北朝鮮政府が演出した“庶民の日常生活”。その裏側を、ロシアの撮影スタッフが危険を冒して暴き、政府の強力な圧力と非難を押しのけ世界各国で上映され高く評価された話題作『太陽の下で-真実の北朝鮮-』が1月21日(土)よりシネマート新宿ほか全国順次公開となる。本作のメガホンを取ったヴィタリー・マンスキー監督のインタビューが到着した。
Q:本作を撮影した動機
A.私が生まれたのはソ連です。自分史を含め祖国史もソ連時代。両親は全体主義時代を私はその終焉時代を生きた。スターリン体制は血まみれのテロ時代、そんな時代がなぜ存在し得たのか理解したい。個性と自由をいかに抑圧したのかも。全体主義がいかに機能していたかを理解したい。さらに、こうした人々を私は観察したい。過去の私や両親がその状況を受容する可能性を探りたかった故に、この出張にエキゾチックな目的は何もなかった。極めて個人的な問題であり、国家機関に対する個人的な関係が動機だ。
Q:映画の撮影中何らかの困難なことがありましたか?
A.撮影中に起こったことは全くユニークで、全く不自然で、全く普通ではなかった、私のすべての経験に照らして。私は戦場、牢獄、軍隊、クレムリン、バチカン、タイ総督府、ジンバブエの牢獄でも撮ったが、北朝鮮は全く違っていた。私は経験上あらゆる予期せぬことに備えていた、だが北朝鮮では私のあらゆる想像を超えていた。人々の生活をはじめプロとしていかに撮影すべきか等。撮影前の交渉で条件など合意するのに2年を要し、現地に到着さえすれば直ちに撮影できると思ったが、現地に到着さえすれば直ちに撮影できると考えていたが、合意書には厳しい条件があったが、実際にはその10倍も厳格で制約があり、すぐに旅券を取り上げられ、ホテルから一歩も外出できなかった。撮影現場ではカメラを望む方向に向けることも禁止、私たちはすべて禁止された。非現実的なシーンが絶えず現れ、ホテルに着くと撮ったものすべてを渡せと言われた。それを全部見て彼らにとって正しくないものは私から見ればいいと思えても消去させられた。だが何としても仕事を進める渇望と力が私たちに湧き上がった、いずれにしても映画は完成したのだ。衝撃的な状況を克服することが我々に集中力を与え、さらに状況を進展できたが、別の瞬間もあった。こんな私さえ撮影できない状況が起きた。北朝鮮の行為の不遜さ、非良心性、不条理の状態が考えられない段階になったからだ。独裁政権を地上の楽園に見せようとする彼らの願望を、そのようなことが何であるかさえ彼らは理解していない。これこそが私の驚きでした。
Q:映画公開後に北朝鮮から何か便りや反応がありましたか?
A.完成した映画を観ていないのに、北朝鮮外務省はロシア外務省に外交文書を送った映画は北朝鮮を挑発した故、公開禁止とし、フィルム廃棄し制作者に刑罰を課すよう求めるとあった。だが一年ほどかけ、この映画のロシア公開にこぎつけた。公開日の2週間前に各映画館に予告ポスターが貼られ、すると公開3日前に北朝鮮からさらに要求が出された。同時に、国立と公立の映画館が公開を中止した
Q:撮影後、北朝鮮から届いた手紙に関して
A.北朝鮮側は私がロシア在住ではないので制裁できず、ラトビア在住を知って直接連絡し私との対話を計ろうとしたようです。私をスパイで日米の手先、人類のクソ等々最後通牒の厳しい手紙の後で撮影グループの重鎮として訪問されたなど聞きたくもない。その後は打って変わって、「あなたが懐かしい、平壌にきて私たちと会いましょう、この先のプランを話し合うのは重要。。」といった手紙をもらいました。この先100年以内であろうとも行きたくありません。
Q:映画撮影前と映画完成後の朝鮮人民民主主義共和国の印象は?
A.私は苦しげな路上生活者たちを見たし…、メキシコやインドの貧民窟も。だが、問題は貧困とか快適さ、現金、物価、飲料水等々が問題なのではない。問題は人間の自由なのだ。自分の生涯を生きる権利、生涯の決定権、自分の人生を変更する権利、以上の意味で北朝鮮は最もひどい国だと思う、なぜなら、あの国には自由を持つ人間がいないからだ、権利を抑圧する人々も無権利状態だ。皆さんを驚かせているようだが、指導者、神々キム・イルソン、キム・ジョンイル、キム・ジョンウン。彼らも自由な人々ではなく、彼らが住む全体主義国家の人質であり捕虜なのだ。