スタジオジブリの展覧会が三重県に初上陸!!『この男がジブリを支えた。近藤喜文展』開催…(映画『耳をすませば』監督)

スタジオジブリの展覧会が三重県に初上陸!!『この男がジブリを支えた。近藤喜文展』開催…(映画『耳をすませば』監督)
提供:シネマクエスト

「耳をすませば」絵コンテ(部分)1995年(C)1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH

7月6日より「この男がジブリを支えた。近藤喜文展」が三重県総合博物館(MieMuみえむ)にて開催となる。本展は、スタジオジブリ及び三鷹の森ジブリ美術館の企画制作協力を得て、日本屈指のアニメーターとして高畑勲・宮崎駿両監督からの信頼も厚かった近藤喜文について、彼が描いたキャラクターデザインやアニメーション原画、イメージボード、スケッチなど500点以上が展示されている。

多くの人が親しんだ清潔な人柄と温かな眼差しによって生み出された動画家・近藤喜文の世界を、今回あらためて紹介する展覧会。会場内では近藤喜文さんの唯一の長編監督作品「耳をすませば」で主人公の月島雫を演じた本名陽子さんの音声ガイドで展示エリアの解説を聴くこともでき、原画を自分の手で動かす体験コーナーやグッズコーナーも充実。9月16日(月・祝)まで開催される。

開催初日の7月6日10時より開会式が行われ、冒頭で鈴木英敬三重県知事がご挨拶。開催にあたり感謝を述べ、さらに本展を主催する中京テレビ放送株式会社の小松伸生代表取締役会長、三重県総合博物館の大野照文館長、企画制作協力するスタジオジブリ星野康二代表取締役会長がご挨拶。それぞれが、スタジオジブリ作品の思い出や近藤喜文さんの紹介やエピソードを語った。

コメント概要

■鈴木 英敬(三重県知事)
2014年の開館から131万人の方々が三重県総合博物館に来場して頂きました。三重県の方々にとっての「私の博物館」、子供たちの向上心や向学心を刺激するような博物館を目指してきた中で今回、三重県にスタジオジブリがこのようなかたちで来ることは初めてなので多くの方々に足を運んで頂ければと思います。三重県出身の高畑勲監督、近藤喜文さんが作画監督を務めた「火垂るの墓」を中学生の時に(アニメーションを見て初めて)涙が流れたことを今でも覚えています。いままでの展示の来場者数を超えることを目指して頑張ります。

■小松 伸生(中京テレビ放送株式会社 代表取締役会長)
この展覧会の主人公である近藤喜文さんという方を多くの人に知って欲しいと思います。彼は日本中誰しもが知るというような有名な方ではありません。ただ彼の関わった作品は日本・世界中で愛されています。「もし、まだ生きていれば、どれほどの数の素晴らしい作品に出会えただろう」と思いました。この展覧会を見て近藤喜文さんをひとりでも多くの人に知って頂きたいです。

■大野 照文(三重県総合博物館 館長)
近藤喜文さんの著書「近藤喜文の仕事 動画で表現できること」の中で「普段の生活、平凡な日常のきらめく瞬間を、作品として作りあげることが出来たらいいな」とういう近藤さんの言葉に感動しました。この三重県総合博物館も、三重の自然の文化・歴史を県民の方々に伝える中で近藤さんの言葉にすごく勇気づけられました。多くの方に展示を見てもらえるよう注力します。

■星野 康二 氏(株式会社スタジオジブリ 代表取締役会長)
この展示は近藤さんのご出身である新潟県でスタートしました。実は当初1回だけで終わる予定でしたが、皆様のご好評を得て回を重ね、この三重県総合博物館で8回目となります。今回で「近藤喜文展」は最後となります。作品や原画を休ませてあげたいと思います。1988年に同時公開だった「火垂るの墓」「となりのトトロ」で高畑勲・宮崎駿の両監督が近藤さんを取り合いました。結果的に近藤さんは高畑監督の「火垂るの墓」を担当することになりますが、その後も宮崎監督の信頼も厚く、多くの作品に携わることとなりました。最後に、彼のことを語り継ぐきっかけとなる「近藤喜文展」を開催していただくことに御礼申し上げます。
(敬称略)

<プロフィール>

近藤喜文(こんどう よしふみ 1950-98)

1950年、新潟県五泉市生まれ。
68年、新潟県立村松高校卒業後、Aプロダクションに入社。アニメーターとして「巨人の星」「ルパン三世」「ど根性ガエル」「パンダコパンダ」などで活躍。「未来少年コナン」を経て、78年、日本アニメーションに入社。79年放映の「赤毛のアン」(演出:高畑勲)でキャラクターデザイン、作画監督に抜擢される。80年、テレコム・アニメーション・フィルムに入社。「名探偵ホームズ」の後、日米合作映画「リトル・ニモ」の共同監督の一人として準備を進めたが、降板。87年、スタジオジブリに入社し「火垂るの墓」のキャラクターデザイン、作画監督を務める。高畑勲、宮崎駿の信頼も厚く、以後も「魔女の宅急便」「おもひでぽろぽろ」「紅の豚」「平成狸合戦ぽんぽこ」などで活躍。95年公開の「耳をすませば」で、初めて劇場用長編の監督を務めた。98年、解離性大動脈瘤により、47歳の若さで永眠。メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢は、多くのアニメーターに影響を与えた。

主な関連作品

「未来少年コナン」1978年/「赤毛のアン」1979年/「名探偵ホームズ」1982年/「リトル・ニモ」(パイロットフィルム)1984年/「火垂るの墓」1988年/「魔女の宅急便」1989年/「おもひでぽろぽろ」1991年/「紅の豚」1992年/「耳をすませば」1995年/「もののけ姫」1997年

最終更新日
2019-07-08 11:30:00
提供
シネマクエスト(引用元

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