モニタリング:P.N.「カズ」さんからの投稿
- 評価
- ★☆☆☆☆
- 投稿日
- 2024-06-27
サッカー日本代表が来ても勝てない。プロなのに素人なみの腕前だ、観ていてつまらない。
サッカー日本代表が来ても勝てない。プロなのに素人なみの腕前だ、観ていてつまらない。
前半のエロシーンはもう一つやねえ。拷問シーンももう一つやなあ。期待し過ぎたかも。日本人女性を犠牲にするのは、つらいです。三池崇史監督、イーライ・ロス監督ワンカットの出演笑いました。2も観たくなりました。
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原作者の水上勉は、この映画を観終えた後の感想として「やはり映画は、芸術の中でも最も景色と密着して、思想を具現し得る武器だなと思った。
感心したのは、最後の鳥葬の場だった。
ぼくらの歴史は、名もない野の聖たちを鴉に喰わせてきた歴史である。
篠田さんは、いいたいことを景色の奥に秘めて、この熱っぽい作品を完結している。」と評されています。
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彼女は、このおりんという難しい役を演じるにあたって「最初は目をつぶっての芝居が不安でした。しかし、元瞽女の杉本キクエさん(無形文化財伝承者)にお会いして、仏さまのような優しい人柄に打たれたおかげで、おりんの心境がつかめ、演技のために目をつぶると逆に心の安らぎを感じるようになりました」と語っています。
映画のラストシーンで憲兵隊から釈放されたおりんが、一人で旅を続け、着ている着物は破れ、埃だらけのよれよれの姿になって断崖に足を滑らせたのか、それとも身を投げたのか映画は詳しく説明しませんが、おりんは白骨となって自然の懐へ還ります。
悲しい人生の最後の極限の姿を、白骨で表現する最後のシーンは、原作以上に何か心の奥底に迫って来るものがあります。
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黒澤明監督の「羅生門」や溝口健二監督の「雨月物語」などの名作を手掛けた撮影監督の宮川一夫は、失われつつある農村の風景を日本の原風景として捉え、その風景を後の時代に残そうという使命感に燃えてファインダーをのぞいて、まるで涙を浮かべながら撮影しているような、そのシーンのひとコマ、ひとコマが我々観る者の心の奥底に伝わってきます。
宮川一夫は、大正時代の日本の原風景を求めて3年がかりで日本全国80か所のロケ地を探し回ったとの事です。
現在の視点から見ても、日本の中にまだこのような昔ながらの場所が残っていたのかという、素晴らしい風景が次々と出てきて、その風景の中で、おりんという瞽女の姿は失われていくものへの哀惜であり、消え去ろうとする古い文化の終焉を表現しているのだと思います。
全盲の瞽女という難しい役を演じた岩下志麻は、おりんの生まれつきの明るさ、純粋無垢な心の美しさ・素直さを、魂のこもった演技で表現していたと思います。
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映画は、6歳の時に親に捨てられ、越後の高田瞽女屋敷に引き取られたおりん(岩下志麻)が21歳の時に、ある男とふしだらな関係を持ったという事で屋敷から追放され、"はなれ瞽女"となります。
おりんは、たった一人で門付けをして、誰もいない破れ小屋や雨漏りのする御堂に寝泊りし、男に体をまかせてはわずかなお金をもらうという漂泊の旅を続けて行きます。
その旅の途中で出逢った得体の知れない平太郎(原田芳雄)は、おりんの仏さまのような心と姿の美しさに魅かれ、おりんの体を求めようとはしませんでした。
一方のおりんも生まれて初めて、人の心の優しさに触れ、平太郎に魅かれていきます。
このおりんと平太郎の二人の奇妙とも思える漂泊の旅が、裏日本の自然の美しさと古い町並みを背景として、しみじみと描かれていきます。
映画「はなれ瞽女おりん」は、水上勉原作の小説を"近松門左衛門の絢爛たる世界を、日常性から脱却して、非日常の世界へ没入する事で、美と恍惚とエロティシズムの極致を描いた「心中天網島」"の篠田正浩監督が映画化した作品で、撮影監督を宮川一夫、音楽を武満徹という日本を代表する超一流の布陣で製作されています。
瞽女とは、盲御前という敬称から発生した言葉だと言われていますが、三味線を弾き、語り物、はやり唄、民謡などを歌って日本中の村から村へと門付けをして歩く盲目の旅芸人で、その村に1年に1回訪れるのが大正時代の日本において娯楽の少なかった農民たちにとって待ちわびた楽しみであり、農村での大衆芸能を最も伝統的に継承するものでした。
この瞽女さん達は、全員が盲目の女性であるため、独特の仲間組織と厳しい内部戒律を守ってきたそうです。
このような厳しい戒律の中で、男子禁制を破った場合には仲間から追放されたそうで、この追放された人を"はなれ瞽女と呼びました。
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それは、見世物にも人間にもなりきれないという不幸を、背負っていたのかも知れない。
そして、エレファント・マンはやっと人間扱いされた時に、初めて自らの意志で死を選ぶのです。
それは私には、ある種、”甘美な死”に感じられた。
彼は命をかけて叫んだのだ。「私は、お化けではない。人間なのだ」と。
この、人間であるということは、彼にとっては”見果てぬ夢”だったのだ。
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それは、全て私たちの心の内側にある反応である。
私たちは天使でも悪魔でもない。あるいは、天使でも悪魔でもある。
野卑な好奇心も、他人の不幸を思いやる想像力も持っているのだ。
そういう意味で、登場人物が善玉悪玉に色分けされすぎていることには、かなり不満が残ってしまった。
エレファント・マンの不幸は、彼が醜い肉体に生まれついたことと共に、インテリジェンスを持っていたことだと思う。
自分と、世間とを映し出すインテリジェンスという”鏡”を持っていたことだと思うのです。
見世物であるためには、あまりにもインテリジェントでありすぎた。
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この映画の冒頭は、そのイメージ・シーン。美しい女の顔のアップ。唸り声をあげて襲いかかる象の群れ。
戦慄を覚える、非常に怖いシーンだ。
19世紀末のロンドンの陰鬱な暗い街並み。
モノクロの画面はアンチック・カードのような暗い美しさに満ちている。
そして、見世物小屋から小びと、シャム双生児、巨人などのフリークに助けられて逃亡するシーンも、幻想的な美しさに満ちている。
産業革命当時の、鉄と火とじゅうじゅうと煮えたぎる水—-
これが冒頭の象のシーンとなぜか一つになって、荒々しい”恐怖イメージとなって、観ている私の胸に迫ってくるのだ。
私にとっては、これはエレファント・マンの醜い肉体よりも、もっと深い恐ろしさだった。
そして、エレファント・マンが目前に現われた時の、様々な人々の様々な反応。
恐怖の叫び声をあげる看護婦。好奇心をむきだしにする夜警や子供たち。
ひとすじの涙を流す外科医。
この映画「エレファント・マン」を初めて観た時、奇形の人間が主人公の映画だとの前情報で、観るのをどうしようかと、ちょっとためらった思い出があります。
奇形、業病—-シチュエーションの異常さで見せる映画が元々嫌いで、不幸な人々を、ある種の見世物にして満足するような映画があまりにも多いから。
けれども、この映画はそういう”イージーな感動”を当てにした映画ではなかったのです。
頭巾を脱いだエレファント・マンを画面に登場させる時に、敢えてアップで撮らずに、遠景にした、そういうところにも、素材の異常さに頼っていない映画だということがわかって、好感が持てたのです。
世にも稀な奇形に生まれつき、「エレファント・マン」と呼ばれ、見世物にされていたジョン・メリック。彼は19世紀末のイギリスに実在した人物だと言われています。
見世物の口上では、奇形の原因は、母親が象に踏み倒されたためという(だが、本当のところは全くの原因不明なのだが)。
サメがエイリアンのパクリ
金払って見る価値無し
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CMの印象を覆すような濃い内容だった。
命を守る、救うために私財を投げ打って開発に務めた主人公と、彼に賛同して惜しみなく協力した若い医師たち。
けしてお涙ちょうだいではない、
家族や周りの情熱に支えられた
プロジェクトXのような映画
タイトルからして原題とまったく違っていた。原題 Mr.Nelson on the North Sideだとプリンスの映画だということがわからないから改題したと思われるが、他の方のレビューにも書いてあるが、とにかくプリンスの音楽性も何も伝わってこない駄作。冒頭にプリンス財団から彼の楽曲は提供していないというテロップが出てきた時点で怪しい感じがしたが、その後、彼の肉声もわずか、ほとんど写真と関係者のつまらない話で終始進行。時間と金を返してもらいたい作品。
『クラッシャー・ジョウ』は、以前からちらっと見掛け、気になっていました。
今回、兵庫県立美術館でのついでに、鑑賞しようと、
特別な記念日なので、109の4D上映も奮発、TOHOシネマ
とは違うオプションで新しい体験、まあこれだけの仕様なら3,000円も妥当か?
因みに、美術館には、別目的でしたが、大きな美術館なんで、なんと安彦良和展も同時開催。
ここは、ご縁と、約2時間以上はかかってしまう。
結論は、なぜ?『クラッシャー・ジョウ』に引き付けられたのか?
『ククルス・ドアンの島』に引き付けられたのか?
実質上アムロ・レイのスピリットを引き継ぐ『閃光のハサウェイ』に引き付けられたのか?
私は、アムロ・レイの奥にあるスピリット、ハングリー精神に引き付けられたのだと理解出来ました。
映画と美術館、『機動戦士ガンダム』『宇宙戦艦ヤマト』など、キャラクターの絡みやなぜ?が、この記念日に、見事解決しました。
そこにあるスピリットに、
阿寒に果つを観て、とても感動した。私は昔から渡辺淳一さんの大ファンだ。だからこの映画を観たのだ。これは何よりもあらためて人生について考えさせてくれると思った。阿寒湖と言えば、私はマリモが大好きだ。最近、たまたまマリモとご縁があった。私とご縁ができたある保育園の名前がマリモだったのだ。私は芹洋子さんのマリモのうたが大好きだが、最近また歌うようになった。マリモのうたを歌っていると、またこの映画の世界が甦ってきた。やはり渡辺淳一さんの世界は素晴らしいの一言に尽きると思った。
この映画を観て、とても感動した。これは何よりも愛についてしっかり考えさせてくれたからだ。白石奈緒美さんが出演されている。私の大好きな女優さんだ。凄くセクシーで演技もほんとに素晴らしい。白石奈緒美さんと言えば、お姉様の白石かずこさんのことを思い出さずにはいられない。白石かずこさんは6月14日に亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。白石かずこさんは私が20才の頃、東京のあるコンサートでお見かけしている。独創的な詩作や朗読パフォーマンスはあまりにもインパクトがあり、いつの間にか私の人生に影響を与えてくれたと思う。この映画を観ていると、私の思考は様々な方向に広がっていったが、いずれにしても、愛というものを見事に追求している作品だ。
図書館戦争をまた観て、とても感動した。私は地元でCabinというマイクロライブラリーをさせて頂いている。自宅に併設した、ささやかな図書館だ。今から6年ぐらい前にボランティアで始めたのだ。それだけにこの映画はひじょうに親近感があった。これはやはりあまりにも面白く、決して飽きさせないと思った。そして生きるパワーを与えてくれると思った。俳優陣も最高で、演技は素晴らしいの一言に尽きる。また何度も観たくなる作品だ。
これは、ほんと、愛の詰まった作品。
コロンビア映画の100周年を祝う一環だからか、心配していたウィル・スミスもカンバック。
予告では、往年のファン向けでしたが、内容は、アカデミーの珍事をブラッシュアップした丁寧に仕上げた脚本、女神が愛する彼らのへの100周年を祝う姿勢とリンク。
タイトルは、一蓮托生だそう、最近の彼の動向を反映し、これが、俺の映画への愛だと愛の詰まった作品。
家族の絆、息子が、彼らの年代で代役、それは、リタイアではない、引き継がれる映画への愛だ。
コロンビア映画の女神の微笑みを一緒に祝いましょう?
一応、ソニー・ピクチャーズになりますが、
本当に素晴らしい映画だと思います。