『軍中楽園』ニウ・チェンザー監督インタビュー

『軍中楽園』ニウ・チェンザー監督インタビュー
提供:シネマクエスト

台湾の対中国最前線にある金門島に存在した慰安施設、“831部隊”と呼ばれる娼館にスポットを当て、国共内戦に破れて大陸からやってきた外省人軍人の悲哀、慰安婦になった女性たちの背景と兵士たちとの関りを重層的に描いてい『軍中楽園』。
約40年の長きにわたり公然の秘密であった、軍公認の慰安施設というセンシティブなテーマに挑んだのは、『モンガに散る』などのニウ・チェンザー監督。紆余曲折があった製作過程を中心に、話は弾んだ。

初監督作だった『ビバ!監督人生!!』の時にお会いして以来です。その後はどんな作品を?

■ニウ・チェンザー監督:テレビドラマの監督を経て、『ビバ!監督人生!!』(08)でやっと念願の映画監督になれた。2作目の『モンガに散る』(10)は台湾でヒットしたし、ついに夢が叶ったという気持ちだった。その次の『LOVE』(12)(趙薇、舒淇、阮經天らスター集結のラブコメディ、大阪アジアン映画祭ほかで上映)は中国本土でもヒットして、大陸の市場にも食い込んでいけるようになった。その間、2年に一作のペース。これが自分のリズムだと思ったし、常に違うスタイルの映画を作りたいという思いがあったんだよ。

『軍中楽園』を撮ろうと思ったきっかけは?

■ニウ・チェンザー監督:『LOVE』のあと、中国でビッグバジェットのアクション映画を撮る話があったんだけど、その前に小さな映画を作りたいと思って、以前読んだある文章を思い出したんだ。それは「私の初体験(1回目)」というテーマの作文コンテストの最優秀作で、書いたのは70歳くらいの男性。兵役時代に金門島に配属されて、「831部隊」に就いた時の体験を記したもの。つまり『軍中楽園』の主人公・ルオのモデルだ。興味を持った私は歴史を勉強し、金門島に赴いて実際に島を歩き、取材をした。すると、ちょっと考えが変わってきたんだ。初めは喜劇っぽいものを、と思っていたのに、「これはシリアスな人間ドラマになる」と。小さな島で過酷な環境に置かれて、永遠に勝ち目のない戦争に囚われた人たちのドラマにね。

それでこのプロジェクトを一気に進めたわけですね。

■ニウ・チェンザー監督:そう。私の父親は北京から台湾に渡った外省人ということもあって、勉強していくうちにその世代が持っていた“哀愁”に共感を覚えた。民族が抱えている傷をそのまま放置しておいたら、やがて腐敗し悪臭を放つようになる。その傷は手当てしてあげなきゃいけないだろう、と。市場的に合わないだろうし、政治的な意味からの反発は予想できた。でもその当時資金は潤沢だったし、とにかく「撮りたいものを撮ろう」と。

テーマがテーマだけに、製作にあたってはいろんな苦労があったかと思いますが。

■ニウ・チェンザー監督:(台湾)軍のサポートは約束されていたから、カメラマンを連れて金門島へ下見に行ったんだ。その時、カメラマンと軍艦に乗せてもらい撮影をしたんだが、その写真がたまたまメディアにのったんだ。カメラマンが大陸出身だったものだから、それが政治的な事件として報道されてしまった。「中国本土の人間を連れて立ち入り禁止区域に入った」とね。一夜にして売国奴扱いさ。「戦争はまだ続いてるんだ」と驚いたね。

それでどうなりましたか?

■ニウ・チェンザー監督:出資者たちは「こちらで対応するから心配するな」と言ってくれたけど、これは私の作品なんだからちゃんと向きあわなきゃ、と思って謝罪した。裁判が行われて、判決は懲役5ヵ月執行猶予2年。上告はしなかった。私の会社はちょうど株式を上場しようか、というタイミングだったんだけど、投資家たちは離れていったよ。台湾と大陸、華僑圏のハリウッドを作り上げる夢があったけど、頓挫しちゃったわけだ。さすがに迷ったよ。撮り続けたほうがいいのかって。

それでも完成に漕ぎつけました。どんな思いで製作を続けましたか?

■ニウ・チェンザー監督:自分自身、転んだままじゃ納得できないと思ったのがひとつ。すでに1年以上いっしょに働いてきたスタッフの情熱を断つわけにはいかない、と思ったのがふたつ目。そしてこの三つ目がいちばん大切なんだが、あの時代のこと、苦しみの事実を知ってしまったからには、決して後戻りできないと。私が映画にしないと誰もやらないだろうしね。苦しんだ人たちの代わりに、誰が今の人に訴えるんだろうかと考えたんだ。私はこのテーマに“選ばれた”人間なんだと。公開してもヒットしないだろうと予測はできたし、現に興行成績はあまり芳しくなかった。中国では公開すら叶わずだ。ネット上で批判される立場になり、巨額の債務を負い、犯罪者にまでなった(笑)。表面上は最大級の過ちのようだけど、今は「これは最大の成功だ」と思えるようになったんだ。不確実な幻想の中で生きる必要はないし、他人の期待に応える必要はない。私はやっと“選ばれた監督”になることができたんだから。

なるほど。10年前とは別人の映画監督ですね。

■ニウ・チェンザー監督:この何年かで名誉や地位、お金といったものが剥がれ落ちていった。自分と向き合い、欲望と戦い、自分を批判しないと同時に、他者に対しても批判しないようになった。そう、私は生まれ変わった新しい監督なんだ(笑)。初心に帰った気持ちだ。

ところで、「831部隊」のことは台湾の人はよく知っているんですか?

■ニウ・チェンザー監督:90年代に廃止されるまでは、誰もが知っていたと思う。文字通り「軍の中の楽園」だと聞かされていた。そして生理的な欲求を解消する場だと。そこは神秘的で、かつ化粧の匂いと同時に不潔感が漂っているような。

監督は金門島には配属されていませんね?

■ニウ・チェンザー監督:私の兵役は1989年だった。すでに演劇を始めていたから、娯楽部門でいろんなところを慰問して回って兵士たちを楽しませる部隊にいたんだ。金門島へ慰問に行ったとき、ちょうど同級生が配属されていたので会いに行ったよ。この映画の頃と比べると少し楽になったみたいだけど、それでも厳しい訓練の毎日だったようだ。

みんな金門島に配属が決まったらショックを受けるんでしょうね。

■ニウ・チェンザー監督:(配属先は)くじ引きで決まるんだよ。「金門」や「馬祖」(台湾海峡にある小さな島々)を引いちゃったら最悪だ。「金馬奨」は映画界にいる者には、逆に嬉しい賞なんだけどね(笑)。

【取材・文】川井英司

最終更新日
2018-05-21 15:04:14
提供
シネマクエスト(引用元

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