二重被爆 語り部 山口彊の遺言 作品情報
にじゅうひばくかたりべやまぐちつとむのゆいごん
1945年5月、三菱重工業長崎造船所で造船設計技師を務めていた当時29歳の山口彊さんは、妻と生後3ヶ月の息子を長崎に残して、広島造船所へ3ヶ月の出張に出向く。長崎へ戻る日の前日である8月6日朝、山口さんは造船所への出勤途中、爆心地から3キロ地点の芋畑で被爆する。閃光を咄嗟に避けたが、左半身に大火傷を負い、左耳の聴力を失う。その日は長崎から一緒に来ていた同僚2人と市内の寮の庭で過ごし、翌朝、長崎に向かう避難列車が出ると聞き、焼死体が散乱する焼け野原となった広島の町を横断する。8月7日午後、避難列車に乗り、翌8日昼に長崎に到着する。そして8月9日、山口さんは造船所に出勤し、広島壊滅の報告をしている最中、2度目の被爆を経験する。戦後、山口さんは原爆症に悩まされ、胆嚢摘出、白血球減少症などに苦しみながら、2度の被爆体験の語り部になることを心に秘めながら生きてきた。しかし世間の偏見・差別のため、語ることは控えていた。だが2005年2月、息子の捷利さんが原爆症が原因で亡くなると、語り部となることを決意する。記録映画「二重被爆」に出演すると、精力的な活動を開始する。国際連合では国連軍縮委員会の関係者、地元長崎では中学・高校生を前に反核の思いを訴えた。2008年、胃ガンの進行が判明するが、山口さんは請われれば講話に出掛けた。アメリカからやってきた高校生には英語で語った。2009年8月、山口さんは吐血し、緊急入院する。山口さんは、「タイタニック」や「アバター」のジェームズ・キャメロン監督に手紙を書き送っていた。『広島発最終列車』の取材で山口さんの元を訪ねた作家チャールズ・ペレグリーノさんが橋渡しをしてくれた。12月22日、キャメロン監督とペレグリーノさんは、入院中の山口さんを見舞った。監督は山口さんに、山口さんを題材とした映画を製作したいと伝える。
「二重被爆 語り部 山口彊の遺言」の解説
広島・長崎で被爆した山口彊さんを追ったドキュメンタリー「二重被爆」の続編。胃ガンが進行しても語り部として反核の思いを訴えた山口さんが93歳で亡くなるまで、その遺言の意味を描く。山口さんを見舞ったジェームズ・キャメロン監督の姿も。監督は、「二重被爆」企画の稲塚秀孝。語り・テーマ曲は、歌手の加藤登紀子。
45年8月6日の広島で、出張先の広島造船所へ向かう途中に原爆投下に遭遇し、その3日後に妻子の待つ長崎へと戻った際にまたしても原爆の被害に遭った故・山口彊。広島と長崎への原爆投下と二重被爆の経験を語り残そうとした彼の活動を追う。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 2011年7月16日 |
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キャスト |
監督:稲塚秀孝
出演:山口彊 山崎年子 ジェームズ・キャメロン チャールズ・ペレグリーノ |
配給 | タキシーズ |
制作国 | 日本(2010) |
上映時間 | 68分 |
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