マンディンゴ 作品情報
まんでぃんご
ファルコンハースト農園は、ルイジアナ有数の大農園である。綿花や農作物の収穫はもとよりだが、農園事業の中心は、血統のよい奴隷を買い集め飼育し、売買するという計画的な“奴隷牧場”にあった。老当主のマクスウェル(ジェームズ・メイスン)はひとり息子のハモンド(ペリー・キング)に任せていたが唯一の気がかりは、一日も早く白人娘を妻にとらせ、眼の黒いうちに跡とりの顔を見ておくことだった。おりしも、没落しかかってはいるが、遠縁に当たる大地主のウッドフォード少佐から5千ドルの借金の申入れがあった。年頃の娘を持つ少佐は、娘をハモンドの妻にしてマクスウェルにうまくとりいろうという魂胆だった。ハモンドは父の言葉に従って、少佐の娘ブランチ(スーザン・ジョージ)と見合いすることになった。ハモンドにとってブランチの美しさは感動的ともいっていいものだった。しかし、その感動も旅の途中で見た黒人娘エレン(ブレンダ・サイクス)の美しさの前ではかすんでしまった。憂いをふくんだエレンのまなざしがハモンドの心をとらえた。ハネムーンに出発したハモンドは、ニューオリンズの奴隷市場で偶然にも、偶然にも、黒人のサラブレッドともいうべき貴重なマンディンゴせり落とした。名をミード(ケン・ノートン)といい、たくましい肉体は種つけ用としても、闘技用としても最高だった。しかし、ブランチとの初夜はハモンドの心をひきさいた。彼女は処女ではなかったのである。結婚をのろいながら、ハモンドは帰途、あの忘れもしないエレンを引き取ると、ブランチともども農園に戻っていった。ミードを見たマクスウェルは狂喜した。一方、ハモンドはブランチに対する怒りを従順なミードをきたえ、エレンを夜ごと激しく抱くことで発散させる。そしてブランチは、ハモンドの子を宿したエレンに向かって嫉妬に狂ったムチを浴びせていた。さらに、夫の留守中にミードを部屋に引き込み、誘惑した。夫からは味わうことのできない、強烈な快楽に溺れ、いくたびとなくくり返した。月が満ち、ブランチは赤ん坊を生み落とした。だがその肌は黒かった。友人の獣医レッドフィールド(ロイ・プール)は驚きのあまり声も出ない。ハモンドは怒り心頭に達し、ブランチを薬殺する決心を固める。ライフルをたずさえ、ハモンドは大釜いっぱいに煮えたぎる熱湯のなかにミードに入れと命じた。初めて反抗するミード、ハモンドの持ったライフルが火を吹き、ミードは熱湯の中にころがり込む。下男のアガメがたまりかねてハモンドの銃を奪い、残酷な仕打ちをやめるよう哀願する。怒り狂うマクスウェルは近づこうとして銃弾を浴び、即死した。声もなくそばで父の死体を見つめるハモンド。奴隷制度をめぐって南北戦争が起きたのは、それから約20年後のことだった(東宝東和配給2時間7分)
「マンディンゴ」の解説
19世紀半ば、専制的な貴族主義を誇りつつ奴隷制度にしがみつくしかない南部にあって、奴隷農場を経営する一族の栄光と没落の歴史を描く。題名の「マンディンゴ」とは、ハンサムで頑強な肉体を持つマンディンゴ族のことで、黒人奴隷の中で最も高価な値で売買されたという。製作総指揮はラルフ・サープ、製作はディノ・デ・ラウレンティス、監督は「スパイクス・ギャング」のリチャード・フライシャー、脚本はノーマン・ウェクスラー、原作はカイル・オンストット、撮影はリチャード・H・クライン、音楽はモーリス・ジャールが各々担当。出演はジェームズ・メイスン、スーザン・ジョージ、ペリー・キング、ケン・ノートン、ブレンダ・サイクス、ポール・ベネディクト、ロイ・プールなど。日本語版監修は清水俊二。イーストマンカラー、ビスタサイズ。1975年作品。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1975年10月18日 |
---|---|
配給 | 東宝東和 |
制作国 | アメリカ(1975) |
上映時間 | 127分 |
ユーザーレビュー
総合評価:4.67点★★★★☆、3件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
とにかく、この映画はアメリカ史の恥部と言われる、黒人奴隷たちの受難の様をショッキングな映像と共に描いていくわけですが、彼ら黒人たちは、もちろん人間として扱われることはなく、ローマの剣闘士さながらの闘う奴隷であり、性的な玩具であり、農作機械であり、果ては主人の足の神経痛治療のための人間アンカであったりしたのです。
残酷な見世物的なシーンの連続で、アメリカ南部の黒人奴隷制度の悪を告発するというより、残酷が興味本位に流れ過ぎているという感がなきにしもあらずですが、これは考えてみると、映画というものの、自己の犯した悪さえも、一種の見世物にしてしまうという、商業主義的なたくましさのなせるワザなのかも知れません。
そして、この事は製作者がアメリカ人ではなく、イタリア出身の大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスであった、という事と関係しているのかも知れません。
マンディンゴという”良質”な黒人奴隷種で、賭け闘技の戦士になる若者を、元ボクシング、ヘビー級チャンピオンのケン・ノートンが演じていますが、彼の屈強な肉体が、奴隷たちの”不屈の魂”といったものの存在感を見せているのだと思います。