フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 作品情報
ふぉっぐおぶうぉーまくなまらもとべいこくぼうちょうかんのこくはく
1962年10月、マクナマラ国防長官はキューバ・ミサイル危機に直面する。閣内の雰囲気は「ソ連との全面核戦争は不可避」に傾いていた。そのとき、ソ連問題顧問の一言で、ケネディ大統領はソ連の提案受け入れを決断。核戦争は回避された。30年後、マクナマラはキューバ首相から、「当時ソ連に核攻撃を進言した」と知らされる。「核戦争を回避できたのは、ただ運が良かっただけのことだ。同じ危機が今もあるのだ」。「人類は殺戮や紛争についてもっと真剣に考えなければならない。21世紀にも、同じことを繰り返したいのか?」マクナマラが2才のとき、第一次世界大戦が終わった。世界大恐慌のまっただ中、大学に進学。経営管理の研究で頭角を現し、当時最年少でハーバード大学経営学大学院助教授になる。結婚、第一子誕生…その未来は順風満帆に見えた。そこに、第二次世界大戦が始まった。マクナマラは経営管理の理論を戦争に応用。攻撃効率を高めるため、統計を取り、分析する。だが彼の報告書を元に、日本に無差別絨毯爆撃が行われた。指揮官は後に広島・長崎に原爆を落としたカカーティス・E・ルメイ少将。「勝ったから許されるのか? 私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」。戦後マクナマラはフォード自動車会社に入社。会社の業績を上げ、社長にまで昇りつめた。その頃、最年少の米国大統領が誕生した。ジョン・F・ケネディ。入閣を求められ、マクナマラは国防長官に就任する。それは素晴らしくも、悪夢の日々の始まりだった。ケネディ大統領はベトナム戦争への対応に苦慮する。攻撃拡大を主張する軍部を抑え、大統領とマクナマラは、ベトナムから米軍を完全撤兵する決断を下す。しかし1963年11月ケネディ大統領暗殺…。葬儀を回想する老マクナマラの目が、涙で潤んだ。昇格したジョンソン新大統領は、逆に戦争拡大を決意する。大統領選を有利に戦うため、大統領はマクナマラに、拡大の事実を国民に隠す命を与える。トンキン湾事件を機に、北爆、地上軍派遣と、アメリカはベトナム戦争の泥沼に脚を踏み入れてゆく。31年後、マクナマラはベトナムを訪れ、トンキン湾事件の真実を知り、唖然とする。「ベトナム戦争は避けられたのではないのか?」「キューバ・ミサイル危機のとき、アメリカ政府はソ連の立場に立って状況を見ることができたのに、ベトナム戦争ではそれができなかった」。1967年11月、マクナマラは国防長官を辞任した。マクナマラは「11の教訓」とともに、新世紀へのメッセージを発する。その教訓とは、教訓1:敵の身になって考えよ。教訓2:理性は助けにならない。教訓3:自己を越えた何かのために。教訓4:効率を最大限に高めよ。教訓5:戦争にも釣り合いが必要だ。教訓6:データを集めろ。教訓7:目に見えた事実が正しいとは限らない。教訓8:理由付けを再検証せよ。教訓9:人は善をなさんとして悪をなす。教訓10: “決して”とは決して言うな。教訓11:人間の本質は変えられない。映画のラスト、インタビュアーは尋ねる。「辞任後、なぜベトナム戦争反対を唱えなかったのですか?」。それに対するマクナマラの答は果たして……。
「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」の解説
ロバート・S・マクナマラ。20世紀アメリカ屈指のエリートとして、政界、経済界を牛耳った「切れ者」。ハーバード大学院卒、フォード自動車会社社長、ケネディとジョンソン政権下で国防長官、そして世界銀行総裁を務め、アメリカン・ドリームを実現したスーパー・エリート。そのマクナマラが、アメリカの栄光と影について赤裸々に語ったドキュメンタリー。2003年アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞受賞。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 2004年9月11日 |
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キャスト |
監督:エロール・モリス
出演:ロバート・S・マクナマラ |
配給 | ソニー・ピクチャーズ |
制作国 | アメリカ(2003) |
上映時間 | 107分 |
公式サイト | http://www.sonypictures.jp/movies/fogofwar/index.html |
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