戦艦ポチョムキン 作品情報
せんかんぽちょむきん
軍隊の度重なる敗北にともない、ロシア国内には、労働者ゼネスト、農民の暴動、従属民族の反乱が相次ぎ、革命の気運が漸く軍隊の内部にまで高まって来た一九〇五年六月。戦艦ポチョムキンは、労働者のゼネストが行なわれているオデッサの港からほど遠からぬところに碇泊していた。六月十四日の朝、甲板の一隅に吊された牛肉の表面に蛆が群がっていることから、水兵たちの怒りは爆発した。が、そこに現われた先任士官ギリヤロフスキーにより水兵たちは追いちらされ、食卓には腐肉のスープが並べられた。だが、誰一人として手をつける者はなかった。数刻後、緊急集合のラッパが鳴り渡り、甲板に整列した全員にむかって艦長ゴリコフ(V・バルスキー)は、スープに満足した者は前に出ろと命じ、出ない者は帆桁に引っぱりあげるようにと命じた。水兵たちは動揺した。その時水兵の一人マトウシェンコは水兵たちに砲塔の下に集まるよう呼びかけ多くの水兵はその指示に従った。ギリヤロフスキーは、衛兵に艦首に残った十数名の水兵を射つように命令した。間髪を入れずワクリンチュク(A・アントーノフ)がさけんだ。「兄弟たち、誰を射つつもりか!」という言葉に、衛兵たちの銃はおろされた。ギリヤロフスキーは再度命令したが、撃つ気のない衛兵をみてその手から銃をとり水兵たちを撃とうとした。水兵たちは一斉に立ち上った。軍医や艦長は海に投げこまれた。しかし、指導者ワクリンチュクもギリヤロフスキーの銃にたおれた。このポチョムキンでの暴動のニュースはすぐ町中に広がり、多くの大衆の心を大きくゆさぶった。それから間もなくポチョムキンには黒海艦隊が鎮圧にくるという情報が入った。降伏か抗戦かをめぐって激しい討論の末、ポチョムキンは抗戦ということに決った。夜になり、艦隊は姿をみせた。マトウシェンコの命令で、ポチョムキンのマストには「われらに合流せよ」の信号旗が上げられた。艦隊は射程距離内に入った。戦いか、死か、緊張した一瞬がながれた。そして次の瞬間、ポチョムキンの水兵たちが聞いたのは、津波のように押しよせてくる「同志!」という言葉だった。
「戦艦ポチョムキン」の解説
セルゲイ・M・エイゼンシュテインが、第一次ロシア革命と呼ばれる一九〇五年革命のなかの、歴史的事件“ポチョムキン号の反乱”をテーマに製作したもの。彼は監督・シナリオ・モンタージュを担当し、《リズミック・モンタージュ》と《音調モンタージュ》は特に有名である。シナリオはニーナ・アガジャノヴァ・シュトコがエイゼンシュティンに協力している。撮影はエドゥアルド・ティッセ、音楽はニコライ・クリューコフ、録音はイ・カシケヴィッチ、美術はワシリー・ラハリスが担当した。なお、助監督にグリゴーリ・アレクサンドロフがついている。出演はア・アントーノフ、グリゴーリ・アレクサンドロフ、ウラジミール・バルスキーらのほかに、エイゼンシュティン自身が神父役で出演している。製作一九五二五年だが、モスフィルムが一九五〇年に発声版を作っている。
公開日・キャスト、その他基本情報
キャスト |
監督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
出演:アレクサンドル・アントノーフ グリゴーリ・アレクサンドロフ ウラジミール・バルスキー セルゲイ・M・エイゼンシュテイン |
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配給 | ATG |
制作国 | ソ連(1925) |
上映時間 | 66分 |
ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、9件の投稿があります。
P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-03-18
⚓プロレアリア作家・小林多喜二原作の1953年製作の映画・蟹工船 山村聰監督版を視聴した時に連想されたのは漁港が舞台と云う点でルキノ・ヴィスコンティ監督の映画・揺れる大地や船上シーンで本篇が⛴