「この映画には、50年間の私の思いを盛り込んだ」。『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』クロード・ルルーシュ監督公式インタビュー

「この映画には、50年間の私の思いを盛り込んだ」。『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』クロード・ルルーシュ監督公式インタビュー
提供:シネマクエスト

9月3日から公開の映画『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』から、クロード・ルルーシュ監督の公式インタビューが到着した。

恋愛映画の金字塔『男と女』が誕生して50年。インドを舞台にした新たな恋愛映画で、名匠ルルーシュ監督が伝えたかった思いとは――。
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■この映画がはじまったきっかけ

この映画は、様々な状況がうまい具合に重なり合って始まった。私が別のプロジェクトをやっていた時、エルザ・ジルベルスタインとジャン・デュジャルダンから電話をもらったんだ。2人が、ただ私と仕事をしたいと思っていることを知らせたかったという、それだけのものだった。

そして、次にインドとの“啓示”のような出会いがあった。彼らとお互いに考えていることを話していくうちに、私好みのラブストーリーが浮かんできた。ジャンとエルザが私を突き動かしたんだよ。彼らは思いもよらないカップルになる可能性を秘めていた。お互いに違いすぎるからこそ、理想的なカップルになるはずだ、と。

私は俳優が好きだし、彼らは映画にとって欠かせない存在であることも分かっている。というのも僕ら(脚本家)が書いたあらゆることを彼らが演じるものが映画だからね。私はかねがねジャン・デュジャルダンと一緒に仕事をしたいと思っていた。だが50年以上にわたって映画を作ってきて、数々のフランスの有能な俳優たちと仕事をしてきたが、彼と仕事をすることはかなわなかった。

ジャンとエルザのことを考えながら、私は大急ぎで脚本を書き上げた。2人は私の執筆作業を見守り、その工程を楽しんでいた。2人はそれぞれ極めてユニークなやり方で、今の映画の新しいトレンドを教えてくれた。こうして私は初めて“熱意ある要望”に応える形で映画を作り上げたんだ。

■愛とインドと、コメディ

愛は人間にとって、一番の関心事だ。ラブストーリーほど満足感を味わえるものはないと同時に不快なものもない。つまり愛というのは混沌としたものであるがゆえに、驚くべき展開となる可能性があるんだ。事実、愛はこの映画の唯一のテーマだ。愛に限界はない。誰かが誰かを深く愛していても、別の人間を好きになることもあるということを描きたかった。私にとって愛とは、あらがうことのできない麻薬のようなものだ。

私の作品や私の人生でも女性たちが重要な役割を担ってきたが、彼女たちのお陰で、今の私がある。これはいつも言っていることだが、もう一度言うと、成功した男というのは女たちが作っているんだ。

私はコメディを作りたかった。そしてそれ以上にラブストーリーの陳腐なパターンを打破したかったんだ。インドはこの作品のキー・キャラクターのひとつだ。ずっと私は、インドに行くべきだと言われ続けてきた。私の哲学や世界に対する物の見方や前向きな態度、映画に盛り込んだものを見て彼らはそう言っていたのだろうが、やっと75歳にして、かの地を訪れた。思っていたとおりの国だった。世界中を何度か旅したことあるが、私にとってあそこが一番美しい国だった。何よりも貧富の格差があるのが気になったが、合理的なものと不合理なものが共存しているのがいい。素晴らしい出会いだった。もっと早い時期にインドのことを知っていたら、すべての作品をインドで撮影していたかもしれないと思ったくらいだ。

ジャンと仕事をしたことで、私は若い頃の自分に戻れた。二十代の自分を再体験できたんだ。まるでデビュー作を撮っている気分だった。ジャンはまるで子供で、私は何よりも子供好きだから、一緒に遊んいでたような感じだった。彼はプロジェクト全体と出演者たちに、リズムとウィットのセンスをもたらしてくれた。エルザ・ジルベルスタイン、クリストファー・ランバート、アリス・ポルらも結束を固め、彼を盛り立ててくれた。彼らはリスクを顧みず、自分たちの限界まで演じてくれたんだ。

彼らの演じたストーリーに真実味がある限り、私は「カット」と言わなかった。そう、「カット」と言ったのは、嘘っぽく感じた時だけだ。セットでも滅多に「カット」と言わなかった。これ以上は無理があると思った時でも、彼らは迫真の演技を続けていたんだよ。

彼らは監督である私を観客の1人に変えてしまった。毎日、私は監督として現場に入り、指示を出していたが、その日の終わりには自分の映画の観客になってしまっていた。彼らはこの作品を見る将来の観客のように、私を笑わせ、泣かせ、心を動かした。才能のある俳優たちというのは素晴らしい。私は大好きだ。7週間ずっと、生のエンターテインメントを見させてもらい、ラブストーリーのドキュメンタリーを撮っているような気持ちで彼らを撮影したんだ。

■思いがけないカップル

ジャンとエルザと一緒に映画を作りたかったが、私には2人が一緒にいる絵を描くことができなかった。キャスティングをする時に、いつも想像力が広がらないんだ。我々は常日頃、楽な方法を取りがちだが、本当に突然ひらめいたんだ。このカップルはかなり変わり者で、普通じゃないことが、すごくいいアイデアのように思えたわけだ。恋人紹介所(デート相手の紹介会社)は、共通の趣味を元に相手を紹介するが、それが原因でトラブルになるのかもしれない。共通の趣味だと、お互いに同じことをするから、退屈してしまう。だが相補性というのはすごく強い。ジャンとエルザの出会いも似たところがある。2人はかなり違っているからね。何もかもが不合理で、いつものように道理が通らないインドのような国で、映画の中での2人の唯一の共通点は、フランス人だということだけだ。

2人の関係が、カップルらしさや陳腐な決まりごとのすべてを壊すことは分かっていた。今日、巷にはラブストーリーが溢れ返っている。あらゆることがメディアに取り上げられ、語り尽くされているから、今風な関係においては、根本的にものの見方を変えるなんじゃないかな。今のカップルは、表面的なものが全てになっている。最初の段階がすごく重要なことになっているね。感じが良く見えるとか、声をかけやすいとかね。だがカップルを継続させるものは、最初に見たものじゃない。何もかもが隠れている。見た目だけのことなんて、すぐに飽きてしまう。ひと晩以上は続かないことだってあるんだ。

私はジャンとエルザと会って、彼らを知らねばと思って語り合った。これは極めて重要なことだ。私の作品に選ぶ俳優たちというのは、自分の人生に関わりを持ってきた人たちだ。友人だったり、恋人だったりね。映画に対して、私は愛か憎しみが必要だと思っている。愛情がある時に撮った映画はとてもよく撮れている。自分が愛するものを観客にも愛してほしいからだ。

■人生を謳歌することについて

私が愛してやまないことが2つある。それは人生と映画だ。映画が私に人々が人生を謳歌できるようなものを作らせてくれる。この世の怖さを痛いほど分かっていても、私は世界を愛している。だから多くの人にも愛してほしいんだ。ネガティブなものがポジティブなものより、重要になってきている世の中に私たちは生きている。悪いニュースがいいニュースを凌駕している世の中だ。でも映画を1本作るたびに、どうしたら人々がこの世の中を、より好きになってくれるかを考えてきた。私は映画の持つ力が人の心を2時間で変えられると信じている。ちょうどアンマが30秒人を抱きしめることで、その人を変えられるようにね。中には文明社会を破壊しかねない映画もある。この世界を愛する私の思いが、映画を通して広がることを願っている。

私は人生を賭けて、俳優や脚本やカメラを開放するよう努めてきた。そしてこの映画には、50年間の私の思いを盛り込んだ。テクノロジーがそれを可能にしたんだ。この年になって世界チャンピオン戦のリングに返り咲くことができるとは思っていなかった。だが自分のデビュー作のように、存分に楽しんでこの映画を作ったことは確かだ。

最終更新日
2016-08-30 14:15:28
提供
シネマクエスト(引用元

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