漫画家・山上たつひこといがらしみきおがタッグを組み、2014年文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した傑作コミックを、映画『紙の月』、『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が映画化した『羊の木』が絶賛大ヒット公開中。2月20日には東京の109シネマズ二子玉川で、吉田大八監督と「本作を3回観た!」とぞっこんの評論家・宮崎哲弥がトークショーを行った。
吉田監督とほぼ同世代という宮崎さんは「淡々と進行してくのかと思いきや、実は物凄く作り込んでいる映画。しかもそれを観客に意識させるところがないのもいい。不穏な映像も凄く効いていて、冒頭のその構造はまるで怪談話」と激賞。怪談とは「日常のずれが増幅し、コントロールが効かなくなる様を描き出すのが怪談の作法。名付けようのないモノ、恨みがはっきりとしている話ではない」と定義し「そういった意味で、名状しがたいものを受け入れる様を描いた『羊の木』も怪談」ときっぱり。観客に向けては「最初はよくわからない感情をいだくかもしれないけれど、この映画が記憶の中で熟成されていく中で、何か違うものとして芽吹いてくるはず」深みのある作品とプッシュした。
吉田監督は松田龍平さんが演じた元殺人犯・宮腰一郎について、「サイコパス」という感想が多いことに触れて「宮腰というキャラクターを作るときに、サイコパスとは捉えていないし、かといって過去のトラウマのせいにもしていない。自分の中でもカチッと来る解釈は見つかっていないけれど、松田龍平さんが演じれば成立するというような思いでやっていました」とそのキャラクターが宮崎さんの言うように名状しがたいものであることを告白。
それに宮崎さんも同調し「サイコパスとはそもそも何か。あくまで精神医学上の術語でしかない。合理的説明のできない悪に対して我々が安心するために付けるレッテルでもあるが、本当のところよくわからない。他の映画で描かれるサイコパスは最初から最後まで常識人の我々が理解し、考えるサイコパスで終わるが、本作の宮腰一郎はよくわからない不気味な存在としている」と感想を述べた。
また吉田監督は劇中でバンド演奏をする錦戸亮さんに触れて「僕も昔同じようにバンドを組んでいて、ベースを弾いていました。錦戸くんの感じは凄くわかりやすい。自分の代わりをやってもらったようなものです。この作品で彼にはベースを演奏してもらったけれど、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーのようにノリノリで弾く癖があったので、撮影時ではそれを抑えてもらうようにしました」と舞台裏を紹介。観客の意見として「まるで音楽のようには聞こえない」という声もあったそうだが、宮崎さんは「僕はビンビンきたけどね!」と通じ合っているようで、吉田監督は「あの音楽を受け取る側に、理解するという回路がないとあの音楽も苦痛でしかないことを知った」と様々なリアクションがあることに驚いていた。
また『羊の木』が持つ意味について吉田監督は「映画の内容についても“なぜですか?”と答えを求められることがあるけれど、監督の中に明確な答えがあると思われると、実は困るんです。“羊の木”の意味も明確な答えがないんです。それは映画で描かれれているように、分からないものに向き合う態度そのものなのかもしれない」と自己分析。
宮崎さんは「結局は名状しがたいものなんです。不幸というのは第三者には他人事だが、当事者にとっては不条理極まりないもの。しかしそれを受け入れるのが人生の面白さであり、不条理である。この映画も浄化の物語のようになりかけるが、実はそうではない。私は半分バッドエンドと捉えた。やはり『羊の木』は怪談なんです」と指摘していた。