“スノーデン事件”から見る、現代社会のプライバシーと自由とは?

“スノーデン事件”から見る、現代社会のプライバシーと自由とは?
提供:シネマクエスト

米国政府による一般国民へのスパイ行為を暴露したエドワード・スノーデンを追うドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』が、6月11日からシアター・イメージフォーラムほか全国で公開される。

2014年、世界をもっとも揺るがした事件のひとつにスノーデンによるNSAの諜報活動の暴露が挙げられる。その内部告発の一部始終を記録した緊迫のドキュメンタリーである今作。スノーデンが自らの身の危険と引き換えに投じた一石は、世界中の人々に「プライバシー」や「自由」の意味を考えさせる契機となった。
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スノーデンによれば、「iPhone」は電源を切っても、NSA(米国国家安全保障局)職員がマイクを通じて盗聴することができるとされるほか、「Skype」ユーザーの通信はすべてリアルタイムで自由にアクセスできることも指摘されている。誰が誰といつ通話をしたか、どこへ行ったかといったメタデータに留まらず、その行動や通信の“内容”が傍受されているという危険性をスノーデンは訴えている。

とはいえ、抑圧的な政府による監視活動は、歴史上、何度も繰り返されてきており、反政府的な行動や弾圧に利用されてきた。しかし今日でも、一般に先進国と呼ばれる国々でさえ、国民へのスパイ行為とも呼べる監視を正当化している状況は相変わらずだ。

劇中でもスノーデンの口から語られているが、「テロ活動防止」という大義を傘に、一般市民の個人情報とすべてのコミュニケーション方法が標的とされている。つまりNSAによる監視システムは、抗議活動などの抑圧や制限を進めるだけでなく、“見られている”という意識を人々に埋め込むことで、予定調和的な行動を促すことで社会の「異端」を排除し、政府を監視するジャーナリストや市民を沈黙に陥れることにつながる。

これは、社会という大きな檻の中で「自由」を奪われた囚人のようなものだ。「悪いことをしていないなら隠すことなんてない」という反応に対し、スノーデンは「個人のプライバシー」という天賦の権利が大切なのは、いつ必要になるかわからないからであり、さらにこの権利はアメリカだけでなく世界の民主主義社会における文化的アイデンティティーの一部をなすものだと警鐘を鳴らしている。

いかに自分たちプライバシー情報が無防備に「搾取」され、その危機に対しあまりに無防備であることを認識することが、まず何よりも大切であるだろう。スノーデンの選び抜かれた言葉一つ一つ、暴露への「思い」が本物であるかどうかは映画を観て確かめてほしい。

最終更新日
2016-05-24 19:39:17
提供
シネマクエスト(引用元

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