P.N.「鎌倉の御隠居」さんからの投稿
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2025-06-13
公開早々本年度ナンバー1の呼び声相次いでいる映画『国宝』は、3時間弱の長尺を全く飽きさせることなく観客を魅了する内容充実の佳品である。
しかし吉田修一の原作愛読者には、どうしても物足りない。なくてはならぬ人物が割愛され、それぞれの登場人物たちの屈折、葛藤の造形も不十分。時間的制約からすれば、奥寺佐渡子の脚本は健闘大とすべきなのだろうが、せめて大団円場面は原作通りにして欲しかった。実際の撮影を想定すると、難度の高さは推して余りあるが、なんでもできる(素人推量、御免蒙る)現在の映画技術なら、決して不可能ということはなかったのではないか。どんな場面なんだ、と関心を有される原作未読の向きは、是非一読されたい、その最後さえ整えてくれたなら、終わり良ければすべて良し、で愛読者の何割かも納得したはずである。
それにしても企画の段階で、原作通り、青春編、花道編の二本立て構想はなかったのだろうか。邦画で思い返しても直近では『室井慎次』、近時なら『るろうに剣心』、『ちはやぶる』、少し前なら『69』、といくつもあるではないか。吉田修一の原作『悪人』、『怒り』と優れた手腕で映画化を実現させた李相日がメガフォンをとるのは必然。満を持してのこのたびの製作だと受け止めているが、クランクインに先立ち、かかる長編、佳品にどのように向き合うか。どう検討勘案し、決断したのか、是非とも知りたい。エンドロール後いささか肩透かしの感ありパンフレットを購入せず劇場を出たのだが、そこには監督や製作者の思いは書かれていたのだろうか。
映画での吉沢亮、横浜流星の歌舞伎役者然たる演技が見事だっただけに、かかる作品化でとどまったことが惜しまれてならない。ふたりの若手実力俳優に吉田修一の傑作の主人公それぞれの人生を全うさせる手筋こそが熟慮、合議されるべきだった。作品規模をより大きくすることで、原作物語の他の多くの人物たちの内面も詳しく描出出来ただろうし、それこそ一部で言われるような「100年に一本」の歴史的な名画となり得たのではないか。