あたえられるか否か 徳川埋蔵金120年目の挑戦 作品情報

あたえられるかいなかとくがわまいぞうきんひゃくにじゅうねんめのちょうせん

ペリーが黒船で来航し、開国必至の情勢であった江戸時代の末期。時の大老井伊直弼は、崩壊の危機にあった徳川幕府再興のため、莫大な額の黄金を赤城山中に埋蔵したとされる。幕末期、海外との通商が盛んになるにつれて、金銀の交換レートが海外と比べて低かったせいもあり、国内の金が大量に海外に流出していった。井伊直弼はこの事態を危惧し、幕府の御用金の埋蔵を計画したという。桜田門外の変で井伊直弼が凶刃に倒れた後、御用金の埋蔵計画は幕府最後の勘定奉行である小栗上野介や、軍学者の林かく梁らにより実行されたとされている。その額およそ360万両、時価にして数十兆円に値する。官軍による江戸開城の際、場内の御金蔵がカラだったのは史実として残っている。明治19年、水野家当主・水野智義は私財を投じ、赤城山麓の一画を買い占め、徳川埋蔵金の発掘事業を開始する。智義の義父、中島蔵人は小栗上野介の部下であった。その蔵人は死ぬ間際に智義に秘密を告げて埋蔵金発掘を託す。以来、水野家は三代に渡って徳川埋蔵金を追い続けている。明治23年、初代智義は黄金の徳川家康像を発見。その後、近所にある寺の縁の下で、埋蔵金の在りかを記したとされる銅板の地図が発見されるが、大正15年に死去。昭和7年、2代目義治は直径が20メートルもある巨大な石灰の亀を山中で発掘するも、やはり埋蔵場所の特定には至らなかった。そして現在は、3代目の智之氏に引き継がれている。水野家3代120年間の発掘作業を経て、埋蔵の証となり得る家康像や銅板の地図等様々な手がかりをもとに謎解きをしてきた智之氏。その確信に満ちた眼差しはいまだ衰えをみせることなく、「与えられる」その時が来るまで、今日もまた挑み続ける。

「あたえられるか否か 徳川埋蔵金120年目の挑戦」の解説

祖父子3代、120年にわたって徳川埋蔵金を追い続ける水野一族の当主・水野智之の埋蔵金発掘事業に密着したドキュメンタリー。

公開日・キャスト、その他基本情報

公開日 2006年9月2日
キャスト 監督安部一世
出演水野智之
配給 ワイヤーワークス
制作国 日本(2006)
上映時間 82分

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最終更新日:2022-07-26 11:03:36

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