親鸞 白い道 作品情報
しんらんしろいみち
一一八五年、京では連日の様に平家の残党狩りが行なわれていた。その凄惨を極める有様を13歳の親鸞がくいいる様に見つめている。人々の苦しみをなんとかしたいと願った彼は、修業の為に比叡山に入山し、20年に及ぶ苦難の行を積むが、どうしてもその教えに確修を得られず山をおりてしまった。やがて親鸞は、旧い仏教を否定する法然に出会い己れの道を確信する。それ迄、宗教とは比叡山を中心とする上流階級丈のものであったのだが、法然の興した浄土宗は、「宗教は万人のものである」という、当時としては斬新なものだった。この新しい念仏の教えは飢饉や重税に喘ぐ民衆の間に広がっていく。だが、この様な新興宗教が当時の仏教界に受け入れられる筈はなく、当然の様に二人は流罪となってしまう。親鸞は越後へ流されるが、やがて念仏弾圧の手が伸びてくる。念仏を信仰する親鸞、彼の妻・恵信、三人の子供たちは、越後から関東に向かう人買いの集めた群れにまじって越後脱出を計った。苦難の末たどりついた関東上野の国は、人買いの阿藤太のふれこみとは裏腹に地獄の様だった。更にここでは、原始宗教が支配していて、どんな病人も男坐女による祈祷以外に、傷や病いの手当てをする事は許されないのである。親鸞は懸命に布教活動を始めた。そんな時、村を襲った疫病の為に末子の己己を失ってしまう。親鸞はとめる恵信の手を振り切って、燃え熾る炎の中に己己の遺体を放り込んだ。燃える様な憎悪の目でそれを見つめる恵信。やがて一家は常陸の国へと移り住んだ。親鸞はそこで出会った姥捨ての恐怖に怯えながら、現世への執着を捨て切れない老婆に念仏の教えを憑かれた様に説いた。一二一九年、鎌倉鶴岡八幡宮で、将軍源実朝が八幡宮別当公暁に暗殺された。念仏教止令が発令され、親鸞の布教活動はますます困難となっていく。それでも彼は、確信を持って一つの道を歩み続ける。それは共に歩むことのできない妻子との別れを意味したが、彼は現世に苦しみ、のたうちまわりながら再び旅立った。
「親鸞 白い道」の解説
僧侶、親鸞の半生を描く。三國連太郎原作の同名小説の映画化で、脚本は劇作家の藤田傅と本作品で監督デビューした三國連太郎が共同執筆。撮影は「離婚しない女」の山崎善弘が担当。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1987年5月9日 |
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キャスト |
監督:三國連太郎
原作:三國連太郎 出演:森山潤久 大楠道代 泉谷しげる ガッツ石松 小松方正 亜湖 麻田真代 小田切みき 中原早苗 原泉 緑魔子 宮下順子 安藤一夫 岩井半四郎 小沢栄太郎 蟹江敬三 菅貫太郎 丹波哲郎 中村嘉葎雄 麿赤児 三國連太郎 若山富三郎 フランキー堺 |
配給 | 松竹 |
制作国 | 日本(1987) |
上映時間 | 140分 |
ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、3件の投稿があります。
P.N.「水口栄一」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-01-24
この映画をまた観た。やはり素晴らしいと思った。私はこの映画を観ながら、親鸞聖人の正信偈のことを思い出さずにはいられなかった。正信偈の冒頭に叫ばれるのが帰命無量寿如来、南無不可思議光だ。この二句が本願の教えによって、大きな仏様の世界に眼を開いた親鸞聖人の感動だ。私たちの分別を超えた大きな仏様の無量のいのちに、命を帰します、ということだ。素晴らしいの一言に尽きると思う。私はこのような映画を観て、あらためて親鸞聖人のことを思い、無量寿に生きようと考えることはとても大切だと信じている。これからもこの映画を大切に何度も観たいと思う。