マーティン・スコセッシが遠藤周作の名著「沈黙」と出会ってから28年、監督としての固い決意によって『沈黙-サイレンス-』が遂に完成した。日本公開を間近に控え、なぜ「沈黙」に魅了され、なぜ映画化にこだわり続けたのか。スコセッシ自身が語ったコメントが到着した!
1988年、ニューヨーク市で行われた聖職者向けの『最後の誘惑』NY特別試写会で、マーティン・スコセッシは大司教のポール・ムーアと知り合った。そこでムーアは、監督に遠藤周作の歴史小説「沈黙」をプレゼントした。「沈黙」は日本で1966年に刊行され、非常に力強く、徹底的に厳密なテーマ分析が高く評価された。数年後にその英語版が出版されると、宗教的なテーマに対する奥深い検証および熟考として、小説の評価はさらに強まった。
初めて「沈黙」を読んだマーティン・スコセッシは大きな衝撃を受け、まるで彼個人に話しかけられたような気がした。「遠藤が本で提示したテーマは、私がとても若い時からずっと考えていたものだ」とスコセッシが語る。「熱烈なカトリックの家庭で育ったため、私と宗教との関りはとても深かった。子供の時に浸っていたローマカトリック教の精神性は、いまだに私の基盤となっている。それは宗教とつながりのある精神性だ」スコセッシは本を読みながら、キリスト教についての非常に根深い問題に対峙していることを知って驚いた。
「わたしはこの年になっても、信仰や疑い、弱さや人間のありようについて考え、疑問を感じているが、これらは遠藤の本がとても直接的に触れているテーマだ」
「沈黙」を初めて読んで以来、スコセッシは映画化を固く決心していた。遠藤周作の小説「沈黙」は、日本の隠れキリシタンの時代が舞台で、優れた文学作品として絶賛され、評論家には20世紀最高峰の小説の一つと言われている。1966年に出版され、同年には谷崎潤一郎賞を受賞。1969年に英訳されて以来、世界各地でさまざまな言語による翻訳版が登場した。
「沈黙」は刊行すぐにベストセラーとなり、80万部以上を売り上げた。小説の出発点は、大きな波紋を呼んだ歴史的な教会スキャンダル――イエズス会士、クリストヴァン・フェレイラの日本での背教――だ。彼は棄教し、仏教徒の学者となり、日本人妻を娶った。
小説では、クリストヴァン・フェレイラの2人の弟子である、セバスチァン・ロドリゴ神父と、フランシス・ガルペ神父は、ポルトガルからマカオのイエズス会大学へ、その後に日本へ旅し、棄教したとされるフェレイラの真相を探ろうと大きな危険を冒す。一方で、彼らは、命を脅かされながらも信仰を続ける隠れキリシタン、日本の忠実な信者たちの世話をする。
キリスト教の観点から小説を書いた数少ない日本人作家のひとりである遠藤周作は、1923年に東京に生まれた。彼は神戸で母と伯母に育てられ、11歳の時、洗礼を受けた。大学在学中、第二次大戦で学業の中断をやむを得ず軍需工場で働いた。戦後は医学を学び、フランスにも留学。生涯を通して、結核など深刻な呼吸器の病気に苦しみ、長期にわたる入院生活を送った。
1958年に小説の執筆を始め、「イエスの生涯」などほとんどの作品でキリスト教のテーマを扱った。
近年でも「沈黙」は“我々の時代の小説”と言われている。ニューヨーク・タイムズの日曜版に執筆中のポール・エリーは語る。「非宗教的な今の時代に我々を悩ます非常に多くの宗教問題を宣教の時代に見出している―多様な社会に共通する真実の要求、信仰の宣言とその表明の間の矛盾、信者が神のために暴力をふるわれる一方で、神の見かけ上の沈黙といった問題だ」―― 「沈黙」の今日性は常に波紋を呼び続けている。
スコセッシは書いている。「ゆっくりと、巧みに、遠藤はロドリゴへの形勢を一変させる。「沈黙」は、次のことを多いなる苦しみと共に学ぶ男の話だ。つまり、神の愛は彼が知っている以上に謎に包まれ、神は人が思う以上に多くの道を残し、たとえ沈黙をしている時でも常に存在するということだ」そして「私がこの小説を初めて手にしたのは、20年以上前のことだ。それ以来、何度も数えきれないほど読み直している。これは、私が数少ない芸術作品にしか見出したことのない、滋養のようなものを与えてくれる」小説だと。
『沈黙-サイレンス-』は、1月21 日(土)より全国ロードショーとなる。