引き込まれる。
高視聴率を上げた番組スタッフがキー局に引き抜かれた時の砂川の心境に考えさせられる。
沙織里と弟の圭吾との関係も良かった。
ある過去を背負った圭吾がダメダメな感じなんだけど、後半に姉を想う行動に泣ける。
実話ベースと思える程の引き込まれた作品!
その一角を担った石原さとみサンに主演女優賞を差し上げたいです( ´∀`)
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-20
ジェイウェイブのラジオ,ジャスト・リトル・ラビングのインフォーカスは英国ブラックプール・ダンスフェステバルの模様,映画シャル・ウィ・ダンスのシーンが眼に
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-05-19
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ドイツ映画は随分と観てなかった。どの国も教師は易しくない。
本作の教訓。
1.世の中は私的な動画に溢れ自由に公開するのが当たり前になったが、職場での録画は周知しておかないと内容以前に非難を浴びてしまう。
2.組織内の犯人探しは慎重にしないと被害者でも窮地に陥る。