吾輩は猫である(1975) 作品情報

わがはいはねこである

文明中学の英語教師、苦沙弥の家に一匹の猫が、半ば強引に住みついた。苦沙弥家は細君と三人の女の子、女中のおさんの六人暮しである。苦沙弥を除いて全員、猫は嫌いなのだが、苦沙弥は、追い出されてもすぐ戻るふてぶてしさに感心して飼うことにする。この家には、迷亭とか、苦沙弥の弟子の寒月が、主人の姪の雪江を目当てに、口実をつくってはよく顔を出す。迷亭は美学者だが、人に嘘をついては一人で喜こぶのが趣味で、寒月は奇妙な研究ばかりしている理学士である。さて堅物の寒月が、実業家、金田の娘、富子に恋をした。にわか成金の金田は落雲館中学の後援者だが、苦沙弥は出世と金儲けのために政治を利用している金田を許すことができなく、そのために家から目と鼻の先きにある落雲館をさけて、通勤に不便な文明中学に奉職しているのである。富子の母親・鼻子は寒月の素行調査を車屋のお内儀、二絃琴の師匠に依頼するかたわら、寒月の人物鑑定に苦沙弥の家に乗り込んだ。もともと寒月と富子の縁談に反対の苦沙弥と迷亭は、鼻子の自尊心を一蹴したために、鼻子は怒って帰っていった。猫--吾輩も恋をした。相手は、二絃琴の師匠に可愛がられている三毛である。だが三毛は車屋のクロに恋している。クロは、ネズミをとらず、イタチをとることに生涯を賭け、最後っ庇をかけられながらも、その執念を捨てない。苦沙弥が担任している生徒、古井武右衛門が富子に送ったラブレターのことが発覚するという事件が起きた。このラブレターは、実は古井が友人に名を貸しただけなのだが、退校処分になった。担任として生徒を弁護する苦沙弥と校長の溝は深くなるばかりである。その頃、野球が流行し始め、金田一派が落雲館の生徒たちをけしかけているのか、苦沙弥の庭や座敷にまでボールが飛び込んでくる。生来の胃弱がますますひどくなった苦沙弥は衝動的に家を出た。雪江の家に一泊した苦沙弥は、すごすごと帰宅した。半月ばかり姿を見せなかった寒月が故郷で結婚して細君を連れて来た。また、苦沙弥の元書生で、金田家で働いていた多々良三平も富子と結婚することになった。吾輩が恋焦れていた三毛があっけなく死んだ。吾輩は人間を真似て、ビールを飲んだ。だが、水がめに足をすべらして落ちてしまい、絶命した。俳句や絵画やヴァイオリンと、幅広く手をのばし何一つ上達しなかった苦沙弥は、今度は小説を書く決心をした。タイトルは「吾輩は猫である」。

「吾輩は猫である(1975)」の解説

夏目漱石の同名小説を映画化したもので、一匹の猫の眼を通して、通俗的な社会にはかない抵抗をしめす中学教師を描く喜劇。脚本は「ノストラダムスの大予言」の八住利雄、監督・潤色は「股旅」の市川崑、撮影は「雨のアムステルダム」の岡崎宏三がそれぞれ担当。音楽はバッハの「インベンション」よりとっている。

公開日・キャスト、その他基本情報

公開日 1975年5月31日
キャスト 監督市川崑
原作夏目漱石
出演仲代達矢 波野久里子 伊丹十三 岡本信人 島田陽子 岡田茉莉子 篠ヒロコ 篠田三郎 前田武彦 左とん平 三波伸介 神山繁 緑魔子 樋浦勉 春川ますみ 上原ゆかり 辻萬長 蟹江敬三 海野かつを 岡田英次 遠藤征慈 七尾伶子 井上れい子 西本裕行 磨のぼる ティム(オス4歳) ミーコ(メス1歳) 黒(オス12歳)
配給 東宝
制作国 日本(1975)
上映時間 116分

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ユーザーレビュー

総合評価:5点★★★★★、1件の投稿があります。

P.N.「水口栄一」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2020-06-18

我が家の庭で時々、野良猫が遊んでいる。野良猫を見るとこの映画を思い出す。原作は昔、読んで面白かったが、この映画もまた楽しませてくれた。諧謔と風刺にあふれるストーリーだ。最高のエンターテイメントというべきだろう。

最終更新日:2022-07-26 11:03:54

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