翼よ!あれが巴里の灯だ 作品情報
つばさよあれがぱりのひだ
1926年、ニューヨーク~パリ無着陸飛行の最初の成功者に与える25000ドルのオーテエイグ賞の設定が発表される。若きリンドバーグ(ジェームズ・スチュアート)はそれを目指し、セントルイス飛行クラブ会長ナイト氏とともに、町の実業家を訪ねて資金の寄付をあおぐ。銀行の頭取など町の有力者たちは経済上の支援者となり、飛行機の名は郷土の名をとって「セントルイス魂号」と名づけられた。が、肝心の飛行機は、これから買わなければない。まず見つけたニューヨーク、コロンビア航空会社のベランカ機は、操縦者のリンドバーグが無名だという理由で、買取を拒絶される。失意のリンドバーグは次に後援者の紹介で、カリフォルニア州サン・ディエゴの小工場ライアン航空会社を訪れる。工場長マホニーと設計主任ホールは、幸い彼の申し出を快諾する。時に1927年3月、ラジオは、バード中佐ら数名のアメリカ側、ナンジェッセとコリーラのフランス側の飛行家たちが、多発機で横断飛行準備中と伝えていた。ぐずぐずしていれば、誰かに先を越される。リンドバーグの頼みで、マホニーらは大急ぎで飛行機を完成させる。それに乗ったリンドバーグは直ちにセントルイスへ戻る。が折も折、パリを発ったナンジェッセとコリーが、大洋上で行方不明となる。この不祥事に後援者たちはリンドバーグの身を心配し、横断飛行を中止しようとする。しかし固い決意のリンドバーグは、発進地ニューヨークのルーズヴェルト飛行場に向かう。5月19日、その日は天候が乱れていた。いよいよ20日、午前7時52分、雨で荒れた飛行場から多くの人の声援に送られ、リンドバーグは3600万マイル彼方のパリを目指して飛び立った。大圏コースをたどり正午までにノヴァ・スコティアの上空を通過、濃霧に悩まされながらも「セントルイス魂号」は、好調の飛行を続けた。だが前夜一睡もできなかったリンドバーグは、度々睡魔に襲われる。睡魔と戦う彼の頭には、最初の単独飛行のこと、空中サーカスで曲乗師をやっていたことなどが、走馬燈の絵のように続く。アメリカ大陸を後に、機は大西洋上にかかった。夜になりニューファウンドランド東方に来たとき雷雲層に入り、突然、機は凍結し始める。ようやく大迂回して機の氷を叩き落としたが、リンドバーグは完全に疲れ切った。しかし夜が明け2日目、遂にアイルランドの緑の海岸を発見、彼は最後の力を振い起した。そして不休51時間の末、遂に機は日没のパリに近づき、サーチライトの煌々と光るル・ブールジェ飛行場に、世紀の着陸を遂げる。所要時間33時間39分20秒。リンドバーグは何十万の観衆の歓呼に迎えられた。そしてニューヨークに帰った彼は、400万の市民に迎えられて輝かしい壮挙を讃えられた。
「翼よ!あれが巴里の灯だ」の解説
世界最初の大西洋横断無着陸飛行の成功者チャールズ・A・リンドバーグの同名の自伝回想録の映画化。「七年目の浮気」のビリー・ワイルダーと、ウェンデル・メイスが共同脚色、「紳士は金髪がお好き(1953)」のチャールズ・レデラーが脚色、ワイルダーが監督した。撮影監督は「間違えられた男」のロバート・バークスと「太鼓の響き」のペヴァレル・マーレイ、空中場面はトーマス・タットワイラーが担当した。音楽は「地獄の翼」のフランツ・ワックスマンが作曲指揮、レオニード・ラーブが編曲した。主演は「知りすぎていた男」のジェームズ・スチュアート。バートレット・ロビンソン、パトリシア・スミス、マーク・コネリーなどが助演する。なお「シネラマ・世界の七不思議」の監督の1人、飛行家のポール・マンツが空中場面の監修をしている。
公開日・キャスト、その他基本情報
配給 | ワーナー・ブラザース |
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制作国 | アメリカ(1956) |
上映時間 | 138分 |
ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、1件の投稿があります。
P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2020-06-05
飛行機の自動運転化時代のパニック映画〈乱気流 タービュランス〉を視た後でNHKプレミアムcinemaで観た名匠ビリー・ワイルダー監督の本名篇。航空郵便人だったリチャード・リンドバーグの名前を世に知らしめた巴里への飛行の困難を色々なepisodeを交えてユーモラスに紡ぐロードムービー。ジェイムズ・スチュアート主演の彼のヒッチコック監督作品見たいなハラハラドキドキ感も堪らない!眠さとの戦いシーンは